映画『わたしは金正男を殺してない』を見た

2017年にクアラルンプールの空港で起きた金正男殺害事件についてのドキュメンタリー。事件の顛末を、実行犯の二人、彼女たちの担当弁護士、ジャーナリストのインタビューで構成する。

 

殺害の実行犯は女性二人。一人はインドネシア、もう一人はベトナムの出身。北朝鮮工作員に誘われて日本のドッキリ動画撮影に出演しているつもりが、実際は殺人に加担していた。彼女たちは当日まで面識がなかったという。いわば互いが「保険」だったのだろう。手にVXガスを塗られ(無論彼女たちはそれがVXガスだとは知らない)、背後から金正男の顔に塗りたくって逃走する。その後間も無く金正男は死亡。空港の監視カメラには、粗くて見辛い画質だが、彼女たちが金正男を背後から襲い、頭を下げて謝罪したのち歩き去る一部始終が映っている。この去り際の様子から確かに、彼女たちが自分たちがしているのはドッキリだと疑っていなかったであろうことがわかる。それにしても驚くべきは、変装せず護衛もつけず、一人で空港を歩いている金正男だ。異母弟の金正恩に命を狙われていることを自覚していたというのに。

 

後継者争いから脱落した金正男は当時マカオで家族と暮らしていた。正恩は自分の地位を脅かす可能性のある異母兄を殺害したがっていたが、北朝鮮の最大の後ろ盾である中国国内では彼を殺せなかった。だからマレーシアでの犯行になったのだという。犯行後、インドネシアの女性は政府間交渉の末起訴を取り下げられて釈放され帰国したが、ベトナムの女性がそうはならなかったのは、インドネシア北朝鮮とあまり親交がないのに対して、ベトナムは親交があったからだとか、そういう国際政治の複雑さが興味深かった。彼女たちがVXガスの被害を受けなかったのは犯行後すぐ手を洗ったから(ベタベタして気持ち悪かったという)。掌の皮は分厚く、液体が浸透しにくい。しかし北朝鮮工作員たちは彼女たちが生きようが死のうがどうでもよかったのではないか。

 

帰国後インドネシアの女性は実家で暮らしているようだ。ベトナムの女性はもともと女優志望で、帰国後はその方面で仕事をしたいと語っていたが、実際には国内でバッシングを受け厳しい状況のようだった。

 

北朝鮮工作員たちにしてみれば、実行犯は別に彼女たちでなくてもよかった。誰でもよかった。たまたま彼女たちが選ばれてしまったというだけのこと。そしてその背景には貧困がある。どちらも金に困っていた。だから目先の金に釣られて素性のよくわからない人物たちのドッキリ撮影などに参加してしまった。騙され、利用された。「お前の人生は無意味だと言われたような気がする」と、女性の一人は語っている。