齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』を読んだ

 

 

ブクログの感想からコピペ。

滋賀県で起きた娘による母親殺害事件を、娘との手紙のやりとりから再現する。ノンフィクションだが小説のように読める不思議な書き方。
表紙のイラストがすごいな。

 

母親は常軌を逸した学歴コンプレックスを抱えており娘に医大へ進学し医者になるよう要請。なぜ学歴に執着したかは本人が死亡しているため不明。高卒だったから娘に自己実現を託したのか。しかしただの教育ママという枠を超えた支配欲を自分はこの母親に感じた。娘が試験で悪い結果だと鉄パイプで殴打、「死ね」「クズ」と罵倒、近所の公立高校に通う生徒たちをバカ呼ばわり、思春期の娘が男子とデートすると工業高校の生徒なんかと蔑み、しかし娘の友人のふりをしてメールを送って関係を探る、娘が受験した大学すべてに落ちたのに合格したと親族には報告する…。
異常である。
狂ってる。

 

父親とは離婚こそしなかったが別居。母親は父親を三流大卒と見下しながら(自身は高卒だが)毎月振り込まれる給与で生活していた。パートに出た時期もあったが人間関係でトラブって退職。ディズニーランドが大好きだったとの記述にディズニー好きは地雷多しとの己の偏見を強くする。吝嗇で、光熱費節約のため母娘は一緒に入浴していた。部屋の電気を消し忘れただけで烈火の如く怒り出す。

 

娘は受験に失敗し続け9浪する。本人に合格の意志がないし学力も及んでいないのだから当然の結果だがその度に母親に罵倒され人格否定され謝罪させられる。受験勉強を知らない母親の、ただ参考書を買い与えてやっているのを監視するだけの勉強方法では超難関の医学部合格は厳しいだろう。失礼ながらあまり勉強ができる方ではないのでは…と思ったがのちにある医大看護学科は主席で合格しているからそこまでではなかったよう。医学部がエリートすぎるんだな。むしろ文系の適性がありそうで、法学部の方が可能性があったのではと思ってしまった。本人は医療関係の仕事にどれほど熱意があったのか、よくわからない。

 

共依存関係。学習性無気力。壊れていながらその壊れが常態化することで安定する異常な母娘関係。そんなふうに読めたがそれだけではないようにも思える。娘は何度か「脱走」を試みているが探偵によって連れ戻されている。父親や、娘が信頼していたと思しき高校の国語教師が、彼女が虐待されていることを知りながら何も行動しなかったその無能さ、事なかれれ主義に読んでいてイライラした。相談所? みたいなところに匿名で一報入れるくらいすればいいのに。

 

名門大卒、または人から尊敬される仕事に就いた、そういう他人にマウンティングできるような条件を満たさないならば母親から娘への愛はなかった。『カルトの子』で紹介されたエホバ2世と同じ、条件付きの愛。
「ただの看護師にしかなれんクズと嬉しがって出歩いてた自分が恥ずかしい」
こんなことを言う母親…恐ろしい。
この母親から娘に送ったLINEが収録されているがほとんど怪文書で読んでいて頭がおかしくなりそうだった。なので途中から読み飛ばした。

 

娘だから、というのもあったかもしれない。これが息子だったら、成長と共に体格が大きくなり、腕力で母親を上回るようになるからいつか支配しきれなくなるだろう。一発ぶん殴って家を出ていく、という方法もあるだろう。

 

事件後、娘に同情的な声が集まったという。
自分も事件の概要を知っただけの時はそんな感じだったが、本書を読むと、彼女は母親との関係を続けていくうちに嘘をついたり、偽造して誤魔化すという発想が常態化しており(取り調べで死体損壊・遺棄はしたが殺人はしていないという嘘を「してやったり」という顔でつき通した)同情する気持ちより、更生できるのか、という疑問の方が増した。

 

家庭は密室。
外観はありふれていてもその家の中でどのような関係が築かれているか、他者に窺い知ることはできない。
ドア一枚隔てた向こうに異常な世界があるかもしれない、そしてそれは特別珍しいことでもないのかもしれない、との思いを強くした。
春日武彦屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理』を連想)

 

とにかく母親が異常すぎる。他人と一緒に暮らすことができないタイプ、人の子の親に不向きなタイプと思った。

 

本書では語られないが相当な学歴コンプレックスと承認欲求を拗らせている。他人と比較しないのが幸福への道、その逆を行っている。いわば自分で自分に呪いをかけている状態といっていい。周囲は迷惑でしかないが本人も生きていて辛かったろう。

 母の定義する「幸せ」という状態は、万人が描くそれよりは範囲が限定的だったのかもしれない。精一杯働き、顧客に喜んでもらうこと。音楽や絵を創ること。お気に入りのドラマや映画の世界観に浸ること。美味しい料理に舌鼓を打つこと。健康であること……。どれも「幸せ」だ。女性にとっては、結婚や出産は「選択肢のひとつ」となって久しい。

 だが、母は違った。

 

学歴信仰、マウンティング欲求。もはやカルト信者と大差ない。「信仰する」という条件付きでしか子を愛せないエホバの証人と同じく自分の望んだとおりになるという条件付きでしか娘を愛せない。哀れだ。子供が逃げたら追いかけてくるのも一緒。この手合いは自分というものがないから他人に執着する。

 母は、「将来、助産師になるという約束を果たす」娘と旅行に出かけていたのであり、そうでない娘との思い出は、馬鹿みたいで時間と金の無駄で消したいほど恥ずかしい過去なのだ。

 辛かった。母にとって、助産師になるという約束を果たさない私は、娘ではないのだ。

 

母親のLINEの電波ぶりはしょぼいホラーよりよほど怖かった。あんなもんまともに読んでたら頭おかしくなる。マジで。

 

 

 

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