映画『ストレイ 犬が見た世界』を見た

トルコのイスタンブールでは犬の捕獲および殺処分が法律で禁止されている。そのため街中に野良犬が溢れて10万匹が人間と共存している。残飯漁りや一部の人たちの餌やりによって命を繋いで。大型犬が車道だろうと線路だろうとお構いなしに歩き回る姿はユーモラスだが、胸や脚が筋肉質で、自分は犬好きだけれどそれでもちょっと怖く感じて接近するのに勇気が要りそうに思った。野良犬たちと共に生活をするのはシリアからの難民の若者たち。彼らは路上や取り壊しを待つ廃屋で暮らし、シンナーを常用し、路上で人々から恵みを乞う。自分たちの生活すらままならないのに自分たちだけの(野良ではない)犬を欲しがるのはやっぱり犬が特別な動物だからなのか。住む場所のない、というか街全体がすみかである野良犬たちの生態を追うことが、同じように住居をもたない難民の若者たちの生活と二重写しになる。けれどこの映画に社会的な訴えはない。犬と難民の生活がただ並置されるだけ。犬と人間、二つの生を絡めて監督独自の世界観なり問題提起なりがないため単調で、長い映画ではないにも関わらず途中で退屈になった。ほぼ全編、犬の目線を意識したような低い位置で撮影されているのは趣向として面白いけれど、それが映画として効果的だったかというと、どうだろう。

 

犬と人間の共存を綺麗事としてでなくリアリティをもって描いているのはよかった。女性によるデモ? の最中の交尾に高齢女性がキレたり、公園で糞をしている姿に「サイアク」と言われたり、どちらも犬にとっては生理、しかし人間は眉を顰める。ヒトとイヌの異文化交流。野良犬たちは政府だか自治体だかによってICタグで管理されているふうな描写があったが、イスタンブールでは狂犬病や糞尿など公衆衛生の問題をどうしているのだろう(撮影されたのはコロナ禍以前の2017年から2019年にかけて)。人間が噛まれたり、あるいは虐待したり、そういう問題は発生していないのだろうか。それらに関する説明がなかったのは残念。発情や排便シーンはあるのに犬の死体が一度も出てこなかったのも不自然だった。平気で車道を渡ろうとするから車に轢かれて死ぬ犬も相当数いると思うのだが。途中途中で古代ギリシアの哲人の名言が挿入されるが、そんなもったいぶった高尚な名言なんかより現地の法整備や課題、住民の意見などを紹介してほしかった。世界でも稀なことをしている国なのだから。ちょっと調べたらイスタンブールには猫もたくさんいるらしく、『猫が教えてくれたこと』という映画もある。イスタンブール、面白い都市だな。

 

 

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2012年の冬に10歳で死んだ我が家のボーダーコリー。これは死ぬ4ヶ月前の写真でガラケーで撮った。ボーダーコリーは人間の2歳児並みの知能があるといわれ、そのとおりとても賢かった。当時自分は無職で、彼女を散歩に連れていくのが引きこもりにならず社会とつながる大事な日課になっていた。11月に今の会社に就職が決まったが、勤めはじめてまもなく膵臓の病気で死んでしまった。犬との暮らしは最高だが、最高なだけに別れが辛すぎる。自分の体の一部をもぎ取られたような猛烈な痛みと喪失感に襲われた。もっと遊んでおけばよかった。もっと触っておけばよかった。もっと写真を撮っておけばよかった。10年が経った今でも年に何度か夢に見る。