映画『ミッドサマー』感想

前作『ヘレディタリー 継承』は怖い怖いと散々言われていたが、公開してすぐに劇場で見て怖いとはあまり感じず。主演のトニ・コレットの演技(表情)が鬱陶しく、終盤のスパイダーマン的な張り付き→ヘッドバンギング→鋸ギコギコは悪趣味にしか感じなかった。怖いんじゃなく不快なだけの映画だよなあと思い、その後配信等で見返すこともなく。しかし「ミッドサマー」の予告を見た時、薄暗くて何が起きているのか判然としない前作と正反対に、陽射しのもとに全てを明瞭に映し出すホラーというアイデアは斬新だと感じ興味を持った。閉鎖的な共同体の祝祭という設定も自分好みだった。何も知らないよそ者が、カルトめいた共同体の人々からひどい目に遭わされる話なのだろう、というのが見る前の予想。しかし実際に見てみると、そういう面もあるにはあったが、主題はもっと別の、もっと意外なものだった。人生に絶望した女性が癒され立ち直る、それこそこの「ホラー映画」の主題ではないかと。

冒頭は本当に怖い。妹から自殺予告のようなメールが主人公の元に届き、実際に決行される。しかも両親を道連れにして。夜の闇を刺すようなパトライトの光、救急隊員による無言の死亡確認、電話越しに聞こえる主人公の絶叫、そして雪をバックにして示されるミッドサマーのタイトル。この時点で、うわあ、滅茶苦茶怖そう…と構えたが、ここが作中で一番怖いシーンだった。主人公には恋人がいるが、二人の恋愛関係はもはや死に体といっていい。女は他に頼れる相手がいないから依存し、男は愛情というより同情心と義務感から彼女と別れる決心がつかない、そんな関係。友人たちはさっさと別れた方がいい、とアドバイスするが彼は返事を濁す。優柔不断なしょうもない男かもしれないが、彼は決して冷酷な悪人ではない。そう、基本的にこの映画には明確な悪意、悪人は登場しない。主人公はグループに歓迎されていないのを知りつつ(おそらく同性の友人もほとんどいないのだろう)友人の故郷であるスウェーデン奥地の村、共同体への旅行に同行する。90年に一度の儀式。そこで主人公たちは、村人たちの価値観と自分たちのそれが一致しないことに衝撃を受け、戸惑う。現代人が自分たちと異質な土地を訪れ、傲慢さゆえに土地のタブーに触れひどい目に遭う、というのはいかにもありふれた話で、本作も基本的にはその線をなぞる。新鮮なのは、何もかもが白日の下に晒される白夜というシチュエーション、そして清潔さを象徴するような白い衣装を纏ったホルガの人々の美しいビジュアル。メイポールの周囲を若い女性たちの集団がダンスするシーンは見応えがある。滞在中、一人また一人と主人公の周囲からは人が消えていき、恋人はホルガの娘と交わり、それを覗き見た主人公は絶望のあまり嘔吐し、悲しみの絶叫をあげる。彼女が絶叫するのは二度目。冒頭の、家族全員を失った時が一度目。しかしその時、彼女の悲しみに寄り添ってくれる人はいなかった。恋人は、おそらく義務感から彼女のもとへ駆け付けた。しかし二度目は違った。ホルガの女たちが、まるで彼女の悲しみを共有するかのように、彼女を取り囲み、頬に触れ、彼女と一緒になって泣き、叫ぶのだ。これはホルガの女たちの優しさとも見れるし、儀式の一部とも見れる。老人が飛び降りに失敗した時も彼の痛みを共有するような叫びが上がり、ラストシーンでも犠牲者を悼むように叫ばれる。「家族」への同情(感情の同期という意味での同情)。メイクイーンに選ばれた時、主人公もまた「これであなたも家族よ」と言われていた。老人も、自ら生贄となるラストの若者たちも家族。天涯孤独となった主人公はホルガで新しい家族を得る。主人公と女たちが一緒になって泣き喚くシーンが本作の白眉だった。そして女王の決断。彼女が指名するのは当然彼。生きたまま火炙りにされても、彼は薬のせいで叫ぶこともできない。村人たちは家族のためにしか嘆かない。主人公は燃え盛る小屋を見つめ、自分がした選択の恐ろしさを今更悟り、取り返しがつかないことをしたと後悔するように泣きながら右往左往する。しかし、最後の最後、崩れ落ちる小屋を見つめる彼女の口元が笑いに歪む。言うだけ野暮だが、本当は、本心では、彼女もまた彼を愛してなどいなかったし、愛されていないのもわかっていたし、不毛な関係なのもわかっていたし、そしてそのことに苛立ち、絶望していたのだ。そして彼を憎んでいたのだ。それを自覚してのあの笑みだろう。決別。解放。理解できない野蛮な共同体と思われたホルガの儀式が、彼女を癒すセラピーになった。結果的に若者たちを殺害したとしても、ホルガの民は彼らの法に則ってそうしている。この映画に明確な悪人は登場しないといった。タブーを犯したから殺される。老人の自殺についても、ホルガにはホルガの倫理があることを理解してくれ、と村長?の女性は訴えていた。飛び降り自殺と、延命治療を施すために病院に閉じ込めるのと、どちらを残酷と考えるべきかという問題提起もある。

八方塞がりの状況にいた女性が、これまでの人生と決別する。腐れ縁の男は彼女が捨てたい過去のシンボル。彼を燃やしてその先に希望があるのか、それは知らない。しかし癒されたのは確か。ラスト以外、あんなにも主人公が笑うシーンは作中になかったはず。不思議と、見終わって元気が出てくる。前作のような不快さはない。前作と比較してグロさも控えめで見やすい(という言い方は妙か)。しかし展開が終始ゆったりしているので退屈を感じることも幾度かあった。すでに述べたがこの映画は美術が素晴らしい。主人公は意志が強そうな顔立ちなので役柄的に違和感があったが、冒頭の情緒不安定な演技は見応えあった。こちらまで動悸がしてくるような。あと、この映画はパンフレットが充実している。イラスト、ポスタービジュアル、監督インタビュー、町山さんのエッセイ、用語解説などを収録。装丁も凝っていて、去年は90本近く映画を見てパンフは一冊も買わなかったが今回は購入した。