『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』を読み自分の無職時代との落差に唖然とする

 

仕事を辞め無職となった著者が、2000日以上に及ぶ自由時間をどう過ごしたかについての記録。解放感を感じるのは最初の二週間くらいまで、一日に1タスク実行で力尽きるようになる、定期収入がなくなったことの不安、就職活動するにも書類審査で落とされる、やっと面接にたどり着いたら圧迫面接、採用されたがブラック労働環境だったので一日で辞めた、日雇い労働やってみた、アルバイトの募集に応募した、アパートを追い出されたら路上で生活するしかない、そしてそれは現実になりつつある…というような、食い扶持を失った人間が一気に転落する様子を述べた本と思って読み始めたのだが…全然違う内容だった。著者はそんな俗っぽい人間じゃない。仕事を辞めて収入がなくなったので家賃がネックになるからと五歳年長の女性の住まいに転がり込む。一畳半の物置を部屋として与えられたというけれど、この時点でがっかり。この女性とどういう関係なのかは書かれていないが一緒に住むのを了承してくれる時点で気を許した関係だろうし、実質同棲じゃん、と。一畳半の部屋と言ったって女性が仕事に出ている日中は他の部屋を自由に使えるわけだし。無職が長引くと家賃を半分払うよう女性に求められるが、水道光熱費は彼女持ち。で、著者はネット大喜利とかいうので月に八万円から十万円をあっさり稼いで家賃を払い、元々物欲も食欲もないからと金銭に関して拘泥する姿勢を見せない。金銭にまつわるドロドロした記述は本書中に一切ない。無職になって何が一番の悩みかといえば金の問題だと思うのだが言及がほぼないから物足りない。早朝、飲み屋街の自販機周辺を漁ったとか(最近はキャッシュレスだから小銭は落ちていないだろうが)、自己否定が高じて希死念慮に駆られたとか、そういう内容だとばかり思って読み始めたのに。

 

で、代わりに何について書かれているかといえばひたすら内面への沈潜による自己の探求。ただしスピリチュアルな胡散臭い内容ではない。哲学的なもの。「自分が自分であるとはどういうことか」みたいな高級な問題を日常の出来事から掘り下げていく。自分の過去の記憶をひたすらエクセルに入力してデータベース化していくくだりはちょっと異常で面白かった。いい警句もたびたび出てくる。たとえば、

 ただ、なんとなく思いはじめたのは、一冊の本を読んだだけで「新しい自分」になってしまうことはないし、仮にそんなことが起きればむしろ危険なんじゃないかということだ。自己啓発書を読んでいた頃、自分が期待していたのはまさにそういう体験だったのだが、二時間ほどで一冊の本を読んで、それまでとはまったく別の自分になってしまうとすれば、それは洗脳と呼ばれるようなものだろう。変わらないためにこそ「自分」はあるんじゃないのか。

 

 人は汗だくで苦悩できるのか。反復横とびしながら悩んでいられるのか。シャトルランのあとで悩みを維持できるのか。運動不足や不摂生の産物を、観念的な悩みと取り違えているのではないか。

 

 いきなり自己評価と言ってしまうと、自己があることは大前提となり、「高い/低い」が問題になってしまうのだが、まずは自己というものを濃度で見たほうがいいのではないか。

 濃度という点では、自己評価の高い人間も低い人間も、それほど変わらない。それは「自己濃度の高い人」とまとめてしまえば分かりやすいのではないか。そして自己が安定している人は、自己評価が高いというよりは、自己の濃度がほどほどの状態で、それほど自分のことを考えていない。それを周囲の人間が、「あの人は自己評価が高い」と勘違いしているのではないか。

 

引用箇所はどれも慧眼だと思う。でも、これ無職関係なくない? 考える時間、書く時間があったからこそなのかもしれないけれど、うーん、どうもこの本のタイトルが誤解を招くタイトルなんだと思う。『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』、「人」とあれば一般的に敷衍できるような内容が書かれていると期待する。しかし、この著者のように意志が強く、禁欲的で、実験精神に富んで、高度な思考とそれを文章化できる能力がある「人」は極々一部の少数ではないだろうか。巻末の著者紹介を読んで愕然とした。「京都大学工学部卒」。これほどの人を「人は」と一般化できる対象の人物とは見做せない。「2000連休を与えられたら」というのも妙だ。無職になったとき、人は「この無職期間(連休)を何日で終わらせよう」と目処が立っていないのが普通だから。終わりの見えないトンネルのような時間。だから不安になる。「与えられる」という表現も誰かに貰ったわけじゃないんだから、とひっかかる。どうもこの本は内容とタイトルが合っていない。

 

京大卒で、無職になっても住まわせてくれる女性がいて(彼女は基本著者に干渉しない)、おまけに猫もいる生活。必要な分の金銭はネットで稼ぐ。って、もちろん書かれていない現実はあったのだろうが、少なくとも本書を読んだ限りではめちゃくちゃ優雅。高等遊民ですよ。無職にヒエラルキーがあるとすれば著者はその頂点に位置する人だと思う。自分の無職時代とは雲泥の差。自分は当時金と将来の生活に対する不安に押し潰され抽象的な思考なんてする余裕はなかった。就活で落とされまくると自尊感情は低下の一途をたどった。

 

無職およびひきこもり経験者として、あるあると本書に同意できたのは300連休あたりの記述まで。以降は著者の特異性が発揮されてきて、こういう人もいるのかという多少の意外性・驚きはあったものの、すでに四十半ばになろうという自分は、自己とか、自己と社会とか、そういう高級な問題に興味が持てなかった。だから本書の中盤以降は飛ばし読みになった。最後は同居させてくれた女性と結婚するのかと思いきや、ネットで執筆活動するようになったからと家を出て行ってしまい、その後女性は家を建てたというのだから、著者よりもこの女性がどういう素性の人なのか気になる。自分が男だから好奇心を抱く部分もあるだろうが。同じ無職のはずなのにちょっと自分の経験と落差がありすぎる内容だった。「同じ無職」ではない、ということか。

 

 

 

自分は二十代と三十代で二回長期の無職を経験している。でももう昔過ぎて当時のことをだんだん思い出せなくなってきている。「エア被災」などと揶揄する向きもあるようだが、2011年の震災は確実に自分の人生…というと大袈裟だが価値観を変えた。「震災以前・以後」みたいな。実際会社を辞めてるし。今は一応大企業といえる規模の会社でブルーワーカーをやっている。経歴を考えればかなり恵まれた境遇にいると思う。努力した結果として今があるわけではない。ただ運がよかっただけ。

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