『車谷長吉の人生相談 人生の救い』を読んだ

 

著者の本を読むのは久しぶり。一時期好きで結構読んだ。一番よかったのは『赤目四十八瀧心中未遂』で間違いない。短篇の「漂流物」もえぐくてよかった記憶がある。この人の小説は大体どれも似たようなことが書いてあるのだが文章がいいから飽きずに読める。

 

本書は朝日新聞に連載されていた人生相談をまとめたもの。10代から70代までと質問者の年齢は幅広い。赤の他人、匿名の誰かの個人的な悩みとその回答を読む意味って何だろう。教え子に恋をしたとか夫が不倫したとか父親が女性の下着を集めているとか、そんな話を読んでも身につまされるものはない。せいぜい色々な人生があるものだなあと人生の多様さに思いを馳せるくらい。万引きがやめられないなんて悩みは新聞に投書して作家に相談するより心療内科に行った方がいいのではないかと思うが。

 

こちらの素性を知らぬ他者に相談なんてしたところで最大公約数的な回答しか返ってはこない、各々が自分一人だけの生を生きている以上、自分の人生の問題は自分で解決するしかない、そんなことが書いてあったのは福永武彦の『愛の試み』だったか。自分も同感で、だから自分が迷ったり悩んだりしても新聞に投書は言うまでもなく、誰か他人に相談する、あるいはネット上に匿名で悩みを投稿するということ自体したことがない。投稿者の心理としては、回答を得たいというより吐露して楽になりたいという部分が大きいのかな。

 

生きる上での悩みは仕事、人間関係(家族関係)、恋愛(性)、健康、金銭、将来に対する展望、だいたいこれらに大別できそう。本書の醍醐味は著者の回答にある。見知らぬ人の相談に乗り、自身の経験を活かして解決方法を模索したり、説得したり、勧めたりする中に、著者自身の人生が透けて見えてくる。そこに面白さがある。

 

回答のパターンは大体決まっている。生きるとは苦しみの連続だから我慢を学ばなければいけない、見栄や世間体など忘れて本音をぶちまければ楽になれる、小賢しいことを考えず阿呆になってみろ、他人と自分を比較するな、人間の本質は孤独である、自分のことを忘れて他人のために善をなせ、金持ちより貧乏の方が気楽だ、等。一部は仏教的といったらいいのか、原始仏教において釈尊が説いていたこととダブる。著者は仏教徒だという。心を落ち着かせるのに写経や山歩きを勧めている。

 

最初の回答が一番印象に残った。著者の思想のエッセンスはすでにここに凝縮しているように思う。

世には運・不運があります。それは人間世界が始まった時からのことです。不運な人は、不運なりに生きていけばよいのです。私はそう覚悟して、不運を生きてきました。私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。嘆くというのは、虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。この世の苦しみを知ったところから真の人生は始まるのです。

 

真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人です。己れの不運を知った人だけが、美しく生きています。私は己れの幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。そういう人を羨ましいと思ったことは一度もありません。己れの不運を知ることは、ありがたいことです。

心の持ちようで如何ともなる問題なら大体著者のスタンスでなんとかなりそうな気がする。福田恆存の『私の幸福論』の基調と相通じるものがある。自分が回答者だったら、病気や金銭の問題は別として、メンタルが絡む問題ならばとりあえず栄養とってよく寝ることを勧める。体験上、よく寝れば元気が出て大抵の問題ならその日一日は乗り切れる。辛いときはとにかく目の前の一日を乗り切ることだけに集中する、先々のことまであれこれ考えるからメンタルが落ちる、そう考えて自分は問題を乗り切るというよりやり過ごしてなんとか今日まで生き延びてきた。そんなやり過ごしの結果としての中年こどおじという現状である。