デジタル・ミニマリスト宣言

 

 

依存症とは、

有害な結果が生じるにもかかわらず、その報酬効果が強迫的誘因となって特定の物質の使用や行為を繰り返す状態

を指す。かつてはアルコールや麻薬など人の脳に作用する精神活性化合物を含む物質のみが依存症を引き起こすと考えられていたが、現在では物質の摂取を伴わないギャンブルやインターネットも依存症(行為依存)として認められている。テック企業にとってはユーザーが頻繁に自社サービスへアクセスすればするほど収入が増えて都合がいい。だからそうなるよう心理学や行動経済学等の知見を用いてスマホのアプリやサービスのシステムをデザインしている。その最たるものが「いいね」に代表されるフィードバック・システムだ。SNSに投稿して「いいね」がついたかどうか確認する行為は喫煙と同じくらい依存性が高い。

 

ハトは決まったパターンで餌を与えられるより予想外のタイミングで与えられた方がドーパミンの分泌量が多くなる、という実験結果がある。SNSの「いいね」などのフィードバック・システムはこれを模している。元々は友人の近況を知るための受動的なサービスだったものがやがてコミュニケーションツールに変わり、さらに不規則なフィードバック・システムが加わったことでSNSユーザーは何かを投稿するたびにギャンブルをしているに等しい状態になっている。「いいね」(あるいはハートやリツイート)をもらえるか、それとも何のフィードバックもないまま放置されるか。投稿するまで結果は予想できない。ゆえに、

依存の心理学が示すように、投稿してはチェックするという行為が狂おしいほど魅力的に思えてくる。

こういった行為を間歇強化という。ランダムな報酬と間歇強化の特性を持つネット上の行動はSNSでのフィードバックだけではない。スマホで調べものをしたつもりがあちこちのリンクをたどって記事から記事へと渡り歩いて、気づいたら30分も過ぎていた──なんて行為もランダム報酬によって引き起こされる行為だ。

おもしろそうな記事タイトル、おもしろそうなリンクをクリックするという行為もまた、たとえるなら、スロットマシンのレバーを引くのと同じなのだ。

 

間歇強化と並んで行為依存を悪化させるもう一つの要素が承認欲求だ。人間は社会的動物であり、他人からどう思われているかをまったく意識せずに生きることはできない。SNSでフィードバックを得るとは他者からの承認を得たということ。承認欲求は人間の本能に根ざしている。旧石器時代、同じ部族内で自身の存在が承認されるか否かは生死に直結した。だから人間の脳はそれを強く渇望するべく進化してきた。SNSはその欲求を刺激する。投稿は、するたびスロットマシンのレバーを引くようなもの、そしてそのスロットマシンは常に手元にある。

フェイスブックユーザーは、写真やウェブサイトのリンクを共有したり、ステータスをアップデートしたりするたびに、一種のギャンブルをするようになったのである。ギャンブルに負ける、すなわち自分の投稿に「いいね!」が1個もつかなければ、それは個人的に悲しい出来事というだけでなく、社会的な敗者という宣告だ。自分には友達が少ないのか、もしくはもっと悪いことに、友達が自分に感銘を受けてくれていないのか、どちらかの事実を容赦なくつきつけられたという意味になる。

 

アダム・オルター『僕らはそれに抵抗できない』

でもこの欲求は決して満たされることはない。「いいね」が多くつけば次はもっと欲しくなって投稿し、「いいね」がつかなければ次こそはと投稿することになるから。いつまでも満たされないまま欲求だけが肥大化し、行為に依存していく。

10代の若者のうち80%は、最低でも1時間に1回は携帯電話をチェックして いる。2008年の集計では、成人が携帯電話を使う時間は1日平均18分だった。2015年には、これが2時間48分になっている。そう考えると、コンピューターのモバイル化は危険な傾向だ。つねに携帯しているということは、依存症の引き金をつねに持ち運んでいるのと変わらない。

 

アダム・オルター『僕らはそれに抵抗できない』

テック企業にとってはユーザーが自社のサービスを頻繁に利用してくれればくれるほど収益が上がる。だから何百万ものユーザーで何千回とテストを重ね、どんな趣向を凝らせば彼らのツボをくすぐるか、どんな趣向を凝らせば効果的か、画面の背景色、フォント、サウンドなどを工夫してユーザーがストレスなく自社のサービスに熱中してくれるよう考え抜いている。人気のSNSやゲームを開発・提供する巨大テック企業が行なっているのは依存症ビジネスだと非難される理由がここにある。スティーブ・ジョブズは自分の子どもたちにiPadを触らせなかった。新聞の取材を受けた際には「子どもが家で触れるデジタルデバイスは制限している」と答えている。ツイッターを生み出したエヴァン・ウィリアムスも幼い息子2人に数百冊の書籍を買い揃える一方でiPadは与えていない。これはまるで売人のルールみたいな話ではないか──「自分の商品でハイになるな」という。

 

…と、スマホの依存性について述べたのち、だから触る時間を減らしてもっと人生が充実することに限りある時間を使おうぜ、というのが本書の趣旨。スマホをいじり続けてしまうのは余暇が充実していないせいで生じた空白を埋めるためである場合が多い。余暇が充実すれば触る時間は減るだろう。スロットマシンだと思えば触るのに躊躇も生まれる。とはいえ現代社会はスマホやネットの存在を前提にしつつある。災害遭遇時には生存に直結するし、行政や金融機関のサービスもネット利用で格段に利便性が増すし、LINEを利用しないのは人間関係で不便だし、今更スマホを手放せ、自然に帰れ、は不可能だ。だからサービスの要不要を見極め、アプリを削除したり制限付きで利用したりしてミニマムにスマートにスマホやネットと付き合っていくのが現実的かつ理想的だ。本書タイトルのデジタル・ミニマリズムとは、

自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学。

である。テクノロジーはあくまで人生を充実させたり利便性を向上させたりするためのツールの一つに過ぎない。デジタル・ミニマリストとはこの哲学を採用した人々。

 

デジタル・ミニマリズムの基本原則は三つ。「最小化」「最適化」「自覚化」だ。利用するサービスを最小限に抑え、テクノロジーの最適な利用方法を判断し、テクノロジーとの関わり方に常に自覚的であること。テクノロジーは利用するものであって溺れるものではない。過度の利用は厳禁。

 

「デジタル片づけ」というのが推奨されている。デジタルな断捨離みたいなもの。ステップ1でスマホやネット利用のルールを決め、ステップ2で30日間ルールに従って利用を休止、ステップ3で再導入して要不要を再検討する。たとえば、

ステップ1 フェイスブックは家族と親友の近況を知るためだけに1日10分だけ利用可とする。

ステップ2 30日間ステップ1のルールに従う。ルールで決めていないサービスは休止する。

ステップ3 ルール外のサービスの再導入。要不要か検討、不要ならサービス利用を停止する。必要であってもルールを定めて制限付きで利用する。

こんな感じ。

 

最近、コロナ禍から元総理の殺害事件を経て、SNSやそれに類するサービスに、煽ったり不快さを助長するような記事・コメントが増えてきてるのを感じて少々嫌気が差していた。悪名は無名に勝るとばかりに炎上ウェルカムな政治家・有識者()・インフルエンサー()への嫌悪。不快になるとわかっているのにリンクをクリックせずにいられない自分も病んでるなあと自覚していた。これでは精神的自傷行為だ。コンプレックスを刺激するようなYouTubeの広告(早口なのがさらにムカつく)やtogetterのエロ漫画(か、どうか知らんが、ぽい)の広告──注意経済(アテンション・エコノミー)──も目にするたびとても不愉快だった。というわけで本書に則って30日間のデジタル片づけに挑戦することにした。

 

現在チャレンジ真っ最中。定めたルールは以下。

 

TwitterInstagramYouTubeはてなブックマークは使用禁止

Twitterはブログへの貼り付けとブログの通知投稿のみ可。インスタは元々ほぼ利用してない。

 

Mac使用30min/日

ブログを書くのはライフログ、趣味として無制限使用可としたので時間制限あまり意味ない。上記サービス以外に使用。検索とか金融とか通販とか。

 

・テレビ視聴30min/日

もともと天気予報と大きいニュースのときくらいしか見ないので以前と変わらない。

 

・テレビゲーム30min/日

今はやってないので問題なし。来月スプラ3が出るので欲しい気もするが時間泥棒だよな。

 

・動画配信はプロジェクターでのみ視聴可

Macで見ると通知とか来て誘惑されそうなので。でもチャレンジ以降まだ何も見ていない。

 

iPhone使用制限

LINE、メール、メモ、天気予報、乗換案内、ナビ、防災情報、電子書籍、モバイルオーダー、家計簿、YAMAPは利用可。だいぶゆるいっすね…画面をカラーからモノクロに変更すると使用時間が減るとかいうノウハウがあったような。

 

以上。時間制限したものの利用に関してはキッチンタイマーを都度セットしている。キッチンタイマーは料理にはもちろん、ポモドーロテクニックにも利用できるので家に1個はあると便利。

 

俺の場合、Twitterはしょーもない呟き(反応の得られない)しかしないが、フォローしている方々はみな自分にとって必要な情報の発信者であったり素晴らしい創作者であったりするのでこれを今後も遮断するのはあり得ない。QOLが下がる。ただ手持ち無沙汰なときにだらだらタイムラインを見てしまうことが多々あったので(精神的に疲れているときほど見てしまう)30日間が過ぎたら投稿や使用時間の制限をつけてまた利用再開するつもり。投稿は1日1回、閲覧は20分/日で自宅Macからのみ可、とか。

 

で、空いた時間は読書(数えたら積読が100冊近くなっていたので消化したい)、掃除、料理、運動、音楽鑑賞にあてる。YouTube禁止のため音楽をMacで聞けないので10年以上ぶりにオーディオを購入した(貯まっていたヨドバシのポイント利用)。なぜこれにしたかというと、値段が手頃なのもあったけれど、以前泊まった大洗の宿の客室に備えつけで置いてありデザインがよかった記憶があったから。音質とかはわからん。中年になって耳遠くなってきてるし。たぶん値段相応だろう。

11年前はアパートで一人暮らししていたがオーディオは持っていなかったので持っていたのはもっと前に遡る。現在所有しているCDはグールド2回目の『ゴルトベルク変奏曲』とアルヴォ・ペルトの『アリーナ』の2枚のみ。最近はiPhone内の音楽をAirPodsつけて再生するか、MacYouTubeを垂れ流すかでしか音楽を聴いていなかった。CDをトレイに乗せて再生し、ベッドに寝転がってきちんと音楽を聴く、そんなことをしたのも久しぶりな気がする。