胸糞悪さトラウマ級…映画『胸騒ぎ』を見た

 

映画.comからあらすじ引用。

ある善良な家族を襲う悪夢のような週末を描いたデンマーク・オランダ合作によるヒューマンホラー。

休暇でイタリアへ旅行に出かけたデンマーク人の夫妻ビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、そこで出会ったオランダ人の夫妻パトリックとカリン、息子のアベールと意気投合する。数週間後、パトリック夫妻から招待状を受け取ったビャアンは、妻子を連れて人里離れた彼らの家を訪問する。再会を喜び合ったのもつかの間、会話を交わすうちに些細な誤解や違和感が生じはじめ、徐々に溝が深まっていく。彼らの“おもてなし”に居心地の悪さと恐怖を感じながらも、週末が終わるまでの辛抱だと耐え続けるビャアンたちだったが……。

 

 

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かなり精神的に来る映画だった。

日中、自室でリラックスしてテレビで視聴したならここまでストレスは感じなかったかもしれない。真っ暗な空間、大きなスクリーン、大音響という映画館だからこそのストレスだろう。

 

映画の内容に関しては「こねくと」での町山さんとパーソナリティお二人の紹介(紹介した翌週も言及)に尽きる。ネタバレを避けつつ過不足なく本作の見るべきポイントを伝えている。

 

違和感を感じているのに無視する。

不快なことがあっても表明せずに飲み込む。

相手の機嫌を損ねるのが嫌だから我慢する。

そうした気弱な態度のせいで悪人につけ入れられ、支配され、取り返しのつかない事態を招いてしまう、というストーリー。

 

一例として挙げると、主人公夫婦の奥さんはベジタリアンでその旨をあらかじめ相手に伝えてある。なのに夕食に猪の肉を用意されて食べるよう迫られる。ここが旨いところだから是非食べてくれ、と笑顔で。そこで、いや自分はベジタリアンだから悪いけど肉は食えないんだ、とちゃんと自分の意見を言って突っぱねればいいのに、相手に悪気はないとか、好意ゆえだからとか、これから二日間お邪魔させてもらうから波風立てたくないとか、いろいろと理由をつけて自分が我慢すればいいと考え、嫌なのに一口だけ食べる。夫も気が弱いから小声で「一口だけでいいから食べろ」と促して自分の妻を守ろうとしない。そういうのが繰り返されるうち状況は次第にエスカレートしていく。相手が外食に誘ったのに奢らされても不本意ながら従ってしまう。

 

善良さと言えば聞こえはいいけど単に気が弱いだけ。そして自分を犠牲にしても他人に尽くす。その人の好さのせいで最後にとんでもなくひどい目に遭う。

 

不思議な映画だ。極悪なのはホスト側の夫婦なんだから彼らに怒りが向きそうなのに、見ている最中ずっとノーを言えない主人公夫婦にイラついていた。監督もたぶん観客がそう思うように誘導している。なぜこんなひどいことをするのかと問うた主人公に対する相手の答え、あの台詞がこの映画のキモだろう。

 

言いたいことははっきり言う。自分や家族の安全がかかっている場面ならなおのこと。戦うのが無理なら逃走する。

 

映画だから命に関わる話になっているけれど、日常的なケースでも、自分が正しいと思ったことはきちんと主張した方がいい。

 

俺もこの主人公と同じで、被害を受けてもついその場の空気を読んで言い出せなかったり、自分に対する自信のなさから飲み込んでしまいがちで、でもそういうのって自分を粗末に扱うことだよな、ちゃんと言うべきことは言って自分の権利を主張すべきだよな、自分の尊厳は自分で守らないとな、と加齢とともに思うようになってきた(歳をとって図太くなってきたのもある)。たとえばスーパーでレジ袋頼んだのに相手が忘れたら「袋付けてください」と言ったり、提出された書類の名前の漢字が間違っていたら指摘して訂正させたりとか、些細な例ばかりだけど、相手に対する異議を30代後半くらいからはっきり言えるようになった。若い頃は相手のミスだとしても遠慮して言い出せずに泣き寝入りしてしまうことが多かったので、この程度でも俺にとっては成長である(我ながらレベルが低い)。たぶん俺は自己評価が低いのだと思う。職場や親しい人の間などすでに関係が構築されているサークル内でならいくらでも主張できる。初対面の相手や場所がアウェーだったりすると場に飲まれやすい。

 

この映画の主人公たちが置かれた状況は、言葉の通じない外国の、勝手わからぬ土地の、相手の自宅という完全アウェーで、敵の巣に飛び込んだ獲物状態。戦いの前提条件がすでに不利だったのは運が悪い…というより相手の策にまんまと引っ掛かっている。不用心。

 

俺がこの主人公の立場だったら最初の晩の猪の肉は我慢したかもしれない、外食に娘を置いていくのも我慢してしまったかも、でも奢らされたら我慢の限界を超えたと思う。前の二件には悪気はないかもしれないが奢らされるのはこちらを見下している意思表示だから*1。舐めてんじゃねえぞ。…等、自分だったらどうするだろうと考えながら見ていた。身につまされた。

 

ホスト側の夫婦はサイコパス。彼らに善意は通じない。善意で接しても利用されるだけ。「こねくと」で、こういう人たちは支配しやすい標的を見つけ出すのがうまい、みたいな話が出た。そしてその隙につけいるのもうまい。サイコパスによる支配というと北九州監禁殺人事件の主犯松永を思い出す。彼も男前で人当たりがよく口がうまかったという。人懐こさを発揮して相手を油断させて取り入り徐々に支配していく。やがて起きたのが身内同士での凄惨な殺し合い。一方で脅しに屈さず戦う意志を見せた人は被害に遭わずに済んでいる。教訓としたい。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

北九州監禁殺人事件も尼崎事件も、大人の男が複数人いながら一人の支配者に反抗できずされるがままとなった。自分や大事な家族の命がかかっているのに戦おうとさえしなかった。被害者側の性格もあったかもしれないが、そこに至る過程で形成された学習性無力感が大きかったと思われる。人は長期間にわたって苦痛を与えられ続けると最初のうちは抵抗していても徐々に無駄だと諦めてしまい最後はじっと苦痛を耐えるだけになる。

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主人公夫婦もラストに自分たちの無力を痛いほど思い知らされ、一切の反抗心を喪失し、相手の言いなりになってしまう。夫は逃げられるラストチャンスをみすみす無駄にする。時々戦う姿勢を見せていた妻は最後には気弱な夫以上に戦意喪失し率先して相手に従ってしまう。言いなりになったってその先にいいことは絶対ないとわかっているはずなのに。ある意味自殺と言っていい。

 

町山さんはPG-12指定のこの映画を「小学生は見ないほうがいい」と言っていた。そう聞いていたので腹を括って見ていたが、それでもクライマックスの暴力描写には強いストレスを覚えた。監督インタビューによるとあのシーンは子役ではなく29歳の女性が演じていたそうだが、見ていたときはそんなこと知らんし、何してくれてんだこの野郎という怒りと、こんなに非道な暴力を見ていることしかできない──映画だから当然なんだが──歯痒さに身悶えしそうになった。

 

まったく、こんなの『胸騒ぎ』じゃねえだろ。『胸糞悪い』だろ。

最悪な気分でシアターを出た。

レイトショーだったので帰宅してから酒を飲んで、口(目?)直しに『ダンジョン飯』を見ていたらしばらくして気分が落ち着いてきたので寝た。

今朝起きたらだいぶマシな気分になっていた。見たのが土曜の夜でよかった。あんなん朝イチで見たらその日一日嫌な気分で過ごさねばならないし、日曜の夜なら明日仕事なのに最悪な気分で寝る羽目になるところだった。危ない危ない。

 

 

*1:どこまでやったらこっちがキレるか窺っているようでもある。