今日を生きることが昨日までの自分の肯定になる──映画『すずめの戸締まり』を見た

IMAX上映で2回鑑賞。アニメは専用カメラで撮影されているわけではないからIMAXで見ても画角的には意味がないのはわかっているんだがスクリーンの大きさと音響のよさに魅力を感じて。

 

初見時、予備知識ないまっさらな状態で見たかったのでYouTubeにアップされる公式の予告編は公開まで見ないようにしていた。が、上映前にテレビ放映された『天気の子』本編終了後に予告編が流れ、それをつい見てしまった。「人がいっぱい死ぬね」という猫の台詞を聞いてこんな台詞を口にするキャラが新海作品に登場するのか、と意外の感がした。

 

今度の作品はアクションになること、日本全国が舞台になること、停滞期・衰退期に入った現代日本の今後を象徴するような扉をひとつひとつ閉めていく話になること、最初の構想では女性2人の物語にする予定だったがプロデューサーだかが難色を示したので断念したこと、以上は監督のTwitterスペースで聞いていた。それと『天気の子』放映後の予告編で見たくらいがこの映画を見る前の予備知識。

 

劇場入口には実際とは変えてあるが地震警報が作中で流れる旨を伝える看板。てっきりどこかワンシーンで流れるくらいだろうと思ったのだが地震は本作のメインテーマであり作中で警報は幾度も反復される。冒頭、荒廃した草原を少女が彷徨うシーンからタイトルコールにつながる最初の戸締まりまでのテンポがかなり早くて「倍速視聴やファスト映画の今という時代を意識して作ったのかな」と思いつつ見ていた。しょうじき、おっさんの俺にはテンポが早すぎてついていくのがやっとだった。たぶん監督のやりたいことが多すぎたために全編を通じてテンポが早くなったのだろうと見終わった今は思う。2時間の尺じゃ構想を実現するのに足りなかったんじゃないか。

 

 

すずめが「死ぬのは怖くない」とか「生きるのも死ぬのも偶然だ」と言う理由は被災した経験があったから。でも草太と出会って少しずつ考えが変わっていく。「草太さんのいない世界が私は怖いんです」。死ぬこと、失うことは怖いことだとようやく理解できた。だからクライマックスで彼女は「生きたい」と口にしたのだろう。それはまた震災被害に遭った人たちのみならず様々な災厄に遭った人たちへの祈りでもある。すずめの母親が看護師で彼女もその職業を目指すことになるのにコロナ禍でも社会を支え続けた医療従事者への敬意を見る*1。「大事な仕事は見えない方がいい」という草太の台詞。見えないところで頑張ってくれている人たちがいるおかげで社会は今日も成り立っている。人はいつか災厄から立ち直り、適応し、そして生きていく。今日も、明日も、その先も。

 

今の自分は過去の自分の明日なんだとすずめは言う。今日生きていることが、辛くて折れてしまいそうだった過去の自分自身への叱咤になる。慰謝になる。肯定になる。運命愛──「やむを得ざる必然的なものを愛せ*2」。この映画では扉は災いの出口として描かれている。でも扉は希望の隠喩でもある。あるいは可能性の。ドアの向こうはどこへ通じているのか。死者の国か。大切な人のいる場所か。記憶の中か。ドアを開けて、行って、帰ってくる。「おかえり」というラストの言葉が扉をモチーフにしたこの映画の締めくくりにふさわしい。

 

 

 

 

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*1:ブルーインパルスを飛ばすのよりよっぽど素晴らしいリスペクト

*2:ニーチェ