赤瀬川原平『超芸術トマソン』を読んだ

 

 

 

超芸術トマソンの(一応の)定義は「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」。トマソンてなんぞやと思ったら1982年に巨人にいた選手とのこと。野球に疎いのでこの選手がなぜ超芸術と関係するのかと思ったらきちんと説明されており、しかもその説明が皮肉たっぷりだったので吹き出した(著者は「皮肉ではない」と断っているが)。昇降しても意味がない純粋階段、その下に何もない庇、塞がれてしまった入り口、高層階の壁にある扉などのトマソン物件は再開発前ならではのもの。DIYなんて言葉がまだなかった1970年代から80年代にかけての(主として)東京の風景。著者のユーモラスな文章が滑稽な写真と相俟ってとても楽しく読めるのだけれど、同時に、この本で紹介されているトマソン物件の大半は今ではもう失われてしまっているだろうことが予想されて一抹の寂しさも覚える。

 

 超芸術トマソンの発生した一九七〇年代初頭は、体制破壊の波が町を吹き抜けた直後である。路上の敷石が剥がされ、交番が焼打ちに合い、車道をぞろぞろと人が歩いて、町の様相は激変していた。

 これは関東大震災のミニ版であろうか。

 大地震によってすべてが崩れ落ちて等価のカケラとなってしまった荒野に、またぽつりぽつりとバラックが立ちはじめて町が再生していく。今和次郎考現学は、その時代に生まれたのだった。

 そういえば芸術がキャンバスからあふれて生活空間にひろがるという考現学的状況を呈したときにも、町には六〇年代安保闘争の動揺があったのである。考現学路上観察の視線の源は、破壊と再生の谷間の原点に隠されているようである。

 

路上観察学入門』

 

 

トマソン』の副読本ともいえる『路上観察学入門』で、四方田犬彦さんが「墓場鬼太郎」の鬼太郎父子が1963年の新宿を散歩するシーンを引用している。鬼太郎が「オリンピック前だというのでさわいでいますね」と言うと、目玉の親父が「土建屋と旅館にもうけていただくためにさわいでいるようなものだ」と答える。「開発」へのシニカルな目線が『トマソン』にはある。

 

本書中の白眉は、表紙写真の撮影された麻布谷町をめぐる「ビルに沈む町」および「馬鹿と紙一重の冒険」の章だろう。現在のアークヒルズ周辺が森ビルによって再開発される前のそのあたりの風景は、

 愛宕山を越えてからは、古い住宅地のようなところにはいりました。道が不規則に折れ曲がり、上ったり下ったりしています。静かです。道が狭いからです。車がほとんど通らない。まだ車が世にあらわれていないころの道路なのです。建物や塀もかなり古くて、角が丸くなったような感じです。(略)

 歩くうちに町の表示は、芝となったり、麻布となったり、六本木となったりしています。とにかくそういうところです。坂道が上ったり下ったりするけど、あちこちに高いビルがいくつも建っているので、高地低地は目ではわからず、やはり感じるのは靴底だけです。それでもってビルの横の道を歩いていると思ったら、ふいと道路の横がひらけて、目の下に古い人家の屋根があります。

 ビルに沈む町の屋根です。

 

住民の立ち退きが始まっていたこの町に、すでに建物はなくなっている銭湯の煙突だけがポツンと残っていた。トマソン煙突だ。その根元にはバラックがあり、まるで立ち退きに対して徹底抗戦の構えを見せるトーチカを思わせた。実際は徹底抗戦どころかこの銭湯の主人はさっさと森ビルとの契約書にサインして銭湯を売り払ったそうだが、煙突を発見した当初は著者やトマソン観測グループのメンバーはそんな事情はわからない。このメンバーの一人が命綱なしで煙突に登り、てっぺんで何にも掴まらず(避雷針はあったが錆びていて掴んだ方が危険と判断した)、立ち上がって一脚を掲げ魚眼レンズで撮影した写真、それが本書の表紙写真である(撮影の詳細に関しては『路上観察学入門』に本人による回想がある)。この写真に写っている「ビルに沈む町」は本当に沈んでしまって今はもう跡形もない。雑誌に連載後、1985年に刊行された本書はいわば失われてしまった東京の風景の貴重な記録となっている。まだバブル期すら迎えていない頃の。本書を1985年に読むのと2022年に読んだのとでは人は全然違う印象を受けるのではないだろうか。1985年なら素直にトマソンの可笑しさを笑えただろう。しかし2022年では可笑しさよりも郷愁を覚えたり、時代の変遷に愕然とするだろう。それは都築響一さんの写真集『TOKYO STYLE』にも共通している。かつてあったのに今はもう消えてしまった風景とそこにあった暮らし。

 

今更トマソンでもないだろうが散歩のついでにそれらしきものはないかと住宅地をきょろきょろしていても、新興住宅地だからか、建物には無駄がなく、妙な増改築するくらいなら更地にして一から建て直すのか、あるいは単に自分に発見のセンスがないのか、まず見かけない。効率性・生産性追求の時代だから無駄な物は残しておかず追放したくなるのかもしれない(「無用物追放欲」という言葉が本書に出てくる)。もっと昔日の面影残る土地なら年季の入った住宅や土地に発見できるのかもしれない。いや、やはりセンスの問題か? 本書でも言及されているが、トマソン探しをするようになると、人は近所の「何気なく通っていた道にも初めて見る景色がいっぱいある」ことを発見するようになる。実際、近所を散歩していると半径5キロにも満たない距離の中に、通ったことのない道がいかに多いか、すべての道を死ぬまでに歩き尽くせないのではないかと思うほどで(大袈裟か?)人間一人に対してはちょっとした住宅地と商店街でさえ広大すぎる、と感じるようになった。近所にトマソンがなければないで代わりに何か別のものを人は見つけるだろう。変わった苗字の表札とか、名前も知らない花だとか、一風変わった改造車とか。

 

本書の元になった記事は雑誌連載で読者からのトマソン写真の投稿によって成立していた。最初のうちはトマソンを楽しんでいた著者が、だんだんと報告が増え、分類が可能になっていくにつれて冷めていく過程が可笑しい。最初は斬新だった遊びが、制度化されることで退屈になっていく。この記事の冒頭でトマソンの一応の定義を引用したけれども、本書の中盤以降ではたとえ定義にはあてはまっている物件でもこちらの情動に訴えてこない云々とケチをつけたり、トマソントマソンでないかを考えるのがもう面倒くさくなったと言ったり、趣旨が否定されるようになる。

 何ごともそうであるが、超芸術トマソンも数多く接するうちには「グルメ」の状態が発生してくる。つまりはじめてこの論理をつかんで町を観測しはじめたときには、つぎつぎとぶつかる新しい物件に新しいトマソン構造を見つけ出して、気持はわくわくしていた。ところが各種の物件が超芸術トマソンの論理の位相をおおよそ埋めつくしてくると、やや気持のわくわくがなくなってくるのだ。見事なほどの庇タイプを発見しても、

「ああ、庇ね」

 といってそれはすぐに分類されたところに収まってしまい、まあいちおう写真に撮っておくかという具合で、カメラのシャッター音にも精彩がない。しかしこの「グルメ現象」というものは、何ごとにおいても道をきわめようとするものに必ず訪れてくる壁であろう。先行したものがグルメとなって興奮を欠いてしまっている一方で、新しくこのトマソンに関わるものは独自にまたこの現象をむさぼり食って、何か別の新しい発見の系譜へとつながるのかもしれない。

 

人間は生きている限り意図するとしないとに関わらず観察してしまう生き物だ。観察し、並置し、比較し、分類し、整理し、逸脱したものに驚く。感動する。笑う。その逸脱したものたちもさらに分類・整理され、やがて各人は自身の中に、何事かに関する膨大なインデックスを作成していく。このインデックスを豊富にし続けることが、もしかしたら生きることへの飽きなさにつながるかもしれないし、何もかもが嫌になって心折れそうなときでも生への未練となってその人を救う助けになるかもしれない。いや、適当に言ってみただけだが、そうだったらいいな、と思う。

 こうやって整理棚が整うことがあらかじめわかっていたからといって、何も観察せずにじっとしていることができただろうか。いやできたとしても、それはただ時間を一時的に止めただけに終るだろう。終ったところでその空白の時間に、敗北感を味わうだけだ。こうなることは、いずれどうやったってこうなるのである。

 何故なら、これが自然のおこないだからである。私たちは自然の与えてくれた好奇心に身をまかせて、物件を見つけてきたのだ。

 自然とはそういうものだ。

 好奇心の出し惜しみをして触らずにいたとしても、何ほどのことがあるのか。私たちはいずれ必ず自然に打ち負かされる。それよりも自然を誘い出して、いっしょに戯れた方が面白い。爽快である。

 

だから生きて、観察を続けようぜ。

 

浅草を徘徊し国立映画アーカイブで企画展「日本の映画館」を見る

GW最後の二日間となった土日。女の人と浅草に行った。前回来たのが2月下旬。滅多に行かない土地だったのに今年に入ってからもう2回目。理由はGW期間中なのにホテルのプランにかなり安くてお得なのがあったから。金額で旅行先を決めた。

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昼頃、旅行気分を出すために西武線のレッドアローに乗車。道中、「浅草はだいぶ混んでるみたいよ」と連れに教えられる。浅草へ行く前に原宿に用があった。ウォーキング用シューズをニューバランスで買いたかった。山手線に乗り換え原宿で降りる。明治神宮口の方へと歩いて行くといつの間にかリニューアルされたらしく自分の知っている原宿駅ではなくなっていてカルチャーショック。「もうだいぶ前だよ」と連れ。改札出るとポップコーン店の行列が続いている、というのが自分にとっての原宿駅のイメージだったが…。PUMAもなくなっていた。どちらも移転とのこと。駅を出て少し歩くと雨が降ってきたので東急スクエア交差点の軒下で20分ほど雨宿り。若い頃は待つのが苦手だったが中年の今はぼーっと突っ立って時間を経たせるのに苦がない。行き交う大勢を眺めていれば退屈しない。

ほぼ止んでから出発。店舗に入る。ニューバランスの店舗に来たのは初めて。自分が欲しいのはMW1880C21というシューズ。ディスプレイを見ていても埒が明かないのでスタッフにどこにあるかと尋ねると原宿店では取扱いがないが銀座店ならあるはずとの答え。ウォーキング用途ならランニングシューズでもいいのでは、と提案されたが、自分は用途とデザインと価格、総合的に考えて1880が欲しかったのでお薦めは辞退し銀座店に行ってみることにした。結果、銀座店には在庫があり無事買えた。足のサイズを3Dスキャンで測るのに感心した。自分は左が26.1cm、右が26.2cm、平均的な足の形なので2Eでいいだろうと言われる。試着のため出してもらったシューズを履くとクッションが効いていてめちゃくちゃ快適。そのわりにはゴツくなく自分好みのデザイン。即購入した。ニューバランス銀座店、スタッフの対応が丁寧でいいお店だった。

 

本来の目的地浅草へ移動。地下鉄の駅から地上に出るとやはり人が多い。ホテルにチェックインして荷物を部屋に置いてから改めて観光に出発。雷門前から仲見世通りが前回来たときとは比較にならない混雑。ここは鎌倉の小町通りかと錯覚する(どっちが混むんだろう?)。なので脇道? の方から浅草寺方面へ向かう。与ろゐ屋を外からそっと覗く。混んでいたら諦めるつもりだったが午後3時というエアポケット的時刻だったおかげか並ばず入れた。『ラーメン大好き小泉さん』に出てきたお店(自分はアニメ版しか見ていない)。玉子ラーメン950円と餃子3個350円を注文。どちらも予想した以上に旨く、価格も観光地なのに良心的でいいお店。餃子はタレより山椒で食べる方が自分の好みだった。

玉子ラーメン

 

食事後、浅草寺浅草神社にお参り。そのまま付近をぶらぶら歩き、いつかかっぱ橋道具街の方まで。いい感じの箸があったら買おうかとちょこちょこ覗いたがいい出会いはなくホテルへ戻る。途中休憩もせずひたすら歩き続けだったからさすがに堪えた。足が痛いのを通り越して腰が痛くなる。買ったばかりのニューバランスを履いて散策に出ればよかったと後悔。

雷門提灯を下から覗くとそこには龍が

 

夕飯はもんじゃかお好み焼きにしようかと思っていたが外出するのが億劫になり、結果、松屋の地下でサラダとケンタッキーのチキンを買った。前回と同じメニューじゃねえか。旅行先でケンタッキーを食べたくなるのはたぶんルーツレポの影響。博多・長崎・軍艦島回すごい好き。『サタンタンゴ』もルーツレポで知って見に行ったし、この漫画からだいぶ影響を受けている気がする。俺もいつかはツインテールのかわいい女の子に…。

nlab.itmedia.co.jp

疲れていたので酒は飲まずに寝た。

 

翌日。8時過ぎに起床。9時過ぎ、昨日買ったニューバランスに履き替え、二人で朝のお参りに行く。人はまだ多くなくスムーズに仲見世通りを歩けた。賽銭箱も並ばずに済んだ。御朱印を貰ってくると言うので女の人と別れて先にホテルへ戻る。途中コンビニに寄り朝飯を買う。朝起きてすぐは食べられないので基本いつも素泊まりでの宿泊。11時少し前にチェックアウト。この時間になるとかなりの人出に。宝町駅まで都営浅草線で移動し、国立映画アーカイブへ。ここ、宇多丸さんのTBSラジオのCMだかで存在を知った施設。日本の映画館の歴史を振り返る「日本の映画館」という企画展を今やっていてそれが見たかった。

 

2019年から「映画館で映画を見る」を趣味にするようになった。で当初は、箱物が好きなのでせっかく映画館へ行くなら近隣各地の映画館を訪問していこうと考えた。この三年間でかなり多くの映画館を訪問したとは思うが、コロナ禍で遠出を控えるようになったのもあり、まだまだ行けていない所があるのでいずれは行きたい。シネスイッチ銀座、丸の内TOEI、キネカ大森(日本初のシネコン)、川崎のチネチッタ…。世の中のムーブメントの移り変わり、経営的な事情、感染症や戦争といった非常事態でいつ映画館がなくなってしまうかわからない時代。だからこそ、体験の記憶として自分の中に残しておきたい。映画館とは覚めたまま夢を見る特別な場所。その記憶を。

 

国立映画アーカイブは11時開館。自分たちが着いたのは開館してすぐだったので展示室の客としてはたぶんこの日一番だったはず。展示を見る場合は入ってすぐ右手のエレベーターで7階へ上がり、降りた先の受付で観覧料を払う。国立だからか一般250円と格安。会場入口前にどでかい「映」の看板文字が設置されいてその偉容に気圧された。これも企画展の展示の一品。展示室そばには100円入れて後で戻ってくるコインロッカーがあるので荷物があればそこに入れてゆっくり見られるようになっていた。

2006年に閉館した水戸東映劇場の屋上にあったネオン看板

常設展「日本映画の歴史」会場のあとシームレスに企画展会場に繋がる。常設展は20世紀初頭からの日本映画の歴史を時代順に追っていく。1920年代くらいまではお勉強的。しかし衣笠貞之助監督の『狂った一頁(抜粋)』という映画がモニタで流れていたのでなんとなく最初から最後まで見たら、素人目にもカットを素早くつなげる編集やシルエットによる表現は現代でも違和感なく見られたので感心した。女性の髪型やメイクも不思議と今っぽかった。雷の表現が絵なのは仕方ない。そのすぐ隣には映像による関東大震災の記録もあった。これは国立映画アーカイブのサイトからも閲覧できる。貴重な映像。

www.nfaj.go.jp

 

1930年代に入ると小津や黒澤が登場する。戦争中、映画はプロパガンダに使われた。松竹と東宝の競争。終戦から9年しか経っていない1954年に『ゴジラ』公開。デザインが今でも古びていないアニメ『アンデルセン物語』のキャラクター人形たち。などが印象に残った。

企画展は東京をメインとした日本の映画館の歴史。写真撮影可、ただしフラッシュ禁止。かつては映画を見ることが庶民にとって最大の娯楽だった。歩道を埋め尽くさんばかりの人だかりの写真を見て往時を偲ぶ。関東大震災前か戦前だったか忘れてしまったが最盛期には浅草に映画館が6館もあったという。再現した模型だと6館がまとまって建っているので驚いた。あまり古い時代の記録はお勉強になってしまうが近年の展示物だと一気に歴史が身近に感じられる。リニューアル前の新宿武蔵野館の写真、映画の中で香川京子さんが座った銀座シネパトスのシートや劇場名のプレート、シアターN渋谷の定員表示板などがそう。

座っていいとあったのでもちろん座って写真も撮ってきた

 

浅草にあった劇場の上映時間表と高知小劇の入場券刺し

 

シアターN渋谷、行ってみたかった


滞在はちょうど1時間くらい。早い時間帯だったからか、ほとんど他に人がおらずストレスなく展示が見られて大満足。2階では映画の上映もやっているらしく、出る頃には1階のエントランスホールにそこそこ人が集まっていた。以前行った江戸東京博物館もそうだが国立映画アーカイブも楽しくて勉強になるいい施設だと思う。また来たい。今度は映画も見たい。

外には『七人の侍』の旗のレプリカも

 

国立映画アーカイブを出たあとはすぐそばのモンベルへ。前回の山歩きの反省点を改善すべく、ボトルポーチとクールパーカを購入。ボトルポーチは旧商品のため値引きされていた。SとMでMのブラックにした。クールパーカはSとMでめちゃくちゃ迷い、20分くらいかけて5回くらい交互に試着した末(俺は納得するまで試着するタイプ)Sサイズにした。下に着るのはドライTシャツ一枚だろうからタイトめの方がいいと思い。目当ての品をカゴに入れて店内をぶらついていると他にもいろいろ欲しいものが出てきて飽きない。アウトドアを趣味にしたらまた面白くて新しい世界が開けるかもしれない。

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ニューバランスのシューズといい、モンベルのギアといい、満足いく買い物ができたときの幸福感・高揚感といったらない。その後有楽町方面へ移動。銀座は歩行者天国になっていた。銀座インズのやよい軒で遅い昼食をとり、特急で帰宅。12200歩。でもニューバランスのクッションのおかげで足の疲労はさほどでもない。充実した連休最後の二日間を過ごせた。

ホテルの窓から見えた飛行船(トーン変更、窓ガラスの映り込み削除)

 

GWに見た映画『カモン カモン』と『死刑にいたる病』感想

『カモン カモン』

モノクロの画面は綺麗。とくに都市の景観を広角でとらえたショットはどれもよかった。叔父と甥の交流というストーリーに関しては事前に予想する範囲を超えない、意外性のないもの。甥っ子のわがままっぷりに少し苛々した。彼がそういう性格になったのは家庭内の問題(父親の心の病?)が原因のようだが、ありきたり。子供の言動に対していちいち彼の母親と主人公が電話でやりとりするシーンが何度も出てくるがしょーもない話しかしないので全部いらねーだろと思った。父親が喚くシーンと母と主人公の電話シーンをカットすれば20分くらい短くできたのでは。この母親が、頑張ってるのはわかるが被害者感出してくるのもどうも…。ホアキン主演の映画は『ジョーカー』と『her』しか見たことはないが、今作もまた気弱そうな、うだつのあがらない独身中年役。面白味ない。子供たちに自分の将来や大人や社会に対して意見を言わせるのは説教臭い。あと「回復ゾーン」だっけか、スピリチュアルっぽい話も時々出てきてげんなり。俺向けの映画ではなかった。エンドロールまで子供のインタビュー流してしつこい。別に大したこと言ってねーし。音を採取してたんだから最後は波の音とか都市の喧騒とかそういうのを流せばよかったのに。

 

『死刑にいたる病』

阿部サダヲの目が気味悪い。ストーリーはご都合主義的。そもそもなんで主人公は殺人犯の願いを聞き入れて面会に行ったのか。パン屋の主人と客の関係でしかないのに。普通行かないだろ、不自然。主人公は大学でぼっちっぽいのに知らないサークルの飲み会に参加したり、行動が変。美形なのにぼそぼそ声でしか喋らないし。阿部サダヲがカリスマ性ありすぎて刑務官まで操るようになるのは笑えた。24人のうちの一人だけ殺した犯人が違ったとしても(だったとしても今更阿部サダヲの死刑は変わらないだろう)映画中で他に怪しい人物といえば長髪男くらいで、しかし演じている人的にこいつが真犯人とも思えないし、だとしたらやっぱ阿部サダヲがどうせなんか企んでるんだろと予想がついてしまう。中山美穂の情緒不安定な母親役はよかった。中山美穂が大学生の子供がいる母親を演じるほど時が経ったのか、との感慨も。家庭内の描写、薄暗くて妙に緊張感があった。父親がビールを飲むシーンとか。ヒロインは鬱陶し過ぎて出てくるとイラッとした。飲み会誘っておいて遅刻してきたり、飲み会の口実自体がウソだったり、怪我した手を舐めたり、なんやこいつ。ラストから遡って考えると主人公を籠絡するための手管だったのかな。サークルの男どもはなんであんな絡んでくるのか。性格悪すぎ。ラストのオチは世にも奇妙な物語みたい…と思った。全体的に会話のシーンばっかりでテンポが単調、あと長すぎ。この映画の見所は阿部サダヲの光がない目と主人公の家庭の緊張感。

 

ゆる登山記録1 日和田山〜物見山

 

 

昨年の2月、ふと思いたちアウトドア趣味などまるでないのに高尾山を(普段着で)登った。

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格別楽しかった記憶はないのだが(記事にもそう書いてある)このすぐ後に好日山荘で登山靴と登山用靴下と登山パンツを購入した。上の記事の終わりの方に、

登山を趣味にしたい、と思うほどに楽しい経験ではなかったが、近場の低山あたりにはまた行くことがあるかもしれない。

とあって当時はたぶん暖かくなったらどこかその辺の低山に行くつもりだったと思われる。が、結局一度も出かけることなく一年以上が過ぎた。せっかく登山靴まで買ったのに行かないのはいかんだろう、GWの最中とはいえ6日は旗日ではないので人出は幾分少ないはず、そう考え行くならここと決めていた初心向けの低山、埼玉県日高市の日和田山へ行くことにした。もちろん行くのは初めて。ネットで検索すると山頂(標高305m)まで40分程度とのことだったので、せっかく行くのに往復1時間程度ではもったいない、隣の物見山までプチ縦走するのが定番コースらしいからそうすることにした。このコースだと所要2時間程度。山へ行くのだから地図が欲しかったがネットを探してもいい感じのが見当たらない。地図のダウンロードとルートナビ機能のあるYAMAPというアプリをインストールした。結果的にはこのアプリを入れておいて正解だった。初心者ゆえ低山でも進路に迷う局面があったのでナビ機能が役に立った。

yamap.com

 

6日は旗日ではないとはいえ依然連休中の人も多かろう。かくいう自分とてそうであるし。登山口のすぐそばに30台くらい停められる有料駐車場があると調べて知った。しかし混雑状況がよくわからない。山歩き自体は別にそこまで面倒ではないんだが目的地までのアクセスや駐車場の確保や登山ルートの確認といった登山以前の下調べがだるいから今日まで行かずにいたんだと思う。今回に限っては連休中の余裕もあって調べられた。目的地までのアクセスに難はない。日高市は昔一人暮らししていた土地だから土地勘があり駐車場の場所もわかる。あとは駐車スペースが確保できるか、人出がないか(人が多い山なんて行きたくねえ)。で、考えた末、夜明け頃駐車場に着くようにし、夜明けとともに登るようにしようと。それなら駐車スペースはまだあるだろうし人も少ないだろう。前日は0時近くまで寝つけなかったが部屋の明かりを消して目をつぶっていたらいつの間にか寝てしまいアラームが鳴るより早く自然に目が覚めた。3時半頃だったか。朝食はゼリー飲料、身支度してさっさと出発。まだ暗かったが東の空は若干明るみつつあった。道中、車はほぼ走っておらずスムーズ。日が昇った頃予定どおり駐車場に到着。一番乗りだったので拍子抜けした。24時間空いている駐車場で無人の料金箱が設置されている。封筒に車のナンバーを記入して300円を入れて中へ(巾着田曼珠沙華のシーズンは500円とのこと)。靴と靴下を履き替え、軽くストレッチ。一応小さい一眼を持ってきていたがどんな場所か見当つかなかったのでとりあえず今回は持っていかないことにした(この判断は正しかった)。写真撮りたければiPhoneで撮ればいい。

料金箱

出発。服装は上はユニクロのドライTシャツの上から無印のパーカー、下は登山用パンツ、キャップ、タオルと車の鍵とペットボトルだけが入ったリュック。上、他に持ってないから今度ロンTかシャツを買いたい。あと、短パン&タイツの方がかっこいい気がする。登山口へ。

このすぐそばにトイレがある

正直ここに立って進路を見たときギョッとした。ガチに山の中じゃん、と。高尾山は舗装されていたから散歩の延長線と考えられたけど、ここは下が土。先は樹と草で覆われて見えない。実際にはこの写真で見るより暗かったからなおのこと気勢をそがれた。が、ここまで来たのだからと気を取り直して山の中へ。ちゃんと道はあるし分岐には看板があるので迷うことはない。一応YAMAPも時々確認しながら歩いた。

普通に山の中。山だから当たり前だけど

一の鳥居を過ぎると女坂と男坂の分岐がある。もちろん女坂を選択。女坂といったって高尾山みたいな歩きやすいだらだら坂じゃない。木の根剥き出し、岩場を登るような箇所もあり、舗装されていないし、いくら低山といったって普通に山だからスニーカーだったら厳しいな、と思った。途中手すりがあるので掴まりながら岩場を登る。そこからちょっと歩くとやがて二の鳥居が見えてくる。そこが金刀比羅神社。眺望がいい。ここまで来るのに20分くらいかかった。山の中を歩いていると時間の感覚が狂って何分くらい歩いたか見当つかなくなる。

手すりに助けられた

 

この写真は帰路に撮影した

 

和田山の山頂へは神社の右の道を進む

ここはまだ山頂じゃない。看板に従い神社の脇を進む。10分ほど登った先が山頂。到着したのは5時頃だった。ベンチがあるのでしばし休憩。今写真を見ていて気づいたのだが標識の上の方にコバトンがいる。このときは気づかなかった。気づいていたら写真を撮っておいたものを。道中ペットボトルの水を何度も飲みながらここまで来たが、たかだか30分かそこらの山歩きでも鈍りきった中年男の体にはしんどい。一瞬、帰ろうかな…との思いが頭をよぎる。が、せっかく夜明け前に起きてここまで来たのだからと当初の予定どおり日和田山頂から物見山へ行くことに。

和田山

 

サンライズ

 

分岐

 

高指山を経由するルート。日和田山頂から歩くこと10分くらい。目の前が開けて舗装路が出現。

歩きやすい。こういうのでいいんだよ

ずっと山道だったから舗装路の歩きやすさに感動する。やっぱ文明って偉大だな、と思った。このあたりからやたらと羽虫みたいのがぶんぶんし始めて鬱陶しい。日焼け止めは塗ってきたが虫除けスプレーは持っていないのでしてこなかった。これは次回への反省点。この写真の道を右に登ると廃墟みたくなった施設があってその横が高指山山頂。何もないし眺望もない。物見山へはこの舗装路を一旦下って進む。

 

舗装路を進んでいくとセーブポイントが。手前は休憩所、その奥がトイレ。さらに進むと自販機とベンチがある。

 

こういう企業名の入ったベンチ好き

驚くべきことに自販機脇には灰皿まであった。なんというサービス精神。この写真の下は民家になっていて小さい畑もあった。人の気配はなかったけれど。ここで持ってきた水を飲み干してしまい、新たにアクエリアスを自販機で購入。しばし休憩。アクエリアスの甘さが美味かった。額はそうでもないがリュックを背負っているので背中に汗をかいていた。荷物なんてないのにわざわざリュックで来たのは、車のキーや財布やペットボトルを入れられて両手が空くようなバッグを持っていなかったから。ここまで誰ともすれ違わず(多分自分が今日最初の登山客だったと思う)、帰りに何組かとすれ違うのだが、誰もリュックなんて持ってない、むしろみんな手ぶらに見えた(タオルを首に巻いただけとか)。帰宅後調べたらボトルポーチというものがあるのを知った。まさに俺が欲していた物。

道なりに進むと物見山への案内がある。

私有地っぽく見えて入るのを躊躇した

表示に従って進む。舗装路からまた山道へ。テンションが下がる。舗装路を歩きたい。途中ぬかるんで滑りやすい箇所あり。羽虫は相変わらず鬱陶しい。やがて分岐。

右へ進むと物見山の山頂。左へ行くと滝があるらしい。滝を見たい気持ちはあった。が、結構足が、とくに腿の筋肉が張っている感じがあり、初回だから今日はよそうとの気持ちに。とりあえず滝のことは考えず物見山山頂へ。

山頂到着。見てのとおりベンチ以外何もない。眺望は樹木に遮られて見えない。入山からここまでちょうど1時間。山頂ではスマホの電波は1本だった。ストレッチして、少し休もうとベンチに腰掛けたのだが羽虫が寄ってくるのでリラックスできない。5分と休まず出発。さっさと帰りてえ、シャワー浴びてえ、との気持ちに。立ち上がった瞬間口から出たのは「こっから車で帰りてえ…」。上りより下りの方が滑らないよう足を踏ん張ったりするので疲弊する。ただハイカットの登山靴はさすが専用の靴だけあって挫かないようがっちり足首を固定してくれる。でもぬかるみでは普通に滑るので過信は禁物。

帰り道はひたすら来たのと同じルートを逆にたどるのみ。しかし行きと帰りで風景が違って見え、息を切らして下を向きながら歩いていたからか見落としていた風景に帰り道で気づく、といったことも。何度かYAMAPでルートを確認。5組くらいとすれ違い、朝の挨拶を交わす。皆さんノーマスクだったような。自分も顎マスクだった。

 

登山口まで戻る頃にはアクエリアスのペットボトルも空になった。YAMAPの履歴によると12分の休憩を挟んで2時間の登山だから帰りは50分くらいだった計算になる。下りの方が勢いもあるし道もわかるしで早くなるのだろう。ちょうど催したタイミングだったのでトイレへ。登山口そばのトイレは思ったより綺麗だった。駐車場に戻ったのが6時40分頃。泥で汚れた靴を脱ぎ、靴下を履き替え、スニーカーに。汗だくではないが背中が気持ち悪く早くシャワーを浴びたかった。駐車場には自分の他に5台くらい停まっていた。全部県内のナンバーだった。

 

で、帰宅。シャワーを浴びてさっぱり、服を洗濯し、靴の汚れを落として終了。YAMAPによると今回の運動の成果は以下のとおり。消費カロリーは993キロカロリー(本当か?)。


とりあえず何事もなく帰宅できてよかった。楽しかったか? と問われたら…どうだろう、楽しくはない(断言)。歩いている最中楽しいとはまったく思わなかった。しかしつまらないとも思わなかった。というか目の前の道をどう進むかに集中して他のことを考える余裕なんてなかった。山歩きが体に悪そうとは思った。転倒リスクは常にあるし関節に負担をかける。自分は舗装された広い歩道を、川沿いや湖のぐるりならさらにいいが、そういう道を歩く方が好きだな、とは思った。山は疲れるし、危ないし、虫が鬱陶しいし、崖から下を覗くと茂みしか見えなくて怖いし。でもギア買ってしまったから…確かトータルで3万ちょっととか払ってるから、もう少しゆる登山をやってみようかと。もう何度かやってそれでも乗れなかったらそのときは…そのときだ。

 

ここからは一人反省会。

よかった点。

・早朝出発、到着。やっぱり人がいない方が解放感あっていい。せっかくの自然なのに人が多かったら自然の中に来た意義が乏しくなる。

・眼鏡でなくコンタクトで来たこと。動きやすい。汗も気にならない。

・一眼レフを車に置いてきたこと。慣れているならいいが初見は落としたりぶつけるリスクがあるから持ち歩かない方がよさそう。

 

改善すべき点

・リュックは大袈裟→ボトルポーチを買って対応

・虫除けスプレー→買って対応。持ち歩いてもいい。

・服装。綿のパーカーじゃ通気性が悪い。ドライ素材のTシャツにドライ素材のロンTを重ねたい。→買って対応

・また今日のルートで行こうと思っているが今度は滝まで行きたい。→時間に余裕のある平日休みに。

 

 

こんなところか。今、大体半日が経過したところだが腿はなんともないがふくらはぎがだるい。明日どうなっていることやら。

 

『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』を読み自分の無職時代との落差に呆然とする

 

仕事を辞め無職となった著者が、2000日以上に及ぶ自由時間をどう過ごしたかについての記録。解放感を感じるのは最初の二週間くらいまで、一日に1タスク実行で力尽きるようになる、定期収入がなくなったことの不安、就職活動するにも書類審査で落とされる、やっと面接にたどり着いたら圧迫面接、採用されたがブラック労働環境だったので一日で辞めた、日雇い労働やってみた、アルバイトの募集に応募した、アパートを追い出されたら路上で生活するしかない、そしてそれは現実になりつつある…というような、食い扶持を失った人間が一気に転落する様子を述べた本と思って読み始めたのだが…全然違う内容だった。著者はそんな俗っぽい人間じゃない。仕事を辞めて収入がなくなったので家賃がネックになるからと五歳年長の女性の住まいに転がり込む。一畳半の物置を部屋として与えられたというけれど、この時点でがっかり。この女性とどういう関係なのかは書かれていないが一緒に住むのを了承してくれる時点で気を許した関係だろうし、実質同棲じゃん、と。一畳半の部屋と言ったって女性が仕事に出ている日中は他の部屋を自由に使えるわけだし。無職が長引くと家賃を半分払うよう女性に求められるが、水道光熱費は彼女持ち。で、著者はネット大喜利とかいうので月に八万円から十万円をあっさり稼いで家賃を払い、元々物欲も食欲もないからと金銭に関して拘泥する姿勢を見せない。金銭にまつわるドロドロした記述は本書中に一切ない。無職になって何が一番の悩みかといえば金の問題だと思うのだが言及がほぼないから物足りない。早朝、飲み屋街の自販機周辺を漁ったとか(最近はキャッシュレスだから小銭は落ちていないだろうが)、自己否定が高じて希死念慮に駆られたとか、そういう内容だとばかり思って読み始めたのに。

 

で、代わりに何について書かれているかといえばひたすら内面への沈潜による自己の探求。ただしスピリチュアルな胡散臭い内容ではない。哲学的なもの。「自分が自分であるとはどういうことか」みたいな高級な問題を日常の出来事から掘り下げていく。自分の過去の記憶をひたすらエクセルに入力してデータベース化していくくだりはちょっと異常で面白かった。いい警句もたびたび出てくる。たとえば、

 ただ、なんとなく思いはじめたのは、一冊の本を読んだだけで「新しい自分」になってしまうことはないし、仮にそんなことが起きればむしろ危険なんじゃないかということだ。自己啓発書を読んでいた頃、自分が期待していたのはまさにそういう体験だったのだが、二時間ほどで一冊の本を読んで、それまでとはまったく別の自分になってしまうとすれば、それは洗脳と呼ばれるようなものだろう。変わらないためにこそ「自分」はあるんじゃないのか。

 

 人は汗だくで苦悩できるのか。反復横とびしながら悩んでいられるのか。シャトルランのあとで悩みを維持できるのか。運動不足や不摂生の産物を、観念的な悩みと取り違えているのではないか。

 

 いきなり自己評価と言ってしまうと、自己があることは大前提となり、「高い/低い」が問題になってしまうのだが、まずは自己というものを濃度で見たほうがいいのではないか。

 濃度という点では、自己評価の高い人間も低い人間も、それほど変わらない。それは「自己濃度の高い人」とまとめてしまえば分かりやすいのではないか。そして自己が安定している人は、自己評価が高いというよりは、自己の濃度がほどほどの状態で、それほど自分のことを考えていない。それを周囲の人間が、「あの人は自己評価が高い」と勘違いしているのではないか。

 

引用箇所はどれも慧眼だと思う。でも、これ無職関係なくない? 考える時間、書く時間があったからこそなのかもしれないけれど、うーん、どうもこの本のタイトルが誤解を招くタイトルなんだと思う。『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』、「人」とあれば一般的に敷衍できるような内容が書かれていると期待する。しかし、この著者のように意志が強く、禁欲的で、実験精神に富んで、高度な思考とそれを文章化できる能力がある「人」は極々一部の少数ではないだろうか。巻末の著者紹介を読んで愕然とした。「京都大学工学部卒」。これほどの人を「人は」と一般化できる対象の人物とは見做せない。「2000連休を与えられたら」というのも妙だ。無職になったとき、人は「この無職期間(連休)を何日で終わらせよう」と目処が立っていないのが普通だから。終わりの見えないトンネルのような時間。だから不安になる。「与えられる」という表現も誰かに貰ったわけじゃないんだから、とひっかかる。どうもこの本は内容とタイトルが合っていない。

 

京大卒で、無職になっても住まわせてくれる女性がいて(彼女は基本著者に干渉しない)、おまけに猫もいる生活。必要な分の金銭はネットで稼ぐ。って、もちろん書かれていない現実はあったのだろうが、少なくとも本書を読んだ限りではめちゃくちゃ優雅。高等遊民ですよ。無職にヒエラルキーがあるとすれば著者はその頂点に位置する人だと思う。自分の無職時代とは雲泥の差。自分は当時金と将来の生活に対する不安に押し潰され抽象的な思考なんてする余裕はなかった。就活で落とされまくると自尊感情は低下の一途をたどった。

 

無職およびひきこもり経験者として、あるあると本書に同意できたのは300連休あたりの記述まで。以降は著者の特異性が発揮されてきて、こういう人もいるのかという多少の意外性・驚きはあったものの、すでに四十半ばになろうという自分は、自己とか、自己と社会とか、そういう高級な問題に興味が持てなかった。だから本書の中盤以降は飛ばし読みになった。最後は同居させてくれた女性と結婚するのかと思いきや、ネットで執筆活動するようになったからと家を出て行ってしまい、その後女性は家を建てたというのだから、著者よりもこの女性がどういう素性の人なのか気になる。自分が男だから好奇心を抱く部分もあるだろうが。同じ無職のはずなのにちょっと自分の経験と落差がありすぎる内容だった。「同じ無職」ではない、ということか。

 

 

 

自分は二十代と三十代で二回長期の無職を経験している。でももう昔過ぎて当時のことをだんだん思い出せなくなってきている。「エア被災」などと揶揄する向きもあるようだが、2011年の震災は確実に自分の人生…というと大袈裟だが価値観を変えた。「震災以前・以後」みたいな。実際会社を辞めてるし。今は一応大企業といえる規模の会社でブルーワーカーをやっている。経歴を考えればかなり恵まれた境遇にいると思う。努力した結果として今があるわけではない。ただ運がよかっただけ。

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今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』を読んで散歩について考える

 

今年の冬、年明け頃から散歩を始めた。健康のため、そして長期休暇の暇つぶしが最初の動機だった。部屋にいてパソコンでネットしたり、酒を飲んだり、読書したりしていると気分がモヤモヤしてくる。外に出て家の周りを30分程度歩くだけでも気分転換になってモヤモヤも多少は晴れる。スッキリする。春になり暖かくなれば気軽に出歩けるし、近所の公園は桜の名所みたいなところなので写真を撮りに行くのもいい。ブルーワーカーゆえ体が疲れているときは例外だが、できるだけ休日は1時間程度歩くようにしている。ちょっと用があって外出した際も意識して徒歩による行動を選択している。自動車は便利だけれど肩や腰が痛くなるし、視力や集中力や判断力が若い頃より衰えたから精神的に疲れる。若い頃は結構運転に自信があったが今はそうでもない。下手になったと思う。

 

本書はソローの人と思想にまつわるエッセイ。ソローといえば『ウォールデン』だろう。が、自分は読んでいない。岩波文庫で読み始めてすぐ挫折した。もう読んだ部分も忘れたがえらく退屈だった記憶がある。なのでソローについてちゃんと読むのは本書が初めて。冒頭、ソローによる「散歩」または「歩くこと」の意義が説かれる。ここがいい。ソローは猛烈な歩く人だった。コンコードの地で毎日四時間かそれ以上の時間を散歩に充てた。森を抜け、丘や草原を越える。距離にしておよそ10マイル。それが彼の日課であり、それを日々の旅、日々の聖地巡礼と呼んでいた。何のために? 「正気を取り戻すため」だ。近代以降の人間は文明にあてられ正気を失っている。我に返るには野生の中を歩き続けるしかない。そうソローは考えていた。文明から逃避しようというのではない。日々の労働や社会問題に関して思考するためでもない。正気の人間として生きるために彼はそれほどの時間と距離を散歩に費やさねばならなかった。

 

コンコードの森の半径10マイルの小宇宙。そこにいかに多くの啓示的な風景や事物が潜んでいるか、毎日歩き続けるうちにソローは発見する。歩行は観察、発見、思考へと導く一種の儀式だった。

「歩く」ことは、均質に見える風景のなかに隠されていたおどろくべき細部を外に向けてと同時に内に向けて現前させる行為なのである。歩行がもたらす日々の風景の発見が、人の一生のあいだに発見される真実の厚みを教えてくれる。ソローはそのように「歩く」ことで、散漫な歩行=観察の習慣を捨てて、精緻な自然観察と高度な哲学的な思考のおどろくべき合体を実現していったのである。

その地に定住していながらその地を初めて訪れた人のような新鮮な眼差しで事物を観察する。見慣れたはずの光景は都度新たな相貌をそれを見ようとする者に対してのみ開示する。「野生とは、人間の文明とは相容れない、もう一つの文明なのだ」。そう考えていたソローにとって、歩行は野生へ入門する手段だった。初めて訪れる土地であれば勝手がわからず右往左往し意識は散漫になる。慣れ親しんだ土地だからこそ集中でき、発見できるものがある。ナボコフは読書するとは再読の謂である、と言った。ソローの主張していることと示唆するところは同じだろう。知っているからこそ発見が可能になる。深く味わえるようになる。その姿勢を指して著者はソローを「定住する旅人」と評する。ここで言う旅人とは初めてその土地にやってきた訪問者の謂だが、旅人とはまたいつか去る存在でもある。プルーストはある新聞のアンケートに対し、もし人間が人生の無駄遣いをやめようと思うのなら今夜にも自分は死ぬ存在だと考えればいいと答えた。そうすればだらだらスマホSNSを見続けることも、はぶかれたくないという理由で好きでもない連中と過ごすことも、共依存のような恋愛関係を続けることもなくなり、代わりに自分にとって本当に大切だと思えることに向かえるだろう。だから「定住する旅人」が発見するのは季節の移り変わりや動物の営みや植物の成長だけではなく、真に価値ある人生の認識も含まれるかもしれない。

 

同じ道行きを何度でも反復することが肝要なのだ。「反復は日々の力」、そう述べたのは精神科医中井久夫だった。ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』の中で、犬はルーティンのように同じ道を散歩することに飽きない、人間だったらすぐに飽きてしまう、として反復の中にこそ幸福がある、と述べた。だから人間は幸福になれない、とも。そしてニーチェトリノの広場でそのような動物である馬の首にすがりついて泣き崩れたのだった。

 

ソローは野生をもう一つの文明であると見做し、それを学ぶことを目指した。それは文字では記されていない。現象として記されている。読もうと志す者に対してのみ啓示的に示される知識である。

いかに選び抜かれた古典であろうと、書物のみに没頭し、それ自身が方言や地方語にすぎない特定の書き言葉ばかり読んでいると、比喩なしに語る唯一の豊かな標準語である森羅万象のことばを忘れてしまう恐れがある。それらのことばはどこにでも溢れているのに、めったに印刷されはしないからだ。鎧戸から洩れ入る光は、鎧戸がすっかりとりはずされてしまえば、もはや思い出されることすらないだろう。

 

自分の散歩はソローみたく立派で大層なものじゃない。思索なんぞないし、発見といっても花が咲いたの散ったの、未知の道が既知の道に通じていたの、その程度のもの。しかしこの程度の発見であっても、ソローが言うとおり発見は楽しい。今年はいつになく熱心に桜を見に出かけたが、花の咲くのに誘われて普段行かない方まで足を伸ばせば思いもかけなかった素敵な光景に出くわしたりして、なぜ以前の自分はわざわざ遠くまで行こうとしたのだろう、すぐ近所にこんなにいい場所があるのに、と怪訝に思ったものだった。四時間以上10マイルは無理だができる範囲でこれからも散歩は続けよう。モヤモヤを抱え込まないために。まだまだ近所の公園やら川辺やら林やらは秘密をたくさん隠しているだろうから、それを見つけて楽しむためにも。と、本書を読んで思った次第。

 

 

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アラン・ド・ボトンは『プルーストによる人生改善法』の中で、『失われた時を求めて』について、「もっと叙情詩的だった時代の経過をたどる回顧録などとは程遠い。いかにして人生の無駄遣いをやめ、いかに人生の真価を認識しはじめるべきかに関する、実用的で、応用のきく物語なのだ」と評している。

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多摩動物公園で撮影の練習をする

三年ぶりの、緊急事態宣言もまん防も発出されないゴールデンウィーク。遠出する予定はない(終盤に一泊旅行はする)が、せっかく先日カメラとレンズを新調したので何か撮りに行きたくなった。思えば一眼を触るようになってずいぶん経つが未だ撮影時の設定の大半をオートでやっている。向上心というもののない人間である。明るいレンズでボケてればなんか一眼っぽい感じになるからそれで満足していた。今度買った機材はそこそこいい値段の一式なのでこれを機にもう少し向上心を出してやってみるかという気持ちになった。老後まで趣味としてカメラをやっていこうかなあという思いもなくはないし。M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PROは最大望遠時焦点距離が35mm換算で200mmになるとのこと。これほどの望遠レンズを使った経験がないので使ってみたく、となれば植物園より動物園かなと。埼玉県民なのに東武動物公園ではなく多摩動物公園を選んだのはこの動物園が好きだから。アクセスは面倒くさいが…。

 

と思ったのは今日起きてからだった。起きたのは10時過ぎ。ベッドで上記内容をつらつら考え、連休だから混んでるかもなー、でも一応今日は平日だしなー、と迷った末、行くだけ行ってみるか、と11時前くらいに出発。圏央道経由、八王子JCTで中央道へ、国立府中ICで降りるコース。いつもなら下道で行くのでこのコースは初めて。思い立ってすぐの行動だったのでスマホのバッテリーが半分ほどしかなく、アプリのナビを使ったらなくなりそうだったので珍しく車載ナビを利用。行く途中狭山PAへ寄りサンドイッチとアイスコーヒーを食す。圏央道も中央道もスムーズに流れていた。国立府中ICで降りてからはなかなか進まず。国道20号が混雑している。万願寺駅交差点からは直進なのに信号が多くなかなか進まない。平日ならこの時間でも動物園の駐車場は空いてるかも、と期待していたが甘い見通しだった。満車。動物園を過ぎた信号を右折して私営の駐車場へ。一日1000円。到着はちょうど12時。悪くない。金に物を言わせて高速使ってきた甲斐はあった。

 

多摩動物公園に来るのは何年かぶり。コロナ禍になってからは休園や予約制やらになっていてなかなか都合がつかず来ないまま時間が経った。入園時、家族連れやベビーカーが多いな、とは思ったものの園内は広いので混み合っている印象は受けなかった。いつも大体周る順番は決まっているので今回もその流れで。まずは昆虫館から。

こんなに寄れるんかい、とちょっと感動。昆虫館の植物園的な建屋はいい。花が咲き蝶が飛ぶ。楽しい。

 

チーター。壁に沿って移動したいらしくそういう行動を見せる。動きが早くてピントを合わせるのが間に合わない(AF)。望遠はこれで最大。f4.0だからか露出0だからか、それともその両方のせいかのっぺりした写真に。もっと寄りてえ、顔のアップが撮りてえ、と思った。このすぐ近くにサーパルキャットもいたが動きが早すぎるので撮影は断念。

 

ライオンがバスにちょっかいを。車内は大盛り上がりだったろう。f7.1、露出-7。

 

柵を消したい。上と同条件。なんで7.1にしたんだろう?

ここからf8.0で固定。曇ってきたのでホワイトバランスを曇りモードにした。露出0。眠いのかな。

 

草を咥えたチンパンジー。晴れてきたのでホワイトバランスをオートに戻した。黒い被写体をくっきりはっきり写すのってどうやるのだろう。露出プラスにすると全体的に白っぽくなってしまうし。後で調べよう。もっと寄りたかった。

オートフォーカスだと手前の網が消せず、初めてマニュアルフォーカスで撮影した。目にピントを合わせると読んだ記憶が。以降マニュアルフォーカスで撮影。マニュアルの方が早いし操作してる実感があって楽しい。こいつウインクしてるだけなのか、隻眼なのか。

 

黒い被写体は難しい。この構図、ヴィスコンティの山猫の眼帯ドロンとカルディナーレが顔寄せ合ってるシーンとダブった。

 

気持ちよさそう。動物って基本動かない。無駄な体力を消耗しないためか。俺も倣おう。

 

日本でタスマニアデビルが見られるのは多摩動物公園だけ!(だったはず)正直あまり好みでないが。耳と爪のデザインがモグラ、ネズミ、コウモリを連想させる。明るいけど露出-7。

 

オランウータンの赤ちゃん。人だかりができていた。器用にアスレチック。もっと寄りたかった。

 

アムールトラ。猫をまんまデカくいかつくした感じ。目がちょっと違うか。チーターってやっぱちょっと猫と違うな。太いほうれい線あるし。

ユキヒョウ。バズーカがあれば柵を消せるのか。こいつも猫っぽい容姿。

 

「お前にサンが救えるか!」

 

レッサーパンダかわいい。上は露出0、下は-3。

ターキン。動かないのでいい練習相手に。いっぱい撮らせてもらった。これくらい寄れると楽しい。写真は光線が重要ですね。次に構図、背景。被写体の良し悪しはその後では? 露出-7。

 

伐採された木に生えたキノコ、そして苔。人類が滅びたのちも菌と苔は残り続けるであろう。ウイルスも?

 

人間は愚か。

 

やっぱカラフルなのは撮ってて楽しい。これくらい寄れるといい。が、背景がなあ…。露出-7。

 

行ったり来たりを繰り返し、屋内に入りたそうにしていた。ずっと動いていたからピント合わせるの難しくちょっとずれてるかも。露出-3。

 

広いので混雑していないと思っていたが入園後一時間経過したくらいだっただろうか、本日は混雑しておりますとのアナウンスが流れた。ちょうど昼時だったのもあって食事処には行列ができていた。人だかりがすごくて見られないという事態には遭遇しなかったがコアラ館だけは入ってすぐに人の列が目に入ったので断念。あとはどこも比較的ストレスなく見られたように思う。

 

園内には三時間ちょっと滞在。これ以上いると帰り道が混みそうだったので3時20分頃撤収。下道で渋滞にはまると疲労がすごいので帰りも国立府中から高速を使うことに。とにかく万願寺の交差点に出るまでが長い。国立府中から乗った直後、行き先が新宿方面と河口湖方面の二択だったので一瞬パニクった。河口湖方面へ進み八王子JCT圏央道、これが帰路。八王子あたりでゲリラ豪雨に遭い狭山までずっと。まったり安全運転、しかし高速は三ヶ月に一度乗るかどうかなので運転中緊張して肩が凝った。何時間も運転はできない。若い頃はどうしてあんなに運転が楽しかったのだろう。何も用事がないのにただ運転するために車を出していた。

 

撮影の練習、そしてレンズの使い方の確認としては上首尾だったと言っていいと思う。マニュアルフォーカスを使えるようになったし、露出も意識するようになった。f値も開放オンリーだったから少し絞って8程度をデフォにした方がよさそう。動物を撮るならもっと寄れないと話にならないのもわかった。焦点距離300mmは必須か? 1メートルくらいありそうなバズーカ持ってる人も何人か見かけたがあんなの持ち歩くのはダルすぎる。自分が撮りたいのはスナップ、風景写真なのでバズーカはいらんかな。あると楽しそうだが。連休中は毎日何かしら写真を撮るようにしてもう少しマシな技量になりたい。