『ベルセルク』と私。あるいは「祈るな、祈れば手が塞がる」

三浦建太郎の突然の訃報。こんなにもショックを受けるとは実際にその報に接するまで自分でも想像だにしなかった。今年一番の衝撃かもしれない。一昨日は田村正和の訃報。昨日は星野源新垣結衣の結婚。そして今日は三浦建太郎の訃報と物凄い三日間となった。

 

といって三浦建太郎のファンというわけではない。『ベルセルク』しか読んだことはない。『ベルセルク』のファンである。自分の人生で特別な漫画を三つ挙げるとしたら、『ドラえもん』『寄生獣』『ベルセルク』になると思う。掲載誌は追っていない。単行本を買っていた。初めてこの漫画を知ったのはたしか20年近く前で、友人に面白い漫画があると教えてもらったのがきっかけだった。その頃自分は世田谷で一人暮らしをしていた。すすめられて三巻くらいまでまとめて買った記憶がある。あまり好みの絵ではなかった(初期のタッチは今読み返しても微妙だと思う)。主人公ガッツの性格もあまり好きになれなかった。しかし伯爵との戦いは復讐者としての容赦なさを面白く思った。この時点では意味不明なゴッドハンドの出現、そして黄金時代編。続きが気になり当時の既刊を全て買った。おそらく自分が『ベルセルク』にハマったのは黄金時代編のゾッド登場から。強くなりすぎたガッツとグリフィスですら太刀打ちできない化物。なぜ人間が牛の怪物に変身するのか。このあたりから作品世界に興味を持ち、いくつかの謎を考察する楽しみに気付いたように思う。

 

現時点で刊行されている40巻までで最大の山場は蝕だろう。あの美しかったグリフィスが再起不能なまでに蹂躙され、それでも夢を諦めきれず、仲間たちを犠牲にして己の願望を成就させる。「…げる」。直後の死の嵐。人外どもによって仲間たちは嬲り殺され、キャスカはガッツの見ている前で凌辱される。この蝕のシーンを初めて読んだ時は本当にショックだった。強者揃いの鷹の団がなす術もなく一方的に虐殺されていく。一縷の希望もない絶対的絶望。このシーンを予備知識なしで読めたことは今振り返ると幸運だったと言っていい(すすめてくれた友人は内容について一切触れなかったし、2000年前後、自分はインターネットと無縁だった)。

 

断罪編のモズクズとの戦いまではいかにもダークファンタジーといった感じで楽しく読めた。領主や貴族ら上級国民にとって庶民の命など虫けらと大差ない、そういう中世の雰囲気が見事に描出されていた。異端審問の拷問シーンにはゾクゾクした。上級国民はクズ、しかし庶民もまたクズ。そういう徹底したリアリズムがこの漫画の魅力だったように思う。

 

しかしグリフィスが受肉して以降はそれまでの勢いが衰えたように感じた。ゴッドハンドの強大さに対抗するための魔法の登場だったのか。仲間が増え、武具も新調でき戦力が以前よりかなり増強されたのはいいが、ガニシュカとの戦いはただ長いばかりでつまらなかった。このペースでやってたら終わらないんじゃないか、と不安を抱いた記憶がある。ガッツをはじめ新たな仲間たちは魔法の武具で強化されはしたものの、グリフィス率いる新鷹の団との戦力差は明白。先の展開は一切読めなかった。そして、あんなにも長かったキャスカの心がついに戻った、というところで最新40巻は終わっている。

 

このあとの展開はどうなったのだろう。ゴッドハンド全員を倒すのは不可能だろうし、倒す理由もない。あくまでガッツの標的はグリフィス=フェムトのみ。黙示録に記された予言では、グリフィスは闇の鷹、世界に暗黒の時代を呼ぶ者らしいが、受肉したグリフィスのいるミッドランドはまるで理想郷で、ガッツの復讐の必要性が疑わしく思えてくる。伯爵がゴッドハンドを召喚した時、あるいは剣の丘で再会した時、ガッツはグリフィスを本気で殺そうとした。しかしキャスカの記憶が戻った今、そして新しい仲間たちとほっこりな道中を来た今、かつて抱いた復讐心は変わらず滾っているのだろうか。下火になってはいないか。グリフィスが受肉した肉体は、卵の使徒が飲み込んだガッツとキャスカの赤子だとしたら事態はより複雑になる。

 

仮にグリフィスと戦うとしたら。あの強大な軍勢とガッツが互角以上にわたり合うには、旅のメンバーに加えて強力な軍勢が必要になる。候補として考えられるのは妖精島の魔法使いたち。人魚たち。クシャーンたち。妖獣たち。リッケルトの開発する近代兵器。そして髑髏の騎士。このあたりだろうか。それでもぜんぜん敵わないかもしれない。数では圧倒的に劣っている。グリフィスには新鷹の団とミッドランド軍がついている。となるとさらに新たな仲間候補が出てくる予定だったのか。ファルネーゼ繋がりで何かか。それとも少数で陽動を行いグリフィスとサシでガッツが戦うのか。確かに仲間たちにはグリフィスたちと戦う理由はないわけで、このあたりどう展開していくつもりでいたのか。自分はリッケルトがキーパーソンになるのではないかと予想していた。中世の世界をリッケルトの発明が近代化させる。ファンタジアの終焉。神や精霊を信じる人々が減り、神話世界の住人たちは居場所を失って消滅する。教会の土地は元々土着の精霊信仰の土地だった、みたいな描写がどこかにあったが(ハイネの『精霊物語』のような)、いわば同じことが再び形を変えて繰り返される。しかし、グリフィスを倒すことはあの世界にとってはむしろ損失としか思えないので、ガッツとグリフィスの因縁がどう決着するのかはちょっと予想できない。

 

謎も多い。自分が一番知りたいのは髑髏の騎士の正体。伝説の通り、彼が覇王ガイゼリックで、ボイドが古の賢者なのか。狂戦士の甲冑のかつての所有者でもあるんだったか。強キャラ感凄かったのに、ベヘリット剣でやらかしたせいでなんか微妙な存在になってしまったのが惜しい。彼の正体は、ゴッドハンドとは何か、ベヘリットとは何か、という作品世界の根幹に関わっている…ように思われる。

もう一つ気になるのはガッツが持っているベヘリットベヘリットはゴッドハンドに転生できる覇王の卵と使徒に転生できるそれ以外があるんだったか(うろ覚え)。ガッツのは覇王の卵ではないだろう。以前ネットで、ガッツがベヘリットを使いシールケら旅の仲間を贄として捧げて使徒転生してグリフィスと戦うのでは…的な予想を見たが、使徒はゴッドハンドの下僕的存在(ガニシュカのような例外はあるにせよ)だから、その展開はないだろう。それはグリフィスのやったことの反復にもなるわけで、だからこそ余計にガッツは仲間を捧げることはしないと思う。でもそうするとあのベヘリットの存在理由がよくわからない。

 

ベルセルク』で一番印象に残っているのは蝕のシーンだとはすでに述べた。変わり果てたグリフィスの救出→「…げる」→蝕の流れ。漫画史に残る名シーンだろう。

他に印象的なのは黒犬騎士団との戦い(エンジョイ&エキサイティング)、ロストチルドレンの章の本気の戦争ごっこ。前者はエキサイティング、後者はおぞましい。実際、昆虫それも蜂ってビジュアル的に結構クるものがある。ロストチルドレンの章は終わり方が切なくてなあ…。今ふと思い出したのだが、伯爵の娘の「いつか必ず殺してやる」は伏線だったのだろうか。あの娘の再登場は…多分ないか。

 

以上つらつらと書いてきた。やっぱり、まだまだ、あと十年、二十年、読みたかったという思いが強い。かえすがえすも作者の死が残念である。でも十分に楽しませてもらったという思いもある。ガッツ一行は妖精島でくつろぎ(キャスカのPTSDの問題がありそうだが)、グリフィスは理想郷を築き…と両者まあまあ平和な感じで終わっているところが救いといえば救い…だろうか。

 

三浦建太郎先生、お疲れ様でした。こんなにも素晴らしい漫画を本当にありがとうございました。

 

 

ベルセルク 1 (ヤングアニマルコミックス)