映画『あのこは貴族』を見た

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ユニクロの防風パンツ、フリース、ダウンパーカを身に纏い、ユナイテッド・シネマ入間にて鑑賞。朝イチの回で自分を含め観客は4名。快適だが寂しさも感じた。少し前に見た『すばらしき世界』もそうだが、もっと多くの観客が入っていい、入ってほしい、いい映画だった。三度ほど目頭が熱くなった。自分はあまり映画で泣くことがないので希有な体験だったといっていい。

 

よかったシーンを三つ挙げる。

一つは、水原希子山下リオが大学の内部生と一緒にホテルでアフタヌーンティーする場面。メニューにある4200円の表示に唖然とする水原に、山下が「顔が死んでる」と小声で注意する。それからもっと小さい声で、「この子たち、貴族」と同席する内部生二人を評する。なぜこのシーンで泣きたくなったのかわからない。彼我の差を、怨みも妬みもなくあるがままに評するような山下の声のトーンが自分に刺さったのかもしれない。

もう一つは、夜の東京を水原と山下が自転車にニケツして疾走するシーン。「田舎から出てきて搾取されまくって、もう私たちって東京の養分だよね」と言う山下の台詞は、別のシーンで石橋静河が口にする、女同士の分断を否定する台詞とともに、この映画を象徴する台詞であると思う。養分を搾取しまくっているからこその、東京の美しさなのかもしれない。悔しいけれど、むかつくけれど、でも本当、東京って綺麗。二人が笑いながらニケツして夜を行くこのシーンが、本作中でもっとも感動的なシーンだった。

最後の一つは、これも水原と山下のやりとりなのだが、カフェだかレストランだかで、山下が大きな声でビールを注文するシーン。いいことがあったら飲みたくなる自然さとか、声が大きいとたしなめる水原とか、なんか女友達同士な感じ、シスターフッドとかいうのか、そういうのがよく出ていて印象的だった。

 

 シスターフッドといえば、中盤の、初めて門脇麦水原希子の主人公二人が対面するシーン。修羅場になってもおかしくないのに、二人とも穏やかに、敵対することなく、互いを労るような姿勢をとる。対面する直前の、石橋静河が水原に開陳する思想はシスターフッドそのものだろう。女同士でなぜ争う? マウンティングし合ったり、女の敵は女だと言ってみたり。仮想敵を作って分断を煽る言説を否定するこのシーンは、石橋の、嫌味のない恬淡としたキャラのおかげで、軽やかに、しかし強く訴えてくる凄みがあった。対立ではなく宥和を。何が本当の幸福なのかという問いかけもある。上級国民の家に生まれればそれでもう幸福は約束されているのか。たしかに安泰ではあるかもしれない。しかしエリートの高良健吾は、出自の犠牲者であるかのように描かれているし、彼が幸福な人生を送っているようには、どうも見えない。

 

石橋による宥和を志向する台詞と、前述の山下の「東京の養分」という台詞。この二つが本作を象徴する台詞だと言ったのは、この映画が描いているテーマが、一つはシスターフッド的な女性同士の連帯であり、もう一つが確かな現実として存在する経済格差、文化資本格差であるからだ。対面したシーンで、水原が「母親と美術館に行ったことなんてない」「クリスマスにツリーを飾ったことなんてない」と言うと、門脇と石橋は「信じられない」と言う。東京は階層によって棲み分けがされているから異なる階層の人間に出会う機会はない、そんな台詞もあった。

 

上記の初対面シーンで争いがないのもそうだが、本作はとても静かな映画だ。全編、BGMはかなり控えめ。また、雨のシーンがとても多い。雨の東京、それがゆえの静けさだったのだろうか。登場人物たちが感情を剥き出しにするような場面も少ない。終盤の平手打ちくらいか。婚約者の女性問題だとか、夫婦間のコミュニケーション不足だとか、金がないばかりにせっかく合格した難関大学を中退してしまったとか、身近な日々の暮らしの中にある辛さが、抑制されたトーンで描かれていく。心地よく、そして苦く。

 

2021年のベストになりうると思うほどの傑作なのだが、ラストの展開に不満がある。せっかく女性同士の連帯を描いたのだからそのまま行ってくれたらよかったのに、最後になって男が再登場する。これは不要だった。「後でまた」って、お前そういうとこだぞ、と言いたくなる。男は混ざってこなくていい。自分としては、東京駅を眺める水原と山下の背中を映して終わりでも全然よかった。「幻想としての東京」、その象徴としての東京駅。ただ、ここで終わってしまうと門脇のその後の人生が気になるから、さらに続けるとしたら、たとえばコンサートの営業だかで、門脇が名刺を渡そうとしたら切らしていて、石橋に一枚もらって、かつ彼女の背中を借りて自分の名前を書く——水原と高良のやりとりの反復、ただし違う意味を込めて——そんな終わり方でもよかったような気がする。背中を預けられる、信頼できるバディであることの暗示。

 

主演二人が役にぴったりのキャスト(門脇は『ここは退屈迎えに来て』のマイルドヤンキー役とのギャップが面白い。婚約者の実家に挨拶に行った時の礼儀作法凄すぎ)で素晴らしいのはいうまでもないが、主人公それぞれのバディとしての石橋静河山下リオも同じくらい素晴らしかった。とくに山下リオ。彼女のキャラのおかげでこの映画はだいぶ明るくなっているように感じられた。実際、自分は彼女の登場シーンになるとわくわくした。津嘉山さんが見られたのも嬉しかった。

 

エンドロールを見ていて驚いたのは、浜崎あゆみがどこでかかったのか全くわからなかったこと。これを確認したい気持ちがあるので、二回目行くかもしれない。スクリーンでもう一度、あのニケツシーンも見たいし。