先日、行田市に用事があった。せっかく来たのだから近くに何かないかと地図を探すと古代蓮の里なる場所があったので行ってきた。冒頭の写真は公園内のタワーから眺めた田んぼアート。毎年やっているとのこと。この日はあいにくの曇り空だったが帰る頃になって晴れてきた。
このタワーは翔んで埼玉2に登場するらしい。未見なので知らなかった。1は劇場で見た。面白かった。中に博物館的なコーナーがあり行田市の生態系について紹介されていた。広くはないけれどなかなかよい展示だった。一口に蓮と言うが種類は豊富なのだと知る。
蓮池は三つに分かれていて敷地はかなり広い。歩きがいがある。もうシーズンの終わりかけだったので(通常見頃は6月中旬から8月上旬まで)咲いているのは少なかった。見ている最中は見落としていたが帰宅して写真を見返すとその綺麗なピンク色に惚れ惚れする。蓮の花は綺麗。だけど実は穴だらけでキモい。見るとゾワゾワしてきて生理的に無理。この心理をトライポフォビアと言うらしい。穴じゃないけどヒマワリの中央の種の部分や蟹の甲羅に付いてるカニビルもキモ過ぎて無理。俺はちっこいのの集合体が怖いのかな?
8月も今日で終わり。
8月のメインイベントである夏季休暇は一年放置していたティアキンのクリアに費やした。5日間の夏季休暇はほぼティアキンで終わった。
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それにしても暑い1ヶ月だった。肉体労働者、仕事中に生命の危険を感じることたびたび。家にいる間は冷房を点けっ放し。昔は寝るときは消さないと体が冷えて眠れなかったように覚えているが。というか俺が小学校低学年の頃は、夜は扇風機オンリー、タオルケットを体に掛けるくらいで十分涼しく寝られた。やはり気温は年々上昇しているのか。扇風機、寝ている間は弱運転の首振りにしないと体温が下がって死ぬ、とよく親に脅かされたものだった。今思うと風邪ひくくらいはあるかもしれないがさすがに死にはしないだろう。だが当時の俺にはその脅しがえらく怖かった。寝ているあいだに死ぬ! 寝たらもう二度と目が覚めない! 使い方を少し間違えだけで死ぬような危険な機械をなぜ親は俺に使うんだろう? 俺の死を望んでいるのか? とも考えた。俺の人怖好みの原点かもしれない。
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例年、日照時間が短くなり気温が下がる11月終わりから3月いっぱいくらいまでは気が滅入りがち。比較的若い頃からその傾向はあった。超・軽度の鬱…のような状態。体を動かす気になれず部屋に引きこもって鬱々としている。
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冬に心身の調子が低調になるのは以前からなんだけど、だんだん夏も似た感じになってきた。いやメンタル的な不調はないんだが、すぐ汗が出る、すぐ疲れる、食欲がなくなる、そのせいで元気が出ない。何であれ行動するのが億劫で仕方ない。だから冷房の効いた部屋に引きこもって横になってばかりいる。習慣化しかけたフィットボクシング、またやらなくなってしまった。5月は毎日やってたのに。
今週の水曜は大型の台風10号の影響でひどい豪雨だった。一晩中ものすごい量の雨が降り続け、家の前の道路は足首上まで冠水、ひっきりなしに自治体や災害アプリからアラームや通知が飛んでくるから怖かった。幸い自分も家族も家も無事だったが、毎年のように各地で台風被害や大雨による被害が起きるから夏は恐怖の異常気象シーズンとして自分の中で定着しつつある。今更かもしれないが。
今年、過去のことをよく思い出す。気にかかる。そうして思い出の土地を再訪したくなる。まるでこれまでの人生をたどり直して総括するかのように。あるいは心残りをなくそうとするかのように。祖師ヶ谷大蔵もペンション&コテージ クヌルプも、どちらも懐古の感情に駆られて行った。
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先日、かつて勤務していた会社の現在を見に出かけた。といっても俺は6回だか7回だか転職しているのでそのうちの一社。ある眠れない夜、気まぐれで以前の職場が今どうなっているかを順繰りに検索していたら(上の引用記事にあるが最初の職場は梅ヶ丘にあってそこはもう移転か廃業をしているのを確認した)、今の会社に入社する前に3ヶ月だけ働いた会社が今年の3月で廃業したのを知り、ストリートビューで見ると今にも取り壊されそうで、更地になる前に一度見ておきたくなった。
行ってみると案に相違して建物も敷地もリフォームの最中で、外壁は塗り直され、駐車スペースのアスファルトも舗装し直してあった。とはいえ看板の会社名は消されて空白になっており、外観のレイアウトも少し変わっていたので、買い手がついたかして同業の新会社として近日中にリスタートするように見受けられた。人がいないのを幸い、写真を何枚か撮った。玄関扉のガラスからうっすら透けて見える階段を指差して、同行者に、出勤して扉を開けてこの階段を昇るのがどれだけ憂鬱だったかを問わず語りに話した。この会社に入社したのは2011年11月のこと。震災の影響で求人がないあのご時世に、正社員で就職したのに試用期間の3ヶ月で辞めたのだから、どういう会社だったか察しがつこうというものである。数多ある俺の黒歴史の一つだ。しかし黒歴史だって歴史は歴史である。悪趣味だろうと写真に撮って記録を残しておく。少し離れた場所にある駐車場に行ったら雑草が伸び放題で、半壊の自動車が停めてあり、物寂しい気持ちになった。3ヶ月しかいなかったからさして思い入れもないが、一緒に働いていた人たちは今どうしているのだろう、と考えた。人生、うまくいってるといいが。もう13年も昔になる。不思議なことにさして親しくもなかった人たちは顔も名前も思い出せるのに、よくしてくれた人のことはその両方とも思い出せない。
過去に縁のあった場所を再訪したくなるのは中年の郷愁だろうか。スズキナオ『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』を読んでいたら同じようなことをやっていて、このタイミングでこの文章に出会うのか、と驚いた。この本では「マイ史跡」と呼んでいる。
同じ著者のこの本を今読んでいる。コロナ禍、中年のダウナーな旅の記録。とてもいい。沁みる。
前から行きたかった場所への一泊旅行の予定を入れた。来月行く。8月はオルカンの評価額が大きく下落し、月末の今だいぶ戻ったとはいえ俺の証券口座の資産は5月と同程度にまで下がってしまっている。冬の賞与が出たら動作が重くなってきたiMac(Late 2015)の買い替えもしなくちゃだし、金に余裕があるわけではないのだけれど、一年ごとに気力も体力も感性も衰えていく中年、「今日が一番若い」ことを肝に銘じてなるべく心残り少なく人生の幕を下ろしたいのだ。多少金や手間がかかろうと、行きたい場所へは行けるうちに行っておけ。会いたい人には会えるうちに会っておけ。そもそも今年はそういう一年にしようと年初に決意したのではなかったか。
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歳をとるって衰えしかないからいやなことのように捉えがちだが、いいこともある。
他人が気にならなくなる。
他人との関係を気に病まなくなる。
自分がどう見られているかも、他人が変な態度とってきても、どうでもよくなる。
もちろん程度問題で、ハラスメントとかは例外だけれど、他人が失礼な対応してきたとか、挨拶を無視されたとか、職場の会議で俺だけ意見を求められなかったとか、その程度の出来事なら苦もなくスルーできるようになる。まあ最後のは別の意味で気にした方がいいのかもしれないが…。
加齢によって神経が鈍くなったり、割ける脳のリソースが少なくなったり、これまで生きてきた経験から他人に期待しなくなったりするのだろうか。たぶんそうだろう。むかついても相手には相手の事情が何かあったんだろうな〜と適当に解釈して引きずらなくなる。これは歳とってよかったと思える数少ないいいこと。
だから若い人で人間関係にクヨクヨしがちな人がいたら、今はしんどいかもしれないけど歳をとれば少なくとも今よりは楽になるよ、とアドバイスしてあげたい。というか俺がまさにそういう若者だった。若い頃の俺は自意識過剰で自分が他人からどう見られているか気になって仕方なかったし、他人といても楽しいより(些細なことで勝手に傷ついて)不快になることの方が多かった。そういうのが40歳を過ぎたあたりからなくなっていった。
未来なんてどうなるか予測がつかん。
十年後、自分がどんな人間になっているか、どんな環境で生きているか、わかるはずがない。予想するのは自由だがまず間違いなくその予想通りにはならない。よくも悪くも。
だから今はちょっとしんどかったとしても、そのうち楽になるかもしれない、そのうちいいことあるかもしれないという希望をなくさずに、短気を起こさずに、まあ生きていきましょう。
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