山内一也『ウイルスの意味論』を読んだ

 

 

『ウイルスの世紀』の姉妹編。書かれたのは本書の方が先なのでまずこちらから読んだが、ウイルス総論ともいうべき内容は理科系の教養がからきしの自分には手強く、途中で放棄して『世紀』を先に読み終えた。『世紀』は感染症の症例などドキュメンタリー的な部分が多く、門外漢にも読みやすい。『世紀』を経て再度本書に戻れば読めるかと思ったが、やはり中盤の生物学的記述の部分は難解で、読み返したり不明な部分をネットで調べながら読んだりしているうちに自分の頭の悪さに苛立ちが募る一方だった。なのでそのあたりは流し読み。序盤と終盤は読みやすいし、専門的な知見が得られて面白い。ただし文章は教科書的な素っ気無い単調な記述と見る。

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この感想文は上記リンクの『ウイルスの世紀』と一部重複している。

 

まずウイルスとはいかなる存在であるか。

 実際にはウイルスと細菌はまったく別の存在である。細菌をはじめとするすべての生物の基本構造は「細胞」である。細胞は、栄養さえあれば独力で二つに分裂し、増殖する。このようなことができるのは、細胞がその膜の中に細胞の設計図(遺伝情報)である核酸(DNA)やタンパク質合成装置(酵素)などを備えているからだ。

 一方ウイルスは、独力では増殖できない。ウイルスは、遺伝情報を持つ核酸と、それを覆うタンパク質や脂質の入れ物からなる微粒子にすぎず、設計図に従ってタンパク質を合成する装置は備えていないからだ。しかしウイルスは、ひとたび生物の細胞に侵入すると、細胞のタンパク質合成装置をハイジャックしてウイルス粒子の各部品を合成させ、それらを組み立てることにより大量に増殖する。そのため、ウイルスは「借り物の生命」と呼ばれることもある。

 ウイルスもある意味で”生きており”、そしていずれ”死ぬ”。しかしそれは生物の生死と同じではない。

 

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本書5pより

 1個のウイルスが細胞に感染すると、5、6時間で1万個を超す子ウイルスが生まれる。これらが周囲の細胞に感染を広げることで、半日の間に100万個もの子ウイルスが産出される。ウイルス核酸が細胞内で複製される際にはコピーミスによって変異ウイルスが生まれることがある。短時間で膨大な数のウイルスが世代交代を繰り返すうちに変異ウイルスが集団の大部分を占めるようになると新種のウイルスの出現となる。「ウイルスは、まさに変幻自在な生命体と言える」。

 

ウイルスが生命体であるならば、その死とはいかなるものか。感染・増殖が不可能になった状態がウイルスの死である。ウイルスは熱に弱く、60℃ならば数秒、37℃なら数分、20℃なら数時間で半減する。紫外線や薬品などでも容易に死ぬ(「不活化」)。咳やくしゃみによって放出されたウイルスは、太陽の紫外線ですぐに不活化される。インフルエンザウイルスなどは表面を覆っている被膜(エンベロープ)が脂質を含むため、洗剤などで容易に不活化される。

 

一方で並外れてしぶといウイルスも存在する。ノロウイルスだ。タンパク質の殻(カプシド)だけに包まれているRNAウイルスで、エンベロープがないため脂質を分解するアルコールや洗剤では死滅しない。強い酸性の胃酸でも死滅せず胃を通過して小腸の細胞に感染し、激しい下痢を引き起こす。もっとも効果が高いのは次亜塩素酸ソーダによる消毒である。かつてアメリカでノロウイルスの生存期間を調査したところ、井戸水の中で3年半が経過した後もわずかに数を減少させただけで大半が生存していた。ノロよりもっとしぶといウイルスもいる。シベリアの永久凍土から発掘されたウイルスで、アメーバに加えて培養したら再び増殖を始めたという。3万年もの眠りからの目覚め。今後、温暖化により溶けた凍土層から太古のウイルスが出現する可能性が示唆されている。一旦は死んだウイルスが別のウイルスと同化することで生き返る現象も観測されている。ウイルスにとっては生と死の境界線は曖昧なもの、あるいはあってないようなものなのかもしれない。人間の常識や概念を超越している。

 

ウイルスがいつ出現したかについては諸説ある。細胞が出現する前から生まれていた、細胞から逃げ出した遺伝子である、細胞が退化したものである、等。全世界で三億人が感染しているとされるB型肝炎ウイルスは恐竜が生きていた8200万年前には生きていたとされ、恐竜絶滅後も宿主を渡り歩いて今日まで生き延びた。ヘルペスウイルスに至っては四億年前から存在していた。このようなスケールになるともはや「すげ〜」という感想しか出てこない。同時に、人類がいつか死滅してもウイルスは生き延びそうにも思えてくる。深海の生態系を支えている、地球温暖化に影響を与えている事例なども紹介されている。こうなってくるともう地球はウイルスの星じゃないの、という気がしてくる。実際その数たるや、地球上の海水1リットル中には平均30億個のウイルスが存在しているとされるほどなのだ。海洋ウイルスの総量は試算によると2億トン、この重量はシロナガスクジラ7500万頭に相当する。

 

ウイルスはあらゆる生物の危険な敵なのかというと必ずしもそれだけではない。宿主であるガに耐性を与えて殺虫剤から守ったり、宿主である植物に耐熱性を与えて高温地帯でも生きられるようにするなどの働きをしているウイルスがいるという。あらゆる生命の存在理由が自身の複製を生み出して種を存続させることだとすれば、ウイルスもまた寄生虫と同じように宿主の死すなわち自身の死でもある以上、ある種の共生関係(協力関係?)を築いたとしても驚くにはあたらない。ヒトの例としては、G型肝炎ウイルス(G型肝炎という病気は確認されていない)がHIVウイルスによるエイズ発症を抑制している可能性が注目されている。アメリカでの調査では、HIV患者のうちG型肝炎ウイルスに感染している人は、感染していない人に比べて死亡数が低く、予後も良いという結果が得られている。HIVウイルスのワクチンとしてG型肝炎ウイルスを利用できるかもしれない。ガン治療に麻疹ウイルスを利用する研究も進んでいる。

 

人類がこれまでの歴史で根絶できたウイルスは、天然痘ウイルスと牛痘ウイルスである。しかし驚くべきことに天然痘ウイルスに関しては復活させることが理論上可能である。天然痘ウイルスのゲノムの塩基配列は研究目的ですべてが公開されており、これらを別々の施設に注文して合成することで人工的に天然痘ウイルスを作り出せる。これをテロリストが利用したら? 自身はワクチンを打って予防した上でウイルスを散布する。感染してから症状が出るまでには十日ほどかかり、医師たちが天然痘と気付くのにはさらに時間がかかる。その間に市中感染が拡大する。天然痘ウイルスはインフルエンザウイルスの二倍以上の感染力を持っているから爆発的な感染が起きるだろう。一つの「悪夢」のシナリオである。

 

森林破壊やグローバリゼーションによって人間とウイルスの距離は縮まった。人間にとっての激動の時代とは、ウイルスにとっても激動の時代である。

 二十世紀後半、急速な人口増加による食糧の需要に対応するために、効率化された養豚場や養鶏場などの大規模で過密な動物社会が生まれた。それは、野生環境とはかけ離れていた。ブタやニワトリのウイルスは、この激しい環境の変化に曝され、適応し、巧妙な生存戦略で新しい増殖の場を作りあげている。イヌもまたペットとして人間社会の一員となり、ウイルスに曝されている。また医学研究の進展により自然界では決して出会うことのない複数の種類のサルを一緒に飼育する場が作り出された。そこは、皮肉にも新しい病原ウイルスを生み出す場となっている。

 新型コロナウイルスもまたコウモリからブタそしてヒトへと感染していったウイルスとされている。エボラウイルスのように致死性の高いウイルスであれば、感染者の多くは隔離され、のち死亡し、ウイルスの猛威は瞬間最大風速的に振るうに留まりやがて終息するだろう。新型コロナウイルスの巧妙なところは、エボラウイルスのような高い致死性で宿主を殺すことなく(無症状のケースもある)じわじわと感染を拡大させ続けている点にある。ウイルスが自身の保存と種の存続を図るための巧妙な手口。手強い、と思うと同時にその生存戦略に感心する。

 現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらく数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史のほんの一コマにすぎない。