2021年の桜

2017年の春頃、オリンパスのE-M10 MarkⅡを購入してしばらく使っていた。が、だんだん持ち出すのが億劫になり放置して久しい。ちょっとしたものを記録撮影する程度の用途ならiPhoneで十分事足りる。ミラーレスとはいえ一眼をぶら下げると首がだるくなる。ぶつけないように気をつけるのも面倒くさい。

…だったのに久々に持ち出して写真を撮る気になった。理由はコロナウイルスパンデミック最中の桜の写真が、いずれ記録として(自分にとって)価値を持つかもしれないと考えたから。少し前に書いた記事にまだ建設途中だった東京スカイツリーの写真を載せた。2011年当時はなんとなく撮っただけの写真が、10年経って見返してみると人生の記録として(自分にとって)意味あるものになっていた。端的に言えば、写真を撮っておいてよかったと思った。なら2021年の桜も記録として撮っておいてもいいかもしれない。どうせ撮るなら綺麗に撮った方がいい。それでカメラを使うことにした。調べたら一眼で最後に撮影したのは2019年7月だった。

 

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3月27日土曜日。

晴れ。朝8時頃にカメラを持って近所の公園へ自転車で向かう。まだ満開には間があったが、気温が上がるとの予報だったので午後から一気に咲くかもしれなかった。久しぶりのカメラなのに事前にファインダーを覗きもせず、いざ撮ろうとしたらえらく画角が狭いので戸惑った。着けて来たのは40-150mmのキットレンズ。操作を忘れていてもたつく。散歩しながら適当にそれっぽい感じになるよう撮影すること30分。朝の時間帯だったが人出は割合に多く、とくに高齢者のグループがヨガをやったりゲートボールをしたりとアクティブに活動していた。

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ソメイヨシノ。傘のようになっているのより、幹から小さく生えた枝にひっそりと咲いているのの方が健気で好ましい。咲き誇る桜はその鮮やかさ、賑やかさで見る側を圧倒してくる。気圧されて酩酊するというか、燥いでしまうので、桜は怖い花だと思っている。だからちょっと苦手である。坂口安吾梶井基次郎の桜をモチーフにした小説は怖い小説だった。以前具合が悪くて寝込み、病み上がりで出勤する際、会社の周囲に大量に植えられた赤いツツジをなんとなく見ているうちに、その色のどぎつさに当てられて気分が悪くなったことがある。こちらの体力が弱っているときには植物の旺盛な生命力に負けてしまう、そんなこともあるのだとそのとき知った。

 

 

3月28日日曜日。

朝から曇り。一日曇りで夕方から雨との予報。見頃はこの日いっぱいだろう。ということで、昼頃、昨日と同じ公園に再び出かけた。曇天の桜は味気ない。桜には燦々たる陽光が似合う。何枚か撮影してつまらなくなって止した。人出が多くなる時間帯だったためか、昨日の朝と比較するとだいぶ家族連れや若い人たちの姿が目立った。煙っぽい匂いがすると思ったらバーベキューをやっていたり、大型犬がリズミカルなステップで散歩していたり(可愛かった)、きょうだいらしき子供が全力で駆けっこしていたり、春の長閑な日曜の午後の風情が漂っていた。

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人の世に疫病が蔓延して混迷を極めようが、自然はそれと無関係に存在し、冬のあとには春が必ず巡って来る。季節のサイクル。自然のリズム。何が確かかといってそれ以上確かなものはこの世にない。それに安堵する。頼もしいと思う。