少し前に読んだ二冊と大体同じようなことが書いてある。それだけ妥当性があるということか。
hayasinonakanozou.hatenablog.com
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上の2冊との違いとして、コミュニケーションの専門家である著者らしい、オジサンが孤独に陥らないための対策としてコミュニケーションのコツが述べられている。挨拶する、笑顔でいる、人の話を聞く、褒める、お礼を言う…って、なんだか子供の教育みたいと思ってしまうが、実際、社会人やってると自分自身を含め、子供の方が素直なぶんよっぽど大人だよなーと思うこと、多々ある。元気に自分から挨拶する、率直に助けを求める、何かしてもらったらお礼を言う、横断歩道を渡るときは手を上げる…最後のは違うかもだが、まともに挨拶ひとつできなかったりすぐ不機嫌になって拗ねたりする幼稚なオッサンのなんと多いことか。
以下、印象的だった箇所をメモ的に引用する。
威張る、文句を言う、キレる……。「暴走老人」たちの行為を見聞きすると、気は滅入るばかり。要はみんな「寂しい」のだろう。でも、それを素直に認められない男の性。最近、知り合いがこんなことを言っていた。「老後はね。『きょういく』と『きょうよう』が大事だよ。今日行くところがある、今日用がある」。
友人の選挙を手伝っていた女性は、中高年のボランティアの人たちと一緒に仕事をするうちにあることに気づいた。女性たちは、おしゃべりを楽しみながら、自然に共同作業を楽しむのだが、男性は時々、声がけや感謝の意を伝えないと「すねてしまう」ところがあった、と言うのだ。「『すねる』『ひがむ』『うらむ』という言葉の裏には『甘え』がある」と精神科医の土居健郎は著書『「甘え」の構造』で指摘したが、「無償の奉仕」に慣れない男性は、知らないうちに、自らの「奉仕」に対し、「働きを認め、プライドをくすぐる」という「対価」を求めているところがあるのかもしれない。
男性は女性に比べて「ほめるのは下手」なくせに、実は人一倍「ほめられたい」生き物である。周りの男性を見ていると、単純なくらい「ほめ」に弱い。
褒められるのに弱いのは男性がプライドの生き物だからか。一方で褒めるのが下手なのは「男は無口な方がいい」的な、いわゆる「覇権的男性性」の価値観に囚われているから…だけではなく脳の構造的な問題もあるらしい。
まず、「人の表情やしぐさなどから、感情を読み取ることが難しい」と感じる男性は少なくない。カナダの学者が、俳優の表情から感情を読み取るという実験を行ったところ、女性のほうが、男性より、早く、正確に読み取れるという結果が出た。特に女性は恐怖や嫌悪感などの感情を見極める力が優れていた。イギリスの調査では、男性が人の特定の表情を読み取ろうとする時、脳に通常の2倍の負荷がかかることがわかったという。オランダの実験では、女性が男性ホルモンを投与されると、人の感情を読み取ることが難しくなるという結果が出た。
『男はなぜ孤独死するのか』に、男の赤ちゃんが物体に関心を示すのに対して女の赤ちゃんは人の表情に関心を示す傾向がある、と出てくる。
「女性は面と向かって face to face でおしゃべりを楽しむが、男性は肩をならべ、shoulder to shoulder でしかコミュニケーションができない」
これはイギリスにある工房のような集会施設の発起人の言葉。そこでは男性たちが各々DIY作業をしながらコミュニケーションをとっている。「女性はコーヒー一杯で延々とおしゃべりを続けられるが、男性はスポーツや趣味、仕事といった共通の作業、目的がないとなかなかコミュニケーションがはかどらない」とはたびたび指摘されるところだ。無目的な雑談が苦手なのだ。
「男らしくあれ」というマッチョ信仰が、男性を縛りつけており、なかなか悩みを打ち明けられない、助けを求められない傾向もある。また、「プライドの生き物」である男性は「ボランティア」「慈善」「高齢者支援」といったサービスの受益者になることに抵抗を覚えやすい。
これもよく指摘される。自分が弱者であると認めることは男として敗北したような気持ちになるのかもしれない。
「人と付き合うのは面倒だ」「向こうから声をかけてくれるのならいいが、こちらから声をかける気はしない」。中高年の男性は、人付き合いを面倒くさいという人が少なくない。わざわざ、そんな努力をするぐらいなら、家で本を読んでいるほうがいい、と言う。もう一つ、彼らから聞こえてくるのは、「子供のころの友達とは、忌憚なく付き合える、腹を割って話せる」という声だ。社会人になってからの友人より、若いころの友人のほうが気楽に付き合えるのだという。
社会人になり、戦闘服を身にまとってからの知人はある意味「競争相手」という意識があるのかもしれない。「ライバル」に簡単に胸襟を開くことはできないが、一緒に先生に怒られたころの友人なら、心を許せる。
とてもよくわかる。仲のいい新卒の同期が30年後に片方は幹部、片方は一般社員で対等に付き合えるか、変わらぬ友情がそこにあるか、あればかなり幸運なレアケースではないだろうか。でも小中学校時代の友人は違う。酒席で何十年も昔の馬鹿話に盛り上がり、しかもそれを会うたび繰り返して飽きない、そういう関係を維持できる。今でこそ友だち0人の俺だって20代まではそんな幼なじみと言えるいい友だちが何人もいたのだが…。友情を維持する努力をしないと関係はいつか切れてしまうのだ。そして切れてしまうと修復は難しい。友情を軽んじたことは人生で大きな後悔だ。
ミッドライフクライシス “人生の曲がり角”をどう生きる - NHK クローズアップ現代 全記録
友だち0人の独身中年だけど趣味より友だちがいるかどうかが重要だと思う。理想は学生の頃の友だち。素性がわかってるし損得抜きの関係だし過去を共有してる。友人関係維持する努力してくればよかったと後悔してる。
2024/09/25 10:04
人との付き合いとは何とも複雑で面倒なものだ。それに比べて一人は気楽で、自分の好きなように時間を使え、気兼ねが要らない。多くの働く男性が、将来、自分の自由な時間を持てることが楽しみだと言う。しかし、一方で、孤独を恐れている。難しいのは、人と向き合う力は鍛え続けなければ、衰えていくということだ。いったん、外に向かう力を弱めると、どんどんと内に向かう力にからめとられ、遠心力が利かなくなる。長らく精神的孤立を続けると人間は、例えば、周りの人を敵とみなし、反社会的になるなどの「認知のゆがみ」を生じることがある。もしくはそうしたゆがみが、孤立につながっている可能性もある。そうした場合には、医学的な知見に基づいた「治療」が求められる場合もある。
クレーマーオジサンや、過去の肩書にしがみつき威張るオジサン、駄々っ子のようにひがみ、ねたむオジサン。いわゆる「老害」化する中高年男性の心の奥底には、「誰にも相手にしてもらえない」「自分の言うことに耳を傾けてくれない」という社会の隅に追いやられたような孤独感が巣くっているのかもしれない。人は誰もが、自分は「老害」にはなりたくないと思っていることだろう。自分一人の自由を楽しみながらも、人とのつながりの中で生きていく。上手にバランスをとりながら、孤立しない生き方を探っていく必要がある。
著者によると、映画『マイ・インターン』でロバート・デ・ニーロ演じる人物が理想のオジサン像であるという。「出しゃばらない、押しつけがましくない、キレない、素敵な笑顔、チャーミング、清潔感、癒される、穏やか、人の話をよく聞く、でも、いざという時、頼りになる」オジサン…って、それオジサンというか性別を超越して理想の人間像では、という気もするが…。プライムビデオ見放題にあるので今度見ようと思った。
中高年男性の孤独についてはもう十分知見を得たのでしばらくは読まなくていいかな、という気分。読むより対策を実践する方が重要。と言っても7月に『男はなぜ孤独死するのか』を読んで以降、これといった行動を何一つ起こしてはいないのだが。

