アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』を読んだ

 

 

高齢者にとって怖いものは死ではない、と超高齢者が教えてくれる。死よりも、いずれ起こってくること——聴覚や記憶、親友、自分らしい生き方を失うことが怖い。(略)

運と几帳面さがあれば——食事に気をつけ、運動し、血圧を保ち、必要なときには受診したりしていれば——かなりの人が人の手を借りずに長く生きていける。しかし最後には、身体的にも精神的にも自分一人では日々の些事を処理できなくなるぐらい能力が衰えていく。突然ころっと死ぬ人はごくわずかで、大半の人は自立が不可能なぐらい衰え、弱った期間を長く過ごさなくてはいけない。

このような最後を考えるのが好きな人はいない。その結果、大半の人は備えをしていない。介護が必要になったときにどう生きるかについては、何をするにしてももう手遅れというときまで、一瞥する程度でめったに注意を払わない。

 見ない振りをしていてもいずれその時は必ず来る。両親にも兄弟にも配偶者にもそして自分にも。その時にどうするのが、当事者にとってもっともハッピーであるのかを考察する。著者はアメリカ在住の外科医でありライターでもあるという。本書には著者の父親を送った時の模様も述べられている。

 

身の回りのことを自分一人で処理できるうちはいい。若くて、健康な時にはそれが可能だ。しかしできなくなったら? 加齢とともにだんだん無理が効かなくなってくる。どこかを痛めたり病気になったり。できていた時には当然だった些事が次第に困難になっていく。ベッドから起き上がる。顔を洗う。食事を作る。食事をする。歯を磨く。着替える。トイレで排泄する。階段を上り下りする。自動車を運転する。スーパーで買物する。入浴する。どれもできていたときは当然にこなしていた。それが誰かに助けてもらわねばできなくなる。いずれ誰もがそうなる。「自立した自己」というイメージは現代における幸福のモデルの基礎をなすものだろう。いわば生きる土台。その土台が揺らぐ。

「もう本当にありがたいの。自分一人でおトイレにいけるなんて」。マックオーバーは私に語ってくれた。「何でもないことのように思うでしょうね。あなたは若いから。あなたも歳をとればわかると思うけど、人生で一番いいことは自分でおトイレに行けるときなのよ」

本書には何人もの、老化による衰えのために怪我をすることが増えても、子供たちの世話になるのを嫌がり、頑なに一人暮らしを続けようとする高齢者たちが登場するが、その気持ちは理解できる。自立が不可能だと認めるのが辛いのだ。どんな善意ある介助も、自分の自由を侵すものと見做せる。助けに感謝しつつも、自由を手放したくない。しかし周囲は彼らの自立よりも安全を優先する。その優先する側とて、逆の立場だったらどう考え、どう選択するだろう。

昔、仲間がこんなことを言っていた、とウィルソンは言う。「人は自分には自律を求めるのに、大切な人には安全を求める」。これは虚弱になった人にとって主要な問題であり、矛盾である。「大切な人に対して、私たちがしてやりたいと望むことの大半は、自分にされたなら、自己の領分を侵すものとして断固として拒否するようなことだわ」

(略)

だけれど、彼女は言う、「ここはお母さんが住みたい、好き、必要だと思うような場所だろうか?」と考えることができるような子どもはほとんどいない。子どもは自分の色眼鏡を通して、ものを見ることが普通です」。子どもはこんなふうに考える、「ここにお母さんを置いたままで私は平気だろうか?」

何が最も大事なのか。優先事項なのか。手遅れになる前に最低限の確認をしておきたい。多くの人は、寝たきりのまま人工呼吸器に繋がれ、すべての臓器は機能を失い、蛍光灯で照らされた部屋から二度と出られず、錯乱と昏睡の波間を漂い、大切な人たちに挨拶もできないまま逝く最期を望まないだろう。延命のための延命は望まないだろう。終末期の患者が最も気にかけていることは、苦しまないこと、家族や友人との絆を深めること、意識を保つこと、他人の重荷にならないこと、そして自分の人生を完結させたという感覚を得ること。癌が見つかる。外科手術を行い、化学療法や放射線治療を行う。医師はベストを尽くしたが、病状は改善しないどころか悪化する。このとき、患者は選択を迫られる。わずかな可能性に賭けて——大概分の悪いオッズだ——身体にダメージを与えながら高額な根治治療を更に進めるか、それとも痛みの緩和など最小の治療に留めて残りの時間を過ごすか。

あとどのぐらい寿命があるのかを正確に知る方法がないとき——そして、本当に生きられる時間よりももっと長く生きられるはずだと想像してしまうとき——人の本能の全てが闘おうとする。静脈に抗がん剤を入れたまま、喉にチューブを刺したまま、肌に生々しい縫合跡をのこしたまま死のうとする。残された人生が短くなったり、苦しいものなったりするかもしれないという事実はほとんど顧みられることがない。医師がこれ以上何もできないと言い出すまで待っていればいいとみなが思っている。しかし、医師がこれ以上何もできない、と言うのはまれなことだ。医師は効果が不明な毒薬を投与することができるし、がんの一部を手術で切除することもできるし、食べられない人には栄養チューブを入れることもできる——どんな状態でもできることが何かある。

保険費用の高騰化を受け、ある保険会社が実験を行う。契約者が積極的な延命治療よりもホスピスを選ぶことが増えるよう規約を変更した。ただしホスピスのサービスを受ける方を選んでも他の治療を受けたければ受けてもいい。二年間の同時並行ケアプログラムを実施した結果、ホスピス利用者が以前の3割から7割に増加した。どちらのケアも契約者が望めば柔軟に選択できるようにした結果、彼らは自分たちから延命治療を諦めた。このプログラムの患者が救急救命室に搬送される頻度、病院やICUを利用する頻度は大幅に減少し、医療費は四分の一まで下がった。患者自身も本当は延命治療を望んではいなかったのだ。では何が欲しかったのか。医師との話し合いだ。

死について医師と話をした患者は心肺蘇生をされたり、人工呼吸器をつけられたり、ICUに入れられたりすることが前者よりはるかに少なかった。この患者のうち大半はホスピスに入った。あまり苦しまず、体力もより保たれ、そして他者との交流をよりよい形で、より長い間、保つことができた。更に加えて、患者の死から六ヶ月後で、遺族が長期間のうつ状態におちいっている割合が明らかに減っていた。言い換えると、最期について自分の嗜好を主治医と十分な話し合いをした患者は、そうしなかった患者よりも平穏に死を迎え、状況をコントロールでき、遺族にも苦痛を起こさない可能性がはるかに高いのだ。

もし終末期での話し合いが開発中の治験薬であったならば、FDAはがんに対する治療薬として承認するだろう。

ホスピスに入ろうとする患者にとってもこの結果は驚きだった。病院での通常の治療を諦めた患者は、高用量の医療用麻酔を与えられて痛みと闘っているだけであり、他の多くの人々も私もホスピスでのケアは死を早める、と思いこんでいた。しかし数多くの研究がまったく正反対の結果を示している。そのうちの一つに、通常の医療を受けている終末期のがん患者とうっ血性心不全の最終ステージにいる患者四四九三人を集めた研究がある。この研究では乳がん前立腺がん、大腸がんの患者に関しては、ホスピスに入った患者とそうでない患者の間に、死亡するまでの期間について有意な差は認められなかった。そして興味深いことに、いくつかの条件の下ではホスピスでのケアは寿命を延ばしているようだった。すい臓がん患者に関しては平均で三週間、肺がん患者は六週間、そしてうっ血性心不全の患者に至っては三ヶ月も寿命が延びた。この教訓はまるで禅問答のようである——人は長生きを諦めたときだけ、長生きを許される。

 長く生きることが目的ではない。大事なのはQOLだろう。上記のケースでは、患者は痛みを緩和しつつ、意識を保ち、周囲の人たちと交流できたことに注目すべきだろう。遺族のうつの割合が減少しているのも大きい。それだけ最期を有意義な時間にできたのだろう。

 

では、もっと厳しいケースの患者に対して医師はどう対応すべきか。人の自律性を優先するならば、患者が望むときには逝くことを早める手助けも必要になるのか。いわゆる尊厳死の問題。著者は慎重かつ否定的だ。人の死を早めるのを積極的に助けることが医療行為の一部になったとき何が起きるのか。権利の濫用よりも依存を警戒すべきだと言う。厳格なルールに則って尊厳死を認めているオランダの例を挙げて述べるには、

二〇一二年で三五人のうち一人のオランダ人が自分が死ぬ前に自殺幇助を求めているという統計は、自殺幇助制度の成功を示す数字ではない。むしろ、失敗を示す数字である。医療者の究極の目標とは、あれこれ言っても結局のところ、よい死を迎えさせることではなく、今際の際までよい生を送らせることなのだ。できないはずはないのに、オランダは他の国よりも緩和医療のプログラムの発展が遅い。その理由の一つはおそらく、自殺幇助の制度があるゆえに、衰弱したり、深刻な病気にかかったりしたとき、他の方法で苦痛を軽減したり生活を改善させたりするのは非現実的だとする信念が強められているのだろう。

自殺幇助制度にいわば「甘えてしまう」ことで、医療者が病者の生活の改善を怠るようになったとしたら、それは社会全体にダメージを与えたことになる。

生命幇助は自殺幇助よりもはるかに難しいことだが、それがもつ可能性ははるかに大きい。

 

死の現場からの、より良き生への提言。近年読んだ本の中でもとりわけ感動的だった。自分の身内にもがん患者がいること、そして自身、最近、加齢により体の節々に痛みや不自由を感じることが増えたからか、切実な読書になった。