『インターステラー』IMAX鑑賞

自分は、ノーラン監督と相性がそれほどよくないと思っている。悪いとも思っていないが。『ダークナイト』と『インセプション』は退屈だった。特に後者はIMAXで鑑賞したにも関わらず途中で寝そうになった。しかし『ダンケルク』は素晴らしかった。あの臨場感。あの美しい画面。映画で重要なのは何より画だ、と思わせてくれた。リバイバルを4DXで見たあと改めて平日レイトショーでIMAXを見に行ったらまさかの一人という奇跡の体験をさせてくれた映画でもある。『ダンケルクIMAXを一人で、109シネマズのエグゼクティブシートで。今年の運を使い切ったと感じた出来事だった。そして一連のノーラン作品リバイバルの流れで『インターステラーIMAX上映が告知された。これはブルーレイで一度見たきりだがいい映画だった記憶があった。

 

環境変化により人類が死に瀕しているという設定は、コロナ禍の現在では初見時よりリアリティを感じた。人類を救済する方舟としての宇宙船という使い古されたような設定を、圧倒的なビジュアルが極上の映像体験へと導いてくれる。ワームホール通過、水の惑星、氷の惑星、そしてブラックホール通過。ワープや宇宙船のドッキングの画は『2001年宇宙の旅』のオマージュと見た。水の惑星のシーンでは、水に覆われている『ソラリス』を連想した。5次元のビジュアルはボルヘスの世界——記憶と書物の世界——のよう。ハードSFであると同時にエンタメとして楽しく見られるのは、人間のエゴを描いた普遍的なストーリーだからだろう。主人公の家族への想いと娘との確執、ブランド博士の恋人への想い、ブランド教授の弱さ、マン博士の執着心。宇宙まで行ったところで人間は人間でしかないと冷ややかに告げるシナリオ。自分はTARSが大好きである。あの機能性に特化したような造形を初めて見た時は感心した。ユーモラスな性格? もいい。

 

終盤の、ブラックホール通過後の展開については理解できていない。ブランド博士は恋人の星へ移動した。主人公は5次元の世界に閉じ込められた。そこは時間が物理的に接触可能な世界だった。TARSがブラックホールの量子データをモールスに変換して主人公に送り、彼はそれを信号化して娘に伝える。彼女はそのデータを回収し、ブランド教授の方程式を修正して…すげーことになった、というので合っているか。最後に出てくる重力を無視した宇宙ステーションもよくわからない。娘のユリイカが重力の有効活用につながったということか。高次の存在である「彼ら」が、幼年期の終わりに登場したオーバーロードのような宇宙人ではなくて、実は未来の人類らしきことも示唆していた。

 

ブランド博士はCASEとともに恋人の星へ。しかし恋人はすでに亡くなっていた(彼女の到着後かもしれない)。エンディングでは、その星が移住可能な環境として描かれている。ということは、主人公とブランド博士がマン博士の星か、エドマンズの星かで揉めたとき、主人公が下した客観的な判断は結果的には誤っていたことになる。ブランド博士は、愛は観察可能な事象でありその存在には意味がある、みたいなことを言っていたが、それが直感という形で証明されたというわけか。ラストシーンのブランド博士の若さから考えるとあのシーンは時系列的には主人公の覚醒より前になるのだろうか。

 

ノーラン監督というとその撮影の素晴らしさが自分には印象深い。『インターステラー』の宇宙船のアングルは、「ダンケルク」の戦闘機のアングルと同じものがあった。あの臨場感を追求するようなアングルでの撮影はノーラン監督独自のものか、他の作品で目にした記憶はない。暗黒、無音の宇宙空間に浮かぶ宇宙船のシーンから、時々、圧倒的な孤独と恐怖を覚えた。

 

3時間ほど映画館にいたが、最初から最後までまったく退屈せずに見られた。改めて名作だと思った。IMAXで鑑賞できてよかった。ノーラン監督作では今のところこれが一番好き。

 

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