2冊とも徹夜の勢いで読み耽った──清水潔『殺人犯はそこにいる』『桶川ストーカー殺人事件』

 

読了日は11月20日。以下、ブクログに記載した感想からコピペ。

ドラマ「エルピス」の参考文献の1冊。徹夜で読了。著者はある未解決事件が群馬県・栃木県の県境周辺半径10キロ圏内で年を空けて発生している連続殺人・誘拐事件であることを発見し、すでに最高裁判決が出ていた人物の冤罪を証明する。鍵となるのはDNA型鑑定。その顛末をめぐるお粗末さは悪い冗談としか思えないが(被害者とその家族のDNAを採取していなかった、法医学の専門家曰く科警研の主任技術者の技能は大学生レベル、旧式の測定法を採用)メンツにこだわる警察庁は断固として己の非を認めず、真相究明や真犯人逮捕より組織防衛を優先する。結果、冤罪が生じ、真犯人は野放しに。それなのに過去の捜査手法に対して反省も検証もしない。北関東での連続幼女誘拐殺人事件が福岡での少女殺人事件に接続していき、そこで明らかになる真相。国家が己の非を認めないばかりに無実なのに処刑されたかもしれない人がいる。国家権力は証拠を改竄、隠滅して保身に走り、その権力を監視するはずのメディアは権力にへつらう。闇が深い。読み終えて暗澹たる気分に。

(コピペここまで)

 

自分のような素人はDNA型鑑定と聞くと自供や状況証拠に頼らない客観的で正確な科学捜査と思う。がDNA型鑑定は捜査において決め手ではなくあくまで補助的な役割を果たすに過ぎない。鑑定自体は科学でも読み取りを行うのは人間であり権力への忖度や警察組織の保身がつきまとう。恐ろしいことに鑑定結果を改竄するなどということすら起きる。その結果生じるのが冤罪だ。ドラマ『エルピス』で登場人物の一人が「冤罪を暴くっていうのは国家権力を敵に回すってこと」と口にするがまさにそのとおりで、権力や組織は保身のためなら真犯人を野放しにしたまま無実の人間を(無実とわかっていながら)死刑にすることすら辞さない。さらに記者クラブに所属する大手メディアはそのような権力に媚びへつらう。公権力と巨大メディアが手を組めば誤った情報を世間に蔓延させることなどたやすく、疑うことを知らない市民はその情報にまんまと騙されてしまう。

 

刑事事件における日本の有罪率は99.8%という。それは日本の警察が優秀だからなのか、それとも。

 

以下、本書から引用。

「何で冤罪が起きると思いますか? それは警察官に、賞状や賞金が出るからですよ。大きな事件を解決し、有罪にすれば出世もできるとです。事件を解決すれば新聞などが書きたてるとですよ」

 だから自供さえ取れば良いとする捜査が無くならないのだ、と言った。

 

あの「改竄」を知った時、私は科警研の「闇」に触れたような気がした。まるで「自供」のようにすら見えるトリミングの仕方。それは、警察庁肝煎の事件となってしまい、何としてでも犯人を捕えなければならなかった県警と検察に対して、科警研が上げた「悲鳴」にも思える。

 

私が連想したのは「書き残す」という行為だった。警察庁職員という立場であり、科学捜査のエキスパートという立場にある人物が、DNA型鑑定は補佐的な役割しか担えないとはっきりと書き記していた。DNA型鑑定はあくまで参考であり、殺人事件の証拠の主柱にはなり得ないのだと。

 

 私は思う。  

 事件、事故報道の存在意義など一つしかない。

 被害者を実名で取り上げ、遺族の悲しみを招いてまで報道を行う意義は、これぐらいしかないのではないか。

 再発防止だ。

 少女たちが消えるようなことが二度とあってはならない。

 

 

 

読了日は11月25日。以下、ブクログに記載した感想からコピペ。

エルピスの参考文献の一冊。1999年に起きた異常な事件。ごく普通の女子大生に12人もの男がいやがらせ行為を行なっていた。無言電話、深夜の自宅前に停めた自動車で爆音ステレオ、中傷ビラを自宅や大学周辺に貼りまくり、父親の会社へも送りつける。殺される危険を覚えた被害者が埼玉県警上尾署に相談しても民事不介入だとして警察は相手にしない。告訴すれば書類を被害届に勝手に改竄される。挙句彼女は本当に殺されてしまう。その後も警察は真剣に捜査をせず警察より先に週刊誌記者である著者が実行犯グループを特定する。すでに被害者の遺書によって名前が判明していた主犯は潜伏先で自殺。彼を欠いたまま警察にとって都合のいい筋書き通りに裁判は進展。一時は自らの非を認め謝罪した警察だが、遺族が訴訟を起こすと態度を一変して被害者の遺品を刑事裁判の証拠として利用、彼女のプライバシーを侵害してまで争う。なぜ警察はこうまでなりふり構わず一市民を徹底的に叩き潰そうとするのか? メンツのためだけか? 著者は主犯の背後に権力側の人間がいたのではないかとの推測を匂わせているが…本当に? でもそう思いたくもなる。国家権力を敵にすることの恐ろしさ。権力を監視しなくてはいけないメディアは記者クラブ制により警察にべったり。この事件で書類送検三人を含む十二人の処分者を出した上尾署はその後放火事件の犯人と被害者も出す。「そんな警察署、他にあるか?」Googleレビューの口コミの低さに苦笑。

(コピペここまで)

 

著者に「ここには「人間」がいない」とまで書かれている埼玉県警上尾署。

 詩織さんが刺された時の警察の対応などひどいものだ。猪野さんの家に電話を掛けて、なにごとかと気を 揉む母親などお構いなしに「お宅の娘さんは今朝どんな服装で出ていかれました?」というところから話し始める。詩織さんの所持品に免許証があってあらかじめ本人と確認しているにも拘らず、だ。やっと娘が刺されたことを知らされて母親が病院に駆けつけようとしても、まずは警察署に呼ばれ、その後は父親も呼びつけて延々事情聴取だ。その間病院に運ばれた娘の容体が気が気でない両親には安心させるようなことを言いながら、実に十時間以上も署内に引きとめて娘の死に目にも会わせない。結局警察署で娘の死を知らされ、ショックを受けている両親には次から次へと書類、書類、書類でそれが終わるまでは遺体にすら会わせない。

 

 詩織さんの刺された部位について質問が飛んだときだった。一課長代理は、やおら立ち上がると、尻を突き出し、手の平でペンペンと自らの腰を叩き始めた。「埼玉言葉で言う、脇っぱらかな。ははは……」

 人の最期の姿を、ヘラヘラと笑いながら解説する幹部警察官……。

 吐き気を催した。

 

 私が鹿児島で別の事件取材をしている時に見かけた地元紙には驚いた。女児の折檻死事件の時効を放置したとして「また上尾署」と見出しが出ていたのだ。不祥事の中身もひどいが、遠く離れた鹿児島県でも「上尾署」だけで通じるとは、どんな警察署なのか。

 

埼玉県在住の身としては暗澹たる気持ちになる。埼玉県警マジでしっかりしてくれよ。腐りきっとるやん。

 

それにしても主犯を告訴しようとした被害者に告訴を取り下げさせ(再度告訴できると嘘をついてまで。告訴は一度取り下げたら二度とできない)被害届に変えさせようと上尾署が必死で試み、同意が得られないと勝手に告訴調書を被害届に改竄(また改竄!)して事件そのものをなくしてしまおうとした真の理由はなんだったのだろう? 「楽な仕事」や保身のため? 風俗店を多数経営していた主犯が生前口にしていたという「俺は警察の上の方も、政治家もたくさん知っている。出来ないことはないんだ」との言葉──。風俗店の顧客かそのつながりで当該の人物とのコネがあったのだろうか…いやこれだと陰謀論一歩手前か? しかし著者もその線を疑っているようではある。主犯は逃亡先の北海道で自殺したのではなく口封じのため消された?

 

桶川の事件はストーカー規制法が成立するきっかけとなった事件。しかし当時はメディアによる被害者のプライバシー侵害もかなり問題になっていたような記憶がある*1。家族が殺された人の家の周りに大勢で押しかけ全国中継するんだからな、信じられない無神経さ。最近はこの手の報道被害って減ってきているのかな。テレビ見ないからわからん。視聴率欲しさにモラルも良識も人の心さえかなぐり捨てるメディアの狂気だろう。今年だっけか、有名なお笑い芸人が死亡した際その死因を報道して朝の通勤通学時間帯に自宅まで押しかけ中継した某テレビ局には反吐が出そうになったものだが。

 

『殺人犯はそこにいる』でも『桶川ストーカー殺人事件』でも、著者は取材の範疇を超えた、もはや捜査といってもいいような調査を行なっている。調書にあった犯行ルートの再現・犯行可能な時間の確認、あるいは凶器の捜索。それらをプロであるはずの警察がしていないというのが…なんというか…言葉も出ない。どうしてこの二件の事件にここまで熱くのめり込んだのか、その理由は二冊ともの最後に書かれてある。著者自身の、人間として、父親としての思いから。この二冊は権力の欺瞞と怠慢を告発して真相解明を希求する正義の書であり、亡き女性に捧げられた鎮魂の書でもあったのだ。

 

 

 

これも『エルピス』参考文献の一冊。ドラマは今夜最終回。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

*1:もっと前には東電OL殺人事件もか。男どもは女性がセンセーショナルな殺され方をすると「発情」するものらしい