安藤泰至『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと』を読んだ

 

安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと (岩波ブックレット)

安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと (岩波ブックレット)

  • 作者:安藤 泰至
  • 発売日: 2019/07/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 


安楽死尊厳死。これらの言葉に世界共通の定義とか学問的に公認されている定義といったものは存在しない。著者はそう言い切る。安楽死尊厳死も、それらを語る人たちによって如何様にも語られうる。正しい解釈、間違った解釈、ともに存在しない。ゆえに、安楽死とは、尊厳死とは、これこれの死である、という断言は嘘である、という。まずはここが本論のスタートと見る。

 

安楽死とは安楽な死なのか。尊厳死とは尊厳ある死なのか。いや、安楽死は安楽な死ではないし、尊厳死は尊厳ある死ではない。前者は、安楽に死ねない状況を終わらせるための死。後者は尊厳なき状況を終わらせるための死。そして両者とも死そのものの形容ではなく、「死なせる」行為を指している。ある人が安楽死と呼ぶ行為が、別の人には「殺人」と見做される、そういう曖昧さがこれらの言葉にはある。

 

健康な時はいい。しかし病気や怪我によって健康を損ない、苦しい生を送らねばならなくなった時、すなわち「人としての尊厳を奪われた状態」に陥った時、その尊厳を守るには、その人を死なせる以外に方法はないのだろうか。著者は疑問を投げかける。安楽死及び尊厳死(安楽や尊厳を守るために死なせる行為)を議論する前に、まずは安楽な生、尊厳ある生、社会のありようについて議論すべきではないのか。孤独死という言葉がある。この言葉が喚起するイメージは、誰にも看取られず、一人寂しく自宅で亡くなり、交友関係に乏しいため死後しばらく経過するまで死体が発見されない…そんなところか。人は皆死ぬ時は一人なのだから、言葉通りに捉えれば誰もが孤独死せざるを得ないとも言えるだろうが、それは措いても、もしこの暗いイメージ通りの孤独死が「悪い死(妙な言葉だが)」だとするなら、優先して議論すべきはこの死についてではなく社会のありよう——孤立や自棄を防ぎ、共助できるようなありよう——についてだろう。安楽死尊厳死についても同様に言える。「尊厳なき生」に対置させるべきは「尊厳ある死」ではなく「尊厳ある生」でなくてはならない。

本書で強調したいのは、次のことである。私たちが安楽死尊厳死を肯定する前にまず問わねばならないのは、「私たちは、「死にたい」と言っている人が「死にたくなくなる(生きてみたくなる)」ような手立てを十分に尽くしているのか?」ということ、そして「私たちはそれぞれの個人が自分の生き方(このように生きたい)を追求することを尊重できる社会を作ってきたのか?」ということだ。

 健康な時とは強い時であり、強い時、人は想像力、共感力に乏しくなりがちだ。病気の他人を見て、「あんなふうになったら自分は尊厳を奪われたと感じるだろう」と思っていても、いざ実際にそうなってみれば、困難な状況ではあったとしても、それでも生きていたい、と思うかもしれない。そしてその時気づくのだろう。かつて自分が他人事として見ていたあの人も、今の自分と同じように生きたいと願っていたのではないか、健康だった時の自分は傲慢だった、と。安楽死尊厳死も、本人の問題というより周囲の人間の問題に見える。周囲が勝手に他者の生を解釈し、楽にしてやりたいだの、尊厳を守りたいだの、そのための死なせる行為という面が強くはないか。

 

本書を読み、安楽死が人を死なせる行為だとして、自分は慎重に議論すべき、少なくとも現在の日本ではまだすべきではないとの思いを強くした。その理由の一つは、現在のコロナ禍でもわかるように日本は同調圧力がとても強い。体が不自由な人が安楽死を選べるようになった時、同じ病状でも生きていたいと願っている人まで周囲の圧力に屈して死を選ばざるを得なくなる危険性があるから。二つ目は、人はいつか必ず死ぬとしても、死よりも生を望む社会をわれわれは目指すべきだと思うから。

「現在、安楽死肯定論者が主張する「安楽死」には、疑問が多すぎるのである。真に逝く人のためを考えて、というよりも、生残る周囲のための「安楽死」である場合が多いのではないか。強い立場の人々の満足のために、弱い立場の人たちの生命が奪われるのではないか。生きたい、という人間の意志と願いを、気がねなく全うできる社会体制が不備のまま「安楽死」を肯定することは、事実上、病人や老人に「死ね」と圧力を加えることにならないか」

 引用した文章は1978年に出された「安楽死法制化を阻止する会」の声明。40年以上が経過しても、今もまだわれわれは同じ状況に留まっているように思える。自分が安楽死に否定的な理由はこの声明の言わんとするところと一致する。

 

 死について語る前に生について語ろう。60頁程の冊子ながら示唆に富んでいる。先だってのガワンデ「死すべき定め」同様、読んでよかった。

 

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