パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』を読んだ

 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

 

 

kindle版を購入したのが外出自粛した今年のGW最終日のこと。夕食後に読み始めて、読み耽り、その日のうちに読了し、感嘆した。GWはほぼ外出せずずっとslay the spireばかりやっていて、ネットでwikiを見て攻略情報を得てはトライするのを繰り返し、ろくにテレビを見なかったので新型コロナの感染状況がどう推移していたのかほとんど知らないままでいた。2011年の震災のとき、連日テレビの報道やネットの記事を見て読んでいるうちに滅入ってしまった経験があるので、毎日体温を計測し、不要不急の外出を控え、外出時にはマスク着用、手洗い実施等の、感染しないさせない方策を講じて、テレビやネットの報道からは距離を置くようにしていた。だから新型コロナウイルスに関して本書を読んで初めて合点がいったり、目から鱗が落ちるような思いをしたものだった。kindle版を読んだ後、書籍も手元に置いておきたくなり(電子書籍はパラパラめくって読むの向いていない)近所の本屋で購入して再読し、やはりよい本だと改めて思った。

 

自分が本書から得た知見は二点ある。一つはアールノートについて。感染症はビリヤードのように連鎖する。感染者である一つの球が猛スピードで突っ込んで来て、静止している二つの玉を弾き飛ばす。弾き飛ばされた球はまた別の静止している二つの球に衝突して弾き飛ばす。この反復が感染であり、この場合アールノートは2ちょうどで、「各感染者が平均ふたりの感受性保持者を感染させる、ということを示している」。今回のCOVID-19の場合、アールノートは2.0〜2.5くらいとされているようだ。このアールノートを1未満にできれば、「伝播は自ら止まり、病気は一時の騒ぎで終息する」。逆にアールノートが1より大きければ、「それは流行の始まりを意味している」。感染症をこういうふうに数字で示して状況を解明していたとは知らなかった。目に見えないウイルスを可視化するために生まれた知恵であると感嘆した。

 

二つ目は人間の環境破壊がウィルスを招いたという指摘。これは目から鱗だった。

 環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。

 森林破壊は、元々人間なんていなかった環境に僕らを近づけた。とどまることを知らない都市化も同じだ。

 多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている。

 ウイルスは、細菌に菌類、原生動物と並び、環境破壊が生んだ多くの難民の一部だ。自己中心的な世界観を少しでも脇に置くことができれば、新しい微生物が人間を探すのではなく、僕らのほうが彼らを巣から引っ張り出しているのがわかるはずだ。

 増え続ける食料需要が、手を出さずにおけばよかった動物を食べる方向に無数の人々を導く。たとえばアフリカ東部では、絶滅が危惧される野生動物の肉の消費量が増えており、そのなかにはコウモリもいる。同地域のコウモリは不運なことにエボラウイルスの貯蔵タンクでもある。

COVID-19とともに起きているようなことは、今後もますます頻繁に発生するだろう。なぜなら新型ウイルスの流行はひとつの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ。

 つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって? 僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて。

新型感染症の発生のメカニズムなど想像の埒外にあった迂闊な自分に、これは驚きの指摘だった。新型ウイルスの発生、流行はいわば侵略された側からの反攻だったとも見える。環境汚染による生態系の破壊は、動植物や昆虫といった生物の絶滅のみならず、遥かに小さいウイルスをも滅ぼそうとしたものの、思わぬ反撃に遭い苦戦しているのが現状か。このような災厄は今後も繰り返されると著者は述べる。実際その通りになるのだろう。

 

コロナ禍の今、ウイルスと感染について何かしらの知識を得たい、できれば専門的な難しい本ではなく、平明で、その方面に疎い人間でも理解できるようなものを。本書はそんなニーズに応える、よい入門書だと思う。感染症対策は自分のためだけではなく他者のため、そして社会のためであるという指摘(「感染症流行時に助け合いの精神がない者には、何よりもまず想像力が欠けているのだ」)、憶測や陰謀論の否定など、この非常時に、我々が冷静に、助け合って生きていくべきことを力強く説いている。