アーサー・マッケン『怪奇クラブ』を読んだ

 

 

復刊。「怪奇クラブ」と「大いなる来復」を収録。今年マッケンを2冊読んだのでその流れで本書も購入、読んだ。

 

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「怪奇クラブ」(原題「三人の詐欺師」)は枠物語で秘密結社みたいなグループの話の中に彼らがする奇天烈な話が挿入される。聞き手となるのは『恐怖』中の何篇かにも登場した文士ダイスンとその相棒フィリップス。「黒い石印」と「白い粉薬のはなし」が世評高いようだが(平井呈一曰く「汚穢文学の最高峰」)自分としては別に…。前者は肝心の種明かしの部分がカタカナ(一部候文)で述べられるので読みづらい。『夢の丘』もそうだが復刊したマッケンは文字が小さく印刷が薄く、ところによってはかすれ気味で老眼が始まった自分には読むのがしんどい。話の内容にのめり込めるか否かにフォントやレイアウトも多少なり影響しているように思う。

 

マッケン作品の特徴って平井呈一が『恐怖』の解説で述べていたように、

この現実世界のヴェールのかなたの超自然的世界に、善悪を超えた神や、天使のなれの果の悪魔や、それと交わる獣に近い前史人のあぶれ者どもの住む世界がある。そこはあらゆる欲望と黒い法悦の乱舞する世界であって、ここが罪と悪の根源である。現実世界の割れ目から、ときにはそれを見る人間もあるし、ときには人智をもって、かかげてはならないヴェールをかかげて、見てはならないものを見、黒い法悦に参ずるものもある。そのときは人間は地上の形骸を失って、原質に回帰する。これが「罪」といい「悪」というエクスタシーの実相であり帰結だ。──これがマッケンの思想の核であり、つねにかれの作品のモチーフになっているものであり、この戦慄こそはスティヴンソンにはないもので、マッケン文学にある独自の生理であります。

であり、「パンの大神」「内奥の光」「輝く金字塔」「白魔」がそうだったように、「黒い石印」も「白い粉薬のはなし」も、人間が、今も森や山奥に実在する古代の神々や精霊などの仕業にちょっかいを出したり、そのわざに溺れたりして破滅するという筋の反復であり読んでいると次第に飽きてくる。『恐怖』が「傑作選」の名にふさわしいいい作品を収録してくれているのでこれだけ読んでおけばとりあえずマッケンは十分で、そこから『夢の丘』や『怪奇クラブ』へと進むのはその人の好みの問題と思う。自分は「パンの大神」「白魔」「恐怖」が好き。

 

「大いなる来復」は「恐怖」と同じく後期の作品に属している。後期のマッケンはルポルタージュ風というのか、ドキュメンタリー的な作風に変化していて自分なんかはこっちの方が読みやすい。ある村で起きた聖杯をめぐる逸話。平井呈一によると「戦時下の強い圧迫という設定のもとに、マッケンのなかにある、かれを培んだ民間伝承に対する郷愁をうたいあげた、滅びゆく民間信仰への挽歌」であるとのこと。自分としてはとくに感銘受けることなく読み終えた。聖杯の出現により体の痛みが消えるっていうのは羨ましかったが。