映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』を見た

 

今年はもう映画館へ行くことはないと思っていたのだが、時間を持て余し、行けるところといったら映画館しかなく、行ってきた。歴代興行収入1位を記念して二度目の鬼滅でもよかったが、混んでそうだから避けて、『ワンダーウーマン1984』と迷ったが、前作は途中で飽きて見るのを止めてしまったので続編を見る気にならず、消去法でこのドキュメンタリー映画にした。ヘルムート・ニュートンが写真家であることは知っていたが、どういう写真を撮っていたかは全然知らずに見た。

 

朝の回で観客10人ほど。この手の映画にしては多い印象。ニュートンの写真や人柄について、彼と交流のあった女性たち(モデル、女優、歌手など)が回想する。彼女たちの声とともに、ヴォーグの誌面を飾るには挑発的過ぎる数多の写真が紹介される。開いたチキンと100万ドルのブルガリの指輪を嵌めた手の写真は露悪的な趣が漂う。ハイヒールを履いたチキンとか、オーブンに頭を突っ込んだメイドとか、アイデア凄いと思いつつ、なんかこうエネルギッシュ過ぎて胃もたれしそうな写真の数々。ヴォーグなのに服を着た女性たちの写真の隣に同じ女性たちのヌードを同じ構図で撮るというアイロニーニュートンは「強い女性が好きだった」という。強さとは存在の主張の謂だろうか。ファッションモデルだからそうに決まっているのだろうが、確かに被写体となった女性たちの、正面からまっすぐカメラを見つめ返す眼差しには圧を感じる。自分が特にいいなと思ったのは、ヴォーグオムだかに載せる撮影の際に、男を撮るのは気が進まないという理由でニュートン自身がトレンチコートを着てファッション誌としてお茶を濁して、鏡越し? に女性のヌードを撮影している写真。写真には撮影の様子を眺めているニュートンの妻も映り込んでいる。そのメタ的な構図が、自分の好きなベラスケスの『ラス・メニーナス』を連想させて面白いと思った。彼の写真の力強い感じはリーフェンシュタールに影響を受けたものだという。ベルリンに生まれたユダヤ人のニュートンが13歳の時、ヒトラーが政権の座についた。写真の師は強制収容所で亡くなっている。彼はインタビューで常に生に対して前向きな姿勢を見せる。死については語りたくない、と言う。それは自分が知る限り前向きなものではないから、と。

 

ちょっと自分には高尚な映画で途中眠くなってしまった。最初のあたりで面白いことを言っていたのだが何だったか…。写真に対する最低の褒め言葉みたいな話題で、「センスがいい」とあともう一つ…何だったか、忘れてしまった。シャーロット・ランプリングイザベラ・ロッセリーニも登場する。後者は久しぶりに姿を見られたので嬉しかった。