FI(経済的独立)したい、RE(早期リタイア)はどうでもいい

今年の1月に亡くなった山崎元さんの新刊『山崎元の最終講義 予想と希望を分割せよ』を読んだ。

 

トウシルに連載していた人生相談を編集して本にまとめたもの。大半は一度読んでいた。中にはブクマした回も。政治経済や時事問題、若い人向けのキャリア論などを述べるコラムも付いている。

 

タイトルの予想と希望を分割せよとは、人間誰しも希望を抱く、それは自然なことだけれども未来を予想する際は希望は排除してあくまで論理に基づいて判断せよ、希望は希望、予想は予想と分けて考えよ、の意。サンクコストや機会費用の考え方と併せて、山崎さんの合理的思考を端的に示している。

 

持ち家と賃貸どちらが有利か、金は貯めるより使う方が楽しい、守銭奴型のFIREはつまらない、定年までに必要なのは趣味と友人を作ること、などの話が面白かったし参考になった。

 

山崎さんはFIREに否定的。みみっちく残高を気にしながら暮らして何が経済的独立だ、そんな生活は人間が小さくなるからつまらない、との思いがある様子。この人はエリートだからキャリア論を読んでも前提とするレベルが高すぎて俺みたいな落ちこぼれのおっさんには何の参考にもならない。

 

山崎さんと水瀬ケンイチさんの『ほったらかし投資術』を読み、実行したおかげで俺の金融資産は大幅に増えた。俺の人生を変えてくれた恩人と思っている。同じような人は他にも大勢いるだろう。山崎さんがもうこの世界にいないことが、とても寂しい。

 

少し前にFIREに関する本を読んだ。今ならプライム会員なら無料で読める。

日本でFIREする方法がかなり現実的に書かれている。年収を上げる努力をする、日々節約を意識する、非課税制度を利用して投資する…など。この本を読むと30代や40代でのFIREはかなり難易度が高いことがわかる。大金が必要だし、将来の年金支給額も少なくなるし、社会保険料は自費になるし、時間が余りすぎて生活が乱れそう。だからといって50代だと、サラリーマンなら50代は賃金のピークになる上にもう少しすれば60歳だから辞めるのはもったいない、となる。50代を資産を増やすラストスパートにあてて60歳で退職するのが最適解かな、と今の俺は思っている。弊社は再雇用制度で65歳まで在籍可能だけれども、賃金が下がるし、さすがに再雇用で現場仕事はさせられないだろうが、冬の寒い時期の労働が苦痛で仕方ないので、60歳で経済的に無理なく辞められるならそこで辞めたい。4月から10月までの期間のみの就業可なんて条件があったら働き続けるけれどそんな都合いい雇用契約あるわけないし。

 

REにはそそられない。ひとりものが早期リタイアして何になる。ニートや無職を長年やった経験から鑑みるにどうせろくな過ごし方をしないに決まっている。下手したらメンタルをやられる。重要なのはFIだ。経済的に会社に依存していなければ精神的な余裕を持って働けるだろう。社会との接点、日々の課題としての仕事、会社負担の社会保険料、定期的な健康診断、定期収入としての給与と賞与、生涯年収増による年金支給額の増加、社会的な信用等々、所属することで得られるものを考えると金銭や待遇面で我慢できる会社なら凡人が安易に辞めるのは得策ではない。頑張って働き、金を稼ぎ、増やし、60歳または65歳で定年退職。凡人なら世間の大多数と同じ道を行くのが無難だろう。以前は65歳まで働こうと考えていたが、独身男性の寿命は67歳とかいう話もあるし、年々冬がつらくなってきてるし、60歳でもういいかなと。

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もともと俺は金にルーズだった。あればあるだけ使ってしまうたちだった。その俺が金の大事さを知ったのは一人暮らしで無職になったのがきっかけだった。この話、もう何度となくこのブログに書いている。2011年に東日本大震災が発生し、連日ニュースを見ているうちに頭がおかしくなった。で、発作的に会社を辞めた。辞めたとき銀行預金は100万円もなかったんじゃないか。無職になって、日々ただ生きているだけで金がかかり、収入がないから残高が減っていく一方の状況に不安と恐怖を覚えた。当時30歳を過ぎていたのに計画性ゼロじゃないか、と我ながら呆れる。金の重要性に気づくのが遅すぎる。どんだけ能天気に生きてきたんだ。いつか辞めるつもりだったのでそのときはのんびり温泉旅行でもしようと思っていたが、実際に辞めてみると残高が気になってそんな余裕はなかった。結局日がな一日部屋でネットで求人探し、ハロワ行って求人探し、応募しても書類選考で落ちまくり、だんだん情緒不安定になって、これじゃ働いていた方がよっぽど精神的に安定していた、と軽率な退職を後悔もした。俺の黒歴史だ。ブラック企業だったので辞めたこと自体は後から振り返れば正解だったのだが…。マケプレで本やDVDを売ってわずかながら生活費にあてた。郵便局が近所だったのはツイていたが、平日の日中に三つも四つも封筒抱えて窓口で発送依頼するのは恥ずかしかった。今ならメルカリなら匿名発送でポストに直接投函できるからいい時代になったものだ。

 

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結局金が尽き、実家に出戻った。2011年当時はリーマンショックと震災の影響で全然求人がなかった。ちょっとでも好条件な求人には何倍、何十倍もの応募者が殺到した。あらゆる業界で人手不足が騒がれる現在とは隔世の感がある。一年ほど無職生活を送ったのち今の会社に契約社員として入社した。とにかく就労して履歴書の空白期間を埋めることが第一だった。その後試験に合格して正社員登用された。採用されたのは俺の能力が高かったからだ…と言いたいところだが残念ながら違う。運がよかっただけだ。俺以外の同期はみな不合格で退職した。あのとき俺も不合格だったら今頃どうなっていただろう。結構厳しい状況に陥っていたかもしれない。この程度の人生でも氷河期世代の大学除籍者としてはラッキーな部類ではないだろうか。

 

その頃から金を増やすのを意識するようになった。100万円を貯めるのを目標に掲げて一年かけて達成した。実家に出戻ったときは全財産が7000円だったので100万円が貯まったときはすごい達成感がありめちゃくちゃ嬉しかった。年間100万円貯める生活はその後5年にわたって続けた。その時期にほったらかし投資の本を読み、実際に投資はしなかったけれども、生活防衛資金として500万円が貯まったら(生活費の2年分が必要と水瀬さんは書いていた)この本に倣って投資をしようと決意した。その間、エリスやマルキール橘玲の本を読んでだいぶ投資を「勉強」した。そして、手間暇かけず平均が取れるインデックスファンドの積み立て投資がベストな選択と判断した。

 

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2017年に楽天証券に口座を開設、インデックスファンドの積み立てをNISA口座で開始。ニッセイの「購入・換金手数料なし」シリーズの先進国、日本、新興国の株式を7:2:1の割合で積み立てていった。翌年からつみたてNISAがはじまったのでまだ年間120万円も投資するのが怖かった俺はそっちに変更した。だんだん慣れてきて特定口座も利用するようになった。emaxis slimシリーズのオールカントリーが出て、これならリバランスの手間が省ける、と買うファンドをこれに変更した。以降はずっとオルカン一本。金銭的に余裕が出てきたのでポイント目当てでSBI証券の口座も開設し三井住友カードでの積み立ても並行して始めた。2022年からは一般NISAに戻して120万円の枠を埋めるようになった。iDeCoが改正されたので加入して満額積み立てを開始した。そして今は新NISA1800万円の枠を最短の5年で埋めるのを目標にしている(さすがに資金が尽きSBI証券の積み立ては停止、ファンドは売却して新NISA成長投資枠でのオルカン購入資金にあてた。俺の入金力で年間360万円は不可能)。この5年はあくまで目標。無理はしない。

 

非課税口座でオルカンを積み立てるという最適解に達したのならあとは愚直にそれを継続するのみで、欲かいてS&P500もとか、コアサテライト運用で個別株もとか、余計なことは投資が趣味でもない人間がするべきじゃない。投資信託の平均保有年数は2年半とのデータがあるという。シンプルで退屈だからこそ継続は意外と難しいのかもしれない。俺は今のところ継続できている。途中何度も個別株の誘惑に駆られたけれども我慢してオルカンだけを買い増し続けた。

 

資産運用を頑張ってきたつもりはない。生活防衛資金を貯めていた5年間は30代の後半だったのでまだ体力があり、たびたび旅行に行ったし(沖縄や北海道にGWや夏季休暇になると行った)、家電を買ったり、いい酒買ったり、外食したり、欲を満たすために必要な金は使いながら少しずつ増やしていった。この時期──2013年頃──から生活防衛資金を貯めつつ投資も同時進行で行っていれば今頃はもっと資産が増やせていたと今になって思うが結果論でしかない。生活費2年分の生活防衛資金は今だと過剰なほど安全寄りに思えるが、リーマンショックと震災があって全然仕事が見つからなかった経験からそのくらいの額が必要だと思ったからそうしたのであって、だから当時の尺度で見れば選択は正しかった。今の俺の生活防衛資金は生活費の半年から一年分程度。総資産の8割近くがリスク資産*1。無リスク資産は銀行預金のみ*2。実家暮らしのひとりものだからリスクが取れる。

 

もちろん父親にはそれなりの額を毎月家賃として支払っている。それが両親の生活の助けになっているようでもある。不動産屋や地主に貢ぐよりいい金の使い方だろう。実家や会社の福利厚生に助けられながら(利用しながら?)12年間、それなりに資産を増やせた。今の生活に満足している。というか満足するしかない。ないものを数えたところで詮無いのだから。孫の顔を見せられなかった点で両親に申し訳なさはある。俺の甲斐性がないせいだ。無職を脱し、勤労者として納税の義務を果たしていることでよしとしてほしい。俺はその程度の人間だ。

 

今年から新NISAが始まった。現在、日経平均がバブル期の最高値を更新するなど相場が好調。インプ稼ぎもあるのかしらないがXを見ると浮かれているアカウントが多く、その楽天的ムードにふと2017年末の暗号資産界隈の浮かれっぷりを連想してしまう。年が明けるとともに相場は急落し一気に冷え込んだのだった。あの時売っておけば…と今でもたまに思い出しては後悔する。が、暗号資産は税金がエグすぎる。もう二度と手を出すことはないだろう。

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2020年の記事。読み返したら懐かしくなった(もはや他人事)。素人が欲かくとだめだね。絶対失敗する。

 

俺の資産運用の目的は老後資金確保。不確定な老後のために現在の楽しみを犠牲にして備えるのは愚かとの見方も可能だろうが、実家暮らしのひとりもののおっさんにそれほど金の使い道があるわけでもなく、だから現在の楽しみを犠牲にしているつもりも、何かを我慢しているつもりもない。俺の楽しみにはさほど金がかからない。散歩、昼寝、読書、映画鑑賞、写真撮影など。それに70歳過ぎても生活のために強いられて働かなくてはならない人生は大抵の人は避けたいだろう。そのための努力を今している。

 

今の俺の資産では経済的独立にはほど遠い。60歳まであと14年、その間にどれだけ増やせるか。金は使うためにある、のは重々承知している。しかし加齢とともに旅行、というかちょっとした遠出すら億劫になり、映画館で映画を観るのを趣味にしてきたが最近は見終わると疲労を覚えるようになって行くのに消極的になり、服装や食事にはこだわりがないし、家具家電は一通り揃っているし(20年以上前の空気清浄機をフィルター交換しながら今も使っている)、老眼が進んで読みづらくなったので趣味だった読書も買う数が減ってきて、あまり金をかけるところがない生活になりつつあるので結果的に余剰資金が生まれているのが現状。俺は大金を必要とする生活を送っていないとはすでに述べた。富裕層やら準富裕層やらになりたい願望もない。金銭的不安から(ある程度)自由に暮らしたいのだ。

 

さて、さんざん金のことを書いてきたが一番重要な資産は健康である、とここで俺なりの結論を出したい。三連休、金曜日の夕方に映画館へ行ったら妙に疲れて、梅雨みたいな天気による気圧の変化か、急激な寒暖差か、疲労か、帰宅するなり頭痛が出て寝込み、土曜日は一日飲まず食わずでベッドから動けず、日曜午後になってようやく起きられる程度まで回復した。体調不良で三連休を寝て潰した。やりたいこと色々あったのに。健康な体は本当に貴重な財産だと改めて思った。金がなくたって健康なら働いて稼ぐことが可能だが、不調なら稼げないどころか通院だ入院だ服薬だで金がかかる。中年過ぎたら自己投資すべきは健康分野一択だろう。とはいえ健康にいくら投資したってだめなときはだめなので、結局最後は運がすべてだ。

 

人生、最後は運だけだ。

 

 

※当記事は投資を勧めるものではありません。投資は自己判断でお願いします。

 

 

以下、関連記事。

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大江英樹さんも今年1月に71歳で亡くなってしまった。年金についての本も書いていたのにご本人はろくに受給していないだろう。人生、一寸先は闇だ。

 

 

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このときは65歳まで働く気でいた。今は60歳でもういいという気分。また変わるかも。

 

 

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*1:インデックスファンドのみ。うち9割がオルカン

*2:管理が面倒だから『ほったらかし投資術』で勧めている日本国債変動10年は持っていない

19年ぶりの新刊『小説』をきっかけに増田みず子作品を読んだ

増田みず子との出会いは20年くらい前、『シングル・セル』だった。

一人での、人生初の沖縄旅行のお供だった。羽田空港へ向かう電車の中で読み耽った。

孤独な男と謎めいた女の出会いと別れ。

創作の世界にしかありえないような出会い、ありえないような同居生活でありながら、別れが途轍もなくロマンチックで、読み終えたとき切なさで胸がいっぱいになった。それからずっと自分にとってのオールタイムベスト小説の一冊であり続けている*1

 

そのあと何冊か増田みず子作品を読んだけれどもあまりはまらなかった。『シングル・セル』が突出しているように思われた。やがて読まなくなった。読みたい本は他にいくらでもあった。たまに思い出して検索すると新刊が出ていないようで、今どうしているのだろう、書いているのだろうか、と気にかけていた。気にかけて、次の日には忘れた。増田みず子がSNSなんてやるはずもなく、検索しても情報は出てこなかった。

 

だから新刊が19年ぶりに出たのを知ったときは驚いた。『小説』とのタイトルにさらに驚いた。知ったきっかけは何だったか…アマゾンだったか、X(当時はまだTwitter)だったか、とにかく、知ってすぐに買った。だからこの本は2021年に一度読んでいる。今回は再読。『小説』『理系的』と読んだら懐かしくなり『シングル・セル』を再読、感銘を新たにし、さらに読んだことのなかった短編集と長編をそれぞれ一冊ずつ読んだ。

 

小説

小説

Amazon

私小説的、エッセイ的な内容。両親の病気、介護、看取り、妹の死、夫との日常生活、短大の非常勤講師として創作指導をしていること、スポーツクラブで運動を始めたこと、そこで若いインストラクターに恋をしたこと、などが書かれている。発表順に収録されており、後半になるにつれ文章がどんどん簡素化し、話し言葉に近くなっていく。年齢による文体の変化が興味深い。

 

書いた本人がこれは小説なんだと言うならば、というか何を書こうと小説になる(そもそも小説の定義って何だっけ?)、増田みず子はもうそういう領域にいる人だろう。芥川賞候補になること最多の6回(の一人)。この人にあげてほしかったな、と思う。

 

この本に、なぜ沈黙していたのかが書いてある。自身の病気入院や両親の看取りがあり、書けないでいるうちに出版社と疎遠になったのが原因だった。かつて、小説を読む以上に楽しいことなどないと言って小説家になった人が、「小説を書かなくても楽しく生きていけることがわかった」と述べているのに、時の流れ、人や環境の変化、そういうものを感じて感慨深い。短大の非常勤講師もすでに定年退職している。1948年生まれだから今年76歳。偶然にも俺の母親と同い年だった。

 

母親との緊張した関係、父親への親しみ、高校を中退したのは勉強についていけなかったからだと述べつつ、別の箇所ではすべてを捨てて失踪したかったとも書いてあり、『自由時間』や『シングル・セル』のある意味での私小説的な「ネタバレ」になっている。若いころから希死念慮があり、「いつでも、好きなときに死ねるように」35年間「大事にしていた」毒薬をとうとう捨てた、という話も出てくる。小説を書かずに普通に暮らしているだけで今は楽しい、とあるのに、他人事ながら安堵の気持ちになった。どうか、楽しく生きてください。

 

 

理系的

理系的

Amazon

『小説』が出た翌年に今度はエッセイ集が出た。19年間出なかったのに今度は1年おきか、と嬉しくなった。家族、学生時代の研究、読むことと書くこと、「沈黙」していた時期の生活などについて書かれている。『小説』以上に自身について直截に語っており、こちらの方がより読んでいて楽しかった。晩年…と言っていいのかどうか、最近に書かれたものが以前より前向きな内容なのは、ジムで運動をするようになって体力がついたからかもしれない。やはり体力は大事。この本が最後の本だと述べているが、どうかそう言わず、いつまでも待つから次の本を出してほしい。

 

 

自分にとってのオールタイムベスト小説…とはすでに述べた。何度目かの再読。以前はヒロインが出てくるまでの前半、主人公の天涯孤独な生活のパートを退屈に感じたものだが(俺はこの小説を恋愛小説としてしか解釈していなかったので)『小説』や『理系的』を読んだあとだと彼の境遇は著者が理想とした境遇、あるいはもしそうだったら…という仮定に基づく思考実験だったのかもしれない、という気がして興味をそそられた。作家について知ると知っていたつもりの作品もまた変わって見えてくる。

 

とはいえやはり自分が好きなのはヒロイン登場以後。黙ってついてきて居座り、何を食っているのか、金はどうしているのか、トイレや風呂は、彼女の存在自体が主人公の妄想なんじゃないのか等々、都合がいいといえばいい、よすぎる、創作にしかありえないような関係ではあるけれど、別れの朝のリアリティと切なさはものすごい破壊力で、この部分は何度読み直したかしれない。二人で過ごした部屋から相手がいなくなったあとの、同じ空間のはずなのにがらんとして寂しくなったような感じ、当時自分はアパートに暮らしていたので身につまされた*2。この小説に思い入れがあるのは読んだ当時の自分の暮らしを偲ばせるからかもしれない。郷愁を誘われる。

 

ヒロインの稜子は異質な他者としての強い存在感を持っている。人間同士が本当に理解し合うなんて不可能で、だから銘々が自分にとって都合のいいように他者を解釈してそれで理解したつもりになっている。たとえ相手が口では「好きだ」と言ってくれても、本当にそう思っているのかどうか、ただこちらの願望に合わせて嘘を口にしているのかもしれないのに、真実を確かめる術はこちらにはない。他者とは理解できない存在であり、人はみな孤独で、だからこそ他者を求めてしまうというアイロニー

 

驚くべきことに、あとがきで若き日の著者はこの小説の続編を構想していたと述べている。主人公とヒロインの子供が登場するはずだと。いやいや、『シングル・セル』は続編の余地のない、これで完結した作品でしょう。主人公とヒロインはもう二度と出会わない。

 

 

短編集。「児童館」「路上公園」「笑顔」「病室のある家」を収録。「児童館」と「笑顔」がとくにいい。前者は、適齢期の三姉妹の長女が自分の妄想にかまけているうちに、相手はいないものと思われていた妹二人なのに実はいて、男と暮らすために姉だけを家に置いて出て行ってしまうという話で、しかも素知らぬ風を装っていた両親が実は陰から彼女たちを応援していたという「変身」ぶりが、カフカの『変身』の、家族の変身ぶりを彷彿とさせて可笑しい。

 

「笑顔」は怖い。不仲だった母親が亡くなり、遺品整理のために実家を訪れた娘は、押し入れの奥に隠してあった見覚えのない雛人形を見つける。一緒に手紙がしまわれていて、そこには母親の秘密が書かれていた。著者と母親の緊張した関係を投影しているのだろうか。『理系的」に、すでに認知症になった母親から、「あなたが書くものは怖いから」と言われるシーンがある。増田みず子の父親は彼女の作品を読まなかったそうだが母親は熱心に読んでいたという。この短編を読んだときはどう思っただろう…そう想像するとさらに怖くなる。

 

 

高校生の頃に自らの意志で家出した女性がその後20年にわたる失踪生活を回想する。この設定は明らかに著者自身の願望を反映したものだろう。舞台は70年代から80年代の東京、まだ人がいくらでも別人として生きられるルーズな(寛容な)時代だった。今だったらどうだろう。主人公が失踪して20年後に実家を訪れてみたらすでに土地開発によってマンションが建っており微塵の面影も残っていなかったり、勤務先の定食屋が土地を売却した儲けでビルを建てたり、バブル期ならではの展開が面白い。ちょうどこの小説を読んでいたとき49年間の逃亡生活を送った桐島聡(を名乗る人物)のニュースが流れてきて妙な気分になった。

 

 

*1:他には福永武彦『死の島』、松浦寿輝『半島』、矢部嵩『魔女の子供はやってこない』、ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』、グラック『シルトの岸辺』、ウォー『ブライヅヘッドふたたび』…など。いつか自分のオールタイムベスト小説についても書いておきたい

*2:2DKのメゾネットで一人暮らしには広かった

「約束の地」、東松山で焼肉を食う

少し前に寒くて体調が悪いと書いた。

でもこの記事書いて気持ちの整理? がついたのか、洗車と部屋の掃除は実行した。できた。がんばった。えらい。

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しかしベースとしてだめなのは依然継続中で、今も全然。

とにかく何かをやる気が起きない。だるくてしようがない。

ベッドに横になってだらだらスマホいじって過去にブックマークしたお気に入り記事をえんえん読んだりXで検索したり(何を検索したかは後述)しているうちに時間だけが過ぎていく。

 

読んだ本の感想、久々に読み返した自分にとってのオールタイムベスト小説、増田みず子の『シングル・セル』についてちょっとこのブログに書いておきたいんだけどその気が起きず、先延ばしてる。先延ばしてるうちに感動が薄れ記憶も曖昧になってきた。忘れたら忘れたでまた読み返せばいいだけのことだが。

 

今週は月曜休みで仕事が四日だし、予報だと火・水・木は春の陽気になるみたいだし、来週末三連休だし、給料も出るし、少しは体調やメンタルがマシになってくれるといいが、どうだろうか。花粉の影響もあるのかな。アレジオンを飲んでるのに鼻がむず痒く、くしゃみがよく出る。

例年、冬は不調になるが今年はとくにひどいような。加齢のせいか。新年から世の中いろいろあったせいか。両方か。

 

先だって読んだ増田みず子の『小説』は19年ぶりの新刊だった。

そして今月はビクトル・エリセ監督31年ぶりの新作『瞳をとじて』が公開される(この記事を書いている今、すでに見終えた)。

20年以上も昔に俺が感動した作品を制作してくれた創作者たちの久々の元気な姿に懐かしさと嬉しさがこみ上げてきた。それをきっかけに、というのでもないだろうが、ふと、昔自分が(勝手に)お世話になった、にも関わらずいつからか疎遠になった創作者の方々の現在の活躍を知りたくなり、Xでいろいろ検索してみた。

 

その中の一人に小説家のベニー松山がいた。ご本人のアカウントを見ると今はサガ新作のシナリオを制作してるよう。驚くべきことに、令和の今、『隣り合わせの灰と青春』がコミカライズされている。ついーっと画面をスクロールさせていったら東松山市焼肉屋に行ったと、そしてすげー旨い店だったというポストを見て操作する手が止まった。ベニー松山が埼玉に来た? 東松山がなぜ「約束の地」なのかはわからんかったが、先週末、ちょうどそっち方面へ出かける予定があり、焼肉食えば少しは元気でるかもしれないとの期待が急にわき、これも何かの縁、導きだろうと思い行ってみることにした。念のため電話で予約。お店の名前は焼肉ヤンバン。

tabelog.com

インスタグラムはアカウントを削除したため見られないので食べログをリンクとして貼っておく。

 

焼肉はあまり行く機会がない。会社の人たちとたまに、プライベートで女の人とたまに、合わせても年に3回か4回くらい。普段の外食はチェーン店かフードコートが多い。個人経営の店へ行くのはラーメン屋くらいだがラーメン屋自体最近はめっきり行かなくなってしまった。加齢とともに食い物の好みは変わる。

 

最寄駅は東武東上線森林公園駅か。そこから徒歩だと結構距離があるので車利用が便利だろう。駐車場は15台くらい? 少し前にリニューアルしたらしく店内はとても綺麗だった。トイレも綺麗だった。ネットのクチコミ投稿を見るに全席個室のよう。自分たち(同行者と二人)はテーブル席に通された。

 

まずはカルビとタン塩と馬刺しとサンチュとサラダを注文。飲み物は烏龍茶。ぽん酢サワーというのがあったので、外食で相手ありなら晩酌にならないし、車じゃなければ注文したんだが。

 

運ばれてきたタンが並なのに分厚くてびっくりした。焼いた肉をサンチュで巻いて食うのが至高。毎回焼肉屋来るとやる。旨過ぎて大声で「うま!」と叫びたくなった。あとでちょっと調べたらタンの旨さに定評があるお店みたい。カルビやロースももちろんよかったがタンが頭一つ抜けていた印象。タン塩上はもっと旨かったのだろうか。再度検証の余地あり。

 

馬刺しは同行者の趣味。そのあとの梅ミノとセンマイも同様。なんか彼女、生とか内臓系が好きで、俺には理解できない。せめてレバーにしてくれ。俺の好みとしてロースも頼んだ。俺はオーソドックスに、カルビ、ロース、タンが好き。シメにクッパ

 

俺は食事に関してはわりと保守的。一回の食事で食べられる量が決まっている以上、冒険はしたくないという考えの持ち主。ファミレスとか行くとほぼ毎回同じメニューを注文する。それだと世界は広がらないのだろうが…。

 

90分ほど滞在。最初のうちは静かだったが日が暮れるにつれ客が続々と増えてきて帰るころには店内はだいぶ賑やかになった。肉だけならなんてことないが米、というか炭水化物を摂ると途端に腹が膨れる。クッパは一つ注文して二人でシェアするくらいでちょうどよかったかもしれない。会計は2名で1万円ほど。

 

元気が出たかどうかはよくわからんが旨いものを食ったことによる幸福感は味わった。ベニー松山に感謝。俺の中のお気に入りのお店としてクリップしておく。また行きたい。

 

 

『隣り合わせの灰と青春』や『風よ。龍に届いているか』もいいけれど俺は短編「不死王」が好き。中学生のときアンソロジー中の一編として読んで深い感銘を受けた。これがベニー松山との出会いだった。不死エルフと人造不死者の対峙。その狭間にいる人間の戦士。『葬送のフリーレン』とも通じるテーマがある。

 

1月、やる気が出なかった

冬季うつってよく聞くけどその傾向あるかも。

12月はそうでもなかったんだけどなあ。比較的暖かかったからマシだったのか。

これ書いてる今、日付変わって2/1だが、年明けからこっちどんどん気分が下降線をたどっていて何をするにしてもえらく億劫になっている。

 

部屋散らかりすぎ。何冊もの本が床に積まれてるし、繊維の埃や、床の色が濃いから見えないけど毛屑も凄そう。見たくないので見ないようにしているから見えないけど。エントロピーの増大。わりと綺麗好き、掃除好き、整理好きなたちなのでまめに清掃整頓していたんだが、今はだめ。どうにもやる気が起きない。ガジュマルの水やりもしなくちゃと思いつつやらずにだらだら延ばしていたのをようやく今日やれた。やってしまえばたいして手間も時間もとらないのに行動を起こすエンジンがかからない。

部屋の掃除したい。

車も年明けてから洗ってないから洗いたい。

綺麗で清潔な環境を整えたい。

気持ちだけ。行動が伴わない。

 

新年から寒さが増して冬本番になった感あり。

寒いと体力を消耗する。疲れやすくなる。

 

今年は元日から今日までに災害、事故、悲しいニュースが多すぎる。まだ1ヶ月しか経っていないのに。知れば知るほどつらくなって消耗するのでなるべくテレビやネットから離れて情報を入れないようにして、寝るか本読むかして過ごすことが多かった。最近よく寝るようになった…というかベッドで横になっている時間が増えた。横になってうたた寝して夢を見て目が覚める。起きたときには見た夢を忘れている。

 

先週土曜、川越へ出かけた。蔵造りの街並みをこないだ買った単焦点で試し撮りして、寺社巡りして、ついでにぽんぽこ亭かどっかでうなぎでも食べようと思って。日中はそこまで寒くなかったのに日が暮れかける頃から一気に寒くなって、人は多いし(人混み大嫌い)、歩いていてだんだん具合が悪くなってきた。気分がいまいち乗らず、写真撮ってても楽しくならず、うなぎ食べたいって気分でもなく、徒労感いっぱいで帰宅したらひどい頭痛に襲われて寝込み、日曜の朝になっても痛みがひかなかった。日曜は散髪と歯科の定期検診を予約していたが体調不良のためどちらもキャンセルせざるを得ず、眠くてしょうがなかったのでひたすら寝て体力回復に努めた。

幸いにも日曜の夜には治まった。

川越 熊野神社

 

どうも冬はだめだ。日照時間が短く気温も低く体調を崩しやすい。体力自体も下がっている気がする。何をしてもすぐ疲れる。いや、そもそも何かをする気が起きない。尾崎一雄は冬は冬眠と称して家に引きこもったというが、可能なら俺もそうしたい。それか沖縄で過ごしたい。

 

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月曜日、頭痛はすでに治ったのに会社行きたくねえ気持ちが強く起きて自分でも困惑した。行くのだりいな、行きたくねえな、くらいならしょっちゅう、というか毎日そんなもんだが、このときは出勤時間ギリギリまで行くか休むかのあいだで気持ちが揺れて、体調悪いから休みますと会社に電話すればもちろん休めるは休めるだろうが職場に迷惑をかけるし、明日の出勤時は勇気が必要になるし、やっぱ休めねえよなあ…とかぐだぐだ考えるほどには休みたい、行きたくないという気持ちが強かった。なんとか自分を奮い立たせて(大仰だが)出勤、職場で作業着に着替えて仕事を始めさえすれば、そんな気持ちはすぐに消えて目の前の業務に没頭できたが、そこに至るまでがしんどかった。

 

もう46歳。今年で47歳になる。

寒さの影響に加え、いわゆる中年の危機的な心身の不調があったとしてもおかしくない。実際そうなのかもしれない。最近目がしょぼしょぼする。ちょっと離れた文字にピントが合わない。小さい字がいよいよ読みづらくなってきた。肩は大丈夫だが腰が痛い。湯船に浸かると自然と「あ〜」と声が出てしまう。どこから見ても立派なおっさんだ。体型はシュッとしてるほう。まだ毛髪もだいぶ残っている。ありがたいことに。だが…。

ていうかあと3年かそこらで俺50歳になるのか。やば。こわ。

 

晩酌禁止は依然継続中。まもなく3ヶ月。

今年は花粉が早そうなのですでにアレジオンを飲み始めている。

腸内環境を整えるため毎日R1と新ビオフェルミンSを飲んでいる。これは通年の習慣。

室内で運動がやりたくてフィットボクシング2のダウンロード版を購入したもののまだ起動していない。体動かす気分になれない。そうなる気分を待つのではなく体を動かせば気分は後からついてくるって理屈はわかってはいるが、とにかく億劫で無理。いや、早見沙織の声を聞きさえすれば体なんていくらでも動くのかもしれん。かもしれんが…。

 

今は日常生活を送るのでいっぱいいっぱい。忍耐の時期。

 

M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8を買ったので試し撮りをした

 

 

今年は俺の年なので読書、運動、写真を例年よりちょっとだけ頑張ろうと思っている。

 

写真に関しては2022年に高額払ってOM-1を買ったものの、レンズセットで付いてきたM.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PROが、便利ではあるがデカ過ぎて、ミラーレスのメリットであるコンパクトさを帳消しにしてしまい、デカくて重いと荷物になるので持ち歩かなくなり、結果使われずに眠る事態に陥っていた。

 

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…読み返したらめちゃ文句書いてるな。

 

以前はニコンのD7200を使っていたが重くて首と腕がだるくなり持ち出さなくなったので売った。代わりにE-M10 MarkIIを買ってミラーレス一眼デビューした。こいつは今も所有している。小さくて軽いボディなのでいい。俺みたいな、ちょっと出かけたついでに撮る(撮るために出かける、じゃなく)程度の写真撮りにはコンパクトであればあるほどいい。「作品」なんて撮らないし撮れないんだから。

 

iPhoneでいいじゃん、て話になりそうだが、たしかにiPhoneのカメラでもいいんだろうし実際普段から撮りまくってはいるんだが、それだけだと撮る楽しさがないというか…なんかこう書いていてだんだんわれながらめんどくせえなって気持ちになってきた。そこまで強くこだわるほどの撮影好きってんじゃ全然ないが、カメラで写真を撮るのは文章を書くのとともに一生の趣味として今後も続けたいと思っていて。

 

とりあえず普段使いで12-100は使えないので、ちょっとそのへん出かけるときカメラを気軽に持っていけるような小さいレンズが欲しくなり、基本中の基本であるだろうM.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8を購入した。明るい単焦点レンズ、焦点距離は35mm判換算で50mm相当。これぞオーソドックス。マイクロフォーサーズ単焦点レンズはこれが初めての購入。

 

日曜日、朝からずっと雨だったが昼過ぎに弱まりやがて止んだ。

出先で用事を済ませたあと公園を通りかかったので車を停めて散歩がてら練習を兼ねて撮ってきた。言うまでもないが大した写真じゃない。人様に見せるようなものではぜんぜんない。

 

車窓から。公園に行く前。このときはまだ小雨がぱらついていた。

 

車窓からその2。

 

ここから公園。マツ。ズームレンズに頼りきりだったから単焦点に慣れるのに時間かかるかなと思ったけど普段使ってるiPhoneでもズームしないので撮っていて違和感は感じなかった。画角が狭いぶん切り取る対象が絞れるから却って撮りやすいかも。

 

はてなブログの編集ページで写真を投稿しようとしたら縦写真が横になってしまう現象が起きて困惑。はてなフォトライフからアップロードしたら縦のままいけた。

明るい。

マイクロフォーサーズ25mm、何も考えず撮ると何が撮りたいのかわからん、ぼーっとした感じに。

 

ベンチで誰かをマツ。

新海誠的きらめきを放つ蛇口。

広い。犬連れの散歩者多し。

 

桜まだこんなん。以前シーズンに見にきたことあり。

打ち捨てられ。

 

日が出てきた。冬でも猛烈な日没間際の光。

 

寄り。

本日貴重な花の写真。

 

冬に自然を撮っても茶色が多くなってしまうので寂しさあり。カラフルがいい。

こういう捻れていくフォルム面白い。

 

リフレクション。

 

絞り優先モードで開放かF8でのみ撮影。撮れた写真のボケや色味、家帰ってからパソコン画面じゃないと写真が小さくてよく見えない、ファインダー覗いてシャッターを切る一連の動作(一部モニタ見ながらタッチ撮影)、どれもiPhoneで写真撮るのとはまた違う面白さ、不便さ、楽しさがあるな、と感じた。今更だけど。今後も外出する際にはなるべくカメラを持っていこうと思う。

 

少しずつ日が長くなってきている。いいことだ。早く春よ来い。

 

俺の2024年が明日から始まる

すでに年が明けて1週間以上が経過していてもう正月気分なんてとうに失われている今、これから2024年が始まるもないもんだが、被雇用賃金労働者ゆえ出勤して仕事を始めないことにはどうにも1年が始まった気がしない。

 

この年末年始はずいぶん休んだ。28日から12連休。休暇前はあれやりたい、これやらなくちゃとあれこれ予定を立てたが結局7割くらいしかクリアできなかった。いつも思うが長期休暇は入る直前──1週間前くらいが一番楽しい。あれこれ予定立ててるときが一番わくわくする。入ってしまえばあとは終わりへのカウントダウンがあるばかりだ。

 

毎日よく歩いた。年末少しサボってしまったが休暇中毎日7000歩以上歩くのは課題のひとつだった。7000歩より多く歩けた。年明けから天気いい日が続いてよかった。散歩は今年の運動習慣のひとつとしたい。距離、路面舗装、歩きやすさ、すべてがちょうどいいルートを見つけたのだ。平日は無理だが休日に、年間を通じて歩けば四季の変化が楽しめるだろう。晩酌をやめてそろそろ60日になる。例年の正月より体調がいい気がする。

 

1月7日、すでに初詣は近所のお寺で済ませていたが新宿へ買い物へ行く用事があったので、同行者と二人、ついでに花園神社へお参りしてきた。人混みが大嫌いなので混雑していたら嫌だなあと思っていたのだが(新宿で人混みが嫌とは矛盾でしかないので普段はなるべく近づかないようにしている。池袋も)思ったより人は少なかった。西口に出たら人の数はまばら。用を済ませ東口へ移動すると人は多くなったが普段の土日より少なく歩きやすかった。花園神社では参拝の行列に10分くらいしか並ばずに済んだ。

 

今年まだ引いていなかったのでおみくじを引いたら何年ぶりかは忘れたが人生で2度目(たぶん)の大吉が。願事は遂げられる、失物は出る、争事は勝つ、病気は治る、などなど超つよつよモード。元日には楽園からpanpanyaさんのイラスト付き年賀状も届いたし、2024年は俺の年でしょう。「他人をうらまず仕事にはげむことです」か。去年仕事でちょっと面白くないことがあってクサクサしたけど、年も改まったし心機一転でまたがんばるか、という気持ちになった(ちょろい)。

 

年が明けてすぐに地震、そして事故。5日には投資について私淑していた山崎元さんの訃報に接し落ち込んだ。がんを公表してはいたがこんなに早いとは想像していなかった。新NISAが始まる今年はたくさん活躍の場があっただろうし、歯に衣着せぬ率直な発言を期待し指針にもしていたので本当に残念だ。山崎元さんと水瀬ケンイチさんの共著を読んで投資を始めて今年で8年目、2012年には全財産7000円の無職だった俺が、今では車を買ってなお「5年で新NISA1800万円の枠を埋めたい」とまで言えるようになったのは何が起きようと毎月淡々と積立て投資を行って資産を地道に増やしてきたからで、だから恩人と言っていい。山崎さんの合理的思考(人生におけるサンクコストの捉え方とか)には影響を受けた。でも山崎さんは、金はあくまで道具でありそれを使って何をするかが大事なんだと常々言っていた。その教えはまだ俺は実践できていない。漠然と、老後の不安のために(ひとりものだし)備えようとしている。

 未来を人質に現代社会における抑圧を正当化するのであれば、それは本末転倒でしかない。未来は他ならぬ現在の私たちのために存在しなければならないのであって、逆ではない。

 

木澤佐登志『闇の精神史』

 

今朝は、起きると父親が気分が悪いと言うのでひやりとした。もう78歳の後期高齢者、何があってもおかしくはない…と思いつつ、親にとっては幾つになろうと子供は子供と言うように──俺には子供がいないのでその感覚はわからないが──子供にとっては親はいつまでもいてくれるものとの思い込みがなくせず、何かあればただ不安になるばかりである。幸い、午後にはよくなった。昔から健康で風邪ひとつひかず、その頑健さが頭痛持ちの自分には羨ましかった父親もさすがに寄る年波には勝てず、持病もあり、たまに体調が悪いと言って寝込むようになった。あと20年、元気でいてほしいと思っているが、それでもいつかはいなくなってしまう。俺は父親が好きなので、いなくなってほしくないんだが。

 

順番通りにいけば、いつかは俺一人になっちゃうんだもんな。寂しいぜ。

 

人の命の儚さ、一寸先は闇の人生、そういうことを考える機会の多い年始休暇だった。せっかくおみくじで人生2度目の大吉を引いたことだし、時間や金の使い方など、今年は従来の未来志向から現在志向に若干シフトして、人生──健康、時間、金──のバランスを取りつつ、楽しく、上機嫌に過ごすのを一年の目標とする。

 

今年の俺は、去年までの俺とは、少し違うぜ。

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

木澤佐登志『闇の精神史』を読んだ

 

 

スペース(宇宙または空間)をめぐる奇異な思想を紹介する本。

主としてはロシア宇宙主義、アフロフューチャリズム、サイバースペースについて。

本書は「精神史」と銘打っているが通史でもなければ包括的でもない、自身の興味の向かうままに散乱&拡散していくエッセイ(試論)だと冒頭で著者が断りを入れている。タイトルに「闇」とあるが特別ダークな内容ではない。黒い表紙といい、同じ版元から出た『闇の自己啓発』を意識しているのだろうか。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

『闇の自己啓発』や冊子『書架記』、あとはweb連載の記事を読むかぎり、アングラ思想、オカルト、テクノロジーイデオロギー、資本主義批判など木澤さんの執筆領域は俺の関心と重なる部分が多い(俺はテクノロジー関連にはあまり興味ないけど)。現在のこの分野の紹介者として稀有な存在だと思っている。

現代ビジネスのこの連載が面白かった…のだが更新ストップしてるっぽい。いずれ続きを書いてほしい。

gendai.media

 

本書の内容に触れる前に。

イーロン・マスクはなぜ火星をめざすのか?」と書かれた帯が本書に巻かれているでその答えについて。マスクによる宇宙開発、民間航空宇宙企業スペースXの構想の背景には、現在の延長線上で持続可能な未来は幻想でしかなく、人類は遠くない未来に存亡の危機に瀕するとの彼の主張がある。地球に何かしらの破局が起きる前に人類を多惑星種化して、種としての絶滅を防ぐ、そのための宇宙開発。移住先として最良の選択肢の一つだから火星を目指している。

マスクのような、現在より未来を優先する思想を長期主義という。長期主義は未来のために現在を犠牲にすることを厭わない。長期主義は現在の社会の持続可能性を信じない。だからビジネスと相性がいい。未来はこうなる、それを未然に防ぐ、を大義名分にしさえすれば現在の環境を破壊しまくれるから。だが、むしろそうした長期主義に基づいた経済活動による環境へのダメージこそが、却って破局を招く、早める可能性はないだろうか。俺は、あると思う。

長期主義(者)は環境学の立場からどう見られているのだろう。ちなみに同じ宇宙開発でもAmazon創業者のジェフ・ベゾスは資源獲得を主要目的として進めているという。

 

以下、本書の内容について。

第1章はロシア宇宙主義。俺が読んだかぎり、本書に「これがロシア宇宙主義だ」と明確には書かれていないのでいまいちわかっていないのだが…。

ロシア宇宙主義は19世紀の思想家ニコライ・フョードロフの思想がベースにある。彼は、人類は未だ進化の途上であり、より高い存在、神人的統一体にならなければならないと考えた(この考えには同時代のダーウィンによる進化論が影響している)。人間の進化には精神的および身体的変容=改造が不可欠である。だから何らかの手段を用いて(具体的方法について本書では述べられていない)人類を進化させる。この進化プロジェクトの最終目標は死の克服と死者の復活である。生殖=人間の再生産に費やされるエネルギーを先祖復活の方向へと転化させて「逆向きの出生主義」を実現することが目指される。

全人類が一致して、生殖のプロセスに逆らいながら、系譜の連鎖を逆向きに辿ってやがて二人の完全な人間、アダムとイヴを作り出す=再創造すること……。

先祖の復活によって人口は増加する。それに伴い地球資源は枯渇する。本書によるとロシア宇宙主義とは、

避けがたい終末から逃れるために、宇宙空間を新しい人類の居住区=養殖場コロニーとし、太陽系を手始めにやがては宇宙のさらに奥深くへと、すべての空間を人間の統御下に置くために進出していくこと

であるらしい。

荒唐無稽としか思えないが…。

ロシア宇宙主義については来月河出書房新社から本が出るみたいなのでそちらを参照するのもよさそう。

www.kawade.co.jp

 

このロシア宇宙主義は現代のシリコンバレーにおけるトランスヒューマニズム=人類の不死化研究と共鳴する。

たとえば身体のサイボーグ化や薬物やテクノロジーによる各種のエンハンスメント、不死になることを目的に、コンピュータなど、なんらかのハードウェアに自身の脳内に存在する意識データをプログラムやデータとしてアップロードすること(=マインドアップローディング)、あるいはもう少し愚直に(?)、自身の死体を極低温保存して然るべき技術の整った未来に解凍してもらうことの望みに賭ける人体冷凍保存、等々

PayPal創業者のピーター・ティール、Googleの共同創業者で元CEOのラリー・ペイジイーロン・マスクといったテック企業家はこれら徹底的生命延長を信奉し関連企業へ積極的な資金提供を行なっている。アメリカのアリゾナにあるアルコー生命延長財団には「世界各国のセレブや資本家、または中東の石油王の死体あるいは頭部」を液体窒素で満たしたシリンダー内に保管しているという。世界にはアルコーのほかにも三つ同じような施設があるというのだから驚く…というか本当にそんなことしてるのか? 不死の実現を信じて死体を保管している施設があるなんて、著名人への反感から生じた陰謀論の類じゃないのかと疑ってしまう…のだが検索したら出てきた。マジか。閲覧注意。

gigazine.net

 

第1章ではロシア宇宙主義に続いてプーチンウクライナ侵攻へと向かわせた新ユーラシア主義についても触れられるが、こちらは雑に言えば国家および民族のアイデンティティ喪失を埋めるためのナショナリズムという感じで独創性・珍奇性はない。西欧へのコンプレックスとその克服というテーマは19世紀に書かれたドストエフスキーの小説にも繰り返し出てくる。権力者、というか独裁者がこの思想に憑かれるとやべえだろうなと思うが実際やべえことになったわけで発展に意外性もない。

 

第2章のアフロフューチャリズムはミュージシャンの話で興味が持てず斜め読み。俺には彼らの「設定」としか思えなかった。

 

第3章はサイバースペース。この章、話題が多岐にわたる上にどれも身近なので面白かったが「拡散」し過ぎて散漫になってしまっているのが惜しい。

行動経済学に基づいた環境管理による人間の行動の管理=(ある種の)支配。環境によってユーザーを監視、予測、誘導を行うアーキテクチャ道具主義という。全体主義は暴力によって機能するが道具主義は行動修正によって機能する。全体主義にはイデオロギーがあるが道具主義にはない。道具主義は人間の行動を測定し、予測し、制御することにのみ関心を持つ。ビッグデータを背景にした環境管理型の道具主義が現代の──サイバースペースにおける──権力装置である。

 道具主義者が関心を向けているのは、測定可能な行動を測定し、わたしたちのあらゆる行動を、絶えず進化する計算・修正・収益化・制御のシステムに常につなげておくことだけだ。

今やアルゴリズムはユーザーの嗜好を過去の膨大な蓄積データから予測して、彼が望む前に、いわば先回りして欲望を提供するほどになっている(そのいい例が通販サイトにおける「よく一緒に購入されている商品」「この商品に関連する商品」の表示)。徹底的に個人化された広告はもはや広告というよりは「勧誘」に近い。ユーザーは餌の出るボタンを押し続けるラットのように企業が提供する環境に依存するようになっていく。環境管理の例として、著者はソーシャルゲームでガチャを天井まで回して大金を溶かした実体験を挙げる。描写される心理はギャンブル依存そのもの。大企業が提供するソーシャルゲームは一流大学でマーケティングや心理学やエンジニアリングを学んだスタッフが製作してるんだろうからさぞ巧妙にユーザーを依存させるようにデザインされているんだろうな、とスマホでゲームは一切やらない(怖くて近づかない)俺は思う。

 

道具主義は普段はその姿を潜めている。ユーザーはその存在を意識せずサービスを利用している。ところが、何か規律に抵触したのか、ある日突然アカウントが凍結される事態が起きる。あるいは誤ってアカウントを凍結される(誤BAN)。それは今まで不可視だった権威が突如顕在化して権力を行使した瞬間だ。

 先にも述べたように、道具主義者の用いる行動修正/行動予測テクノロジーは、規律権力とはまったく異なったあり方で作動する。追跡テクノロジーは、ユーザーの気づかないところで行動を記録し、データを収集する。それはフーコーのいう中央監視装置パノプティコンをすら不要のものとする。権威や監視の目を内面化させ自己規律化へと向かわせる近代的な規律権力とは異なる、不可視のアルゴリズムアーキテクチャが個人の行動をナッジ(そっと押す)する権力形態。ただし、注意しておこう。それは権威/権力が存在しないということではない。そうではなく、権威/権力は単に目に見えなくなっただけなのだ。

コロナ禍における自粛警察のような相互監視といい、道具主義の見えない権威といい、日々の暮らしのいたるところに権力が組み込まれていると考えるとちょっと気味悪くなってくる。

 

このサイバースペースの章ではメタバースについても触れられる。自身の肉体というフィルタを脱ぎ捨て、バーチャル空間でアバターという「本当の身体」を得て、年齢も性別も肩書も、あらゆる制約を超越して魂と魂で交流ができると謳うメタバースは人類にとっての理想的な社会なのか。または、そうなりうるのか。だが現状メタバースはすべての人間に開かれているわけではない。健常的=健康的な身体がなくてはVRバイスを装着したり利用したりするのは不可能だから。健康的な身体がない人たちが参加できない時点でメタバース理想社会では(まだ)ない。こうした問題は今後のテクノロジーの発展次第だろうが。

 

メタバースには他にも課題がある。メタバースを駆動させる無数の巨大サーバーは大量の電力と熱を消費し、その背後にはインフラを維持するための労働者たちがいる。近年、ネットワーク関連の消費電力が急増しており、今後もさらに増えこそすれ減る見込みはない。現在の増加ペースを考えると、約5年後には動画配信およびメタバースの電力問題やその制限に関する議論が起こり得るとの専門家の予測があるという。環境破壊の問題もある。

結局、どれほどテクノロジーが進歩しようと、人間はこの制約だらけの物理世界で生きて死ぬしかないんじゃないかなあ、と俺みたいな旧世代の中年は思ってしまう。

 

著者はメタバースの思想について、

制約の存在する物理世界を悪や欠如とみなし、一方で物理世界を超えた魂の次元を善や本質的なものとみなす二元論的思考

と指摘する。この思想は、新プラトン主義、キリスト教グノーシス主義といった西洋思想と驚くほど類似している。最新テクノロジーを用いた技術的に最先端の世界なのに展開する思想は先祖帰りしているのだ。

精神/身体という近代的な人間主義から一歩も抜け出ていないという意味で、そのポストヒューマン的な装いの内側は驚くほど保守的ですらあることは、心に留めておくべきかもしれない。

これに「不死」というファクターを加えたら、物理的制約のある肉体を捨て魂として霊的世界へ移行することで永遠=不死を獲得しようとする千年王国思想のデジタルバージョンになる。この、メタバースの思想をめぐる一連の論考部分はとても刺激的で面白かった。

 

 

本書はアングラな、あるいはテクノロジーの背後にある思想を紹介するエッセイとして、自身の関心ある分野へのとっかかりとするのに適している一冊だと思う。本書を読んで、テック企業家の思想、ロシア宇宙主義、監視資本主義に興味を持った。世の中ってほんといろんな考えをする人間がいるんだな。