物語を堪能した。読み耽った。
二人の視点人物がいる。一人は1967年に生まれ、昭和のオカルトブームの中で成長した飛馬。もう一人は戦後まもなくに生まれ、マクロビオティックの食事で懸命に子育てをした不三子。時代は前後するものの同じく昭和、平成を生きた二人がコロナ禍の子ども食堂で出会う。
本書のテーマは帯の惹句が端的に述べている。
「信じることの意味を問う」
登場人物たちの多くが何かを信じている、あるいは信じようとする。
飛馬の祖父は予知能力によって村を救った英雄…であると飛馬の父は信じている。
飛馬は信じたいと思うものを善意から信じようとする。
飛馬の同級生の女性は超越的な存在に惹かれ信じようとする。
不三子は天使のように尊い我が子を大事に育てるにはマクロビオティックの食事しかないと信じている。
子ども食堂にくる少女は自分の言葉(嘘?)を信じている。
彼や彼女が信じているものは本人にとっては真実だったり支えだったりするのだが、他人の目にはオカルト、カルト、デマ、フェイクニュースのように映る。
村を救ったという飛馬の祖父。祖父に恥ずかしくない男になれ、と子供の頃から父親に言われ続けて育った飛馬。彼もきっと自分の祖父は立派な人物だったのだろうと父の言葉を真に受けて思い込む。だが彼の母親は義父に対して夫とはまったく違う見方をしていた。
「忘れたほうがええよ、そんな話」
我が子が可愛くて尊くて、この子を大事に育てたい、母親として守りたい、その願いから不三子はマクロビオティックの食事を学び実践する。健康にいいはずの食事。しかし制限が多い。子供たちは給食を食べさせてもらえず弁当を持たせられる。同級生とお菓子を食べることもできない。そのことの歪みが、成長とともに母と子の関係に亀裂を生む。とくに娘が反発する。高校生になった彼女は笑いながらこれまでの恨みを母親にぶつけたあとで失踪する。もうすぐ世界は終わるのにこの家では死にたくない、そう置き手紙を残して*1。
世界が終わる?
この感性は当時流行したノストラダムスの予言に影響を受けている。1999年7月、空から恐怖の大王が降ってくる。解釈者によるとそれは世界の滅亡を意味しているという。
飛馬は昭和のオカルトブーム真っ只中で少年時代を過ごす。ノストラダムスだけじゃない、同時期には全国で、口さけ女や人面犬やUFOやコックリさんが都市伝説として流行した。彼の同級生の少女は超常的な世界に惹かれ、大学入学で上京するとカルト教団の在家信者(明記されていないがオウム真理教だろう)になり、その後はヨガのインストラクターとして生計を立てている。中年になり、ひさしぶりに再会した彼女は飛馬にこう語る。
「ノアの方舟って話あるでしょ? 聞いたことあるよね? 聖書の。神さまに洪水が起こるって言われて、ノアって人が神さまの指示通りにでっかい舟作って、自分の家族と、動物を雌雄一頭ずつ乗せるの。聖書だから宗教違うけど、私その話のこと考えたんだよね」
とつぜんはじまった話が、どこにどうつながるのかわからずに、飛馬はただ相づちを打って先を促した。
「私だったら、家族だけ生き残るなんていやだと思っちゃって。洪水がきて、みんな死んで、乾いた陸地に降り立つのが自分の家族だけって、どう? うれしい? 私だったらみんなと流される方を選ぶ。信じる者だけ助けます、じゃなくて、信じない人といっしょに流されなさいっていう神さまがいたとしたら、そっちを信じるって、そう思って、離れたんだけど。でも、それって、あれの影響かもしれないとも思うんだよね」
「え、あれって何」飛馬は訊いた。
「子どものころにはやったでしょ、世界が滅びるって話。あれなんかはいっそすがすがしいじゃない、みんな滅びるんだから。……なーんて冗談だけど、でも、私たちの世代って何かしら影響を受けてるとはマジ思うな。世界はいつか滅びて、UFOは人や牛を誘拐して、死んだ人と会話が可能で、超能力は存在する。大人になっても、どっかそういうの信じてるとこ、ない?」
この引用部分を読んだとき、自分のことを言われているようだった。自分もこの人物と同じ考えを持っていたから。仮に大災害が起きて、そのときもし可能だったとして、俺は自分一人だけ助かりたい、生き残りたいと願うだろうか? たぶん願わない。好きな人も知っている人もいなくなった世界で一人ぼっちで生きていくくらいなら、みんなと一緒に死ぬ方を選ぶだろう。信じる者しか救わないせこい神様より、信じない者と一緒に滅びろと冷酷に告げる神様の方が信頼できる気がするのはなぜだろう。自分なんかが選ばれる特別な人間のはずがないという自己評価の低さ(正当な評価だ)が関連しているかもしれない。人間なんて全員いなくなった方が地球に優しいしな。
「大人になっても、どっかそういうの信じてるとこ、ない?」
何年か前までそんなこと全然なかったのに、ここ最近になって妙にオカルト的なものに惹かれる。馬鹿馬鹿しいと思いつつ、その馬鹿馬鹿しい絵空事に、味気ない現実より豊かなもの、面白いものがあるような気がしてしまう。松浦寿輝の傑作中年小説(と俺が勝手に思ってるだけ)である『半島』に、人生の黄昏に入ると子供の頃になくしたはずの不思議がまた戻ってくる、というセリフが出てくるが、マジでそうなりつつある。子供の頃になくした不思議…俺にとっては少年時代に触れたオカルトがそれにあたる。たぶん俺という人間の嗜好のルーツの一つとしてそれはある。今年そっち系の本何冊か買った。
歳食って、当時のオカルトブームはなんだったんだろう、と懐古や検証したい気持ちも働いているかもしれない。経済的繁栄では満たされない、精神的な充足感を求める気持ちが生んだブーム? バブル経済の陰画としてのオカルト?
飛馬たちより10歳年下の自分も、小学生の頃にノストラダムスの予言を知って、自分は22歳で死ぬのか、とぼんやり考えて、でも小学生の頭には22歳なんてとんでもなく大人に思えて、実感も恐怖もなかった。遠い未来の話だった。実際にその時を迎えれば、やってきたのは恐怖の大王ではなくバブル崩壊とそれに伴う就職氷河期だった。
角田光代の小説を読んだのは本書が初めて*2。別の本を買いに行った本屋でふと帯の惹句を目にし、釘付けになった。
「口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。でも疫病が流行し、今日も戦争は続いている」
ちょうど自分も記事タイトルに恐怖の大王を引用した直後だったので偶然にびっくりした。俺のは全然ノストラダムス関係ないけど。
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こんなタイミングで出会うの面白いな、と思って買って帰り、読み始めたら、日航機墜落や有名アイドルの飛び降り自殺や連続幼女誘拐殺人事件やカルト教団によるテロや震災や、それらがストーリーに大きく関わるわけではないんだけど、作中にトピックとして登場してくるたび、同時代を生きた人間として感慨を抱かずにはいられなかった。
マタイによる福音書にこうある。
偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
偽預言者は綺麗な外見や耳ざわりのいい言葉で近づいてきて人を欺く。言葉巧みに劣等感を刺激し、世界を実際より悪い場所だと信じ込ませ、互いに互いを憎むよう仕向け、財産を奪おうとする。なんだかインターネットやSNSに跋扈する怪しげな誰それ、あるいは団体のようじゃないか。偽預言者の言うことに耳を貸してはならない。
人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。
偽預言者で溢れ返る時代に、何かを信じることの意味について考えさせてくれる小説だった。生きることは不確かで不安だから、絶対や安心を求めて、人は何かを信じたり縋ったりせずにいられないんだろうか。
同時期にはてブで見かけてこの漫画を読んだ。『方舟を燃やす』とは真逆の視点から、信じることの意味を問うている。
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