鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を読んだ

 

ブクログの感想からコピペ)

もう見なくなって何年も経つけれどちょうどドラゴンズを落合監督が率いていた頃はよくプロ野球を見ていたので懐かしかった。落合監督の采配でとりわけ印象に残っているのは開幕戦の先発・川崎と完全試合目前での山井の交代。前者は他のメンバーの奮起を期待して、後者は勝利の可能性を合理的に判断した結果として説明されているが、本人には当然の考えでも常識に凝り固まった人間の目には異様に映った。前者に関しては奇を衒い過ぎだろと反発する心もあった。

落合監督がチームに浸透させたのはプロとしての自覚の徹底。チームの勝利ではなく自分の仕事の責任を果たすことを第一に考えろと。そして監督にとって選手はゲームの駒であり時に非情な判断を下した。しかし8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、Bクラス0回という成績は凄い。自身は大打者でありながら勝利の確率を上げるには打撃より守備を優先するのが面白い。

本書は著者自身の記憶と選手たちへの取材によって落合博満という異形の人物に迫っていく。何を言っても誤解されるから語るより沈黙を選ぶ、着眼点が人と違いすぎるから理解されない、媚びるくらいなら孤独を選ぶ、だから人に嫌われる。

森野、山井、荒木の章はプロ野球選手の葛藤や恐怖や過酷さがよく伝わってきてとりわけ読み応えがあった。華やかな世界だからこそ光の強い分闇も濃くなるのだろう。山井の交代劇のところは読んでいるだけで胃が痛くなるような緊張感があり、プロのアスリートとして大成するには才能や技術と並んでとにかくメンタルが強くなければ絶対に無理だと思い知る。

(コピペここまで)

 

試合に勝つ、ただそれだけを突き詰めた監督という印象。野球の試合を盤上のゲームのように進める。徹底的に情やロマンを排除して確率から判断を下す。山井から岩瀬への交代はその最たるものだろう。ただし落合監督が就任当初から冷徹・非情な人物だったのではないことは本書を読めば見えてくる。血の通った人間である以上どうしたって情は出る。その情のために大きい代償を払い、チームの勝利のために邪魔だと悟ったからこそ冷徹・非情にならざるを得なかった。落合監督は長い遠征の際にも私服をほとんど持ってこず、トランクの中には野球に必要なものだけが整然と詰め込まれ、休みの日はホテルの部屋からほとんど出なかった。監督という自分の仕事にのみ生きているようだった。

 

チームを勝たせるのは監督の仕事だから選手たちには自分の成績のことだけ考えろと言い続けた。団体スポーツでありながらひたすらな個の追求。一見、選手にとって理想の楽園のようだが実際は過酷だった。落合監督はどこかを痛めた選手に「大事をとって休め」とは決して言わない。代わりに「やるのか? やらないのか?」と問う。試合に出なければ二軍落ちが待っている。試合に出る権利と引き換えに結果と責任が求められる。それがプロだと言わんばかりに。

どれだけ勝利に貢献してきたではなく、いま目の前のゲームに必要なピースであるかどうか。それだけを落合は見ていた。それが勝てる理由であり、同時に和田を畏れさせているものの正体だった。

 プロ野球といえど、多くの者はチームのために、仲間のためにという大義を抱いて戦っている。ときにはそれに寄りかかる。打てなかった夜は、集団のために戦ったのだという大義が逃げ場をつくってくれる。ところが、落合の求めるプロフェッショナリズムには、そうした寄る辺がまるでなかった。

 

 荒木にも他のどの選手に対しても、落合は「頑張れ」とも「期待している」とも言わなかった。怒鳴ることも手を上げることもなかった。怪我をした選手に「大丈夫か?」とも言わなかった。技術的に認めた者をグラウンドに送り出し、認めていない者のユニホームを脱がせる。それだけだった。

 

結果を残しているのだから落合監督の手法は正しかった、と言えるのではないだろうか。ただ完全な実力主義にしてしまうとどうしても経験や技術で優位に立つベテランが若手よりレギュラーになりやすい面はあり、チームの将来まで考えた場合はまた判断が変わってくるかもしれない。チームの勝利と若手の育成という要素には相反する部分がある。落合監督がドラゴンズを率いた期間の最後の方はレギュラーが高齢化していたように記憶している。仮にその後もさらに指揮をとっていたとしたらどうなっただろう。時代の流れでプロ野球が企業の広告塔としての価値をしだいになくして予算が先細っていく中でどうやって常勝を維持していったか…。落合監督の手法は短期集中型? でも不思議なことに短期決戦の日本シリーズの成績が3戦1勝で短期間の采配が得意という感じはない。成績をいうと(監督本人は就任中は全シーズンで優勝するつもりだったというが)リーグ優勝と日本一の同時達成がないのが惜しい。

 

リスクを避け、成功確率の高い選択を重ねて勝利に近づく。その采配が退屈だとして「落合の野球はつまらない」と日本一になってさえ揶揄されてしまうのは寂しい。もうよく覚えていないけれど守備主体、1点リードさえすればそれを守って逃げきるみたいな感じの野球だった記憶があり、ガンガン打っていくような楽しさはたしかになかったのでそう言う人たちの気持ちもわかるが、荒木、井端の二遊間、福留、アレックス、英智の外野は最高に贅沢な布陣ではあった。

 

落合監督時代のドラゴンズでは2006年の優勝を決めたジャイアンツ戦が強く印象に残っている。福留のタイムリーのあとのウッズの満塁ホームラン。ウッズと落合の抱擁。あとは、やはり2007年のファイターズとの日本シリーズ。山井の交代はWikipediaにも項目があった。自分が監督だったら…とか色々考えちゃうケースだよな、これ。

ja.wikipedia.org

 

落合監督(もう監督じゃないが)は自身について死後評価されるだろうと述べている。どれほどの人であっても称賛のみ、批判のみということはない。自分としては落合博満という人はマイノリティーとして生きてきたがゆえの独特のプロ意識や合理性に頷ける部分もありわりと好意を持っている。

 

落合という人はなぜ多くを語らないのか、なぜいつも俯いて歩くのか、本書を読むとそれが本人に取って合理的な理由からそうしていたのだとわかる。やっぱり説明しない不親切さが周囲から誤解を招くんだろうな、とはちょっと思った。愛想がない、話すと面白いのに。でもどんなに世間や球団の上層部から批判されようと平気でいられるのは家族、とくに信子夫人の存在があるからというのもわかった。盤石な居場所があるからこそ自分を貫ける。

 落合は自らの言動の裏にある真意を説明しなかった。そもそも理解されることを求めていなかった。だから落合の内面に迫ろうとしない者にとっては、落合の価値観も決断も常識外れで不気味なものに映る。人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ。

 

 理解されず認められないことも、怖れられ嫌われることも、落合は生きる力にするのだ。万人の流れに依らず、自らの価値観だけで道を選ぶ者はそうするより他にないのだろう。

 

「心が弱いのは技術が足りないからだ」とか仕事論的な部分もあり、楽しく読んだ。