映画『女神の継承』を見た

上映館が少ない。当初はグランドシネマサンシャイン池袋で見るつもりでいた。が、先週あたりから都内の(都内ばかりじゃなく全国規模でだが)新型コロナ感染者数が激増しているなか、見にいく予定の日曜日は午後からの上映しかなく、館内が混雑するのが予想されたため感染リスクを考慮して池袋はよした。職場でもぼちぼち感染者が出始め身近に迫ってきた怖さがある。あれこれ考えた末、わざわざ関越に乗って埼玉県は上里のユナイテッド・シネマへ。朝8:30からの上映があったのと、郊外のシネコンでかかるホラーは初週でも席に余裕があるのでここを選択。ETCの休日割引や期間限定楽天ポイントを利用してチケットを賄え金銭的に安くついたし、運転するのだるかったが早めの時間帯だったから関越をスムーズに走れて楽しかったし、案の定(映画館的にはいいことではないが)広いシアターに観客は10人程度だったので選択としては間違いではなかったと思う。

 

で、感想。POV形式のモキュメンタリー。撮影はタイ北東部の村のまじないを取材するクルーによるもの、という設定。村の守護神である女神の巫女であるニムという女性に取材するうちに、彼女の姪に異変が起き、それは女神の巫女を継承する予兆だと見られたものの、実際には悪霊が姪に取り憑き、彼女の周囲に死と恐怖を撒き散らしていく…という筋。宗教よりも古いとされる土着信仰を用いているものの、ストーリーは『エクソシスト』や『来る』のような王道的な除霊もの。ただこの映画の悪霊は滅法強く、対する人間側はあまりに弱いので勝負にならず、やられる一方。悪霊と人間の戦いを見るというより、悪霊の圧倒的な強さを見せつけられる展開が続くので途中で少し飽きてしまった。取り憑かれた姪の奇行も『エクソシスト』のリーガンのそれと似ていて目新しさはなく、今更これを見せられてもなあ…と。悪霊に取り憑かれた人間は四つん這いになって人間を襲って喰うようになるのだが、これではまるでゾンビじゃないか。この映画の特筆すべき点を挙げるとすればナイトヴィジョンの使い方だろうか。予告動画の最後でも見られるが、この映画の恐怖シーンの大半はナイトヴィジョンで撮影されている。とくに除霊数日前から、深夜の姪の奇行を隠し撮りするシーンは気味悪くて素晴らしかった(隠しカメラに気がついてアップになるお約束ももちろんあり)。しかし一方で、人間に危害を加えかねない危険な状態の彼女を家の中で自由にさせておく周囲の判断がわからなかったし(常識的には体を縛るか、部屋に鍵を掛けるかするだろう)、小さい赤ん坊が同じ屋根の下にいる暢気さも馬鹿げていた。この状況なら兄嫁は赤ん坊を連れて一時的に実家に避難するとか親戚の家に身を寄せるとかするのでは? で、赤ん坊が姪に攫われてから、あの子がいない! とか騒ぎ始めるから、なんやこいつら、と白けた。マジで馬鹿かと。しかもこの兄嫁、こんな目に遭ってるのにその後も赤ん坊とともに家に残り続ける。そのせいで二人とも死ぬ羽目になるのだが、まあ、しゃーない。馬鹿は死ぬのがホラー映画だから…。自分が一番怖かったのは、部屋から出てきた姪からカメラマンが逃げて真っ暗な中で悲鳴だけが聞こえるシーン。あそこは怖かった。てっきりクローゼットの中にでも隠れていて、それに気づいた姪がバーン、と扉を開けるんじゃないかと身構えて見ていたが、そうではなかったので心臓にはよかった。ビビリだからジャンプスケアはマジ無理。

 

尺が少し長い。死んだ兄にまつわるミスリードのシーンとかは不要だったと思う。姪が職場で男とやってるシーンも展開上とくに意味なく、彼女は映画の大半でミニスカートやショートパンツを履いて脚を出しているのだが何かお色気的な意図が監督にあったのだろうか。もう少し人間サイドが強ければよかったのに、悪霊にやられっぱなしだから霊能バトルにならずつまらん。除霊の儀式は、布を被せた対象者に悪霊を招き入れて壺に封じるという流れは面白かったものの、肝心の姪をストーリーの都合上映せないので、迫力の点で『哭声』の儀式のシーンには及んでいなかった。あと撮影クルーは全滅しているはずなのでこの映像がどうやって発見され、編集されたかについて冒頭で説明した方が映画としてスマートだと思った。初代『ブレア・ウィッチ』のように事件後に廃墟で発見された、みたいな。この映画、かなり期待してハードルを上げていただけにそこまでではなかったな…というのが正直なところ。最近のアジアのホラー映画という括りではNetflixの『呪詛』の方が自分の好み。

 

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以下余談。

悪魔や悪霊に憑依される話は世に星の数ほどあるだろうけれども、いつも思うのが、それは悪魔や悪霊を信じていたり、知っていたりするがために起きるのであって、だから原始人はそんな現象に悩まされはしなかっただろうし、この世から人類が消えてしまえば、同時に悪魔も悪霊も神も仏も全部消えてしまうのだろうなということ。人類やあらゆる哺乳類の視覚が赤を認識できなくなってしまえば、赤という色自体・概念自体が世界から消滅してしまうように。「人類が滅びたあとでも夕日は赤いか」、だっけ? 信じている、知っている、認識しているから魔に取り憑かれる。全然映画とは関係ない話だけれどちょっと書き残しておきたかった。