映画になった凶悪事件のルポを3冊読んだ 『凶悪』『消された一家』『愛犬家連続殺人』

先日読んだ『殺人現場を歩く』の影響で凶悪事件のルポを読みたくなったので。三つとも有名な事件で映画にもなっている。これらを読んで思うのはありきたりながら「事実は小説より奇なり」という言葉。

 

『凶悪 ある死刑囚の告発』

上申書殺人事件のルポ。映画『凶悪』の原作…と言っていいのか。獄中の死刑囚が判明していなかった別の殺人事件を告発する。その首謀者は「先生」と呼ばれる不動産ブローカー。「先生」が標的を定め、死刑囚が殺人を実行する。狙われたのは土地を持っているが身寄りのない年寄り、あるいは家族から見放されたリストラ対象者。殺してからなりすまして土地の登記を変更したり、多額の保険金をかけてから殺害する。殺し方がすごい。アルコール度数90度以上のウォッカを一気飲みさせる。これだと殺されたのか飲み過ぎたせいで死んだのか判然としない。小心者の「先生」はさらに死体の口にホースを突っ込み蛇口を全開にして遺体を胃洗浄し、死亡推定時刻を遅らせるために氷の浮いた水風呂に死体を浸ける念の入れよう。狡知に長けるが実行力のない「先生」と、元ヤクザの組長で数々の獰猛な事件を起こしてきた死刑囚。この二人が出会ったことで凶悪な犯罪がなされることになった。「先生」はその後逮捕され裁判の末無期懲役刑の判決が下される。死刑囚が上申書を出すまでは「先生」はのうのうと娑婆で暮らしていたわけで、人の命をなんとも思っていないような人間がそのへんをうろついていると考えるとゾッとする。「人の命を金に換える保険金殺人は罪が重く一件でも死刑か無期懲役」、「今は無期懲役が厳しくなっており当局は簡単に仮出獄をさせないから実質終身刑」とは本書を読んで得られた知識。

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映画を見たのは結構前。もう一度見直す気にはなれず。リリー・フランキーピエール瀧の二人とも怖かった。

 

 

 

『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』

北九州監禁殺人事件のルポ。これはやばい。密室で短期間のうちに7人家族が1人を除いて殺される。しかも身内による殺害。殺したあとは死体を解体。鍋やミキサーを処理に用いた。生き残りの1人は首謀者の内縁の妻で彼に洗脳されて殺人を重ねていた。もう1人、この家族とは無関係な当時17歳の少女も生き残った。この少女も父親を首謀者に殺されたのちその支配下におかれて犯罪に加担していたが逃走に成功、彼女の証言によって密室内の犯罪が暴かれた。しかし事件があまりに猟奇的すぎるのと、家族同士で殺し合った事態から遺族が被害を訴える声を出しづらかったために第一報以降報道は下火になる。自分も当時この事件をニュースで見て驚愕したがその後の顛末をよく知らないままになっていた。本書によって事件の詳細を知り、その異常性、残虐性に言葉を失った。こんなことが本当にあったのか、創作じゃないのか、と何度も思った…がこれは実際に起きた事件で5歳の子供を含めた多くの人命が奪われたのだ。

首謀者は口が巧く容姿もよく初対面の相手に好印象を抱かせるタイプだったらしい。女好き。内縁の妻を暴力で支配し、金を貢がせるために彼女の家族を標的に選ぶ。脅迫して妻の両親、妹夫婦、夫婦の子供2人を監禁、暴力で彼らを言いなりにしてさらに家族同士が疑心暗鬼になるように仕向けて自らの手を汚さず用済みとなった者から消していった。

誰もが思うだろう、「なぜ逃げなかった?」と。あるいは「なぜ言われるがままになった?」と。そう、状況的に何がなんでも逃げようとすれば逃げられなくはなかった(事実、少女は逃走に成功している)。ただ夫婦の場合幼い子供を人質に取られているから彼らを置いて自分だけ、というのは難しかったかもしれない(留まり続けてもいずれ殺されると予想できたと思うが)。または大人4人がかりで首謀者に襲いかかってもよさそうだがそれもなかった。

首謀者は強力なスタンガンのような装置を持っておりそれを拷問に用いていた。顔に電気を流されると気絶するほどの衝撃と痛み。それを体のあちこちに面白半分に当てていた。彼は支配しやすくなるよう家族内に順位付けをして最下位にいる者を拷問した。この順位は気まぐれに変わる。誰もが最下位になりたくないから首謀者に媚びる、従う。我が身を守るためなら身内を犠牲にすることも厭わない。子供が親を、妻が夫を、密告する状況が現出する。何度も己の無力を知らされることで「学習性無力感」に襲われ無抵抗になっていく。彼らが逃げも反抗もしなかったのは拷問の反復によるこの無力感のためだと見られている。

しかし自分が思うに洗脳されやすい、されにくい人間のタイプがあるんじゃないか。本書の被害者たちを見ているとにわかには信じ難いほどお人好しが多い。姪に言われるがまま11件もの携帯電話契約の名義貸しをしたり、不動産屋なのに客の保証人になったり、会ったばかりでプロポーズされたらすぐ本気になって子供たちを放ってついて行ったり…えー、なんで…? 普通そうならねーだろ…もっと疑うだろ…と思うのにそういうところがまったくない。どれほど首謀者が口達者でも、ないだろ…常識的に考えて。「お人好し」、これが危ない第一のタイプ。

危ないもう一つのタイプが「プライドが高い」。実行犯の父親は地元の名士であり農協団体の副理事を務めていた。決して人に弱みを見せたり相談したりしない性格だった。様子がおかしいから周囲が何かあったのかと尋ねても「大丈夫、大丈夫」と答えるだけで話さない。この人は娘が刑務所に入ったら一族の恥だと思いつめて首謀者に言われるがまま金銭を提供し続け最後には家と土地まで奪われるところだった(異常に気づいた親戚が先に手を打って回避した)。この人がまだ世間と接点があるうちに親戚や職場や警察に相談していれば、たしかに娘は刑務所に入ることになったかもしれないがそれで済んだ。しかししなかったばかりに一家ほぼ全員がおぞましい殺され方で殺されてしまった。全員、墓に入れる遺体すらないような殺され方を。

「お人好し」も「プライドが高い人」も詐欺師めいた首謀者のような人物にはつけ入る隙のある格好のカモなのだろう。対して首謀者の脅しに屈しず「来るなら来いや!」と怒鳴り返した人はそれきり標的にされずに済んでいる。この事件から学べる点だと思う。開き直りや明確な意思表示が大事。これは被害者家族に落ち度があったとかいう話じゃない。どう考えたって悪いのは首謀者であるのは間違いない。そうではなく事件に巻き込まれない、巻き込まれてもすぐ抜け出すための知識として。

首謀者は「自分は一切責任を取らない」がポリシーだそうで絶対に自分で決断しない。望みがあればそうなるよう他人を誘導する。言外に匂わせ、それを敏感に感じ取った家族が殺害を実行してきた。彼は公判で「彼らの家族の問題だから巻き込まれたくないと思った」という発言を何度も繰り返している。よくもまあいけしゃあしゃあと…と呆れるが彼の中では彼だけのストーリーがあるのかもしれない。その後の刑務所での様子といい、この人はちょっと普通の人じゃないな、人として大事な何かが欠落しているな、というのが本書を通じて自分が感じた印象。

脅迫目的なのだろうが何かというとすぐ念書を書かせようとするのはこの手合いの常套手段なのだろうか。首謀者は若い頃会社を経営していて、そこの従業員が面白半分で作った通電装置で同僚と悪ふざけしているのを見て拷問器具開発を思いつく。電気と無関係な会社なのにこの従業員も就業時間中に何やってんだか。この会社の従業員たちはやがて首謀者の通電装置によって恐怖支配されるようになる。

それにしても…子供まで殺すかね。中でも俺は最後の犠牲者となった10歳の少女が不憫でたまらない。この子は5歳だった弟の首を絞め、肉親5人の解体をさせられた。10歳の女の子に何やらせてんだ、という怒りが湧いてくる。彼女は弟の次は自分だと覚悟ができていたのだろう、自分が殺されるときは風呂場に横たわり、殺害者が絞殺のためのコードを首に回そうとしたら自ら首を少し持ち上げて回しやすくしたのだという。この子にせよ、この子の弟にせよ、こんなむごい殺され方をしなくてはいけないような何をしたというのか。どうしてこんなふうに殺され、そのあとおぞましいことをその身にされねばならなかったのか。首謀者は理由を語っていない。

これほどの事件がごくありふれたマンションの一室で起きていた。人々が日常生活を送っている隣室で、共用通路から扉一枚隔てた室内で、このような地獄絵図が繰り広げられていたのだ。少女が逃走に成功しなかったら(いずれ彼女も殺されていただろう)一切が明るみに出なかったかもしれないと思うと本当に恐ろしい。

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北九州の事件がモデルと謳っているわけではないが多分そうだと思う。どんな映画だったか…もう忘れてしまった。その程度の映画。つっこみどころが多数あったのは覚えている。

 

 

 

『愛犬家連続殺人』

埼玉愛犬家連続殺人事件の共犯者によるノンフィクション・ノベル…を謳っているが文章が上手すぎてのっけから違和感を覚える。展開も台詞も小説的、ユーモアもふんだん。犯人の地元への取材や、終盤が度を越して娯楽小説めくのでさすがに妙に思い検索したらある作家がゴーストライターを務めた作品であるとのこと。なあんだ、という気持ちとやっぱり、という気持ちが半々に。映画『冷たい熱帯魚』は実際の事件からインスパイアされたとのことだがその事件の知識は本書から得たものだろう。でんでん演じる殺人犯のキャラクターは本書の記述まんま。事件については、熊谷のドッグブリーダーが商売のトラブルになった相手に硝酸ストリキニーネを飲ませて殺害、牛刀で解体して遺体は痕跡が残らないよう肉は川に捨て骨は燃やして灰にしたあと山中に撒いていた。わかっているだけで4人、だが30人もの人が犯人の周囲で行方不明になっているという。犯人の人物像は病的なまでの虚言癖があり、寝る時は枕元に木刀を置くほどの小心者でもあった。一方でやると決めたら相手がヤクザでも殺す。売った犬をわざわざ殺しに行って次のを買わせるとか、売った犬を盗んで別の客に売るとか、そんな滅茶苦茶をやるか? と思うのだが本当にしていた。シベリアン・ハスキーだかアラスカン・マラミュートだかの優れたブリーダーとして業界では有名人だったらしい。ドッグショーでは審査員に金を渡して賞を取っていたようだが。犯行に使われた硝酸ストリキニーネは「大型犬の安楽死」名目で熊谷の獣医から融通してもらっておりこの獣医の倫理観にも疑問を覚える。

犯罪実録としては頭から信じるには胡散臭さがあるので実際の事件を元にした小説、くらいの気持ちで読んだ。埼玉県在住の身としては、熊谷、秩父東松山、児玉町などの土地の名が出てくるのが楽しかった。「殺しのオリンピックがあれば俺は金メダルだ」とか、殺人を楽しんでいる点でわかりやすい人物。自分がしたことの理由を語らない北九州の事件の首謀者に比べると人間味があるとすら思ってしまう。シリアルキラーなのに。凶悪な殺人事件でありながら報道が少なかったのは同年に阪神淡路大震災地下鉄サリン事件があったためだといわれている。

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監督名で見たくないという人もいるだろう。俺もそっち寄り。でもパワーはある映画だからグロ耐性があるなら一度は見てもいいかもしれない。ないなら薦めない。パワーがあるといっても同じく実際の事件を映画化した『殺人の追憶』や『チェンジリング』のような名作と比較したら数段劣る。

 

 

 

 

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