2020年年始休暇

1日。前日のサタンタンゴ鑑賞の疲れか、少しだるく、鼻水が出る。一日家でゆっくりする。読書、ネットなどだらだら。映画館で映画を見るようになって、アマプラで映画を見ることがまったくなくなった。映画は映画館。昼はおせち。あまり食欲をそそるものがない。冷たいし。実家だから毎年食べているけれど、いずれなる一人になったら食べることはないだろう。餅も、その頃には喉に詰まらせるのが怖くて食べなくなるだろう。午後、自転車に乗り、近所の小さい神社参拝。合掌し、頭を下げると不思議と気分がスッキリ、爽やかになる。コンビニでハーゲンダッツなどを買う。元日から働いているスタッフの方に感謝。

2日。午前中だらだら読書、ネット。昼、近所のユナイテッド・シネマにて「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」鑑賞。これまでの設定を引き継ぎつつ、とにかくサーガを終わらせることに努めたのがよく伝わる映画だった。自分はこのシリーズに強い思い入れはなく、お祭り感覚でシークエル三部作を鑑賞してきた。前作のフォースの万能っぷりは噴飯ものだったが、今回も船の飛行を止めたり、死者を蘇生させたり、セイバーをパスしたりととても便利。ストーリーはお使いばかりで面白さは特になく。チューバッカが捕まるのも、C3POの初期化も、どうせ助かるんでしょ、復元するんでしょ、と多分観客みんな思っていて、その通りになるのは水戸黄門を見ているのに近い。セイバーのチャンバラをもっと見たかった。ランドーとドロイド2体にもっと活躍して欲しかった。D-0の造形は可愛かった。最後の戦いは、ビームを反射するのではなくバッサリ斬ってほしかった。皇帝ビームがあんなに強いなら、ジェダイの帰還のときにも使えよ、と思った。ルークのXウイングとか惑星エンドアのイウォークとかは旧来のファン向けの演出か。シークエル三部作はルークという人物を残念な人に描いてしまっているのが寂しい。監督は終わらせるの大変だっただろうが、そもそもシークエル三部作自体が不要だったのではと思える。観賞後、最寄り駅前にあるチェーンのビジネスホテルへ。こどおじもたまには一人になりたく。しかし9000円もしたわりに微妙な設備でちょっと後悔する。晩飯を食べに出たら早仕舞いしていて、近くのスーパーで適当に買って夕食。つまらん。

3日。チェックアウトして一旦帰宅。洗濯やら掃除やらを少し。読書など。夕方、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を観にららぽーと富士見へ。3日の夕方でもかなり混雑していて近くの道路は渋滞。映画は素晴らしかった。上映中終始、全然面白くないシーンでもヒッヒ笑う老人がいたので苛々しっぱなしだったが。アマプラで一回観ているけれども、花見のシーン以外はどこが追加されたか分からず。道中で読んだ以下の記事は見る上で参考になった。

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この映画では戦争が災害のようなものとして描かれている。人間同士とか国家同士の衝突ではなく、地震や台風と同じくあるのが当然であり、それと折り合いながら人々は生活を営んでいる。うまくいえないが、戦争を扱っている映画として「安心して見られる」作りになっている。それの是非は自分にはわからない。ただ、時に泣きそうになりながら見ていた。花見のシーン、最高だった。死ねば秘密も全部消えてなくなる…。リンと周作が控えめに挨拶を交わすシーンもよかった。昨年の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」に続き、エンドロール中も誰一人席を立たなかった。変な笑い声の爺さんさえいなければもっといい体験できたと思うと、帰路、いい映画を見た満足感に浸りつつモヤる。いや、他者に寛容にならなくては。深夜、「失われた時を求めて」最終巻読了。2019年1/23から読み始めてとうとう。最初の方はペースが順調だったのに4巻くらいから失速してこんなに長い読書になってしまった。かなり内容は忘れているし、途中だいぶ読み飛ばしたし、最後まで読めばそれでいい、というものでもないのだろうが、素直に嬉しい。いつか読もうと思いながら15年くらい経過したのではなかろうか。続ければいつか物事は終わる。

4日。朝、早稲田松竹でレイトショーのチケットを購入し、ブックオフへ。高田馬場店は黒い本の扱いがあり、ちくま学芸文庫講談社文芸文庫が充実している記憶があったが、今回は両方とも品数少なく、めぼしいものはなく。小川さやか「その日暮らしの人類学」購入。新宿へ移動し、シネマカリテで「テルアビブ・オン・ファイア」鑑賞。もともとは見るつもりなかったのだが、目当ての「ポゼッション」まで時間が余ってしまうので入れた。国際問題をユーモラスに描いた映画。寅さんとか、なんかああいう感じの日本映画を見ているような懐かしい感じ。知識不足でピンとこない部分多々あり。ここにも一人、上映中終始笑っているおっさんがいた。急にでかい声で笑うので驚くことも。で、また苛々。自分がなぜ笑い続ける人に苛々するか考えるに、昨日の爺さんしかり、こういう人たちって笑いのハードルがものすごく低いらしく、お笑いのコントと同じ感覚で、少しの差異・逸脱ですぐ笑う。しかし、昨日のこのせかもテルアビブも、ユーモアでくるんでいるけれど扱うテーマはシリアスなので、時にユーモアは笑わせるためではなくて感動、余韻の呼び水として用いられることがある。ギャグシーンのように見せて実は違った…という。テルアビブの場合は忘れたが、このせかでいえば、すずがリンに茶碗を渡すために訪れた遊郭で、咳き込んでいる女性のために、雪の上に南国のイメージを描く場面がある。爺さんはここで笑うんだよなあ。でもここ、すずというキャラクターの優しさ、人のよさが表現された、感動的なシーンだったと思う。そういうシーンを、コントを見るような軽いノリでヒッヒと笑われると台無しにされた気がして、だからイラッとする。テルアビブのおっさんも同じ。え?ここ笑うとこじゃないでしょ、という場面でもヘラヘラ笑ってさあ…パブリックな場なんだから、少し抑えようよ…そんな、ニヤリとはするかもだけど声出すほど可笑しいか…とゲンナリする。肝心の映画の内容は、つまらなくはないけれど見なくても別によかった映画。好みではない。で、上映後すぐに隣のシアターに移動して着席、今度はポゼッション。予告見ると凄い自分好みの気がして楽しみにしていた。

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いざ見ると、映画館でなければ最後まで見られない退屈な映画だった。序盤は苦痛。面白くなってくるのは中盤の、グロテスクな化物が登場したあたりからだろう。同時に、だんだんと理解が困難な展開になっていく。熱量みたいなのはすごくて見入ってしまうけれども、筋が意味不明すぎて…。妻が地下鉄で産んだ化物が、やがて成長だか進化だかして夫の複製になったということか。そもそも化物の正体は何なのか。悪魔?ラストシーンは凄かった。ドアを開けるなと叫んでバスタブに飛び込んで溺死する小児、曇りガラスの向こうで不気味な動きをする夫(の複製)、轟く爆撃音…。世界の終わりという感じ。意味はわからないのに迫力に圧倒される。アジャーニの演技が凄い、みたいなのをどこかで読んだが、自分には過剰な演技に見えた。地下鉄の場面も、凄いけど、うるせえなあ、という感じ。見終わって期待外れの感、否めず。愛人の男が常に胸をはだけているのが面白かった。あと、一度、アジャーニは部屋から出ていく時ドアを間違えて戻ってこなかったか?なんか取りに行っただけか?観賞後、大塚に移動して常宿に投宿。少し休んでから再び早稲田松竹へ移動し、レイトショー で「マリッジ・ストーリー」鑑賞。満席に近いくらいの客入りだった。離婚する夫婦の話。ユーモア多めで気楽に見られるが、残るものはなく。裁判過程での居住地がどうとか、ケースワーカーみたいな人の訪問とか、アメリカのそっち方面のことを全く知らないので所々退屈で。当事者たちを置き去りにした裁判の場面、夫婦が泣きながら罵り合う場面はよかった。この夫婦は別れなくても他にやりようがあるような気がするのだが、どうなんだろう、こんなものなのかな、これがリアルなのかな。こどおじだからようわからん。冒頭の、ナレーションのシーンの掴みは素晴らしかった。この日は3本の映画を見たが合わせても上映時間はサタンタンゴ1本より短く、3本束になってもサタンタンゴ1本の方が映画として面白かった。残念。ホテルに戻る。

5日。連休最終日。モスバーガーで朝食。チェックアウト。女の人と合流してステーキガストで食事。成城石井で夕食を買って帰宅。この連休は、体調崩して、映画6本見て、プルーストを読了して、ホテルに二泊して、といろいろあったはずだが、充実感、達成感あまりなく。そしてもうこんな時間。