3日間寝込み、病み上がると10年飼っていた金魚が死んでいた

3回目接種の翌々日、副反応と思しき微熱はすでに下がり平熱、体調もいつもどおり。なので余裕こいて焼肉ランチに行き昼から生中。生中を飲んだときは別段異常はなかったが、帰宅してレモンサワーを飲んだら途端に気分が悪くなりベッドへ倒れ込む。若干の頭痛と胸のむかつき。その晩から三日間寝込んだ。発熱はない。頭痛と胸のむかむか。吐き気。これが副反応と関係があったのかはわからないが、頭痛持ちの自分の普段の頭痛…左目の奥の方が痛くなって、光が眩しくて目を開けていられず、頭の中では100人の中学生がバスケットボールの試合をしているよう…というのではなく、両のこめかみから頭頂部にかけてギリギリ締め上げるような痛みだった。普段なら寝込んでいても水を飲むくらいできるのだが今回は水が喉を通るのを想像しただけで不快で、脱水気味だろうなあと朦朧と意識しつつほとんど水を飲まなかった。気絶するように何時間も眠り続けたのはいつもと一緒。GW前だというのに力尽き会社を連休してしまった。

 

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で、ようやく動けるようになって今日出勤。無理せず適当にのらりくらりと仕事。定時まで頑張りコンビニで今日の晩飯と明日の朝飯を買って帰宅。玄関を入ってすぐのところにある水槽をふと覗くと中の金魚(琉金)が沈んでそっぽを向いている。おや? と思い、水槽を軽く指で叩くが反応がない。ちょっと強く叩いても同じ。なのでちょっとだけ水槽を傾けるが動かない。これは…。「金ちゃん、死んじゃってるじゃん」とリビングにいた両親に声をかける。父親がこっちへ来て「死んでたら浮いてくるだろ」と言いながら水槽を揺らす。「なんだ生きてるよ」と言うがただ水の流れに揺れたようにしか自分には見えず、「ヒレが動いてない。死んでるよ」。「今朝エサあげたけど…」と父。エサは食べられずに底に溜まっていた。ということは今朝にはもう死んでいたのか、それとも食べる力はなかったもののまだ朝は生きていたのか、それとも。というくらいに見ているようで見ていなかった。今やわが家の唯一のペットだったのだが。冷淡なものだ。母は何が可笑しいのか「死んじゃった」と言って笑っていた。

 

母が脳梗塞で倒れたのは2011年7月。診察やリハビリ等で近所の総合病院に入院していたときに、病室の孤独を紛らせたらと買ったのがこの金魚だった。他にも何匹かいたらしいが、認知症の気がある母が餌をやりすぎたりやらなさすぎたりしたせいですぐに死んでしまい、生き残った最後の一匹だった。水槽の中に1匹だったのがストレスなくてよかったのか、調べたら金魚は3年程度で死んでしまうのが多いなか11年近く生きたのだからこれはもう大往生だと言っていいだろう。ここ1年くらいは全体的に赤みがなくなり白っぽくなっていた。尾鰭も大きく伸びてこのまま鯉になるんじゃないかとさえ思えた。

 

10年いたのに1枚の写真も撮っていないのは妙な気がする。冷淡、そうかもしれない。が、『セブン』の寝たきり男じゃないが、へんにセンサーをあててショック死でもしたらイヤだなあという思いもあった。言い訳か。金魚は生きて動き回っているけれども、命の重みというのか、それが犬と比較するとやはり違う。軽い。それでも飼っていた生き物が死んだという事実は気持ちを暗くする。いやなものだ。またいつか犬と暮らしてえとよく思うけれども、その喪失、必ず来る喪失に耐えられないと分かっているから、結局思うきりになる。そして彼らはすぐ死んでしまう。哺乳類は嫌、鳥も嫌だし(昔買っていたが)、金魚だって死ねばやっぱり嫌なもので、だから俺みたいな気弱な人間は植物か、それも枯れたのを捨てるのが嫌だとなればあとは石を飾って眺めるくらいがちょうどいいのかもしれない(昆虫はムリなので)。やっぱり1枚くらいは写真に撮っておくべきだったな。俺はあの金魚に対して、その命に対して冷淡だった。

空になった水槽 4/30撮影