山田太一『見えない暗闇』を読んだ

 

主人公の松本洋介は45歳、都清掃局の課長。39歳の妻がいる。一人息子は大学入学をきっかけに家を出て行った。入れ代わりのようなタイミングで病身の義父との慣れない同居が始まった。傍目には平穏そのもののように見える一家。ある夜、主人公の家に、かつての部下から妙な電話が入る。勤務地である埋立地で光る人間のようなものを目撃したという。その出来事をきっかけにして、少しずつ主人公の平穏な日常が崩れていく。妻の不貞、主人公の間男への暴力、暴力の結末、大男と鵞鳥声の美少女、そして再度現れる「夜、光るもの」。

 

冒頭の謎めいた電話によっていきなり物語の核心部分へ導かれる。要領を得ない夜の埋立地の顛末。そして妻への疑惑。妙な言動、それが変に色っぽく、半ば倦怠期のようだった主人公の情欲をそそる。男の存在を意識した途端、これまで「家族」だった妻が新鮮に、生々しい「女」として見えてくるというのがいい。この小説は序盤が見事。かたや「夜、光るもの」のファンタジックな謎、かたや妻への疑惑。どちらもその真相が知りたくてページを繰る。

 

おとなしい常識人だった主人公が妻の不貞に怒り狂い、我を忘れて間男をぶちのめす中盤のシーンが特に印象に残る。これまで付けていた公務員としての、あるいはよき夫または父親としての世間向けの仮面を投げ捨てて、原始的な感情・欲求が突き上げてくるがままに「普通の中年男」が突如激しい暴力を振るうのは恐ろしい。つまりキレたのだ。殴るのに慣れていないから加減がわからない。だから一旦やりはじめたらとことんやってしまう。我に返って自身の行為を後悔するが、間男を打ち倒し、事のあとで妻を抱けば、後悔など消え男としての自信が戻ってくるのを感じてもいる。このへんの機微が恐ろしくも面白い。

 やっぱりなあ、と洋介は思った。あやうく声になりそうだった。ほっとしたのか高揚するような気持ちが湧いていた。やっぱり行動は強いよなあ、と居間のテレビのリモコンを探した。人間、口だけじゃあ駄目ってことだよなあ、肉体使わなきゃいけませんよ。

しかしこの小説がわかるか、タイトルの意味がわかるか、というと、読み終えてもよくわからない。「見えないのに本当はいる」とは何のことか。何かの比喩なのか? わからん。

 

謎めいた導入とエロい展開の序盤は楽しい。しかし暴力を振るって以後はちょっと勢いが落ちたような気がする。クライマックスは闇の中から主人公を囲み、見つめる何百人もの人々の出現シーンか。怖さはある。確かにある。けれど中盤以降は道具立てがあまりにファンタジックになり過ぎて真面目に読むにはちょっとなあ、というところがあった。義父の戦争体験が唐突に始まるのには驚いた。戦場における極限の体験がこんな勤め人の日常を舞台にした小説に挿入されるとは…。奥付を見ると週間朝日に連載されたのは1994年から。四半世紀前はまだ戦争体験のある人たちが大勢いただろうから、これもまた日常であったのかもしれない。