榛名富士を登り榛名神社へお参りしてきた

 

女の人の誕生日だったのでちょっと遠出でもするか、と高崎へ行ってきた。埼玉から群馬に入ってすぐなのでそこまで遠くはない。彼女は御朱印集めが趣味なので何度か榛名神社へは行ったことがあったがすぐそばにも関わらず榛名湖、榛名富士へは行ったことがなかった。お参りついでに日和田山以来のゆる登山しようと考えた。

 

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日曜日、曇り。午前10時頃、高崎駅直結のホテルメトロポリタン高崎目指し出発。関越を走るのは久々。日曜の遅い午前は一番混雑する時間帯かと思いきや拍子抜けするほど上下線とも空いていてスイスイ走れた。何事もなく無事目的地に到着。ホテルと提携している立体駐車場に車を停め、少し歩いて高崎モントレーという駅ビル内を昼飯を求めてうろつく。結局丸亀製麺にした。少し休憩したら時間になったのでチェックイン。フロントで、埼玉県民なのに群馬県の旅行割「愛郷ぐんまプロジェクト」が適用されると説明され、自分はスマホにワクチン接種アプリを入れてあり、同行者は「念のため」と接種証明書を持ってきていたので二名分1万円がキャッシュバックされ、さらに期限付き商品券ももらえて嬉しい誤算。商品券はユニクロでの買い物に使用した。

 

まだ6月末から7月初めなのにも関わらず最高気温38度の日もあった先週にだいぶ体力を消耗し、体が気候に慣れていないせいもあってか、先週はずっと体調悪く、頭痛と腹下りが続いた。エアコンつけっぱで寝ても深夜に蒸し暑くて起きてしまい、そのまま眠れず朝を迎える日が続き、先週の平均睡眠時間は4時間くらいだったんじゃないだろうか。なので部屋に入ってベッドに横になるなり2時間ほど眠ってしまった。目が覚めると午後5時半過ぎ、同行者は散歩にでも行ったらしく部屋に姿なく、一人でテレビをぼんやり見る。と、少ししたら帰ってきたので二人で夕食に出発。以前行ったことのある牛タン屋さんへ。いいお店だった記憶があった。数年ぶりで食べてもやはり旨かったがたまの遠出だからもうちょい奮発して枚数多い定食にしてもよかった。

 

当初の予定だともう少し早い時間に食べにきて、各自自由行動にして、自分は109シネマズ高崎で午後7時半から映画『モガディシュ』を見ようと思っていた。近場で上映していないので。駅から少し歩いて高崎電気館を見に行ったり、古本屋を覗いたりもするつもりだった。しかし寝てしまったせいで予定はパーに。しゃーない。翌日は早いので無理しても仕方ないとすっぱり諦める。夜、少し雨がぱらついた。

 

睡眠時間4時間かそこらで目が覚め、そのまま眠れず。普段と違う環境で長時間熟睡は神経質な自分の場合あり得ない。朝はゆっくりしたいので普段宿泊するときは朝食なしの素泊まりプランを選択するのだが、今回は少し贅沢して朝食ありプランにした。翌朝7時過ぎに朝食会場へ行くと、平日ということもあってか空いており、のんびりビュッフェ形式のメニューを盛りつけできたのでよかった。学食・社食的に並ばれるとゆっくりメニューを選べないから嫌で。会場はビニール手袋使用など感染症対策がしっかりされていて好印象。普段なら絶対食べない量(ご飯おかわりした)を食べて、9時過ぎにチェックアウト。

 

ナビは榛名山ロープウェイを目的地設定。駐車場を出ると雨が降ってきたが本降りにはならずすぐ止んだ。出勤時間を過ぎていたので道路はわりと空いていた。で、このルートが曲者で、とくに吟味せずナビを盲信して行ったのだが、県道28号線(高崎東吾妻線)が山中に入った途中からめちゃくちゃ狭くなり、軽自動車同士ならすれ違えるかもだが自分の車はわりと車幅があるので狭くなってから目的地までの5キロくらいはとにかく対向車来るなと祈りながら、カーブミラーを睨みながらの運転になり激しくストレス。山中の5キロは平地の5キロと違って時間がかかる。結局途中三台ほど対向車が来たものの待避スペース利用ですれ違え、広い県道33号線と合流できた。道中、榛名神社には何度か行ったことあるけどこんな細い道走った記憶ないし、榛名山ロープウェイなんて観光バスも来るだろうから絶対道のチョイスおかしいよね? と話していたが、榛名湖畔を通る33号線が正解のルートだった。運転で神経使いすぎてロープウェイ駐車場に到着したときにはえらい疲れた。昔高知旅行したときも、四万十川沈下橋へ行く途中だったか、すれ違えるかどうかの細い道をレンタカーで走って、しかもこのときは対向車は来る、後続はでかいバイク、とまあ最悪だった。あれ以来、狭い山道はトラウマ。

 

駐車場で登山靴に履き替えた。駐車場そばには乗って散歩できる馬がいたり、いい感じに昭和感漂うお土産屋さんがあったりで新鮮な気分になる。午前10時半頃だったが思いのほか観光客は少なかった。

懐かしい気持ちになる佇まい

 

同行者はロープウェイで榛名富士山頂駅まで。自分は駐車場から少し歩いたビジターセンター脇の登山口から入る。ロープウェイ乗り場で尋ねたところ道中は人の手が入っておらず石や根が剥き出しになっていると。どこも山は大概そんなもんだろうと気にせず出発。初心者向けとネットに書いてあったし、まあ大丈夫だろう。冒頭の写真はビジターセンター駐車場から望んだ榛名富士。トイレもあるので登る前に用を足した。

 

登山口。写真左、この登山道は整備していない旨の看板。見えづらいが中央奥の幹に「熊出没注意」の表示あり、一瞬怯む。道中はずっと笹の藪が続く。道はたしかに狭く、昨日および当日少し降った雨の影響でぬかるんでいた。整備していないとあったが転落危険箇所には防止のためのロープが張ってあった。道中は一本道なので迷う要素なし。ひたすら進むのみ。つまづくほど根は道に張り出していないし、岩は足をかけるのに便利でスムーズに行ける。ただ結構道の傾斜がきつくて歩きはじめて5分も経つ頃には息が切れ、汗が吹き出し、心拍もバクバクに。運動不足と加齢が原因だろう。もう若くない。外見は若く見られても体の中はそうじゃない。しかし残りの人生で今が一番若いのだ。などと考えながら足を運ぶ。小さい羽虫やら蛾やら虻やらがまとわりつくが、自分が彼らの世界に侵入しているのだ。文句言う筋合いじゃない。しかしやはりこんなゆるい登山でも疲れるし、汚れるし、楽しい気持ちにはならない…というか、歩いているときはとにかく歩きやすそうな道を選択して、滑らないように気を配って、とそっちに夢中で、「楽しい」とか感じる心の余裕はない。登りはまだ楽だけれど下りは膝にきそうな道のりだった。

 

これといって特筆することのないシンプルなルート。30分ほどで山頂駅に到着。かなり汗かいた。道中誰とも遭遇しなかった。山頂駅の標高が1366メートル。同行者と落ち合い、一服。景色を眺める。素晴らしい眺望。


榛名富士の山頂はそこからもう少し、3分ほど進んだ先。しかしこちらは小さい神社があるのみで周囲は木々に囲われ眺めは望めない。


帰りはロープウェイで。珍しい二両連結型。3分とかからず到着し、文明の偉大さを思い知る。

 

榛名湖畔を通り、榛名神社へ。途中前を通った男根岩を見て、来たときはいつもこの道だった、と思い出す。県道33号線と211号線を通るルートなら常に二車線キープされ、観光バスが通るのもこのルートなのだろう。榛名湖から3キロ程度の距離なのですぐに到着。平日だからか参道脇の駐車場はどこも無料だった。榛名神社は本社にたどりつくまでに巨岩あり、沢あり、七福神像ありで楽しいので好きな神社。歩いているだけで楽しい。境内に入ると森と沢のおかげかひんやりしている。

以下、ミラーレスで撮った写真はISO感度高く設定しすぎたらしくやたらと白飛びしている。写真ヘタ

謎の扉は奥に秘仏を安置していた東面堂という建物の名残り

 

信心深いほうじゃないけどなんかオーラを感じる

 

全然人がおらず快適な道のり。意外だったのが、本社まで随分歩くイメージがあったのだが門から500メートルかそこらの距離しかなく意外とあっさり来てしまう。人がいなくてずんずん歩けたからかもしれない。双竜門まで来ると、覆いと一方通行の誘導路が現れ、現在本社改修工事中なのを知る。えー。でも参拝はできる。御神体の岩は覆いの向こうにほんの少しだけ望めた。

iPhone12で撮った写真の方がミラーレスのより綺麗かも

 

国祖社、でいいのかな。こちらで参拝してきた

 

ほんの少しだけ拝めた

 

2013年5月撮影


参拝が終わった頃には1時をまわっていた。ナビをつけず案内標識を頼りに高崎市内まで戻りうろうろしていたらいつの間にか前橋あたりまで来ていた。遅い昼食に適当に見つけた地元チェーンっぽいお店で天ざるを食べて一服。料理をロボットが運んできたので驚く。雨予報ではあったが強く降られることもなく、予定したうちの半分くらいしかできなかったが楽しかった。いつも、遠出して宿泊すると、時間が足りない、時間がもっと欲しいとなる。今回も、もっと余裕があれば予定していたことをこなせたし、榛名神社から榛名湖までの3キロの遊歩道も歩いてみたかった。でも高崎なら普段の週末でも行こうと思えば思い立ってふらっと行ける距離だな、と認識できたのはよかった。高崎って自分が落ち着く規模の都市。アウェー感を感じない。前橋ICから関越に乗って帰宅。到着したのは午後5時過ぎで、疲れていたのですぐベッドに横になりそのまま3時間ほど眠ってしまった。

スマホ通信障害のなか、映画『ブラック・フォン』を見てきた

現在もアンテナが立ってない

前置きから。

昼頃、髪を切ろうと美容室に電話したところつながらず、妙に思いiPhoneの画面を見るとアンテナが一本も立っていない。機内モードに切り替えてすぐに戻す所作をしたものの改善せず、再起動。これまでも何らかの原因でうまく通信できない状況になっても再起動すると解決してきた。が、再起動しても変わらない。wi-fiなら問題なくつながる。電話ができない。MacTwitter検索するとKDDIですでに同日未明から通信障害が起きており、現在も復旧の見込みが立っていないとのこと。自分が契約しているUQ mobileau回線だから影響を受けたらしい。

われながら悠長。実家暮らしの便利なところで家電から美容室に電話すると今日は予約でいっぱいだと断られる。しゃーない。明日日曜日は一日出かけてしまうので行けないし、またにする。ベッドに横になり本を読んでいたら眠くなってきたのでそのまま昼寝。起きたのは三時過ぎ。スマホを見るとまだ復旧していなかった。

夕方頃には復旧するかと勝手に思っていたのだがどうやら厳しそう。今日は『ブラック・フォン』を見に行く予定で、すでに座席も予約してしまっていた。電車で行くのでモバイルSuicaが使えるかどうか調べると、仕組みはよくわからんが通信していなくてもバッテリーがあれば問題なく使えるとのこと。チケット発券の際必要になるQRコードはスクショを撮る。現地で何か不都合があればスタッフに言えば対応してくれるだろう、と暢気に考え出発。Suicaは問題なく使えた。さらにはアンテナが立っていないままでも4Gでモバイル通信ができた。

キャッシュレス、ペーパーレスなデジタル社会は便利だが、脆い。電車の中では、貴重な通信のリソースを俺なんかのくだらんネット閲覧で減らしては申し訳ないのでスマホはいじらず寝て過ごした。電車乗っても、降りて町を歩いても、大規模な通信トラブルが起きている緊迫感というか、そういうそぶりが見られるでも会話が聞かれるでもなく、いたっていつもどおりの、やたらと蒸し暑い夕暮れだけがあった。

 

 

で、『ブラック・フォン』である。

序盤はちょっとだるい。父親による子供への暴力とか、学校での喧嘩とかいじめとか、主人公が誘拐される前に二人の同級生が誘拐されるのだがそのあたりの展開がまだるっこしかった。主人公が誘拐され地下室に閉じ込められてからが本番。電話を通じた死者からのアドバイスを頼りに脱出を試みる中盤は楽しい。床下を素手で掘ってどうするのかと疑問だったが、冷凍庫の件といい最後に役に立つ。窓の桟にケーブルを引っ掛けるシーンは惜しかった。イーサン・ホーク演じるグラバーはマスクが不気味で素晴らしい。上階に奴がいる、とか、主人公を見ながら涙ぐむとか、最初コイツは「上階の奴」に命令されて子供たちを誘拐しているのかと思ったら全然違った。ていうか何が目的で子供を誘拐していたのかの説明はない。ストーリーの都合のためとしか思えず、まあホラー映画なんてそんなものでいいのかもしれず、わざわざ線の切れた黒電話経由でメッセージを伝えてくる犠牲者たちも(シックスセンス的に彼らの姿も描かれるのに)不自然と言えばたしかにそう。でもこの電話が最後の最後で(物理)として役に立つとは…ちょっと笑ってしまった。グラバーを倒して無事生還したことで、主人公はこれまで自分をいじめてきた連中を見返してやり、学校内の有名人になる。通過儀礼というか、友情を通じた少年の成長物語になっている。B級ホラー映画として気軽に見られる面白さはあるものの、先にも述べたようにストーリーに粗い部分があるのと、突然大きな音が出るびっくりシーン(苦手)が何度かあるのとで、自分としてはまあ及第点かな、くらいな感じ。父親の暴力シーンは必要あったか? あんな暴力振るっておいて「愛してる」とか最後の抱擁シーンとか、なんやコイツ、と白けてしまった。予知能力のある妹役の女優が可愛かった。

以上、そんなところ。

 

映画『ベイビー・ブローカー』感想

序盤、最初の客と港だか市場だかで会い、赤ん坊の容姿にあれこれイチャモンつけてくる彼らに対して母親が啖呵切るあたりまでは先の展開が想像つかず面白かった。しかし進むにつれ既視感のある話に。そもそも、韓国では赤ん坊をあんな簡単に買えるのか? 最後の方に実子として迎えたいとかあったけれど戸籍の問題とかどうするのだろう。主人公たちは闇サイトみたいなので客を探しているっぽかったが韓国ではそんなものが野放しになっているのか? 売ったあとでブローカーからたかられたりする可能性だってあるだろうし、そんな危険を、「養子の順番が回ってくるまで待てない」なんて理由で冒すだろうか。リアリティが乏しい。

 

前作の『真実』でも感じたのだが、最近の是枝監督の作品って結構マイルドになっているように思う。『誰も知らない』のような、画面を見ていられないほどの辛さみたいなのは薄れている。本作では、登場人物の誰も悪くない、と描こうとしていて、それが物語の弱さにつながってしまっている。母親は赤ん坊が死んでも構わないと思ったから地べたに置き去りにしたのだろうに、容姿を貶されて腹を立てるとか、別れが辛くなるから話しかけないとか後から言われても説得力がない。警察に協力した理由も、減刑により早く出所でき、再び赤ん坊と暮らせるかもしれないと思ったからと説明されるが、「女性は皆赤ん坊を産んだらその子を無条件に愛するものだ」という、旧来の母性信仰? みたいなのを感じてしまって、いや現実は女性皆が皆そうではないだろうし、とくにこの映画の彼女の場合は愛し合った末望んで授かった子かどうかも判然としていないのだから、母性などない、そういう女性の姿を描いて、見ているこちらの価値観を揺さぶるような話にしてもよかったと思う。「生まれてくれてありがとう」とか、お前が言うのかよ、と白けてしまった。いや、演じている女優はすごいよかったけれど。可愛い赤ん坊をめぐって周囲が擬似家族を形成していく展開は『万引き家族』の焼き直しのように思えて、『万引き家族』がいい映画だっただけにあれと似たことをまたやられても退屈。

 

ソン・ガンホ演じるブローカーの親父が終盤に離脱するのは『パラサイト』みたいでこれにも既視感あり。最後、知人の息子を殺したのかな。でも4000万ウォンはどうやって用意したんだろう。ペ・ドゥナ演じる女性警官の強引な捜査は違法じゃないのか。結局あんたらが赤ん坊引き取るんかい、と内心で突っ込まずにはいられなかった。

 

撮影は『バーニング』『パラサイト』を撮影したホン・ギョンピョ。最近だと『流浪の月』はいい絵がたくさんあって(藤棚だか葡萄棚だかの影が映ったシーンはインパクトあった)、映画のストーリーはイマイチだったが画面を見ているだけで満足できたのですごい人だなあと感心したのだが、今作ではとくに印象的な絵はなく。登場人物のバストショットがやたら多かったような。韓国をあちこち移動するのにロードムービーっぽさもあまりなく、残念。

小松和彦『神隠しと日本人』を読んだ

 

私たちの日常生活のなかで「神隠し」という語があまり用いられなくなってからかなりになる。いつの頃からかは地域差があって一概にはいえないが、およそのところをいえば、都市化の波が急速に地方に及んだ昭和三十年代の高度成長期以降からのようである。

 

現代日本においては、人が姿を消したとしてももはや神隠しと呼ばれることはない。代わりに、失踪、蒸発、誘拐、家出、事件に巻き込まれた可能性、などと呼ぶ。神隠しとは人が姿を消す理由を社会の外部の隠し神(天狗や山姥や狐や鬼)に帰するもの。一方で隠し神など信じない現代では人が姿を消せばその理由を社会の外部ではなく内部に求める。

事件発生の原因はこの人間社会の内部にあり、その結末に至る一切のプロセスもまたこの人間社会の内部にあると考えているのである。要するに、私たち現代人は人の失踪・行方不明という出来事を、「神」とか「モノ」といった存在を介入させて理解することをやめてしまったのだ。

すなわち、私たちは「神隠し」の原因とされる「神」を信じなくなってしまったのである。「神」の 棲む領域としての「異界」を失ってしまったのである。

神隠しという語には不思議な情緒がある。戦慄を誘うロマンとでも言おうか。「異界」の人間への介入が想起されるがゆえか。

 

前触れもなく、ある日突然人が姿を消す。村人総出で捜索しても痕跡ひとつ見つからない。伝承によると神隠しに遭いやすいのは子供か若い女性で、時刻は夕暮れ時が多かったという。子供や若い女性は共同体でもっとも低い階層に位置する非力な人々。夕暮れとはすなわち黄昏時(誰そ彼時)あるいは逢魔が時(大禍時)。日没により世界が徐々に闇に浸されていく時刻はまた人間の生理が昼のそれから夜のそれへと移行する不安定な時刻でもあった。遊びに夢中になった子供がいつしか山の中で迷子になったり、犠牲を強いる「家」から逃れたくなった女性が意を決して村の外へ飛び出したり、あるいは子供や女性を拐おうとする悪人の餌食になったり、神隠し伝承の正体とはおそらくそんなところだったのではないかと推測される。

 

本書に、時代は不明だが四国のある村の女性が神隠しに遭い、六日間村人総出で捜すも見つからず、七日目に母親が何の気なしに家の押し入れを開けると、女性がぼろきれの山の中に隠れて、「からだじゅうにかかれたような傷があり、着物は何もかもぼろぼろになってうずくまっていた」という事例が紹介されている。この事例は自分には山中かあるいは村のどこかで強姦された女性が心的外傷を負い、恐怖心から押し入れの中に隠れていたようにしか思えない。おそらくは当時の村人たちも真相に勘づいたはずで、彼女を襲ったのは村の男だったのだろう。しかし狭い村の中で村人同士がいがみ合っては共同体を安定的に維持できなくなる。襲った男は村の有力者だった可能性もある。そこで責任を棚上げする方便として人々は神隠しという概念を用いた。強姦された娘を母親が諭す、お前を襲ったのは村の誰々ではなく彼そっくりに化けた鬼だったんだよ、だから彼を恨まず悪い夢だったと思って忘れなさい、と。娘がそれで納得するかは知らない。きっと納得しないだろう。しかし近代以前の男尊女卑な村社会で若い女性が男に歯向かうなどできるはずもなかった。そう言う閉鎖的な環境に嫌気が差して村から逃亡し、「神隠し」認定される女性もまた別にいたことだろう。

村びとたちは自殺も、事故死も、誘拐も口減らしのための殺人も、身売りも、家出も、道に迷って山中をさまよったことや、ほんの数時間迷い子になったことまでも、「隠し神」のせいにしてしまおうとしていたのである。

失踪事件が発生する。「神隠しかもしれない」と人びとは、 鉦 や太鼓で探し回ったが見つからない。数日後に、失踪者が死体となって山中で発見される。人びとは死体の発見場所や死体の状態などに「不思議」を見つけ出し、やはり「神隠しにあったのだ」と判断する。そうすることで失踪者は、民俗社会の〝向う側〟、神の世界へ旅だった者、つまり社会的に死んだ者として処理されるのである。この失踪者の死の真相が、事故死であれ、自殺であれ、また殺人であれ、「神隠し」というラベルを貼ることで、すべてが不問に付されて、失踪者=死者は〝向う側〟に送り出されることになる。たとえ真相を知る人がいたとしても、そうしたラベル貼りを認めることで、真相もヴェールに包まれてしまうわけである。

おわかりになったかと思う。「神隠し」とは、人を隠してしまうだけではなく、真相を直視することをも隠してしまう機能をもっていたのだ。

 

人間の仕業を隠し神のせいにすることで人を恨まずに済ませるようにする、しかし実際には社会的弱者に一方的に犠牲を押し付けて上辺を取り繕っているに過ぎない…神隠しとはまことに日本人的な知恵だと感服する。しかし人間の振る舞いを人間の責任に帰さないという知恵は古代ギリシアにもあったようで、ホメロスだったかに、激怒した武将が怒りが収まったあとであれは怒りの神が自分に取り憑いたせいだと述懐する場面がある。神隠しも怒りの神も、人間の仕業を神の責任とすることで人間関係の波風を立てないようにする古人の知恵なのかもしれない。

 

神隠しに遭った誰かが何十年も経ってからひょっこり故郷へ帰ってくることはよくあった。彼は、自分は神隠しに遭ったがようやく今日帰ってこられた、と彼を知る人たちに言う。彼が姿を消した理由は、実際には閉鎖的な故郷が嫌になったからか、親に許されない相手と駆け落ちしたからか、都会に憧れたからだったかもしれない。しかし神隠し認定がされたのなら彼の失踪は彼の責任ではなくなる。共同体は彼の行為の是非を不問に付す。一時的な激情に駆られて家出をしたものの、冷静になって気持ちの整理をつけ、考え直して帰村する。そういう発作的な家出の方便として神隠しが機能してきた面は多分にあっただろう。閉鎖的な村社会だからそこから逃走したいと望む者は多かったはずで、彼らの一時的な社会からの逸脱を、神隠しの名の下に人々は許容してきたのだ。

山本光正は、こうしたことをふまえて、「家出人や欠落人が無事帰村した場合、〝神隠し〟という現象が方便として、というよりも従来の生活に戻ろうとした人に、時によっては救いの手段として用いられたのではなかろうか。過去を水に流す方法の一つであったわけである」(「風与思うこと」)と述べている。つまり、失踪者が戻ってきたとき、神隠しは帰村の理由として認められるとともに過去をも隠してしまうという効果をもっていたのである。

 

「もし仕事に行きたくなくなったら、そのまま反対の電車に乗って、海を見に行くといいよ」から始まる、もはや古典と言ってもいいかもしれない2ちゃんねるのコピペがあるが、そういう一時的な逃避が許容される社会は人が生きやすい社会だと思う。でも今更神隠しを復活させるなどできないわけで、だから現代人は神隠しの代わりとなる避難所を自前で用意しなくてはいけない。

 

IMAXで2回目の『トップガン マーヴェリック』を見てきた

 

IMAXで2回目に行ってきた。レイトショーだったが観客は50人以上100人未満といったところで公開週を考えると多く感じた。

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展開はわかっているから落ち着いて見られるだろう、と思っていたが、冒頭、爆音のアフターバーナーと流れるデンジャーゾーンを聴いた途端に落ち着きなど吹っ飛んでしまった。IMAXカメラで撮影された映像はIMAXスクリーンでないと画角が削られてしまうのだったか。よく知らないが、とにかく音といい映像といいド迫力で素晴らしかった。4DXは楽しかったがアトラクションの方にどうしても意識が向いてしまう部分があり、純粋に映画を満喫するならIMAXかなと。吹替の方が台詞の情報量は多かったからストーリーを把握する意味では初回を吹替で見たのは正解だった。

 

初見ではマーヴェリックとペニーとの交流に尺を取りすぎと思ったが、2回目では当該シーンにはストーリーの緊張を和らげる効果があると感じて、これでいいのだと考えを改めた。ビーチアメフトのあと帰宅して家のドアを開けっぱなしにするの、自分に自信のある女性じゃないとできないよなあと感心した。『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』ではボンドとマドレーヌの年齢が離れ過ぎていてそこに男の願望みたいなのを感じて違和感があったが、この映画は男女とも年齢が近く、二人の交際のプロセス(かつての恋人同士という設定)が自然な感じでいいなあと思った。

 

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ミッションスタートでマーヴェリックが発艦するシーンの音と映像も臨場感があった。サムズアップからの敬礼、何度見てもカッコいい。今回はトマホークミサイルがF18を追い抜いていくシーンはあまり印象に残らなくて、目標破壊後のミサイル回避と、F14VS第五世代機のドッグファイトのシーンに見入った。知らないうちに肘掛けを強く掴んでいたらしく、ちょっと腕が痺れてしまった。1回目はハングマンが助けに来るシーンをしつこく感じたが、今回は、いや、レジェンドであるマーヴェリックであっても独力では限界があることを示しているのだと思え、感慨深かった。エンディングの白Tにブルージーンズのマーヴェリックがポルシェ911を背景にペニーとキスするシーンは、そこだけ90年代に戻ったようで楽しかった。2回目だったが初見と同じくらい楽しめた。2時間ちょっとがあっという間に過ぎてしまう。

腰痛体験記を二冊読む──高野秀行『腰痛探検家』と夏樹静子『腰痛放浪記 椅子がこわい』

 

 

 

作家二名の腰痛体験記。どちらも年単位の長患い。自分は幸いにも腰痛になったことはないが両方の肩が四十肩になって2年苦しんだので辛さはわかるつもり。昨年解放されたが右肩には今も痛みが若干残っている。力仕事するときは無意識のうちに庇おうとしてしまうし、変な姿勢で寝ると翌朝は痛む。関節炎になってみて初めて知ったのだが常に体が痛いのはものすごいストレス。当時は痛みのせいで始終イライラしていた。痛くて眠れない夜もあり、QOLダダ下がり。自分の場合物を持ち上げるのはおろか、シャツの袖に腕を通すとか、シャツの裾をズボンに入れるとかの日常の挙動すら満足に行えず、考えるのは肩のことばかり、もしかしたら一生この痛みが続いてしまうのかも…という恐怖に付きまとわれ、考えたくもないのに想念が浮かんでくるんだから、まったく、ろくなもんじゃなかった。あんな経験は二度としたくない。

 

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高野さんも夏樹さんもどちらもある日突然腰痛に襲われる。自分の肩もそうだった。夕方、仕事中、急にきた。で、両者とも治療院や整形外科へ行き、診察、治療してもらうが一向に効かない。別の医者へ行くと今度は全然違う診断をされ、そもそも腰痛の原因が何なのかすら判明しない。治療が捗らないから医者を転々とする羽目になる。高野さんいわく、町を歩けば整形、整体、治療院、カイロプラクティック鍼灸の看板が無数に目につく。ネットで「腰痛」と検索すれば「何千万とも何億ともつかない件数がヒット」する。東京だけでも腰痛を治療すると称する場所がいったいどれほどあるのか、それだけ腰痛に苦しむ人も大勢いるのだろうが、それはまた明確な治療法がない証拠とも思えてくる。

まるで密林――と思った。コンゴミャンマーのジャングルに一人うっかり迷いこむと、右も左もわからない緑の魔境だ。腰痛業界もそのとりとめのなさは同じだ。

腰痛患者が多いのならば治った人もまた多いはず。高野さんが身近な元・腰痛患者に聞いてみると、どうも腰痛は本人も知らないうちにいつの間にか治ってしまうものらしい。

大半の人が二~四年でよくなるというのは信用してもいいだろう。 ただし、よくなると言っても完治するわけではないらしい。スキーや登山ができるようになった父も、庭の草むしりのような屈む姿勢の作業は痛くてできないそうだ。 私はそこに一つの示唆を得た。それは、腰痛はなかなか完全には治らないが、なんとなくよくなってしまうもの、ということだ。

 

腰痛――に限らず病気や故障全般にいえることかもしれないが――は痛みが出るときはわりとはっきりしているのだが、治るときはどうにも曖昧だ。私の場合も、カルカッタでの「空港療法」以外は、腰の痛みが和らぐときはいつも「いつの間にか」引いている。

元・腰痛患者は現・腰痛患者にあれこれアドバイスしたがるものらしい。彼らの「先輩からの忠告」めいたアドバイスによると、 

あらゆる腰の病は、温泉・腹巻と腹筋・背筋、つまり温めることと筋肉を鍛えるという二点に集約されていく

湯船にしっかり浸かる。腹巻きをして患部を冷やさないようにする。水泳で腰に負担をかけず腰周りの筋肉を鍛える。そして温泉信仰。これ、本当なんなんだろうな。気持ちいいから自分も温泉は大好きだけれど、万病に効くみたいなのは明らかに宗教だよなとしか。信じるものは救われる? 鰯の頭も信心から?

 

あらゆる治療を試しても治らなかった高野さんは、器質の異常ではなく心因性を疑い、心療内科へ向かう。すると、心因性と診断したくせに医者は患者の話をろくに聞こうとせず薬を出すだけ。しかもその薬は抗うつ薬で、なぜうつ病ではないのに抗うつ薬なのかの説明もない。とうとう頭にきた高野さんは薬を全部ゴミ箱に捨ててプールへ。ヤケクソになって泳いでいるうちに少しずつ痛みは引いていった。高野さんによるとプールを歩くのではなく、泳ぐのがいいらしい。背筋をまっすぐにして背骨を伸ばすから、水泳はいわば「自力整体」。本格的な腰痛開始からこのときすでに4年が経過していた。『腰痛探検家』のエピローグにはまだ腰は万全ではないと書かれているが、それでも深刻な事態にはいたっていないとのこと。普段は腰痛を忘れてしまうほどまでに改善したそう。

体に結果を求めてはいけないのだ。腰痛が完治するというのも大いなる「結果」でありひいては「幻想」である。それを期待して人生の貴重な時間を過ごすのではなく、「まあ、今はこんなもん」と常に思うことが大切だ。よくなってしまえば儲け物くらいの感覚で、でも前に歩きつづける。期待せず、諦めず。

でも結局腰痛になった原因は何だったのだろう?

 

 

夏樹静子さんもありとあらゆる治療を試しながら50代の3年間腰痛に苦しめられた。ひどいと30分と立っていたり座っていたりできず、脇息にもたれたり、ソファに正座したり(正座の方が腰にきつそうだがそうでもなかったらしい)、タクシーでは後部シートに横になるなどして凌いでいたという。夏樹さんはセレブである。名医にわざわざ福岡の住まいまで来てもらったり、知り合いの医大の院長から紹介された名医にかかったり、当時腰痛に関しては国内最高レベルの整形外科に診てもらっていたのではないだろうか。飛行機で移動する際、座っているのがきついから2席並んだシートに横になりたい、しかし間の肘置きが邪魔、肘置きは整備段階でないと外せないので夫が航空会社のお偉いさんに頼んで夏樹さんが乗るときのみ特別に肘置きを外してもらったというエピソードは破格。周囲の人たちが皆夏樹さんに親切なので人柄によるところも大きいのだろう。気功を含めたさまざまな治療でも効果なく、遂にはお祓いまでしてもらう。腰痛の原因は平家の祟りといわれ供養したものの内心ではそんな非科学的な原因を信じてはいない。やれるものはなんでもやっておこうの精神である。

 

耐え難い痛みから遂にモルヒネ10ミリグラムに匹敵するほど強い鎮痛薬を打ってもらう。しかしそれすら効かない。打った医師は言う、「あなたの腰痛にはモルヒネも効かないだろう」、「末梢神経ではなく、脳が痛がっているんですよ」。器質的な問題は一切ない、いたって健康な体だと複数の医師から太鼓判を押されている。あと考えられる可能性は心因のみ。心因が、夜一睡もできないほどの腰痛を生むとはにわかには信じがたく、夏樹さんは断固としてこの診断を否定する。しかし半信半疑で望んだ絶食療法と、夏樹静子というアイデンティティーへの執着を放棄することで、ようやく快方へと向かう。 担当した医師によれば心因から胃潰瘍になったり、心臓に症状が出たりすることもあり、夏樹さんの場合は腰痛だった、ということらしい。うーん、ちょっと疑念を抱いてしまったが、実際森田療法で治っているのだから心因性腰痛だったのだろう。高野さんも書いていたが腰痛は二足歩行する人間にとって宿痾というべきもの。歩く方向に向かって背骨が垂直になるのがよろしくない。腰を痛めた人でも四つん這いでなら動けるのは背骨の向きがいかに普段人間に負担を強いているかを証している。

 

それにしても二冊読んで感じるのが、診る者によって診断がコロコロ変わる、医療の適当さというか曖昧さというか。東洋医学より西洋医学の方が歴史的な実績とエビデンスがあるぶん上と思ってきたけれど、二冊を読むとどっちも大差ないな、と。自分の体験から言うと、たいていの医者は診察の際こっちの話をろくに聞きもせパソコンと睨めっこしてるだけでムカつくこと多い。なぜ医者ではなく民間療法へ通う人が途切れないのか疑問に感じていたが、民間療法の先生の方がこっちの話を熱心に聞いてくれるのが理由だと知り、合点がいった。

 

自分もまた肩か、今度は腰か、それとも首か、膝か、どこか関節の痛みに苦しむ日が遠からず再び来るだろう。必死こいて治そうとするのもいいが、病いや怪我が避けられないものである以上騙し騙し付き合っていく覚悟が要る、と思った次第。

 

俺もブログもいつか消える──古田雄介『ネットで故人の声を聴け』を読んだ

 

 

個人が気軽に自分の情報をネット上に発信できるようになってすでに四半世紀が経過した。この間、日本国内だけでも3000万人近い人たちが亡くなっているという。このうちの少なくない数の人が、個人サイトやブログやSNSなどに生前の痕跡を残している。それをたどり、様々な事情によって世を去った人たちの人生を垣間見ていく。紹介されるのは15人の男女。

 

紹介されるサイトのうち個人が特定できるケースもあればできないケースもある。闘病の末亡くなった人たちの場合は自身の情報を(写真を含め)かなり多く発信していることが多い。一方で自殺宣言をする人の場合は、それが遂行されたか否かも含めて個人情報不明のままサイトの更新が止まってしまう。本書のメインとなるのは前者のケースで、これは取材できなければ執筆しようがないので自然だろう。自殺宣言ののちサイトを放棄した管理人には連絡の取りようがない。

 

闘病の末亡くなった人たちは癌が多い。交通事故のようにある日突然亡くなるのではなく、癌の場合は残された時間が余命という形で明確にされる。闘病を続けつつ、気持ちを整理し、周囲に別れを告げるだけの時間がある。心情をネット上に声として残すこともできる。ただし最期まで、というのは難しいようで、いよいよ死期が迫ると精神的に乱れてしまう場合もあるし、痛みを取り除くための投薬で意識が朦朧としてしまう場合もあるし、脳転移による精神症状やせん妄などの意識障害が現れる場合もある。ネット上に残されているのはその前段階までの痕跡である。

 

15人それぞれの生について軽々に何か述べるなど自分にはできない。また本書の勘所もおそらくそこにはない。故人の生前の声を追って各人の生を紹介し読者にメメント・モリを促すというだけならば闘病記を読めばいい。そうではなくインターネット上の痕跡にこだわったところが本書の特徴だと見る。個人サイトに残された文章は書籍のように読みやすく編集されていない代わりに(いくつかのサイトは書籍化されているが)自身の「現在」をリアルタイムで報告する、いわば剥き出しの声。そしてその貴重な声はいつサービス提供者によってネット上から消滅してもおかしくない、とても儚いもの。ネットの脆さ儚さと、残された故人のサイトは誰のものかという問い、そして故人サイトをたどって故人について軽々に論じることの暴力性の自覚──このあたりが本書の勘所ではないかと自分は思った。

 

自分も、この日記ブログの前に別のブログサービスで読んだ本の感想ブログを9年ほどやっていて600記事ほど書いている。結構な時間と手間を費やしているはずだが、その後飽きたかしてもう何年も放置していた。そのブログサービスが今年いっぱいでサービス終了、移管しなかった場合ブログはすべて消去されると先日知り、かつては、ネットに発信した個人の声はたとえネットの片隅にであろうと自分の死後も残り続け、いつかそれを求める奇特な誰かの目に留まることもあるかもしれないなどと期待したものだが、そんなのは甘い幻想で、今や運営側は非アクティブなアカウントやウェブページを放置し続けるリスクやコストを避ける方向に向かっているし(今後ますますその傾向は加速するだろう)、様々な事情によりサービス提供者がサービスを停止する可能性も低くない(ブログなんて今はもう下火だし)。要するに大半の個人サイトは、管理人がいなくなればいずれ近いうちに消滅してしまうのだ。自分の死後も投稿した記事や写真や音楽や絵は残り続けいつか必要とする人に届くかもしれない…などという希望はほとんどない、といっていい。検索にも個人のサイトは引っかかりにくくなっているか? 10年くらい前なら検索していくらでも個人サイトやブログなどが出てきたように思うが今は違う。アルゴリズムが当時と違ったり、ブログを書く人自体が減ってSNSで発信する人が増えたり、そういう世の中の流れみたいなのもあるのかもしれないが。そもそも、自分が死んだあとも痕跡を残したいと思う人がどれほどいるのか。大半は書き捨て、消えたなら消えたでいいみたいなノリかもしれない。自分なんかはオールドタイプだから、物心ついたときにはネットがあった世代の感覚とは全然違っていると思う。俺はできれば自分の死後もブログには残ってほしいと思っている。自分自身がどれほど有用な情報を発信できているかといえば…皆無だが…。むしろ検索結果を汚染するノイズでしかないかもしれないが…。そう自覚しているにも関わらず…こうして書いている。俺にとってブログとは…俺はここにいる、という存在証明のための叫びだから。

 

放置されたサイトは提供元の事業撤退などによって一網打尽で消滅しますし、事情を知らない遺族がクレジットカードを停止し、レンタルサーバーの利用料が支払われなくなったことで突然姿を消す例もあります。遺族や縁者が引き継いだ後に、何らかの事情で手放されたままになっているケースも少なくありません。劣化しないデジタルデータで記録されているからといって決して永久的な存在というわけではなく、顧みられないと案外すんなり消えていきます。それがインターネットの常識ではありますが、そうなるにはあまりに惜しいサイトを数多く見送ってきました。

 

そもそもインターネット上のドメイン(住所)の永久所有は不可能なので、オンラインで永久保存を求めること自体難しい。運営元の状況次第でいつでも消える可能性のある無料サービス上にバックアップもなくただ放置しておくのは、流氷に載せるに等しいやり方だ。 10 年や 20 年も浮かび続ける流氷も確かにあるが、多くは数年で沈んだり溶けたりしてしまう。

 

誰かに託さずに長年残すのであれば、長期間の契約でレンタルサーバーを使い、その後の支払い方法や管理方法に道筋を付けるしかないだろう。あるいは後世の人が放っておけないような文化資産を作り出すか……。それでもやはり永久は難しい。

 

本書でも、現在も更新されている故人サイトは家族や友人たちによって引き継がれている。その中には積極的に更新されているものもあれば、故人のサイトは故人のものだからとして最低限の管理に留まっているものもある。更新されずとも残っているサイトに関してはたまたまサービス提供者がサービスを継続しているからという偶然による。こちらに関してはいつ消滅してもおかしくない。

 

著者は故人のサイトをお墓に例えている。管理する人がいればお墓は荒れない。草をむしり、ゴミを拾い、墓石を拭き、花を供えて綺麗に保とうとする。一方で管理する人がいなければお墓は荒れて自然状態に戻ってしまう。

現実のお墓も訪れる人がいなくなると、最低限の管理がなされていても、細部に目地の汚れや雑草が見つかるようになり、献花や線香の痕跡は一向に更新されなくなる。残酷な言い方をすれば、必要とされていないことが見て取れるようになる。少し観察するとはっきり分かるのはインターネットでも同じだ。

 

現実もインターネット上でも結局人間関係が重要なんだな。故人を大切に思う人がいれば(あるいは価値ある情報と見做されれば)管理人の死後も彼のサイトは残り続ける。今でも毎日訪問者がいる故人サイトとはすなわち管理人が大切にされている証明だろう。ただ、訪れる人がいなくなったとしても、これも本書で言及されていることだが、たとえばhtml形式ホームページなんかには時代の証言として価値があると思うし、震災や戦争が発生した当時の人々のツイートやブログ記事は後世の歴史学者が現代を研究するためのアーカイブとなりうるだろうし、営利企業に学術的価値のために維持コストを負担せよとは言えないから、このあたりのデジタル情報をどう扱っていくかは今後の課題なのかな。古代のアレクサンドリア図書館にあった貴重な数多の書物は燃えてしまったんだっけか。自分としてはローカルにも残せるような仕様にしてほしい、とは思う。今こうして書いていて思ったのだが、LINEってトーク履歴をテキストファイル保存するとスタンプが表示されなかったはず。スタンプはLINEの肝といっていいものだから、親しい人が亡くなったとして、その人との生前のトークの思い出を不完全にしか読み返せないのは寂しい。あと、ネットのニュース記事も数週間とかで消えてしまうのは、権力者による隠蔽とか捏造の可能性を考えてしまってちょっとどうなの? という気持ちになったり。なんかだんだんアナログの方が不便だけど強くねーか、という気がしてきた。

 

本書はKindle版で。Kindleだと掲載されている写真がカラーな上、故人サイトへはリンクから直接飛べるので便利だった。ある故人の手帳写真に強く感動した。『グレート・ギャツビー』のラストのような。