筑波山観光非案内


前から行きたいと思いつつ行かずにいた筑波山へようやく行った。

日本百名山のうちでもっとも低い山。

panpanya筑波山観光不案内」(『おむすびの転がる町』所収)やヤマノススメの聖地でもある。わが家からは圏央道利用で2時間ほどで着く距離。

 

 

10時前に出発。目的地は宿泊する筑波山ホテル青木屋。ホテルからケーブルカー駅がすぐなので宿の駐車場に車を停めてケーブルカーに乗る予定だった。

途中菖蒲PAでトイレ休憩。朝食抜きだったのであんこクロワッサンを買って食べる。

道中はスムーズ。しかし対向の上り車線が昼前にも関わらず渋滞している様子に、明日の帰りは渋滞はまるかも…と同行者と話す。案の定そうなったのだがこの時点ではまだ予感に過ぎなかった。

 

常総ICで圏央道降りたんだったか、すでにもう記憶にない。

結構な時間、一般道を走った。

今回の旅行、あまり下調べをしていなかった。ざっくり宿までのルートを確認したのと、宿とつくば駅の位置を確認したくらい。一泊二食付きプランなので夕食・朝食以外の食事は現地を走りながら適当に目についたところへ入ればいいだろうと考え目処をつけていなかった。

 

圏央道を降りた頃がちょうど昼だったので国道(294号線?)沿いの店で昼食を食べようと運転しながらよさげな店を探すも、なかなかピンとこず通り過ぎるのを繰り返す。この日は暑かったのでラーメンって感じじゃないし、せっかく来たのに近所で食べられるマクドナルドやCoCo壱のようなチェーン店ではもったいないし(月見バーガーと月見パイが食べたい気持ちはあったが)、さりとていい感じの個人店を見つける眼力はない。というか徒歩だったら通りがかりの店の佇まいや表の価格表を見て入ろうか入るまいか決められるけれど、土地勘のない人間が車を時速50キロで走らせながら、フィーリングで店を選ぶのはかなり難易度が高い。もともと食の感度が高くない人間なので尚更。

 

なかなか決まらないまま大通りから外れてしまい、もうここから先は店なさそう…と思いつつ走っていたら、上りのカーブを曲がったところで目の前に大きい蕎麦屋が出現したのでそこに入った。暑いので蕎麦がいいと思ったのと、駐車場が広かったので入りやすい心理が働いた。車から降りて少し離れた場所にある店を見るとかなり大きい古民家の佇まい。入り口前には何人か並んでいた。筑膳とのれんにあった。少し待ったのち入店。おすすめの限定メニューという自然薯のとろろ蕎麦を注文。

外食で蕎麦を食べるのは久しぶりな気がした。ここ最近ずっと蕎麦よりうどんな生活なので。

左下の自然薯豆腐につゆととろろを混ぜて食す。旨し。

 

店を出てしばし走ると目的地に到着。チェックインにはまだ早かったので車を駐車場に停めケーブルカー駅へと向かう。途中に何軒か並ぶ土産物屋は昭和レトロな佇まい。観光地としてはだいぶ落ち着いている印象。

 

筑波山神社へお参り。

 

神社を過ぎて石段を少し登った先にケーブルカー乗り場の宮脇駅がある。神社の脇にあるからこの名前なのかな。

 

駅の前にある渋い土産物屋。筑波山といえばガマの油。買わなかったが。

 

徒歩で登れば山頂まで100分くらいらしいがケーブルカーなら8分で標高800メートル地点に着ける。車内では茨城公認Vtuber茨ひよりさんによる案内放送が流れる。2025年10月は筑波山ケーブルカーの営業100周年だという。下車時に記念としてひよりさんのシールをいただく。下界にいたときは蒸し暑かったのに到着するとだいぶ涼しかった。

 

立ち並ぶ飲食店の窓からは関東平野が一望できる。一服するのも乙なもんだろうと思ったがまずは山頂へ行きたかった。「筑波山観光不案内」によると男体山より女体山の方が標高が高くて「費用対効果」がよく、道中は「気軽な散歩道」とのこと。鵜呑みにして女体山山頂へニューバランスのスニーカーで向かう(一応車に登山靴とトレッキングポールを積んではいた)。最初のうちこそ歩きやすかったが、だんだん岩場になり、これを「気軽な散歩道」とは言わんだろ…との気分に。転びはしなかったが濡れた岩に足を滑らせる。男体山の方はさらにガチなルートらしい。

 

15分か20分か、歩いてようやく山頂に到着。一気に眺望が開け、思わず「おお〜」と声が出た。

 

関東平野を一望できる。田んぼが美しい。でもこの写真だと褪せて見える。肉眼で見た景色はかなりの満足感を与えてくれた。しばし見惚れる。少しあとから同行者もやって来た。

 

ここ何年か、年に何度か近場の低山を歩いてきた。当初はいい運動になると思ったが、転倒したり、ハチに遭遇したりして、山歩きは危険で健康によくない、とだんだん考えるようになった。トイレの問題もある(山の中は基本トイレはない)。山自体は好きなので高尾山にせよ、この筑波山にせよ、観光地化された山にケーブルカーやロープウェイを利用してショートカットして、残りの距離を歩いて山頂に着く、みたいな山歩きに今後はシフトしていこうかな、と思っている。健康のための運動としてなら山より近所の住宅街を歩いた方がいい。転倒したりハチや野生動物に遭遇するリスクは(ほぼ)なく、水分が足りなくなって気分が悪くなったり途中で催して窮地に陥ることもない。安心安全だ。

 

無事ケーブルカー駅まで戻るとすでに飲食店は軒並み閉まっていた。15時を少し過ぎた頃だったか。ケーブルカーの運行が16時台までなので店は15時で閉まってしまうのかもしれなかった。残念。展望台に入ろうとしかけたところで乗務員が間もなく下りのケーブルカーが発車する、と告げるのが聞こえる。展望台より高い山頂からの眺めを見ているし、宿で汗を流したい気持ちもあり、急いでケーブルカーに乗って下山する。

 

投宿。

真っ先に風呂へ向かう。パノラマの内湯と展望露天風呂があり、自分は露天が好きなので後者へ。貸切状態で40分ほど、湯船から出たり入ったりしながら筑波山頂から眺めたのと同じ関東平野を今度は湯に浸かりながら堪能する。露天風呂は外から見えないよう簾のような目隠しがされているケースが多いが、青木屋の露天風呂は転落防止の柵こそあれ目隠しはなく、だから眺望を満喫できる。その代わりすぐ下にある民家からはその気になれば丸見えだが。まだこういう露天風呂ってあるところにはあるんだな、と新鮮だった。

 

夕食はコース。レモンサワーとウーロンハイを飲んだ。酒を飲むと何するのも億劫になる。なので上の写真の他に刺身や天ぷらや茶碗蒸しなどが提供されたのだが撮っていない。

部屋に戻ってタブレットで読書してるうちに眠くなり0時前に就寝。

 

翌朝、5時過ぎに起床。途中で何度か目が覚めた。久々の布団での就寝だったので寝つきが悪かったか。5時半から風呂に入れるのでまた露天風呂へ入りに行った。20分ほど入って部屋に戻ると同行者も風呂に行ったらしくいなかった。浴衣から私服に着替えて近所の散歩に出る。15分かそこら歩いて何度か石段の登り降りをしたら暑くて汗が出てきた。つくば、かなり蒸し暑い土地の気がする。俺が住んでいる埼玉県某市より蒸し暑いような。

 

筑波山郵便局、渋い。

朝食。普段ならご飯をお代わりするがこの日は昼食に加えて食べたいものがあったので控えておいた。お茶は出してくれたがコーヒーは飲めなかった。目が覚めたらまずコーヒーを飲むカフェイン依存症者(?)のためキツかった。

 

8時過ぎにチェックアウト。山の中の道を通って、5kmほど離れた筑波山ロープウェイ駅駐車場へ向かう。そこそこの急坂をうねうねと。

 

駐車場にはガマランドなる施設がある。昭和の観光地感満載のここへ来たかった。なかなかフォトジェニックだと思いませんか。

 

ガマランド、秘宝館的なメンタリティと通じる部分がある。何年か前までは営業していたようだが今はしていない。Xの投稿を見ると少し前までは遊具の塗装が剥げていて廃墟感がすごかったが今は塗り直されており緩和されている。ガマ洞窟、手作り感のあるお化け屋敷的スポットのようで営業していたら入りたかった。

昭和には百貨店の屋上に子供が乗れる遊具のおいてある屋上遊園地的なスペースがよくあった。

 

ここの駐車場に車を停めて登山口に入っていく登山者を多く見かけた。下りはロープウェイを利用するつもりなら登りしか考えないでいい。その分荷物を少なくできる。女体山山頂からロープウェイ駅はすぐ近くでトイレもある。駐車場も広くて停めやすい。諸々都合がいい。上に書いたことと矛盾するがいつかここから筑波山に登ってもいいな、と思った。

 

余談だがpanpanya筑波山観光不案内」の旅程を現実的になぞると、秋葉原駅からつくばエクスプレスつくば駅に到着後、シャトルバスで筑波山入口へ。ケーブルカーを利用して女体山を登り、下りはロープウェイ。麓の筑波山京成ホテルに宿泊、となるだろう。

 

ガマランド目当てとはいえせっかくここまで来たのでロープウェイに乗ることにした。乗り物に乗るのが好きなのもある。10時が始発。一番乗りで乗車。

 

ケーブルカーだと8分かかるがロープウェイなら6分で女体山山頂の近くまで着く。もともとはケーブルカーのみの運行だったが高度経済成長期に観光客が増えると輸送力が足りなくなりロープウェイを作ったのだという。

 

二日続けての筑波山。昨日山頂まで行ったので今日は登りはなし。駅下の展望スペースから関東平野にズームイン。指でつまめそうなほどの山や森も実際に通り抜けるには車で何分もかかる規模なのだ。日本の国土の75パーセントは山地である。限られた狭いスペースに人々はひしめきあうようにして暮らしている。

レストラン兼土産物屋があったのでここでようやくコーヒーを飲む。お土産として信楽焼の小さいカエルを購入する。「筑波山観光不案内」によるとこのカエルはわざわざ滋賀から仕入れている。茨城の笠間焼は信楽焼の陶工が技術を伝えたのがルーツだが、どうしてかカエルの製法は伝わらなかったらしい。不思議な話である。

 

ロープウェイで下山したのが10時過ぎ。ここからつくば駅方面へ向かう。今回の旅行の第一の目的地は筑波山およびガマランドだったが、もう一つ行きたい場所があった。

 

つくばエキスポセンターである。ここでノスタルジーに耽りたかった。

 

つくばで科学万博が開催されたのは1985年。当時俺は8歳だった。理科に興味のない少年だった(学研の子供向け科学雑誌は何年か購読していた)のであまり関心も記憶も残っていないが、イメージキャラクターのコスモ星丸はよく覚えている。

 

コスモ星丸をデザインしたのは当時中学一年生の女子。この方も現在は55歳になっている。時の流れである。宇宙服、宇宙船内のトイレや寝室、しんかい6500のレプリカなどをざっと見して、たいして大きくもないのに密度が凝縮されているのかクソ重い(8.4kg)隕石を片手で持ち上げようとして腰を痛め、体験コーナーはほぼ子供のための場所なのでスルーし、日本最大級らしいプラネタリウムでうとうとし、熱心な見学者とはいえなかったが、日本の電気製品の歴史を紹介するコーナーは見入った。これが見たかったんだよ。

 

ショーケースに陳列された電卓、ラジカセ、デジカメ、ウォークマンファミコン、携帯電話(ショルダーフォン)、ビデオカメラなどの製品を眺め、説明書きの「日本が世界をリードした」という一文や、そもそもこの時代を生きていた人間の一人として、80年代はまだ、この国の「明るい未来」や「明日は今日よりよくなる」を信じることができたなあ、と感慨に耽った。もちろん当時だって公害問題があり、86年にはチェルノブイリ原発事故が起きたわけで、科学技術の進歩がよりよき未来を必ず招くと信じられたわけではなかったのだろうけれど、今とは比較にならないほど世の中の雰囲気は楽観的だったように思う。同時多発テロ原発事故や感染症パンデミックを経た今では、この国にも、世界全体にも、明るい未来があるなんてもう信じられない。

 

…と辛気臭くなるのは腹が減っている証拠なので駅の反対側へ移動してラーメンを食うことにする。グーグルで「ラーメン」と検索して近くに見つかった、中華そばJUN-CHANへ。

並んだのち15分ほどで通された。最初はお店のおすすめ特製中華そばにしようとしたが暑かったので限定メニューの清涼中華そば(醤油)にした。とても旨かった。特製中華そばもさぞや旨いのだろう。また来たいがさすがに遠すぎる。近所に欲しい。

 

そのあと、食後のジェラートを食べるべくコート・ダジュール本店へ。が、残念なことに今年はジェラートの提供は別の店舗でしかやっていないという。なので諦め、代わりにケーキとドリンクを求め、屋外のイートインスペースで食べることにした。

自分はモンブラン、同行者はシャインマスカットのなんとかってケーキ。モンブラン、中は生クリームがぎっしり。でも上品なマイルドな甘さなので重くない。甘いものを食った瞬間の多幸感、ヤバい。アルコールより効く。しかもラーメンを食ったあとのケーキなんて罪悪感が強すぎてちょっと落ち込むレベル。たまにだから許されるが、しょっちゅうこんな食生活をしていたらギルティでしょう。恐ろしい。

 

すでに15時近かったので圏央道が混む前に帰路についてもよかったが、25kmほどしか離れていないので牛久大仏を見ていくことにした。2008年に一度一人で来ているが同行者は初めて。圏央道を走っていると見かける。大きいので遠くからでもよく見える。

 

 

全長120メートル。やはりでかい。16年ぶりに来たけど中も外も綺麗で感心した。まめにメンテナンスをしているのだろう。中に入るのに800円の拝観料は良心的価格だと思う。見学体験としては、無明の闇から扉が開いて阿弥陀如来像が照らし出される入場してすぐがクライマックスかな、という気がする。2階だったか、16年前も現在も変わらず写経をやっている。宗教や信仰にとっては16年などまばたきにも満たないわずかな時間なのだろう。科学による明るい未来を信じられなくなったら信仰に入門するのもひとつの生き方かもしれない。

 

帰路、圏央道は工事と事故のため渋滞。阿見東ICから乗って1時間で15kmしか進まない予想外の事態に疲れる。帰宅時間が予定よりだいぶ遅れてしまった。しかしあちこち回れたので満足度の高い二日間だった。