少し前に読んだ。ネタバレあり。
ミニマリストのインフルエンサーがその生活に行き詰まり、偶然見つけたゴミ屋敷で失われた創造性を蘇らせる、という話。無駄とばかり思っていた所有することの有用性、豊かさが発見される。著者の小説、『ファントム』のFIREといい、今時な社会の思潮がテーマなのは面白いが、ストーリーが予想可能な常識的展開なのでいまいち物足りなさがある。もっとクレイジーだったらいいのに。
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主人公は人から頂いた食べ物や、恋人が買ってくれたキーホルダーさえ捨ててしまう極端に物の所有を拒む人物。さすがに度を越しているけれども、ここまで極端ではなくても、所有物を最小限に抑えたライフスタイルへの憧れは俺もある。無駄がなく、スッキリしていて快適な生活が送れそうだから。
でもそれは平時に限った話。数年前の新型コロナウイルスによるパンデミック(それと幾度もの震災)は物を持たないことのリスクを明らかにした。店頭から商品が消える。ミニマリスト的ライフスタイルは所有を社会に依存しているため社会が供給不足に陥る非常時に弱い。
加えて、最近のインフレがある。物価が上がると、必要になった都度物を買おうとしても前より高い出費を求められてしまう。あるいは、必要なときに「借りればいい、シェアすればいい」と考えていたのがサービスの価格上昇や供給不足によって崩れる可能性もある。
ミニマリスト的ライフスタイルって、都市部在住の、比較的裕福な、独身者向けなところがある。で、都市部って基本的に土地が高い。したがって家も狭くなる。所有を減らしてスペースを確保するって考えになるのは自然なことなのかな、という気がする。部屋が狭いから物を持たなくなるのか、物を持たないから狭い部屋でいいのか、は「卵が先か、ニワトリが先か」みたいな話だが。
土地が安くて、家が広くて、その代わり周囲には店がない、という状況なら逆に物を備蓄するって考えるようになるんじゃないか。上の引用記事でも言及されるプレッパーはそういう環境だから成立するライフスタイル。
中にはやべえ思想から実践している人もいるようだが…。プレッパーというとドラマ『THE LAST OF US』第3話を連想する。自分のことは自分でやる、アメリカ人の開拓精神も影響してそう。
ChatGPTにこの記事のタイトルとなった質問をしてみた。結論はこう。
結論:ミニマリズムは「極端」より「戦略的」に
今のような不安定な時代では、「戦略的ミニマリズム」が最も現実的です。
持たないのではなく、“必要最低限は持つ”
捨てるのではなく、“将来使う可能性が高いものは保管”
買わないのではなく、“価値が落ちにくいものを選んで所有”
つまり、「身軽さ」と「備え」のバランスが鍵になります。
続けてこう質問してみた。
パンデミックになれば買い占めが起き、日用品や食料が買いづらくなる。本や音楽を配信で楽しむと配信がなくなったとき読めなくなったり聞けなくなったりする。非常時に備えストックを持つライフスタイルの方がこれからの時代に合っているように思うのですが、どう思いますか?
返ってきた返答の一部。
今の時代に合うのは、ストック型ミニマリズム
一見矛盾に聞こえるかもしれませんが、以下のようなライフスタイルがむしろ時代に適応しています:
▶「必要最小限+備蓄の合理化」
本はすべて買わなくても、本当に繰り返し読みたいものは紙で持つ
音楽は配信中心でも、本当に大事なアルバムはダウンロード購入 or CD所有
日用品は、使用頻度・重要性・保存性を基準に選別してストック
👉例:保存食・水・ティッシュ・生理用品・カセットガス etc.
▶「オフラインでも成立するライフラインの確保」
アナログな手段(ラジオ・地図・現金など)を一定数持っておく
配信系の娯楽に偏らず、紙の読書・手書き日記・家庭菜園などにも目を向ける
要するに無駄のない範囲で大事だと思う物のみ選別して所有する、非常時に備えストックを持つ、両者をバランスよくやれと。
結論として:
「持たない美学」から「持つべきものを選び抜く美学」へ。
あなたの言うように、むしろ今の時代は「ストックする力」が生活の安定につながる側面もあります。
それは決して反ミニマリズムではなく、**新しい時代のリアルなミニマリズム=“災害対応型の選択的所有”**と言えるかもしれません。
まあ、そうでしょうね。なんでもバランスが大事。そして何でもバランスよくやるってのは意外と難しい。極端に振れる方が楽だったりする。
本記事の結論。
「パンデミックを経たインフレ基調の現代日本でミニマリスト的ライフスタイルは有効か」。所有とストックをバランスよくやるなら有効である。
以上。
以下、余談。
上で述べたのは物質的な話。ここからは精神的な話。
『滅私』の主人公は、物が溢れるゴミ屋敷で自分の創造性が刺激されるのを自覚する。大袈裟な言い方になってしまうけれど、文化は効率性の追求からは生じない。文化は無駄を楽しむ精神の余裕から生じる。
極端に物が少ない部屋の禅的な静けさは美しい。でも何かを生み出すには雑多な情報が要る。創作者の部屋やデスクって大抵雑然としている。乱雑に散らばった情報や物質がインスピレーションの源泉になるからだ。
ChatGPTへの質問。
文化とは効率性の追求からは生まれず、無駄を楽しむ精神の余裕から生まれると思います。雑多な情報や物質がインスピレーションの源泉になると思うのですが、あなたはどう考えますか?
われながら「どう考えますか?」って無茶振りしてんじゃねえよって感じだが、返ってきた答えの一部。
文化は“非効率”の中に宿る
文化や芸術は、常に「目的」や「効率」だけでは測れないところから生まれてきました。
誰の役に立つでもない落書きが、後に「現代アート」として価値を持つ
無駄話の中から、思いもよらないアイデアが生まれる
時間をかけて編んだ手仕事に、機械には出せない“温度”が宿る
つまり、「役に立つこと」だけを求める社会には、“面白いもの”や“心を動かすもの”は育ちにくいんですよね。
君が言うのか、「機械には出せない“温度”」と。ちょっとびっくり。というか「ですよね」ってなんだよ。距離感おかしくない?
で、結論。
結論:文化は、余白と“遠回り”から生まれる
効率や合理だけでは、心が動くものは生まれない。
あなたのように、「ムダを大切にする姿勢」は、まさにこれからのAI時代にこそ価値があると思います。
いや、だから君が言うのか、「これからのAI時代」と。
デスクや棚に置いてある物からふとアイデアや感情が喚起され、それが次第に別の情報と線的に繋がって像を結ぶ…ということが、創作者ではない俺にもたまにある。その物が持つイメージや込められた記憶が何かしらこちらに働きかけてくるのかな。プルーストの『失われた時を求めて』にこうある。
私は、ケルトの信仰がじつに理に適っていると思う。それによると、亡くなった人の魂は、動物とか植物とか無生物とか、なんらかの下等な存在のなかに囚われの身となり、われわれには事実上、失われている。ところが多くの人には決してめぐって来ないのだが、ある日、木のそばを通りかかったりして、魂を閉じこめている事物に触れると、魂は身震いし、われわれを呼ぶ。そして、それとわかるやいなや、魔法が解ける。かくしてわれわれが解放した魂は、死を乗り越え、再度われわれとともに生きるというのだ。
物に宿る呪術的パワーみたいな。実際、毎日使っている道具──マウスでも、スニーカーでも、箸でも、そうした物に長い月日をかけて俺という人間の何百分の一かが宿っていったとしてもおかしくはない…いや、おかしいか? 親しい人の遺品とかを大事にするのもそれがその人を表象しているからではないのか。
なんだか話が散らかってしまった。
とりあえず今回はここまで。
ミニマリスト的な「所有の少ないスッキリした生活」への執着があるのでこの話は今後も考えていく*1。
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*1:俺は本以外の所有物は少なく、私服は制服化して、毎日だいたい同じような食事をしている

