19年ぶり、気仙沼再訪

二泊三日。仙台から陸前高田まで北上して震災遺構を見学してきた。単独行。

本記事には震災遺構の写真が出てくる。ご承知おきください。

 

今年、震災遺構や関連施設を訪れるのは三度目。経緯や心境は過去記事に(断片的に)書いてある。

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金曜日。仕事が終わって帰宅してから大宮発のはやぶさに乗車。仕事のあとで新幹線に乗る移動パターンは人生で初めて。40代後半にもなってそんな強行軍はするもんじゃない、とやってから若干後悔。仙台駅までたった70分程度とはいえ、肉体労働でくたくたになった体で出かけるのは疲れる。しかも俺の席に他人が座っていたのでどいてもらうという予想外のトラブルもあった。めんどくせえ。

 

今年三度目の仙台駅。だいぶ慣れた。改札を出て東口へ。空腹だったので利久で牛タン定食とビールを注文。

 

利久からすぐそばのコンフォートホテル仙台東口に宿泊。すでに21時近かった。今回、金曜夜に新幹線に乗ることにしたのは土曜の朝イチからレンタカーで移動できるようにするためだった。土曜早朝の新幹線に乗って仙台でレンタカーを借りるより、金曜のうちに仙台に着いていた方が諸事スムーズだろうと判断した。なぜ土曜の朝イチから移動したいかというと長距離を運転する必要があるからだ。気仙沼まで行きたかった。

 

ベッドに横になって、何時間か前まで会社で仕事をしていたのに今は仙台のホテルにいることを不思議に感じた。夜更かしせずさっさと寝て翌朝早めに起床。無料朝食付きプランだったが食べてしまうと少食な俺は昼が食べられないかもしれないのであえて抜いた。そのぶん昼飯を早くする。レンタカー屋がオープンする時刻に合わせて店に着いた。

 

最初の目的地は南三陸旧防災対策庁舎。運転時間は正確には覚えていないが8時15分頃出発して10時過ぎには写真を撮っているので2時間かからなかったようだ。

雀たちのすみかになっていた

 

遺構は震災復興祈念公園内にある。少し離れた場所には旧志津川駅がある。

 

南三陸311メモリアル。外にはうさぎのベンチ。

 

公園に接するかたちで飲食店などが軒を連ねる南三陸さんさん商店街がある。11時過ぎ、創菜旬魚はしもとに入る。はらこ飯っぽいのがあったので注文。秋旨丼ってメニューだったかな。四季ごとに限定で季節の丼ものを提供しているみたい。他の季節は忘れたが夏はうにだった。うに丼、食いたかった。

しゃもじをスルーして食べてしまったんだけど今思うとこれで飯を混ぜろってことだったんだろう。鮭の切り身を潰して混ぜないでそのまま食べていた。でも旨かったことに変わりはないのでヨシ。

 

出発前にJR志津川駅でSuica搭載のodecaという交通系ICカードを購入。IruCa、ICOCA、icsca、そしてodeca。着々と各地域の交通系ICカードコレクションが増えている。

お出かけと尾がでかいをかけている?

 

次の目的地は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。30分ほどで着いた。気仙沼には2006年に一度来ている。今回19年ぶりの再訪。記憶がまったく残っていないので、道中運転しながら、初めて来たようなもんだな、と思った。

元は高校。不謹慎かもしれないが、映画のセットか現代アート作品を見ているようで現実感が薄かった。目の前にあるものがリアルだとうまく想像できないというか、脳のキャパを超えてしまっている。かつては校庭だった場所が今は広場のようになって市民に開放されているらしく、俺が訪れたときは大勢の高齢者たちがゲートボール? をプレーしていて、その日常性と震災遺構のギャップに混乱したのもある。ここまで知らない道を長距離運転してきたせいもあったと思うが、見学を終えて疲労を覚えた。荒廃した教室に震災前の生徒たちの日常写真が掛けられている展示は来るものがあった。

 

次に、車で数分の場所にある三陸復興国立公園岩井崎へ向かう。空の雲行きが怪しくなってきたものの降らずに持ち堪えてくれた。


チェックインの時間が近づいてきたので今夜の宿、気仙沼プラザホテルへ。チェックインするなり風呂に向かった。湯は気仙沼温泉。先客は一人しかおらず、俺が入ってすぐに出て行ってしまってそれからしばらく誰も入ってこなかったので露天を何十分も独占できた。よき。久々にサウナにも入った。1時間近く風呂にいた。ここしばらくひどかった腰痛が少し和らいだ気がする。

 

朝夕食事付きのプラン。夕食はかなり量があった。でも魚がメインだからか、胃が重くなることなく食べきれた。後でもたれることもなかった。翌朝の朝食といい、食事の満足度はかなり高い。加えて温泉もあり、いいホテルだ。その割に料金はリーズナブル。また来たい。

左上のメカジキのしゃぶしゃぶがとくに旨かった

 

二日続けて飲んじまった

 

写真はないけどグラタンとデザートも付いた

 

日没後、散歩ついでにカメラを持って外に出た。曇っていなければ星がよく見えただろう。俺は旅行中あまり夜出歩かないので夜景写真は少ない。旅先で夜出歩くのがかったるいんですよね。外で飲むでもないし。夜はさっさと寝て早朝に散歩したい派。


21時に就寝を促す町内放送が流れる。それを聞き、俺も早く寝なくちゃ…という気になった。翌朝は5時に起きて朝風呂に入らなければいけないのだから。


それはそうと、19年前はどういうルートで気仙沼まで来たのだったか。仙台駅から気仙沼駅まで電車で来て、駅からタクシーに乗って港へ行き、港からフェリーで気仙沼大島へ移動したような記憶がなんとなくあるが違っている気もする。長時間電車に乗っていた記憶がない。けれどレンタカーを借りた記憶もない。逆に気仙沼から仙台の順に周ったんだったか。仙台で一泊、気仙沼大島で一泊したのは間違いないが、詳細は全然覚えていない。ただ、今回泊まったあたりには来ていないのは確か。

 

翌朝、5時から朝風呂に入る。露天に入るとまだ外は暗い。30分ほどで出て着替えてから朝の散歩へ。この日は朝から風が強く、部屋にいてもびゅうびゅうと風音がすごかった。風のせいで体感的に気温より寒く感じた。

手前が気仙沼湾横断橋で奥のアーチ型が気仙沼大島大橋

 

6:00に音楽が流れた

 

朝食は半バイキング形式。やはり充実している。とくによかったのは写真にはないがクラムチャウダー。フカヒレが入っていた。気仙沼と言ったらフカヒレらしい。


朝食を早めの時間帯にしたので食べ終わってからチェックアウトまでだいぶ時間があった。なので道が空いているうちに気仙沼大島へ行くことにした。車で35分ほどの距離。道中、上の写真で触れた気仙沼大島大橋を通った。俺が前に来たときはまだなかった橋。2019年に開通したそう。19年前、まだ一人旅初心者だったにも関わらず*1俺は気仙沼大島の民宿に泊まるというコミュ力高いやつみたいな真似をした。翌朝仙台へ戻ろうと港からフェリーに乗ると、制服姿の女子高生が自転車を押してフェリーに乗ってきた。なるほど、島の高校生は毎日フェリーで通学するのか、大変だな、と思いながらもその生活にちょっとロマンを感じたりもした。

2006年8月撮影

 

何枚か、19年前に来たときの写真が残っている。大島にある竜舞崎へ行っていた。なので今回も行ってみた。

入り口を見てもまったく記憶にない。展望所までは少し距離がある。歩きながら「こんな道通ったっけ?」と呟いていた。

 

こちらが19年前。

 

こちらが今回。奥の岩に生えている木の数が減っている。

 

ホテルへ戻って少し休む。なぜ気仙沼大島へ行く前にチェックアウトを済ませなかったのかというと、朝食をたくさん食べたので一応トイレを確保しておきたかった。部屋に戻ると案の定の結果に。旅行中ってトイレの問題が大きめにある。つい普段よりたくさん、普段は食べないものを食べる機会が多いからだ。リスク管理は常に意識しておきたい。あえて食べない、生食を避ける、冷たいものを控えるなどは見識だろう。

9時過ぎ、チェックアウトして陸前高田の高田松原津波復興祈念公園へ向かう。人生で初めての岩手県入り。気仙沼からは30分程度の距離。三陸道が空いているのでスムーズに走れた。

 

公園と隣接して伝承館と道の駅がある。公園はとても広い。半袖Tシャツの上から上着を着た格好では寒かった。東北の秋を舐めていた。ロンTを1枚持ってくるべきだった。

堤防に圧倒される

 

保存された奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル。

 

東日本大震災津波伝承館。

 

北上はここまで。人生初の岩手県滞在は1時間ほどで終わってしまった。南下して気仙沼へ戻る。道の駅大谷海岸へ。

 

ここは映画『すずめの戸締まり』の聖地でもある。要石になった草太を探してすずめたちが芹澤の車で東北を目指す途中で休憩する。


ちょうど昼時だったので、映画で芹澤が食べていた海鮮ラーメンを注文した。具が贅沢すぎる。

ラーメンを食ったら体が温まった。温かい食事はいいものだ。

 

道の駅から道路を挟んですぐの大谷海岸へ。晴れてくれたらよかったんだが、雨に降られなかっただけでもよしとすべきかもしれない。念のため折りたたみ傘を持ってきたものの使わずに済んだ。

 

レンタカーの返却時間までかなり余裕があったが、何があるかわからないし、さっさと返却して時間の拘束から自由になりたい気持ちがあり、仙台へ戻ることにした。今思うと早すぎた。シャークミュージアムに寄るなどしてからでも十分時間はあった。仕方ない。後知恵だ。

 

2時間ほどぶっ通しで運転して仙台へ。三陸道はずっと自動運転に頼った。上限速度を設定すればあとは車が勝手に加減速をしてくれるので右足を床置きできてとても楽。ドライバーはハンドル操作と突発時のブレーキだけやればいい。身体の疲労は判断力を鈍らせると考えているので俺は高速道路運転時は常に自動運転を利用する。せっかく搭載された機能なんだから使わないともったいない。その分も車両価格に反映されているのだ。

 

道が空いているのでナビの到着予定時刻より早めに仙台へ帰ってきた。レンタカーを返却して自由になる。自由になったのはいいが新幹線は夕方、このときはまだ14時過ぎ、ちょっと時間がありすぎる。もう少し早めの新幹線を予約すればよかった…と思うのも後知恵。どうも途中で飲んだブラックコーヒーのせいか腹の調子があまりよくなく、カフェや飲食店で時間を潰す選択肢もとりづらかった。

 

とりあえず駅方面へ向かう。寒かったのでユニクロでロンTを買ってその場で着る。俺は寒くて仕方ないのに半袖Tシャツのおっさんやヘソ出した若い女が駅前を歩いているのを見て、仙台の人間は14度程度なら夏の格好でも平気なのか、と驚いた。そのあと丸善で時間つぶし。気になっていた本があったので買った。

9月中旬からこっち、全然読書していない。ホロウナイト:シルクソングを始めてしまったのと旅行に頻繁に出かけていたせいだ。冬になり、日照時間が短く、気候が寒くなってくるとメンタルが落ちて外出する頻度が減るのでそのうちまた読むようになるだろう。

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それにしても仙台駅周辺は人が多い。ハピナ名掛丁の方は行ったことがなかったので歩いてみたが人が多過ぎてすぐ嫌になって人のいない方へ逸れてしまった。そのまま青葉山公園まで歩いてみるか、と考えるも片道2キロはなかなか距離がある。そう思いながらそっちへ向かって歩き出す。俺みたいな教養のない無趣味な人間はこういうときどうやって時間を潰せばいいんでしょうね。家電にさほど興味ない、立ち読みは疲れる、映画は上映時間が合わない、腹の調子が悪いので腹に何か入れたいって気分でもない、金を使うのがあまり好きではないのと荷物を増やしたくないので店屋を覗いてもどうせ買わないんだからと思うと冷やかす気にもなれない。2時間か3時間、横にならせてくれる場所があればそこで過ごしたかった。スパ銭のリラックススペースみたいな。

 

しばらく歩いたのち、カメラの入った重いバッグを担いで歩くのにうんざりしてきて大町西公園駅で地下鉄に乗って仙台駅へ戻った。ここまで来たら青葉山公園はすぐだったが十分歩いた今からさらに公園内を歩くのも奇妙に思えたのでやめた。そのあとモスバーガーで軽く食べて(モスは空いているのと長居しやすいイメージがあったので寄った)時間をつぶしたあと駅でお土産を購入し、新幹線改札を通ってから椅子に座ってスマホをいじって過ごした。この数時間は無駄な過ごし方をした。

 

東京行きのはやぶさは定刻通りに仙台駅を出発し大宮駅に到着した。帰り道、最寄り駅から歩きながら、埼玉の方が暖かいな、と当たり前のことを思った。帰宅して風呂に入り、お土産をつまみながらアマプラ*2で『すずめの戸締まり』を見直した。劇場で見て以来だから3年ぶり。震災遺構を見学したあとで見ると後半の解像度が上がった気がする。終盤、駆け足すぎていろいろ説明不足なのが難点だけどいい映画。新海監督作品で一番いいんじゃないだろうか。2時間集中して見た。でも、下の記事にも書いたように2時間の映画ではなくテレビシリーズなどもっと長くやるべき内容だった気がする。日本各地を旅しながら草太のほかにも閉じ師たちを登場させたりして。そして劇場版で完結させる。

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今年はよく東北へ行った。来年以降もまた行くだろう。が、今年は今回でとりあえずラスト。

 

*1:今も大差ないが

*2:解約していたがこれを見るために再入会した