2019年年末休暇

28日。前日の仕事納めの日の帰り際から鈍い頭痛があり嫌な感じがしていたのだが、朝、目が覚めると頭痛。動けない。熱は36.2度。布団のなかで転々とするも、仰向けになっても、うつ伏せになっても、横を向いても頭の位置がしっくりこず、苛々する。幾度も目が覚め、ぼんやりし、たまにスマホをいじり、そんな体調なのに¥1300でホープフルステークスオーソリティ本命で買い、¥400マイナス。有馬記念の結果が脳裏をよぎり、素直にコントレイルにいけなかった。ルーレットは記憶を持たない。力尽きて寝る。トースト二枚食す。

29日。前日より悪化。自分の体調不良の大半は頭痛。酷い二日酔いのような状態になり、起き上がると目眩がして動けない。用を足しに起きるのさえしんどい。熱は出ない。この日は36.6度。自分にしてはやや高いな、という程度。脳内の異常を疑いたくなるが、昨年MRIを撮って全く異常なしとの結果が出ている。過労、なのだろう。日記を見返すと、元々先週日曜は体調が良くなかったところ頑張って池袋へ映画を観に行き、仕事納めの週はそれなりに業務が多く、欠員も出てその穴埋めもあり、という状況で疲れが溜まっていたのだろう。それが頭痛となって出る。体からのサインと見ていい。しんどいが、元来体が強いかというとそうでもない方なので仕方ない。この体と付き合い、折り合いながら生きていくしかない。死ぬまで。この日は昨日に増して悪く、一日何も食べず。

30日。朝、多少マシになっているが期待していたよりもずっと悪い。これまでの経験から、15:00ころまでに体調が戻らなかった場合は翌日もまだ引きずる。戻ると翌日は大丈夫。今回もそのパターン。昼頃からようやく起きられるようになる。スーパーへ行き買い物。バナナとヨーグルト、カップスープ、ウィダーハーゲンダッツなどを食す。バニラうまい。ポカリスエットで水分補給。アクエリアスだと甘すぎる。ポカリの方が酸味があって爽やかな味でいい。ユンケルを飲む。

31日。体調6割くらいか。予約していたサタンタンゴを見るため、アップリンク吉祥寺へ。タイツに暖パン、Tシャツ二枚にジャージ、ダウンジャケット。電車内は座れた。この映画館へ来るのは2回目、6月のバニシング以来。館内暑い。体調が悪くなったら途中退出も視野に入れていたが無事鑑賞できた。

この映画を知ったのは以下のねとらぼの記事から。

nlab.itmedia.co.jp

 

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タル・ベーラ監督、アマプラで「ニーチェの馬」を見て、もう内容忘れたけれどもつまらなそうなアート映画と思っていたら案外あっさり見られて感心した記憶があった。ねとらぼの両記事はどちらも自分の関心を強く惹いた。とはいえ7時間18分、休憩入れて8時間は…。膀胱不安、空腹不安、尻、腰、背中、首が壊れないか不安、隣の客が苦手なタイプだったらという不安等不安がいくつもあり、踏ん切りがつかなかった。しかし今年は映画を本格的に映画館で見るようにしてきた一年で、その締め括りにふさわしいという気もし(スターウォーズの新作が公開された年は大晦日にそれを見て締めてきたが今年は翌年に延ばすこととし)決心した。これほどの映画を観たら何か自分に変化が生じるかもという淡い期待も少しだけあった。40過ぎても人は自分に期待せずには生きていけない。多分。で、感想。7時間を超える長尺でありながら150カットということでその長回しが特徴として挙げられている映画のようだが、自分はそれほど苦痛を覚えなかった。ある程度クラシック映画を見慣れているというのもあるかもしれないが、それよりも、画面自体が古典絵画(よく知らないけどレンブラントとかああいうイメージ)のような均整の取れた構図で撮影されているため画に飽きない。太ったおっさんが椅子に座っているのを横から撮っている画はフェルメールの室内画と同じ構図だし、少女の亡骸を皆が囲むシーン(この映画中最も美しいシーン)は一幅の絵のように自分には見えた。確かに冒頭の牛を映した長回しにはやや驚いたものの、基本的には引きで撮っているので眺めている感じになる。これがアップの連続であったらきついだろう。いつか見たベルイマンの「ある結婚の風景」はとにかくアップが多用されていて、画面に動きがないのでとても退屈だった記憶がある。基本的に引きの画は(自分は)飽きにくい。この映画でもアップは要所要所で、時に長回しで映されるが、モノクロの陰影のおかげか、決して美しいとはいえない肥満体の中年女性や、無精髭のおっさんでも、アップになると妙に荘厳さを帯びるというか、不思議と魅せられるものがあった。モノクロだと人体の生々しさのようなものが減るからだろうか、どぎつさが薄まる感じがあって、登場人物たちはほとんど全員魅力的とは言い難い人たちなのに魅せられてしまう部分があった。ただし、酔っ払って「俺は歩いた…歩き続けた…」を延々繰り返すおっさんだけは許せない。しつこ過ぎてイライラした。苦痛を感じるのは序盤の先生の酒関連のシーン、それから中盤のダンスシーン。後者は少し辛い。しかしどちらも、ここを我慢すれば休憩だ、と考えればなんとかなる。そして終盤の大半のシーンもきついが、これについてはあとで述べる。長回しについては以上。次にストーリーだが、これはちゃんとある。雨が降り続き、泥まみれになった吹き溜りの集落で、その日暮らしの自堕落な人々が暮らしている。ここへ、一年半前に死んだはずの「魔術師」が帰ってくるという。魔術師は言葉巧みに彼らからなけなしの金を奪い、代わりに仕事を与えると言って各地へ送り、住人がいなくなって集落は崩壊する…おおよそはこんなところだろう(ハンガリーのかつての政治体制の問題も絡んでいるようだが自分には不明)。緩慢ではあるものの筋は単調に展開し、また、同一の出来事を複数の人物の立場から描くことで映画世界の奥行き、リアリティも感じられる。この話のわかりやすさ、物語の重層性は予想外だった。長回しは絵画のようで苦にならず、ストーリーもわかりやすい。だから、少なくとも中盤(2回目の休憩前くらい)までは普通に見られる。ダンスシーンは我慢。むしろ、この映画思ってたよりずっとわかりやすくて面白いじゃん、とすら思う。尻、背中、首は痛くなるが。2回目の休憩時点で、あと3時間、楽勝だな、とすら思うかもしれない(自分はそうだった)。しかし終盤になると途端にこれまでの勢いがなくなって時間が長く感じられてくる。終盤は、魔術師と呼ばれる男が村人たちを導く、というか騙す展開なのだが、ここから妙に展開が間延びしていく。これまでと変わってユーモアもなくなり、だらだらしたシーンが続く。特に、警察官二人が村人たちの素性をタイプするシーンは長いだけで必要性も感じられず、面白みもない。そして最後に、この村を観察していた窓が塞がれ、村の観察者と一緒に観客も暗闇の中に取り残される。自分はとにかく最後の3時間が苦痛でしかたなかった。思うに、この映画のクライマックスは、中盤の、少女の猫虐待からの自死、そしてそれを知らない大人たちの狂乱のダンス、ここにある。搾取される弱者とか、生きていることの無意味さといったこの映画の勘所はここに凝縮されている。ここまでは、すげえ映画だな、と素直に感心していた。しかし終盤でがっかり。村人たちが、疑ったはずの男に再度従い、彼に言われるがまま離散して、集落は崩壊する。これで終わりでいいじゃないか。ここまでだって結構長い。眠っているナレーションのシーンとか。そのあとの警察のシーンや先生の彷徨は蛇足だろう。肉体疲労もあり、見ていて苛々した。エンドロールが流れても、徒労感が強く、達成感は微塵も感じなかった。もちろん、鑑賞前と後で何か変わったという気も全くしない。すごい映画であることは確か。しかし人には勧めないし、自分が再度見るとしても、上で述べたシーンまで見れば十分という気がする。いや、見る気にならないか。少なくとも当分は。お腹いっぱい。ただし、それでも、7時間18分スクリーンを見ていた、という感じはしない。もっと短いように思える。それくらいの密度はある。2時間の映画で、サタンタンゴよりも見ているのが苦痛だった映画は、誇張なしに今年だけでもいくつもある。そういう意味では、やはり並の映画ではないと思うし、凄い監督だとも思う。思い切って見てよかったのは間違いない。背中と首と目はしんどかったが…。

12:00頃から見始めて終わったのが20:00過ぎ。劇場のあるPARCOを出ると、昼とは打って変わって冷たい強風が吹いていてダウンのフードをかぶる。サタンタンゴじゃねえか、と呟いて電車に乗る。女の人と待ち合わせて食事。人手不足か、ホワイト化への流れか、外食店、スーパーなどが軒並み早仕舞いをしていて通りは暗く、車も少なく、町は大晦日の雰囲気があった。