映画『神々の山嶺』と『モガディシュ 脱出までの14日間』感想

神々の山嶺

日曜夕方の回で15人くらい。偶然かもしれないが半数以上が女性客だった。この映画、フランス製作ということは知っていたが内容は全然知らずに見に行った。期待していなかったのだが案に相違してとても素晴らしく、感動。主人公の羽生は山に取り憑かれたような人物。思いが強すぎるがために周囲から孤立してしまう。巨大な山の偉容に対して人間のなんと小さいこと。中盤の滑落シーンは見応えあった。絶壁から滑落して宙ぶらりんになってしまえばもう助かる見込みはない。羽生は口では、パートナーが助かる見込みがなければ躊躇なくザイルを切る、それならば一人は助かるからだ、と豪語していたのに、いざ実際にそうなればなんとかしてパートナーを助けようとする、その熱さがよかった。終盤にも、やはり羽生は危険を冒して写真家を助けることになる。山の怖さ、自然の怖さを存分に味わえるが、そもそも、彼らが挑戦するような山々は人間が好んで行くべき場所じゃないというか、金もらったって行くのは嫌だ、という人が大半だろうと思われる場所で、そこへ進んで行くのだから命知らずというほかない。人間の体は無酸素で標高8000メートルまで行けるようには出来ていない。それなのに登山家たちは行く。自殺行為とさえ思える。エベレストは一年かけて準備しても当日の天気が荒れてしまえば断念して帰国せざるをえなかったり、登頂間近でも引き返さなければならない場合がある。そういう、人間には絶対に御せない圧倒的存在としての自然がこの映画ではよく表現されていて、「神々」というタイトルの意味も決して大仰ではない。自分は終盤のエベレスト南西壁行よりも、中盤の鬼スラやグランドジョラスでの滑落シーンが印象に残った。フランス製作のアニメだが、日本の、おそらく舞台は90年代だろうか、町並みとか、看板の文字だとか、アパートの内装とか、見ていてオリエンタリズムを感じることなく、違和感なく見られた。絵もストーリーもとてもよかったのだが、物語の導入であるマロリーのエベレスト初登頂の問題が曖昧なまま終わってしまったのだけは肩透かしで少し残念。

 

モガディシュ 脱出までの14日間』

祝日昼過ぎの回で15人くらい。90年代、国連加盟をめぐってアフリカでロビー活動を行っていた韓国と北朝鮮の外交官たちがソマリア内戦に巻き込まれる話。実話ベースらしい。序盤、韓国映画っぽい(と自分が勝手に思っている)ユーモアがふんだんにあり。でも会話ばっかりでちょっとだるかった。内戦が起きて緊迫感が増して以降が楽しくなる。大使館を反乱軍に襲撃された北朝鮮の外交官グループが、敵国である韓国大使館に助けを求める。何年か前に見た『工作』もそうだったが、国家間の対立を超えて人間同士の連帯を優先するあたり(スムーズにはいかないし、政治的に利用しようという意図もあったのだが)熱くてよかった。見どころは終盤の手製装甲車4台が内戦中の町を疾走するシーン。礼拝が終わった途端に銃を手に立ち上がる反乱軍の兵士たちとか、白旗を掲げるつもりが銃と誤認されて銃撃されるとか、エンタメとして見せる部分がうまくて感心した。町山さんが終盤のシーンを『マッドマックス』に喩えていたがたしかにぽかった。カーチェイスのシーンってなんであんなに興奮するんだろう。エンタメしつつ、ソマリアでは小学校低学年くらいの子供たちが機関銃を玩具代わりに撃ちまくっていたり(暴力を娯楽として楽しんでいる)、脱出後、南北の政府関係者が空港に迎えに来ているから別れは機内で済ませないといけなかったり(互いが交流しているのを見られてはいけないから)、なんだかなあ、という気持ちになるところもあり。政治的な話をエンタメとして見せるのが韓国映画はうまいなあ、と思っているのだが、上澄みだけが日本に輸入されているからだろうか。