映画『ミッドナイトスワン』を見たが…

イオンシネマ日の出で鑑賞。土曜日の夕方の回で20人くらい。思ったより観客は少なかった。

 

この映画で一番印象的だったのは、プリエ? だかを、草彅剛演じるトランスジェンダーの女性と、彼女の姪が、公園かどこかの階段の上で踊る姿を後ろから撮ったシーン。「こう?」「さっきと違う」とか言いながら教えを乞う女性と、「もうやめた」と教えるのを切り上げる姪のやりとりに、二人が出会ったばかりの頃より親密になっているのが窺えてよかった。

 

社会の底辺でそれでも何とか生きている人たちの生きづらさにフォーカスした映画なのだろうけれど、ところどころ、脚本が少しわざとらしいというか、観客に説明し過ぎというか、うるさく感じた。例えば、姪が八王子バレエコンクールの予選で踊る場面。彼女が踊り出すと審査員が前のめりになる。彼女の非凡さが審査員の目にとまったことを観客に示したかったのだろうが、通俗に過ぎやしないか。姪にバレエを続けさせるために金が必要になった主人公が企業の面接に行った場面では、「オヤジ」の課長が本人を目の前にしてLGBTがどうたらとか言い出すが、そんなのありえるか? 芸能関係のグループや踊りに難癖つける酔客同様、トランスジェンダーへの社会の無理解・偏見を示す意図だったのだろうが、どうにも露骨に感じ、冷めた。らんま2分の1とか、いかにも過ぎる。ラストのバレエを踊る場面もそう。いい場面なのに回想シーンが挟まれて、ここで感動して泣けと誘導されているようだった。監督が観客に親切過ぎる。別に教えてもらわずとも姪の髪飾りが形見であることくらい観客にはわかる。

 

主人公の同僚はたびたび、自身の性と社会への恨み言を言う。どうしてこんなに生きづらいのだと。でも生きづらいのは彼女たちだけじゃない。例えばシングルマザーだって生きづらいだろうし、シングルマザーに虐待される子供だって生きづらいのだ。でも、そのことを台詞として言ってしまうと陳腐になる。同じように生きづらさを感じていたであろう身体障害者の少女の成長物語だった「37セカンズ」と比較すると、好みの問題なのだろうが、本作は物足りない。「37セカンズ」で、主人公が勇気を出してラブホテルへ行って男を呼んだのにセックスがうまくできず、恥ずかしくて、屈辱的で、ホテルの部屋から逃げ出したいのに、足が不自由だからそれができない。そのことがどれほど辛いか、台詞として言われずとも見ていて伝わってきた。本作で言うと、前述の二人が踊るシーンなんかは、台詞に頼らず二人の距離が縮まったのを示していてよかった。そういうシーンがもっと見たかった。

 

姪は最後まで主人公の名前を呼ばなかった。最後の海辺の場面で呼ぶかなと思ったがなかった。主人公は、最初は姪をあんた呼ばわりしていたのに、朝、学校に遅れると彼女を起こす時に初めて名前で呼んだのだったか。二人の食事のシーン、もっと野菜食べろとか、まるで母親が我が子を見るように見つめる草彅さんの笑顔はとてもよかった。