デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?』を読んだ

 

 

経済政策次第で人は死ぬ。

 

世界恐慌ソ連崩壊、アジア通貨危機サブプライム破綻など過去の金融危機において各国の採った経済政策を比較・分析して真に有効な不況対策を考察する。

 

金融危機に陥った場合に政府が採る経済政策は二通りある。一つは財政緊縮策による支出の大幅な削減。もう一つは財政刺激策による支援の増大。どちらを採用するかでその国で暮らす人々の生活は大きく変わる。結論から述べてしまえば、前者は長期的な経済の低迷を招き死者数も増加する。後者によって経済は持ち直し、死者数も激増しない。これは1920年以降の各国の統計に基づく事実である。

 

財政緊縮策を採った国で不況の煽りを受け失業した人はどうなるか。医療費や福祉の予算がコストカットの名の下に削られ、セーフティネットが手薄になるため、彼は自助でやっていかねばならない。彼はサバイブするために生活費を切り詰める。失業者皆がそうすると経済が回らなくなって不況は長期化する。その影響で更に失業者が増加し、彼らもまた同じことを繰り返すので悪循環が生じる。その過程で死んだり、健康を損なう人が大量に出る。失業して家を失った人が路上に放り出されれば、不潔な環境が原因で感染症にかかりやすくなる。生きるためにやむを得ず春を売る場合も性病やHIVのリスクがある。弱い者、虐げられた者たちが最初に病に冒され、彼らを発端に町全体に広がることもある。本書では、債権放棄により打ち捨てられた家のプールに水が溜まり、淀み、そこから蚊が大量発生して感染症が蔓延した例が紹介されている。釘を踏んで怪我をしたものの、金がないからと病院に行かずに市販薬で対処したが、やがて傷口が化膿して足を切断せざるを得なくなった人のケースはどうか。最初の怪我の時点でいくらか払って病院に行けば、確かに金銭的にきつかったかもしれないがそれで済んだ。しかし診療費を惜しんだばかりに、彼は半身麻痺と言語障害を発症し寝たきりになってしまった。彼自身の不幸は言うまでもないが、彼の入院費用は税金で賄われる。これは政府にとっても痛恨事ではないだろうか。緊縮策を提唱する者は口を揃えて言う、一時的な痛みに耐えればやがて経済は回復すると。しかしこの「一時的な痛み」で失われるのは人命であり、一度失われてしまえばもう取り返しがつかない。失業を原因に自殺したり、彼らの子供が進学できなくなるなどのケースも社会にとって損失である。

 

財政刺激策を採った場合はどうか。アイスランドは2008年の世界的金融危機の際、破産寸前にまで陥ったが、その最中でも医療費の予算を増やし、食料費補助、住宅支援、再就職支援といった社会保護制度を維持した。解雇ではなく労働時間の短縮で対応したり、中小企業の債務や個人の住宅ローンの一部を免除した。低所得者に対しては一時的な支援も行った。これにより自宅を手放さずに済んだ人が多く、ホームレス人口が激増することはなかった。2012年以降経済は回復基調にあるという。セーフティネットを強化することでアイスランドは危機を乗り越えた。これと正反対の選択をしたのがギリシャである。ギリシャは緊縮策を採用し、その結果経済はさらに落ち込んだ。荒んだ人の心は攻撃の対象を求める。ギリシャの移民排斥運動も経済政策の失敗から生じたものと著者たちは見ている。ファシズム台頭前夜も似た状況だったと警鐘を鳴らす。

これまで緊縮政策が失敗してきたのは、それがしっかりした論理やデータに基づいたものではないからである。緊縮政策は一種の経済イデオロギーであり、小さい政府と自由市場は常に国家の介入に勝るという思い込みに基づいている。だがそれは社会的に作り上げられた神話であり、それも、国の役割の縮小や福祉事業の民営化によって得をする立場にいる政治家に都合のいい神話である。

 

経済を立て直す必要に迫られたとき、わたしたちは何が本当の回復なのかを忘れがちである。本当の回復とは、持続的で人間的な回復であって、経済成長率ではない。経済成長は目的達成のための一手段にすぎず、それ自体は目的ではない。経済成長率が上がっても、それがわたしたちの健康や幸福を損なうものだとしたら、それに何の意味があるだろう? 一九六八年にロバート・ケネディが指摘したとおりである。

(略)

どの社会でも、最も大事な資源はその構成員、つまり人間である。したがって健康への投資は、好況時においては賢い選択であり、不況時には緊急かつ不可欠な選択となる。

 

可能であれば不況は避けたいが、しかし不況には不況のメリットもあると著者たちは述べる。金がないから外食(ファストフード)をしなくなる、酒を飲まなくなる。燃料代がもったいないから自動車に乗らなくなり自動車事故が減る、歩くから健康になる。労働時間が短くなるから睡眠時間が伸びる、など。不況によって健康になる、というのも皮肉なものだが、自分も子供の頃からたびたび頭痛に悩まされ(ひどい時は数日寝込む)、今は今で怪我をしていて思うのは、健康こそ最高の資産であるということだ。こればかりは本当に、何事にも変えがたい。「健康への投資は賢い選択」とは、一個人の支出についても通用する文言だと思う。

 

著者二人はそれぞれ公衆衛生と統計学が専門だという。データに基づいた客観的な提言は、コロナ禍で経済が冷え込む日本にも適用できるだろう。