ハイジ・J・ラーソン『ワクチンの噂 どう広まり、なぜいつまでも消えないのか』を読んだ

 

新型コロナウイルスの対抗手段としてワクチンが開発され接種されている。しかし接種を拒否する人たちも世界中に数多くいる。著者はユニセフやWHOのワクチン関連部門で要職を務めた経歴を持つ人類学者で現在はロンドン大学の教授。なので本書はワクチンが伝染病に対して有効であることを前提に書かれている。ワクチンが有効であるのになぜ接種を拒否する人々がこんなにも多いのか、その理由は何か、という疑問に対する分析・考察。立場は推進派だが公平な視点で書かれていると自分は感じた。

 

科学は人類の叡智の結晶、進歩の証明。それなのにワクチンの効果を信じてもらえないのはなぜか。エビデンスの欠如? 説明不足? いや信頼の欠如が第一にある、と著者は述べる。感染症が流行の兆しを見せ始めているのに「市民がパニックに陥らないよう」との配慮で事実を隠蔽した政府があった。事実を知りたいという市民の声を無視したり、専門家が疑問に答えずただ上から権威的に、黙ってワクチンを接種すればいいと言わんばかりの対応をとるケースもあった。ワクチン接種を進める行政や専門家のこうした態度が市民の不信を招いたり、我が子の健康を心配する親たちに無力感や反感を抱かせたりする。

ワクチンを受け入れるかどうかは、ワクチンを開発する科学者、製造する業界、配布する医療専門家、そして規制する諸機関との信頼関係にかかっている。この信頼の鎖こそ、ワクチンを受け入れる上でどんな情報よりもはるかに重要な要素なのだ。厚い信頼がなければ、科学的に立証され、十分に周知された情報だとしても、信用されないおそれがある。

 ワクチンに疑念を抱き、接種に反対する活動の原動力には、尊厳を奪われたという思いや不信感もある。(略)予防接種キャンペーンやワクチン試験への抵抗運動は、計画段階で意見を聞かれることさえなかった、情報の透明性が欠如している、参加の申し出を無視されたなどの思いから生じたものだ。言い分を聞いてもらえず侮られているという憤りが、反対の声の高まりを加速させた。

 わが子に害があるのではとの不安からワクチンについて質問し、相手から「無知」呼ばわりされた親は自尊心が傷つけられる。しかし、自身の尊厳が危機にさらされていると感じるのは親たちだけではなく、医療関係者もまた、かつては全幅の信頼がおかれていた自分たちの権威が損なわれ、脅威にさらされていると感じている。

 ある神経学者は、辛辣な言葉や中傷をいたるところで目にする現実を指摘するとともに、次のように医学雑誌に書いている、「かつて医療専門家は、その無条件の権威を盾に患者や研究対象の権利を踏みにじることができたものだが、いまやオンラインサイトで医師が(レストランと同じように)ランクづけされるありさまだ」。共感の欠如、耳を傾けて欲しいという渇望が、多様なアイデア代替医療がもてはやされる土壌と噂の温床を作った。

 

わが子の健康が心配のあまり母親がワクチンについての不安や質問を医師にしてもまともに取り合ってもらえない。考えを否定された、「締め出されている」と感じた母親はそれまではワクチンに懐疑的ではなかったのに、そういう経験をしたことで接種にはリスクや真実が隠されているのではないかと疑念を抱くようになる──これはワクチンに消極的な母親たちに見られる共通点だという。スマホが生活費需品となった現在、疑念を抱けば即座に手元で検索できる。すると似たような経験をした人たちがSNSで発信している。そしてそこにはワクチンの信憑性を疑うような噂が書かれている。たとえばMMRおたふく風邪、麻疹、風疹)ワクチンを接種すると自閉症を発症する、というふうに(著者によるとMMRワクチンと自閉症の発症は無関係で、「自閉症の兆候が初めてあらわれるタイミングが、通常MMRワクチンを接種する時期と一致することが多いため、その兆候の原因がワクチンだという認知が高まることになる」)。新しいデジタル技術は情報やデマの拡散するスピードを増し範囲を拡大しただけでなく、遠く離れた場所にいる同じ思想の人同士が組織を作ることも容易にした。ワクチン反対派の声が大きくなればなるほどより目につくようになり、参加する人も増えていく。噂が拡大していく過程はまさに伝染病が拡大していくときのそれとそっくりである。

 世界各地で行われた予防接種キャンペーンやワクチン試験は、何度も行き詰まったり、中断されたりしてきた。個人や集団が、自分に意見を聞かれたことも、自分の意見が尊重されたこともないと感じたからである。多くの人々は、(略)カヤの外に置かれることを不快に感じ、破傷風やポリオワクチンのキャンペーン主導者の動機を怪しんでいた。それは尊厳、敬意の問題であり、発言と対話への切望だった。彼らは自分たちの不安を聴き、自分たちのことを、予防接種キャンペーンに貢献する見識を備えた信頼できるコミュニティのリーダーとして敬意を払ってくれる「耳」を求めていた。

 

自分が物や数字としてしか認識されないことへの反発が反ワクチンの根底にある。人間の意思決定や行動の原動力となるのは、欲望、理性、尊厳であり、これらはどれもワクチンに関する決定に影響を及ぼす。

ワクチンに関する決定は、もはや信頼のおける専門家の意見を盲目的に受け入れるのではなく、(略)自己決定を望む感情が原動力となるプロセスである。

 

自分が一人の人間として尊重されていると感じられる尊厳はその人の生を支える土台である。しかしワクチン接種という大規模なキャンペーンにおいてはしばしば個人の感情や信念は閑却される。「個」より「群れ」の利益が優先されるからだ。科学者は論理で市民を従わせればいいと思うかもしれない。しかし、市民の恐怖心や不安を無知ゆえと決めつけ、専門家の上から目線で「合理的」に論破したところで感情が問題なのだから解決しない。むしろさらに市民の反感を買い事態をこじらせるだけだ。

親の恐怖や不安に対しては、意見ではなく共感が必要なのだ。

対話が必要なのだ。ワクチンでなくても、たとえばちょっと具合が悪くてクリニックに行ったとする。待合室は混雑していて一時間待ちだと受付で言われる。しかし実際には一時間を過ぎても呼ばれない。ようやく呼ばれて診察室に入れば、医師はろくにこちらの顔を見ようともせずパソコンと睨めっこ、こちらの話は途中で遮られて診断され、傍の看護師から追い立てられるようにして診察室を後にする。その間3分もない。あれだけ待たされてこれかよ、と不快感と不信感が募る。そういう経験はないだろうか。自分は約二年間月に二回整形外科に通院していたが毎度こんなで(予約しているので診察を待つことはなかったが会計で30分待たされたり、クリニックへの往復に車で40分かかったり、しかし診察は1分かそこら)馬鹿馬鹿しいと感じていた。物じゃねえんだぞ、とも。症状を見て人間を見てないというか。医師にしてみればそんな余裕はないのだろうし、診察をさっさと終わらせて次の患者に行けるから多くの人を助けられるという側面もあるのだろうが、今苦痛を感じている人間の心情としてはいい気はしない。

 

というわけでワクチン推進派の著者による本書の結論。ワクチンは有効である。しかしそれに反対する人たちにも彼らにとって合理的な理由がある。尊厳や感情の大切さ。だから対立ではなく対話を志向しよう。大規模な接種キャンペーンであればあるほど対話は重要になる。むろん個人には思想信条の自由がある。彼らの意思を否定せず尊重しながら根気強く対話をしていかねばならない。どれだけ対話をしても噂は決してなくなることはない。いつまでも何度でも続けていくしかない。

 

以下は訳者の言葉。

 ワクチンは打たれる側にとってはわけのわからない液体である。自分の体に入ってゆく液体がただの生理食塩水か、劇薬か、それとも未来の自分と他者を守る液体かを確かめるすべはない。自分がある病気に罹らなかったのはワクチンのせいなのか、単に運がよかったからなのかを確かめるすべもない。そのような不確かな状況においてもなお、その液体を体内に入れることを決断させるのは、注射器の中の液体が自分にとっても他人にとっても意味があるという暗黙のあるいは意識的な確信である。その確信は、ワクチンを接種する医師、配布する行政、それを作り出す企業、そして社会全体へと続く期待と信頼によって生み出され、支えられる。だからこそ、そのどこかに亀裂が入れば期待と信頼は一瞬にして不信となりワクチンという液体に逆流し、それはそのままワクチンに関わる人々、組織、そして社会全体への疑念となって注射器の外に流れ出す。

 「ワクチンに意味をもたせる」とは人間とそれが生み出す社会への信頼を取り戻す作業に他ならない。

信頼は金で買えない。信頼は得るのに時間がかかる、しかし失うときは一瞬。そして一度失えば二度と元のようには戻せない。信頼超大事。

 

このエントリでは書ききれなかったが、ワクチンをめぐる分断(たとえばワクチンを打たない親の子供と、その子供たちのせいで我が子がリスクを負わされていると感じている親の対立)や、ワクチン問題に便乗して政治的な過激派が混乱を作り出そうとしたりホメオパシーや自然療法を主張するグループが支持者を集めようとしている話や、市民感情を優先してワクチン接種キャンペーンを中断したところ信頼を失くしてしまい再開後は何年にもわたって接種率が低迷した話や、ポピュリズムと反ワクチン派の相関といった話題も興味深かった。

 

 

「噂」関連として。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

自分はワクチンを打つメリットとデメリットを秤にかけて打つ選択をした消極的容認派。

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