山田太一『見えない暗闇』を読んだ

 

主人公の松本洋介は45歳、都清掃局の課長。39歳の妻がいる。一人息子は大学入学をきっかけに家を出て行った。入れ代わりのようなタイミングで病身の義父との慣れない同居が始まった。傍目には平穏そのもののように見える一家。ある夜、主人公の家に、かつての部下から妙な電話が入る。勤務地である埋立地で光る人間のようなものを目撃したという。その出来事をきっかけにして、少しずつ主人公の平穏な日常が崩れていく。妻の不貞、主人公の間男への暴力、暴力の結末、大男と鵞鳥声の美少女、そして再度現れる「夜、光るもの」。

 

冒頭の謎めいた電話によっていきなり物語の核心部分へ導かれる。要領を得ない夜の埋立地の顛末。そして妻への疑惑。妙な言動、それが変に色っぽく、半ば倦怠期のようだった主人公の情欲をそそる。男の存在を意識した途端、これまで「家族」だった妻が新鮮に、生々しい「女」として見えてくるというのがいい。この小説は序盤が見事。かたや「夜、光るもの」のファンタジックな謎、かたや妻への疑惑。どちらもその真相が知りたくてページを繰る。

 

おとなしい常識人だった主人公が妻の不貞に怒り狂い、我を忘れて間男をぶちのめす中盤のシーンが特に印象に残る。これまで付けていた公務員としての、あるいはよき夫または父親としての世間向けの仮面を投げ捨てて、原始的な感情・欲求が突き上げてくるがままに「普通の中年男」が突如激しい暴力を振るうのは恐ろしい。つまりキレたのだ。殴るのに慣れていないから加減がわからない。だから一旦やりはじめたらとことんやってしまう。我に返って自身の行為を後悔するが、間男を打ち倒し、事のあとで妻を抱けば、後悔など消え男としての自信が戻ってくるのを感じてもいる。このへんの機微が恐ろしくも面白い。

 やっぱりなあ、と洋介は思った。あやうく声になりそうだった。ほっとしたのか高揚するような気持ちが湧いていた。やっぱり行動は強いよなあ、と居間のテレビのリモコンを探した。人間、口だけじゃあ駄目ってことだよなあ、肉体使わなきゃいけませんよ。

しかしこの小説がわかるか、タイトルの意味がわかるか、というと、読み終えてもよくわからない。「見えないのに本当はいる」とは何のことか。何かの比喩なのか? わからん。

 

謎めいた導入とエロい展開の序盤は楽しい。しかし暴力を振るって以後はちょっと勢いが落ちたような気がする。クライマックスは闇の中から主人公を囲み、見つめる何百人もの人々の出現シーンか。怖さはある。確かにある。けれど中盤以降は道具立てがあまりにファンタジックになり過ぎて真面目に読むにはちょっとなあ、というところがあった。義父の戦争体験が唐突に始まるのには驚いた。戦場における極限の体験がこんな勤め人の日常を舞台にした小説に挿入されるとは…。奥付を見ると週間朝日に連載されたのは1994年から。四半世紀前はまだ戦争体験のある人たちが大勢いただろうから、これもまた日常であったのかもしれない。

 

 

東京サマーランドへアジサイを見に行く

未だ都内は緊急事態宣言中ではあるが屋外の広い場所ならば問題なかろうということで圏央道を使って東京サマーランドアジサイを見に行ってきた。結論から言うと時期尚早だった。見頃は6月下旬から7月上旬とのこと。近所の民家では綺麗な青を披露しているのでてっきりもうシーズンだと思っていた。なので百花繚乱には程遠い鑑賞となってしまったが、その分人も少なく快適に回れたのでこれはこれでよかった。

 

目的地はあきる野ICを降りてすぐ。お昼少し前頃だったがサマーランドの駐車場はすでに満車に近かった。サマーランドを過ぎて800メートルほど先にある「わんダフルネイチャーヴィレッジ」内にあじさい園はある。こちらの駐車場はガラ空き。駐車料金700円。ヴィレッジ入園料大人850円。入り口前からやけにうるさい犬の吠え声が聞こえてきて何だろうと疑問に感じたが、入ってすぐに理解できた。ドッグプールが二つあり、かなりの数の犬が水遊びしていたのである。ゴールデンレトリバーやボーダーコリーが楽しそうに駆けずり回っていた。片方のプールが中大型犬用でもう片方が小型犬用のよう。しばし眺め、もう死んで十年にもなるうちのボーダーコリーのことを思い出す。さらに先にも広々としたドッグラン用の広場があってそこにも大小様々な犬がたくさん遊んでいた。何年か前にもここへアジサイを見にきたことが一度あったが、そのときはこんなに犬用に特化していなかった、と連れが言う。そうだったかもしれないが、よく覚えていない。わんダフルネイチャーヴィレッジというのもリニューアル後に改称したのだろうか。

 

表示に従ってハイキングコースの方へ。少し坂を上るとアジサイがお出迎え。といって青いのはまだほとんど咲いておらず寂しい限り。アナベルとピンクアナベルは割と咲いていた。この日は天気がよく、正午の陽射しは真上から降り注ぐので撮るのが難しかった。 アジサイは曇天の方が映える気がする。

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アナベル。生クリームの菓子を思わせるようなフォルムは味がある。余談だがポーの詩「アナベル・リー」が好きである。キングダムバイザシー。

 

f:id:hayasinonakanozou:20210613135610j:plainそれにしても人が少なかった。行きはカメラを持っている人はほぼ見かけず、犬の散歩がてら歩いている人ばかりだった。復路で幾人かのバズーカ持ってる人たちとすれ違った。

 

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ガクアジサイ

 

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スタンダードなアジサイアナベルも悪くないがやはりアジサイはブルーがしっくりくる。

 

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アナベルの雪山」の展望台からの眺め。写真で見るとまあまあ咲いているようにも見える。道中でウグイスの声を聞く。

 

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露出をマイナスにするとそれっぽい感じになるとか、そういえば何かで読んだ記憶があった。

 

f:id:hayasinonakanozou:20210613141030j:plainこのフォルム、この色相のアジサイが好き。これはこういう種類なのか、これからスタンダードチックになるのか。花はよく知らない。

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カシワバアジサイ。同じ構図の写真ばっかりじゃねえか。

 

ハイキングコースは二キロほどの行程。予報では最高気温28度になるらしい日の真昼だったのでだいぶ汗ばんだ。麓から登って展望台まで行き、小さい滝を眺めて戻ってきた。なんだかんだで一時間くらい歩いた。休憩スペースで一服し、出たり入ったりする犬を連れと二人でぼんやり眺め、時々会話をしているうちに一時間近くがあっという間に経っていた。歳をとるほど時間はあっという間に過ぎていく(ように感じる)。

 

二時過ぎに出発。ちょうど自分たちが帰る頃から少し人が増えてきたようだったが、それでも駐車場はガラガラだった。人が多いと疲れるから、これくらいの人出のときに見ておいてよかったかもしれない。でも、何年か前に来たときも、たしかその時はシーズンだったと思うが、混雑していたような記憶はないのだが。あきる野のサイゼで食事して帰宅。

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酒井順子『中年だって生きている』を読んだ

 

 中年本の一冊として。女性による中年本はこれが初か。この本も『中年の本棚』で言及されていた。

 

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著者は1966年生まれのバブル世代なので自分より一回りほど上になる。中年になっても旅行やファッションへの感度が高いのはやはりその世代特有と思う。世代や性別は異なるが、述べられる中年の悲哀は自分も覚えがある。

 

40代にもなると髪は薄くなるか薄くなる傾向を見せ始め、あっても白くなったり、顔にはシワやシミができ、たるみ、髭は濃くなり、腹は出、二の腕には脂肪がつき…と全体的にフォルムがだらしなくなる。20代までは似合っていたTシャツやかわいいキャラクターグッズが似合わなくなる。もちろんその人がしたいファッションをすればいい、と思う気持ちもあるけれど、弁えられない、というのはちょっと痛い感じを人に与えるものである。

 

 アジアの安宿を流れ歩くようなバックパッカーもまた、同じような悩みを持っているらしいのです。知り合いの旅好き中年男は、若い頃からのバックパッカー。今でもたまにその手のことをするらしいのですが、「安宿に、そしてバックパッカー姿に、どうもしっくりこなくなった自分を感じる」と言います。

「安宿という背景には、若者が似合うんだよなぁ」

と。

 

若者は、肉体に張りがあるからこそ、張りの無い衣類を着こなせます。が、肉体に張りが無い中年が張りの無いものを着てしまうと、全体的にヨレた印象に。洗いざらしの綿のTシャツなど、最も危険な衣類です。

 

 喫煙は、喫煙者にとっては無くてはならない嗜好品ですが、非喫煙者にとっては、迷惑以外の何物でもありません。同じように中年の少女性というのも、本人達にとっては精神の安定を保ったり、ときめいたりするのに非常に重要なものであっても、他人から見ると「げっ」とか「気持ち悪い」となってしまう。

 だからこそ我々は、「中年にとっての少女性とは、嗜好品である」ということを理解しなくてはならないのです。喫煙行為と同様に、一人もしくは同好の士だけの時にしか、それは表に出してはいけないものなのではないか。

 

自分は春秋はスエットパンツにパーカー、キャップといういでたちがもう何年もデフォルトになっているが、確かに40代でこの格好は恥ずかしいものかもしれない。一時期タートルネックとかジャケットとかちゃんとした中年に見えるような服を着ようとしていた時期もあったが、人からどう見られるかと自分がラクであるかを天秤にかけた結果後者が勝ったため、以来惰性でそうしている。

 とりあえず自分のことは棚に上げておきますが、友人がおばちゃんに見える時というのは、すなわち「ラク」の方向に逃げた時です。「お洒落は我慢だ」という話もありますが、人は年をとると、肉体的な我慢がどうしたって利かなくなるもの。「お洒落」と「ラク」を天秤にかけて「ラク」の方に目盛りがぐっと傾いた時に、私達はある一線を越えるのです。

 

だんだん年をとると子供に近づいていくような気がしている。自分のこれまでの人生を振り返ると20代半ばから30代前半にかけてがもっとも精神的に大人だったような気がする。そこからは下降線。だんだんおっさんになって周囲が気を遣ってくれるようになるから勘違いするのだろう。子供が、自分は守られている、とわかって好き放題やるように、おっさんも自分は咎められないとわかって傍若無人に振る舞うようになるのではないか。職場で年長者を見ていてもそう思うし、自分の胸に手を当ててもそういうところがある。わがままも子供ならば可愛らしいから許されるが、おっさんが同じことをしても可愛くないから許されない。あと、プライドが高くなるのか、年下に頭を下げることが苦手になる。30代の頃は20代の人に仕事を教えてもらうのに抵抗なかったのに、40過ぎてから苦痛に感じるようになって消極的になった。若い頃、あのおっさんはどうして分からないくせに聞きにこないんだ、とイラついたものだが、いざ自分がその歳になってみると分かる。教えを乞うたり、お礼を言ったり、他人に頭を下げるのが恥ずかしいんだな。で、いつまでもそのままだから職場のお荷物になる→自分を誤魔化すために過去の栄光に縋る→老害になる、みたいな流れではないだろうか。中年でなお素直な人は稀であり、だからこそそういう人は何歳になっても成長・向上する余地がある。無能おっさんと有能おっさんの違いはメンタルの差であろう。

 

加齢により前頭葉が劣化すると感情のコントロールが難しくなると聞く。自分も、若い頃よりイライラすることが増えた気がする。自動車の運転中など特に。年をとると円くなるなどというのは嘘で、「人は老年になると、むしろ自分の性格の中で特徴的な感情を先鋭化させていく人が多い」との指摘にはハッとした。「怒りっぽい人はもっと怒りっぽくなり、ネガティブな人はもっとネガティブになり…というように」。同時に物事に対する執着が薄くなり、こだわりがなくなるのも中年期の特徴ではないか。もう自分の限界が分かるので完璧を求めなくなる。他人から大切にされる人間ではないことも分かってくるから他人に期待しなくなる。そういうふうにスレていく部分は確かにある。独身中年こどおじなんて、何が楽しくて生きてるの? と問われたら答えようがない人生である。今ならばまどマギの新作と答えるか。会社での昇進でも、子供の成長でもなく、アニメ映画の公開が人生の楽しみって。

 

自虐的かつ辛辣な文章により読む人を選ぶ本かもしれない。中年の哀しさ、滑稽さは、若さと老いの狭間にいることから生じている、と自分は見ている。もう若くはないが、枯れるには早過ぎる。その間で動揺する。「もう年だから…」と口では言いつつ内心まだまだ若い奴らに負けちゃいない、と思ったり、そんなふうには見えない、という相手の反応をひそかに期待したり。60歳にもなれば腹を括って自身の老いを受け入れられるのだろうが、40代はまだ若者の側に所属しているとの自惚れ・勘違いが手放せないのがつらい(伴侶や子供がいれば相対化もできようが、独身と来た日には…)。こういういやらしさ、可笑しさが中年を哀れで滑稽な存在にする。でも、哀れでも滑稽でも、生きていかなきゃならんからなあ。

 

 

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映画『はるヲうるひと』を見たが…

佐藤二朗のユーモラスな演技は寒く感じてしまい苦手である。だから原作・脚本・監督・出演の本作を見るか迷ったが、予告を見るとシリアスそうで、二年前に見た『岬の兄妹』のようなヘビーな内容を期待して見に行った。

 

思っていたよりいい映画だった。けれど、見ている間ずっとちぐはぐな感じがした。そう、この映画の感想としてまず思い浮かぶ言葉は、ちぐはぐ。基本的にはシリアスな愛憎劇である。ある島の置屋を舞台にして描かれる腹違いの兄弟の確執。置屋の経営者である長兄は、かつて父親が妾と心中したことで妾の子である弟妹を憎んでいる。ポン引きの次男は兄に従順で、少し薄弱の傾向があるようにも見える。妹は病弱で普段は床に伏せている。アルコール依存症でもある。血縁へのこだわりなどは戦後文学的。ケータイもスマホもテレビも出てこない代わりに火鉢や原発建設工事が出てくる。昭和中期頃が舞台か。長男の自宅も昭和レトロなインテリアをしていた。そういえば画面もざらついた褪せたような色味だった。でも山田孝之演じる弟は金髪で、もっと現代に近い時代のような印象も受ける。舞台は昭和レトロ風なのに登場人間は現代風、いわば画面のちぐはぐさを終始覚えながら見ていた。

 

映画全体の調子、テンポ、これもちぐはぐだった。主演の山田孝之はじめ俳優陣の演技は基本シリアス。でもミャンマーから来たという男性だけは常に寒いボケを連発する。これが映画のリズムを悪くしていた。片言の日本語でズレた発言をする人物設定にも不快感を抱いた(演じた俳優にではなく人物設定に)。シリアスな愛憎劇の息抜きとなるユーモア担当としてこの人物を出したのだろうが、いない方がいい映画になったと思う。冬の路上で日焼けしながら「全然焼けない」とぼやくチョイ役がいたが、この映画のユーモアとしてはあの程度でいい。実際、あの人は終盤でいい味を出していた。ミャンマーの男性のギャグは過剰すぎてうんざりする。山田孝之も、仲里依紗も、迫真的ないい演技をしていただけにもったいなく感じた。ギャグとは物事を相対化する視点から生まれるもの。だからシリアスな劇とは相性が悪い。佐藤二朗という人が基本ふざけたくなる人なのだろう。

 

山田孝之仲里依紗はどっちもよかった。仲里依紗がこんな美しい顔をしていたとはこの映画を見るまで知らなかった。佐藤二朗も不気味な男を演じていて迫力があった。「ここにいていいのか」と呟き続けるシーンは怖かった。山田孝之が、両親が心中した家に飛び込んだ後のシーンはそのおぞましさにびっくりした。あのシーンがこの映画の白眉だろう。坂井真紀は…どうだろう。きつい方言を一人だけ使うのがかえって徒になっているように感じた。あと、役柄にしては綺麗すぎるというか、スレた感じが乏しくて違和感があった。

 

血縁の問題とか、愛のある性交ない性交だとか、「まっとうな幸福」だとか、提示されるテーマのいちいちに、現代でこれやるのか、なんか古いなあ、という印象を持った。そうか、ここまで書いて今気づいたのだが、だからしつこいギャグはあって正解だったのかもしれない。でないと、なんかシリアスな古くさい映画、で終わってしまったかもしれないから。このあたりは好みの問題。最初から最後まで飽きずに見られたし、前述の実家に飛び込むシーンとか、酒瓶を兄妹で取り合いするシーンとか、ラストの海岸のシーンとか、印象的なシーンも結構あって、悪い映画ではなかった。兄と妹が並んで海を眺めるラストシーンは、光の加減が絶妙に寂しい感じを演出していて、とてもいい画だった。

 

海へ行きたしと思えども

海はあまりに遠し、というほどではないにせよ、埼玉県在住の身としては気軽に行けるほどの距離でもなく。海へ行くには、行くか、と気合が必要になる。ふと海が見たくなったから行くのではなく、予定を立てて行くのが普通。埼玉県はいいところで自分が住んでいる場所もまあまあ人の多い便利な場所であるから文句を言うのは贅沢だが、海が近くにないのは不満である。最後に海に行ったのは2019年6月の大洗。だからもう二年海を見ていない。なぜ人は海を見たくなるのだろう。とてつもなく広いからか。波がいいのか。太古の記憶が呼び覚まされるのか。なぜかはわからないが海が見たい。埼玉から一番近い海だとお台場になるがお台場は海というよりテーマパーク的な印象がある。江ノ島九十九里か大洗がいい。

 

コロナウイルス対策のため北海道、東京、愛知、大阪、兵庫、京都、岡山、広島、福岡の9都道府県に出されていた緊急事態宣言が当初の5/31までの期間を延長して6/20までになった。埼玉、千葉、神奈川、岐阜、三重の5県に出されていた「まん延防止等重点措置」も同期間までの延長となった。正直、感覚は麻痺している。麻痺というか、慣れか。一年以上にわたるコロナウイルスとの付き合いで新しい生活習慣がいつの間にか身についてしまった。外出時のマスク着用、ソーシャルディスタンス、帰宅後や食事前の手洗い、入店時の手指消毒、密になる空間の回避など。外食の機会もめっきり減った。自炊するか、テイクアウトか、コンビニ弁当で済ますことが増えた。緊急事態宣言だろうが「まん防」だろうが、平日は自宅と会社の往復、会社ではスタンドアローンで仕事をこなし、帰宅したらスーパーへ買い出しに行くくらいしか家から出ない。休日は女の人と食事したりするが、ちょっと喋って解散。遠出はほぼしない。コロナ前はよく通った映画館へ行く回数はめっきり減った。サウナーやってたがスパ銭にもコロナ流行後は一度も行っていない。出歩かない生活が今や当たり前になってしまって、飯屋が何時で閉まるとか、酒類の提供をしていないとか、関わり無くなってしまい、だからよく知らずにいる。他人とコロナを話題にすることも少なくなった。物珍しさがなくなり、日常の一部と化してしまった。

 

自分は20代の一時期引きこもっていた。当時の自分はインターネットと無縁だった。インターネットがなくても問題なく二年ほど引きこもっていた。だから外出自粛生活など余裕と思っていた。しかし自ら好んで引きこもるのと、「外出自粛を要請される」のとでは違うらしい。行こうと思えば行けるけどあえて家にいるのと、不要不急の外出はするな、旅行など論外(昨年GoTo トラベルキャンペーンなるものが実施され自分も利用したクチだが)、ずっと家にいろ、とお上に言われそういう空気を醸成されてやむなく家にいるのとではぜんぜん勝手が違う。どうも昨年の冬くらいからモヤモヤして気が晴れない。平日は仕方なしに会社に行くが、休日になると起きるのが億劫で一日寝巻きで過ごす日もある。何をするのも面倒くさい。気分が上がらない。「自粛疲れ」という言葉が聞かれるようになったのはいつからだったか。連日テレビを点ければまずトップで今日の感染者数、重症者数、死亡者数が報道され、色々と日常行動が制限される生活を一年以上も送れば、自覚あるなしの違いはあろうが誰しも相当ストレスが溜まっているだろう。感染症が厄介なのは、そういうストレスを発散しようと人と会ったり集まったりしたいのにそれがリスクになるからできない、というところにある。自分もストレスを溜め込んでいる。海を見れば気が晴れるかもしれない。

 

少し前、仕事から帰宅した自分に、母が、昨夜父が急に泣き出したと言った。なんでも、夜、酒を飲んでいて急に泣き出したのだそう。泣いたところを見たことがなかったのでびっくりした、と言った。そういえば自分も父の泣いたところは見たことがないな、と思った。何かあったのか、明確な理由があって泣きたくなったのなら泣くのが普通の反応で健康な証拠だし、それが不甲斐ないこどおじである自分を嘆いてのものだったら申し訳ないと思うが、もしかしたらコロナ禍によるストレスで情緒不安定になった部分が、アルコールでふと緩んで出てしまったのかもしれない。誰だって泣きたいときもある。

 

家にいる時間が長くなったので、ここ最近ちょこちょこパソコンやクラウドストレージ内の過去の写真を見返して整理している。撮ったらそれで終わりの人間である。管理ができない。見返していると結構海の写真があった。下手でもいいから撮るだけ撮っておくもんだな、と2021年の今、2006年の写真を見ながら思う。後から見返すと当時の記憶が喚起され感慨深いものがある。矮小な『失われた時を求めて』。

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気仙沼大島、2006年8月

初めての一人旅、なんで宮城へ行ったのだったか。蔵王のお釜が見たかったのだったか。牛タンか。大島の民宿に泊まったのは覚えている。初めての一人旅で民宿て。つげ義春的な旅をしようとしたのでもないだろうに。確か観光協会のサイトからネットで予約した。一人なのによく泊めてくれたと思う。その日は大漁だったらしく、夕食は食卓に到底食べきれない量を並べられた。泊り客は自分一人だけだった。その家のおばあさんが食事のお供をしてくれたが、一人で、知らない土地で、知らない人がすぐそばにいる状況では緊張してしまってろくに食べられなかった。すごい申し訳ない気持ちになった。ばつも悪かった。宴会でも開けそうな大座敷に布団を敷いてもらって、一人ぽつんと寝た。窓の向こうから聞こえてくる波の音が怖いほど大きかった。気仙沼大島。震災の後ではその土地の名は特別の響きを帯びるようにも思う。

 

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宮古島、2015年3月

沖縄は好きで三回行っている。那覇市は楽しい。なんであんなに楽しいのだろう。毎度、国際通りで食事するところに迷う。三線を演奏する店とか入っちゃうともろ観光客向けな感じがして、観光客には違いないのだがなんか違う…というか。本島に二回、宮古島にも二回行った。本島からセスナで日帰り観光で寄ったら思いのほかよくて、二度目は羽田から直接宮古島へ行った。ここの海を初めて見た時はその透明度に感動したものだった。沖合は濃いブルーというかグリーンというか、それが浜に近づくにつれ徐々に透明になってくる。波が色彩のグラデーションをなす。陽射しが強くてサングラスをしていても視界は白っぽい。夜になると道路は大量のカニで溢れた。

 

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南紀白浜、2015年10月

2015年は和歌山にも行った。白浜から串本を経由して那智勝浦へ紀伊半島を太平洋沿いに。たしか有給を使って平日一泊二日だったか二泊三日だったか。強行軍になったのを後悔したくらい見どころたくさんで、時間の都合で行けなかった場所が多い。和歌山は高野山も含めてまた行きたいと思っているが埼玉からだとアクセスが難点。ここの海も宮古島ほどではないけれど透明度の高い綺麗なブルーだった。オフシーズンだったからか全然人がいなかったのもよかった。

 

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JR下灘駅、2013年8月

2013年から2016年にかけてよく旅行した。「海に一番近い駅」下灘を知ったのはJRの青春18きっぷのポスターで。あと、2chまとめサイトのノスタルジックな夏の風景を集めたやつで見て行きたくなった。一人旅。羽田から行って高知、愛媛と回った。鉄道には興味ないので駅へはレンタカーで。小さい駅なので駐車場がなく、駅前の坂道の下の空地に車を停めたような記憶がある。あそこ、人の土地だったかもしれない。だとしたらひどい迷惑行為。当時は今みたいにSNSが隆盛していなかったから日中も数人しかこなかったし、すぐ帰っちゃったりしてベンチを独り占めできる時間も充分あったけれど今は人が凄そう。特に夕暮れ時。鉄道には興味ないが海の見える駅には興味があって、海芝浦駅とか日立駅とかそんなに遠くないから行ってみたいともう何年も思っているのだが、電車で長距離移動が億劫でなかなか。というか40歳を過ぎてからは、まあここ一年はコロナのせいもあるが、旅行はしたいが移動がだるくていまいち行く気が出ない。

 

こうして海の写真を見ているとなおのこと海が恋しくなる。今度新たに行くなら、そうだな、房総半島の海へ行ってみたい。しかし繰り返しになるが、下手でもなんでも写真は撮っておくといい。今のようなスマホで簡単手軽に写真が撮れる時代なら撮影のハードルも低いから、撮っておいて何年も経ってから見返すと、あんなだった、こんなだったと当時の記憶が喚起されて、ちょっと幸福な気分になる。幸福な気分というか、ああ生きてきたんだったな、じゃあまた生きよう、生きるか、みたいな生きる意欲が湧いてくる、と言った方が近いか。こういうしょうもない文章もまた、今の記録として、後で読み返すと何か意味が出てくるかもしれない。

 

映画『アオラレ』を見たが…

unhingedが原題。頭のネジぶっ飛び野郎みたいな感じか。スピルバーグの『激突!』を思い出させる、逆ギレ煽られスリラー。スピルバーグ煽り運転手には背景がなくそれがゆえに不気味さがあった(煽ってくる反面、子供たちに道を譲る。車から降りてこない)。対して本作のラッセル・クロウは、社会から弾き出された「負け組」「無敵の人」であると背景が描かれる。冒頭近く、アメリカ社会全体にフラストレーションが溜まっており、人々は互いに攻撃的になっているみたいな説明がある。日本でも数年前から煽り運転が犯罪として注目されるようになり、今やドラレコは必須装備といってもいいほど定着した。アメリカも似たような状況の様子で、世の中全体がギクシャクしているのだろう。みんなムカついてる。

 

自動車の運転は日常であり、この映画は日常に起こりうる暴力を描く。ラッセル・クロウは無敵の人だが、主人公の女性も恵まれた環境にいるとはいえない。いわば困窮者同士で衝突している図になるのがやるせない。『激突!』との違いとして本作のラッセル・クロウは煽ってきた主人公への怒りに留まらず、その周囲の、彼女の家族や友人たちにまで危害を及ぼそうとする。白昼堂々、人目を気にせず殺人を犯すやべー奴。弁護士の首にナイフを突き立てたり、弟の恋人を何度も刺したりするシーンは暴力描写として過激で、ラッセル・クロウがこんな汚れ役をやるんだ、と驚いた。

 

感想としては、カーアクションのあるB級スリラーかな、と。いつの間にやらタブレットをシートの底面に貼り付けたり、トラックからミニバンに乗り換えてたりしたのはご都合主義的に感じた。スマホの履歴から主人公を先回りしたり、警官を名乗って油断させようとしたり、かなり犯人は頭が回る。なんか『スマホを落としただけなのに』的な一面もあるか? 煽り運転ってカッとなってやるものだろうに、こんなに怒りが持続すること自体がファンタジーといえばファンタジー。肝心のカーチェイスの迫力がイマイチだったのは撮り方の問題か、自分の感性の問題か。終盤の、画面奥から主人公の車が突っ込んでくるシーンはよかった。ローリーがパトカーを潰すシーンといい、車と車が衝突するシーンは興奮する。見終わって、煽られる恐怖を描いたというより、クラクションがきっかけでサイコ野郎の標的にされる恐怖を描いた映画だったな、と思った。

 

金すなわち精神安定剤

 こんな記事があったのでブックマークした。

仕事がなく貯金も尽きかけた時、恐怖に襲われ1日中布団の中で震えていた「裏バイトの広告が魅力的に見える」「悪い方にしか頭が切り替えられない」 - Togetter

入ってくる金の有無が精神衛生を大きく左右する。収入ゼロだと不安で押しつぶされそうになる。10年前無職になった時は震災の影響で次の仕事見つけるのに苦労した。

2021/05/26 23:42

10年前、一人暮らしで無職になった経験を思い出しながら少し書いてみる。退職時、銀行口座には僅かな退職金を入れても50万もなかった。でも発作的な退職だったので金のことは考えなかった。とにかく一刻も早くこの会社を辞めてえ、とだけ思っていた。

 

無職になったら時間ができるから、これまで忙しさにかまけてできなかったあれこれをやってみようとも思っていた。そのあれこれには大抵金がかかった。無職であれば当面の生活費の確保が最優先になる。だから遊びに金を使う勇気は出なかった。収入がなくなる→口座の金が一方的に減っていく。金が一方的に減っていくだけの状況は自分にとってかなりのストレスだった。不安と恐怖も感じた。優雅な無職ライフを満喫しようと思っていたのにとんでもない。むしろブラック企業だったとはいえ働いていた時の方が精神的余裕があったのではないかとすら思えた。多分1000万2000万の貯金があっても四十代から死ぬまで逃げ切るには全然足りない。

 

2011年当時、勤めていた会社はブラックだった。賃金は安い、人間関係は劣悪、年休108日(長期休暇なし、365日24時間稼働の工場)、残業が毎月50〜100時間。嫌で嫌で仕方なかったが二年働いた。3月、東日本大震災が発生した。連日の非日常的な光景をテレビで見るにつれ、自分の頭は少し変になった。こんな毎日はもう送りたくないと強く思った。それで発作的に退職願を提出し、ろくに蓄えもないのに会社を辞めた。災害の起きた非常時こそ会社にしがみついて生活を成立させなくてはいけないのにその逆を行くとは、今思い返しても自分の思慮のなさに呆れる。その頃のことは以前少し書いた。

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会社を辞めたらハロワで失業保険の受給申請をして、待機期間中は貯金で倹しく暮らす。それで半年はのんびりできるはず。積みまくった本を読み、ネットで時間を潰し、健康のため自炊をしよう。会社を辞めてすぐはとにかく楽しかった。何もしていなくても楽しい。もう会社に行かなくていい、あいつらの顔を見なくていい、何時に起きても寝てもいい。当時住んでいたのが、交通はやや不便だったが、アパートとはいえ2LDKメゾネット、築浅なのに家賃は相場程度でかなり割安、光回線開通済み、駐車場ありという恵まれた物件だった。一人で住むには十分な広さ、というか二階にあった二部屋のうち一部屋は持て余していた。6室あったうち一人で住んでいたのは自分だけで、あとは家族かカップルだったが、幸いにも日中静かだった。だから一日中引きこもっていても、集合住宅ならではの騒音等ストレスはなかった。このアパートには二年いた。

 

しかし楽しい気分でいられたのは、せいぜい会社を辞めた最初の一週間か二週間だった。家賃や光熱費が口座から引かれ、わずかな残金が減っていく一方の状況を認識した途端不安に襲われた(遅い)。無職になったからゆっくりしようなんて、そんな贅沢を言える身分ではなかったとその時になって気づいた。それでも貯金があるうちはダラダラしていた。優雅なダラダラではない。現実から目を背けるためのダラダラだった。不安なことは怖いから考えないようにした。読書もせず自炊もろくにせず、Acerのノートパソコンでネットばかりしていた。2ちゃんねるや無職.comをよく覗いていた。

 

時間はいくらでもあるのにその時間を活かす金銭的余裕がない。だから心理的余裕もなくなる。逆にいえば金こそが精神安定剤の役割を果たすのだ。世の人の悩みの半分以上は金があれば解決できる問題ではないだろうか。

 

所持金が減っていく一方の、破綻を約束されたジリ貧の生活。失業保険受給期間中、さすがにこのままではまずい、保険が切れたら終わると危機感に駆られ、ハロワで見つけた求人の面接に行ったがすべて落ちた。震災後の不況下、ただでさえ少ない求人の中から無理に選んでの応募だった。気が進まなかった。待遇面が辞めた会社に劣る求人が大半だった。退職したことを後悔した。辞めなきゃよかった。結構いい会社だったんじゃないのか。情けない話だが、辞めた会社に戻りたいと本気で考えたことも一度や二度ではなかった。しかし覆水は盆に帰らない。埼玉に住んでいるのに長野の企業に応募したり、求人を出していない近所の工場に雇ってもらえないかと電話したこともあった。後者はなんて迷惑な。それだけ必死だった。12月、失業保険が切れる前に、以前と同業の会社に再就職した。

 

再就職した会社で3ヶ月働き、試用期間終了と同時に辞めた。せっかく就職できたというのに。前の会社が中規模だったのに対してこちらは零細で、同業だと色々比較してしまうもので、足りない部分ばかりが気になってしまった。何様のつもりだろう、自分自身がブラック人材のくせに。でも気持ちに嘘はつけなかった。この会社を退職して遂に金が尽き、アパートを退去して実家に戻った。退去した時の自分の全財産は7000円だった。結構ギリギリまで粘ったな。この、最初の退職からアパート退去までの約10ヶ月の体験は、金を引き出すのはコンビニATM、通販の送料に無頓着、レンタルの延滞金払うのは日常茶飯事だった自分のルーズな金銭感覚を大きく変えた。もっと金をきちんと管理しようと思う契機になった。その頃もう35歳だったから遅すぎる学びである。

 

2012年、今の会社に契約社員として雇用された(今度は別業種)。一年後、何を認められたのか正社員に登用された。そこそこ大きい規模の企業なのでコンプライアンスがしっかりしていて福利厚生も充実している。長期休暇も年三回ある。まさか自分が9年も同じ会社で働き続けることができるとは思わなかった。