映画『くじらびと』を見た

MOVIX昭島で鑑賞。土曜日昼の回で20人程度。上映開始5分前まではガラガラだったが時間が近づくにつれ人が入ってきた。外国が舞台のドキュメンタリーとしてはまあまあな入りではないかと。

 

舞台はインドネシアの漁村。火山岩が地盤の土地のため農作物が育たず、村人たちは何百年にもわたって漁で生計を立てている。獲るのはマンタ、ジンベイザメ、そしてマッコウクジラ。漁船はエンジンこそ搭載しているが船体は手作り、しかも宮大工と同じで鉄釘は使わない製法。使うとしたら木の釘。組み立ては真ん中から左右互い違いにして強度を保つ。船首には目が描かれている。船も生き物であり、人間と一緒になってクジラを探してくれるのだという。この漁船一艘に10人くらいが乗船する。漁は先祖から受け継がれてきた伝統の銛漁。ラマファと呼ばれる銛打ちは選ばれた者しかなれない。漁は常に命懸け、怪我や死と隣り合わせ。クジラの尾鰭の一撃をまともに喰らえば人間は即死する。仕留めたはずの獲物が逃げるのに巻き込まれれば流される。あるいは身体の一部を持っていかれる。冒頭近く、一艘また一艘と船が沖へと出ていく様子を俯瞰で捉えたショットは、船とそれに乗った人間たちが大洋と比較していかにちっぽけな存在であるかを強調する。紺碧の海は圧倒されるほど美しい。しかし果ての見えぬその広さ深さは恐ろしい。

 

貧しい村である。だが年に10頭クジラが獲れれば、週に一度立つ市で物々交換して、村人全員が暮らしていけるという。村には、以前バリ島で働いていたという男性がいる。当時の暮らしについて、賃金は悪くなかったがいつも支払いに追われる生活だったと回顧する。この人はこの村の出身だったのか、それとも奥さんがそうなのか、それとも伝手があったのか…よくわからないが、とにかくその男性はバリ島での暮らしよりこの村で漁をして暮らす方がいいと語る。

 

終盤にマッコウクジラを仕留めるシーンがある。本作のクライマックスだ。勇敢なラマファによって深々と銛を刺されたクジラは痛みにもがき、暴れ、傷口から溢れる鮮血が海をみるみる真っ赤に染めていく。周囲は血の海になる。一頭を仕留めて歓喜する人々の前にもう一頭が現れる。村の老人が言う。マッコウクジラは仲間がやられると助けに来ると。助けに来たもう一頭も仕留めて獲物は二頭。この漁の──狩りといった方が適切な気がする──シーンの迫力は凄い。暴れるクジラが無茶苦茶に体当たりして船は壊れんばかり、何人かは衝撃で海に転落する。尾鰭の一撃が海面に炸裂すればまるで爆弾が爆発したかのよう。そりゃあ人死にが出るわ、と見ていて納得した。

 

仕留めたクジラを捌いて功労のあった者から順番にいい部位が与えられる。漁に参加していないシングルマザーや貧しい家庭にも分配される。切り分けられるクジラの肉は真っ白な脂身が目立つ。自分が何度か食べたことのある鯨肉のイメージと全然違った。自分が食べたことがあるのは赤身の佃煮みたいなやつ。この村の人たちも赤身は同じように煮ていた。白身は干して燻製にするのだろうか。新鮮な肉は砂浜で血を洗うだけ、恐らく冷蔵庫のない家庭が大半。でもスマホは使っているから可笑しい。クジラには無駄になるところが一つもない。脳油までも灯油代わりに使えるからと村人たちは先を争ってバケツに汲む。さすがに龍涎香は取れなかった。

 

この村の人々にとってクジラは貴重な獲物、しかし敵ではない。彼らはクジラに感謝している。クジラなくして彼らの暮らしは成り立たないから。漁(狩り)と自然への畏敬という点で、メルヴィルヘミングウェイよりフォークナーの世界観が近いな、と思った(短編「熊」とか)。意外だったのは村人たちがカトリックを信仰していたこと。インドネシアカトリックとは知らなかった。伝来の際に土着の宗教を吸収する形で広まったというがどこも大概そんな感じだろう。漁の際に皆十字を切る。途中少しだれて眠くなったが終盤のクジラ漁のシーンは圧巻で、貴重な映像が見られて楽しかった。