男性の孤独について考える① 『男はなぜ孤独死するのか』を読んだ

 

 

前から思ってるんだが孤独死という言葉はネガティブイメージが強すぎる気がする。なんたって「孤独」と「死」の組み合わせだからな。もう少しマイルドに単独死じゃだめか。いや、死ぬときはみな一人なんだから単独死は当たり前でおかしいか。では単身死ではどうか。恐怖を煽るような強い言葉の方が反応が得られるからそうしてるのかな。

 

この本、タイトルは孤独死を謳っているけれど内容としてはその前提となる孤独について、なぜ女性より男性が陥ってしまうのかをデータや著者の医師としての知見から述べている。友だち0人の独身中年、まったく他人事じゃない。当事者として本書の指摘はまっとうであると感じた。ただし後半で示される孤独に陥らないための対策には疑問あり。

 

一般的に女性より男性の方が孤独であるという。

いや子供の頃は差がない。男の子はそばにいる子やクラスメイトと簡単に友だちになれる。しかし男性のその友情は大概長く続かない。なぜか。主な理由は三つある。

・成長するにつれ男性は友情の維持に必要な努力を怠るようになる。

・「男らしく」自立することを求められる。あるいはその価値観を内面化してしまう。

・社会的地位や金にこだわるようになる。

一つずつ見ていく。

 

・成長するにつれ男性は友情の維持に必要な努力を怠るようになる。

男性の人生のメインは就労、仕事である。一日の大半を職場で過ごす。職場では基本的に働いているだけで最低限の人間関係は築ける。同僚や部下や上司と会話したり飲み会へ行ったり一緒にゴルフやバーベキューしたり。だから人間関係を維持するのに努力が必要だということを忘れる。また仕事がメインだとどうしても昔の友人とは疎遠になるし、趣味の友だちを作ろうにも時間がないので難しい。交友の場は職場が主になる。これは構造的な問題と言える。

じゃあ人間関係維持のための努力って何なのって話だが、マメな連絡とか定期的に会うとかで、こういうのって面倒くさかったり「男らしくない」感じがして男性は避けがちな傾向にないだろうか。

本書のレビューとして以下の記事を読んだ。

 

am-our.com

 

同人誌即売会での女性たちのちまちました差し入れ文化、これぞまさに人間関係構築・維持のための努力と言えるものだろう。読んで感動した。そういえば以前の職場ではよく年長の女性からお菓子をもらったものだった。ああいうの、「どこそこへ行った」「どこそこで買った」「テレビでやってた」みたいな雑談のいいきっかけになるし、餌付けじゃないが人間関係が良好になるしで効率的な投資だな、と今になって思う。男性は自分を含め基本的にちまちましたやりとりを日常的にはしませんね。むしろそれやってると侮られるまであると思う。

 

・「男らしく」自立することを求められる。あるいはその価値観を内面化してしまう。

自立とは自分一人の力でやっていくこと。マチズモというか、令和の現在でも男は困難に直面しても安易に他人に頼るな、弱音を吐くな、弱みを見せるな、みたいな価値観ってあると思う。少なくとも昭和生まれの自分の中にはある。高倉健みたいなのがいい男なんだ、みたいな。で、その価値観を内面化してしまっている。上で、ちまちましたやりとりやマメな連絡を男性がやると同性から侮られるというのも同じ理由から。些細なことでLINEしてくる男性を陰で揶揄する傾向ないだろうか。女性同士だったとしても変わらない?

 

自分の場合、たとえば認知症の老母が排便を失敗しておむつの中に漏らして汚してしまうことが日常的に起きているが、そのことに対するぼやきや悩みや怒りを他人に(滅多に)話したりはしない。少なくとも同性には絶対にしない。これは男らしさとかプライドとか以前に言ってもしょうがねえ、という諦念がデカめにあるんだが。ただ女性には話しやすい気がしていて、交際している相手にはたまに愚痴る。で、俺の先入観かもしれないが日常的な出来事の嘆きって、男性より女性の方が親身に聞いてくれる印象がある。男はどちらかというと「ふーん」って流すけど(深入りしないという優しさなのかもしれないが)女の人は「うんうん」って頷いてくれるような…。ケア精神を女性の方が持っているように感じる。これは俺が男だからそう感じるのかもしれないが。

困っているのに弱みを見せず助けを求めない。誰かが救いの手を差し伸べてくれても「大丈夫」と言ってその手を払いのけてしまう(本当は全然大丈夫じゃないのに)。自ら選んで孤独になりがちな男性の傾向。

 

・社会的地位や金にこだわるようになる。

「成功」することへの渇望。見栄やプライドの話でもある。望む望まないを問わずそうであることを強いられる。これは家計において男性がメインであるべきという価値観の影響もあると思う。稼ぐこと、出世することにこだわればどうしても人間関係は悪くなる。一所懸命仕事するから帰宅が遅くなる→家族と過ごす時間が短くなる、休みの日は疲れて寝ている→家族と疎遠になる、とか、休日は疲れていて他人と会う心の余裕が持てないとか。また、男はプライドの生き物だから友だちと比較して自分の方が「下」だと感じたら会わなくなるというのもあるだろう。仕事やプライベートが充実しているときは同窓会に参加するが躓くとそうじゃなくなる男性、身近にいないだろうか。俺は昔からずっと同窓会に参加せず遂に誘われなくなったクチだが…。独身だと行かなくなる。既婚者たちが子供や住宅ローンの話をしているのを黙って聞いているだけなのは辛いから。

 

以上、男性が孤独になりがちな理由については説得力があると思う。

 

孤独の何が問題なの? というと、

・怒りや攻撃性が増す(そのせいでさらに人から避けられ孤独に陥るという負のスパイラル)

・心臓病、がん、脳卒中のリスクが高まる(一日15本の喫煙、アルコール依存に匹敵する身体への害)

・睡眠で疲労回復しづらくなる

・自殺の危険因子になる

・脳を劣化させる可能性がある

 

脳の劣化は人と会話しないことでの刺激不足によるものだろう。筋肉もそうだが脳も使わないと衰える。他者との会話って普段何気無くしているけれど脳をフル稼働させているとか何かで読んだ記憶がある。自分の発話に対してどう相手が返答するかを予測し、さらに実際にされた返答に対して適切に返す…テニスや卓球のようなことをしているわけだ。精神科医中井久夫の何かの本にはストレスの解消にもっとも有効な行為はおしゃべりだとあった。

 

本書では思春期の男の子の発話を閉めた蛇口から漏れる水滴、女の子の発話を川に喩えるくだりがある(もちろん女の子みんながそうではないだろうが)。そのくらい日常でしゃべる量が違う。そして相手を傷つける内容でない限り、基本的に会話はすればするほど人間関係を円滑にする。女性のコミュニケーションは頻繁な会話にある。そういえば以前ある商店の長いレジ待ちをしていたら、前に並んでいた高齢女性が退屈したのか、さらに前に並んでいる知らない女性に天気の話をしだしたのを見てそのコミュ力の高さに驚いたことがある。

 

…と、ここで男性、とくに中年男性の存在感に思い至った。phaさんが『パーティーが終わって、中年が始まる』で中年男性の「不要な存在感」「威圧感」について述べていたように、中年以降の男性にはどうもその場にいるだけで他者にプレッシャーを与えてしまう、もっといえば不快にしてしまう部分が避けがたくあるのではないか。

おじさんって、基本的に嫌われる存在でしょう。おじさんといえば、臭い、汚い、醜い。そんな強いマイナスイメージを当のおじさんである俺自身ですら持っている(そのくせ自分はマシな方だと自惚れている)。女性、それも若い女性ならなおのことそうだろう。だから上で述べたような見知らぬ人へ天気の話をもし俺がしたら、場合によっては地域の不審者情報でたまに流れる「声かけ」案件になるかもしれない。おじさんは悲しきモンスターみたいなもん。

ああ、本書では述べられていないが男性が孤独になる理由としてその不快な存在感ってのはおおいに影響しているような気がしてきた。

 

 

本書の後半では孤独にならないための対策が示される。

・自然と親しむ

・毎日誰かに電話する

・規則正しい生活を送る

 

…うーん、ちょっと微妙な感じ。

二番目の電話はかける相手がいないんだが。いや、本書にあるように、本当に誰もいないのか、スマホの電話帳を見れば誰かしらいるはずだ、と強く言われたら、そりゃあ一応登録した/登録したままになっている誰かはいるにはいるが、何十年ぶりとかに電話をかけるのはかなりの勇気がいる。自然に親しんだり規則正しい生活を送ればストレスが減少して健康にはなるかもしれないが孤独の解決にはならないような。

 

本書の対策は微妙なので代わりに俺が孤独の対策を考えた(何様)。

一つは、宗教の集まりに参加する。こちらの記事も参照した。

 

finalvent.cocolog-nifty.com

 

宗教は共同体の結束を強めるために生まれたものである。新興宗教やカルトはアレだが伝統宗教の由緒ある集まりならある程度信頼できるのではないだろうか。少なくとも一人ぼっちで引きこもっているよりは外出になるし人と顔を合わせるしで刺激があっていいと思う。

うちは神式だが神道や仏教はどうも辛気くさくてたまの気分転換ならいいが神社や寺に通いたい気持ちにはあまりならない。厳かさは感じるが侘び寂びに気が滅入る。その点キリスト教カトリックはいい。建築がゴージャスだし音楽にも癒しを感じる。きらびやかな方が気が晴れる。でも俺が信心を持つことはたぶんないだろう。素養がない。鬱陶しいから勧誘はされたくない。宗教のグルーミング効果だけを得させてほしい。こういう自己本位な人間だから孤独になるのだろう。

 

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もう一つは(ちょっとハードルが高いが)犬を飼う。

世話しなくちゃならないという使命感が人生に意味と張り合いを与えるし、散歩があるから外出の習慣がつくし、散歩のたびに顔を合わせる人と挨拶するようになるし、犬がコミュニケーションのきっかけにもなる。うちにもかつていたので実体験として言える。

いろいろ条件があって難しいが飼うならボーダーコリーがいい、とかつての飼い主として思う。でも独身だと難しいよな。というかよした方がいいと思う。同棲のパートナーがいてその人が協力的ならアリだろう。そしてこれはかなり孤独の緩和に有効だと思うのだがどうだろうか。

 

phaさんは前掲書で麻雀や草野球の可能性に言及していた。囲碁や将棋でもいいかもしれない。同好の士で雀荘囲碁所に集まって打つ。男性の場合、直接他者と関係を結ぶのではなく間に趣味というクッションを挟むことでコミュニケーションがしやすくなるのはあると思う。酒なんてまさにクッションだろう。いい大人の女性同士がカフェで長話しているのは珍しくもないが男性同士がアルコールなしで同じことをやるのは難しいのではないか。そうでもない?

 きちんとお互いを掘り下げてわかりあえる一対一の関係を持つことはもちろん大切なことだけど、それと同時に、性格や思想が違ってもなんとなく曖昧に集まって場を共有できる場所もあるとよくて、その両方があることで、より豊かに過ごせるのではないだろうか。

 

『パーティーが終わって、中年が始まる』

 

以上、男性の孤独について『男はなぜ孤独死するのか』を読んでいろいろ考えてみた。

 

ベースとして、ひとりものだろうが家族がいようが人間みな死ぬときは一人なんだし死ねば無になるんだから孤独死なんてどうでもいい、という思いが俺にはある。

でも孤独死が老齢によるものだと仮定すると、その前段階の孤独であることの不利を、だんだん意識するようになってきている。

大抵の人はある日突然ばったり死なないでしょう。老い病み衰えて徐々に死んでいくでしょう。そうなった場合のプロセスが、ひとりものだといろいろめんどくせえな…と中年になって心身の不調を自覚するようになった今、思う。

分量が長くなってしまったのでそのことについては次の記事に譲る。

 

 

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映画『悪は存在しない』を見た

濱口監督の新作を見てきた。

ネタバレあり感想。

 

長野県のある町にグランピング場の建設計画が持ち上がる。コロナ禍で経営難に陥った東京の芸能事務所が政府からの補助金目当てで立ち上げた事業だった。この計画をめぐって地元住民と計画担当者(本業は芸能マネージャー)のあいだで軋轢が生じる。

大体そんな話。

 

中盤の、議論が紛糾する地元への説明会あたりまでは産業開発による自然破壊、人と野生の共存の可能性、そういうありきたりな、ナウシカもののけ姫寄生獣でいいじゃん、みたいな話なのかなと思いきや、担当者の高橋が長野の自然に魅せられて自分の人生を見つめ直すあたりから、そうじゃないかも、と思いはじめた。説明会のシーンでは、自分たちの都合しか考えていない身勝手なよそ者=悪人と思われた彼が、かつて挫折を経験して今も宙ぶらりんな気持ちで与えられた仕事をこなしているだけの、ごく普通な、どちらかと言えば善良な人間であることが徐々に明らかになる。計画の張本人たる事務所社長も経営難をなんとかしようと足掻いてグランピング場建設を決断したのだし(元々俳優だった彼は過去に何か問題が起きて引退せざるを得なくなり今の仕事をしているらしいことが示唆される)、経営コンサルタントにしても悪意から環境破壊をしようとしているのではなく計画を実行するのが職務であるからそうしているに過ぎない。タイトルの意味はおそらくそのへんにあるのだろう。明確な悪は存在しない。ただ一人一人の事情があるだけ。

 

自分がとりわけ面白く感じたのは芸能事務所スタッフ二人が長野へ向かう車中で交わす会話のシーン。10分くらいだったか。普段はあまりプライベートな話をしてこなかったのか、お互いの生活に今初めて深入りするようなやりとりはところどころユーモラスで可笑しかった。このシーンで一気にこの二人のキャラクターの厚みが増したような気がする。

 

この映画のキモは多くの方が指摘するように、あのラストだろう。最後の最後になって突き放される。わけがわからない。これまで見てきたものすべてをぶっ壊すような衝撃的な展開。俺の頭で考えても、同行者と話しても、満足いく答えは出なかった。ネットで検索してみても、うーん、という感じのものが多かったが、ひとつ、主人公と娘は人間として暮らしているが実は鹿の化身なんじゃないか、というのがあって、腑に落ちる、と思った。手負いの鹿は人間を襲うという。ならばあれは我が子を失った親鹿による攻撃だったのではないか。主人公は蕎麦屋での支払い金額を間違えたり、娘を迎えに学童へ行く時間を忘れる。鹿の化身だから人間社会のルールがわからない、馴染めない、その暗示だとしたら。一方で、主人公はこのあたり一帯について何でも知っているという。鹿ならば山の中まで知り尽くしていて当然。ああそうかも、と言う気がしてきた。三人で水汲みしたときの銃声。おそらくあのとき、娘は鹿の姿に戻って人間に撃たれた。靄の中に現れる二頭の鹿は幻視だろう。そして親鹿は我が子の死体を見つけ、人間へ怒りをぶつけたあと、亡骸を抱えて森の中へと姿を消す。おそらくは二度と人前には現れない(居場所をなくした鹿はどこへ行く? という主人公の問いに、高橋はどこかよそへ、と答えている)。彼の攻撃が人間を殺すにはいたらない脆弱なもの(高橋は気絶しただけだろう)なのが切ない。野生にはそこまでの力はないのだ。一方で人間は銃で鹿を撃ち、重機で山を潰すことができる。彼我の暴力の圧倒的な差。主人公と娘を鹿の化身と考えると、この映画がまるでおとぎ話か寓話のように見えてくる。

 

 

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耳鼻科、ガジュマル、飲み会

ここ2週間ほど鼻詰まり、鼻水がひどい。

一番しんどい時間帯が夜間から深夜、早朝にかけてで、ひどいときは鼻詰まりで鼻呼吸できず目が覚めてしまい、暗闇のなか鼻を延々とかみまくる、それでも詰まりがなくならない、というまあまあストレスフルな状況になっている。

 

イネ花粉を疑うも自宅にいるときがもっともひどく(自室では空気清浄機が常時回っている)外ではノーマスクでも悪化しない。ハウスダストかと思いきや会社の事務所にいても鼻水は出る。しかし症状として目や皮膚のかゆみや喉の異常はない。鼻だけ。

何かのアレルギー反応ではあるのだろうがその何かが俺にわかるはずもなく。アレルギーの原因自体がこの世界には多すぎる。アレジオン20を飲んではいるものの気休め程度で改善は見られない。

 

今朝も4時過ぎに鼻詰まりで目が覚めた。

これまでで一番ひどかった。鼻をかんでもかんでもキリがない。詰まっていて鼻呼吸できない。

しばらくして眠気に襲われる。

結局仰向けで口呼吸して眠った。

8時起床。口呼吸で寝ると起きたとき喉が乾燥していて気持ち悪い。

 

我慢の限界に達したので、近所の、歩いて10分とかからない耳鼻科へ行くことにした。

開院9時。5分過ぎくらいに着いたのにその時点で待合室はほぼ満員、受付したら40番目と言われてギョッとする。一人分だけ空いていたソファの隙間に腰を下ろし、念のためにと持参したiPad miniKindleを読んで呼ばれるのを待つ。しかし1時間が経過しても呼び出し番号は未だ15番。眠くなってきたので目をつむるもソファが固くて尻が痛く、とてもじゃないが眠れたもんじゃない。というかすでにその固いソファに1時間も座っていたのだ。

立ち上がって受付に行き、まだ時間がかかるようなら外出したいと言うと構わないとの返事だったので帰宅。

1時間ほどベッドで横になる。

 

1時間後の11時、今度は自転車で出かける。猛烈な暑さ。

着くと36番目くらいまで進んでいた。が、待合室は出てくる前以上に混雑していた。

少し待っていると通された。

医師に症状を説明する。鼻詰まりと鼻水でつらい、ひどいと夜中に目が覚めてしまう、市販薬を飲んでいるが効かない、等。

鼻の中を見てもらうが異常なしとの答え。何かのアレルギーでしょう。強めの飲み薬と眠れないとき用に点鼻薬を出しとくのでそれで様子を見ましょう。

3時間近く待って診察は3分かそこらで終わってしまった。

まあこんなもんだよな。

異常がないならそれでいい。ポリープがあるとか膿が溜まってるなんて言われたらどうしようと不安な気持ちがあったから。そうでもないとこんなにひどい鼻詰まりにならないのでは、と。

 

その後、会計までまた少し待たされ、調剤薬局でも待たされたのち、薬を受け取って帰宅。

病院の混みよう、やばい。

結局午前中が潰れてしまった。

未就学児っぽいのや高齢者が、待合室にいた人たちの半分くらいを占めていたように見受けられたが、彼らは平日に来られないのだろうか。前者は連れていく親の仕事の都合か。後者は平日はフルタイムで働いているのか。単純に俺のように昨夜から今朝にかけてひどい症状が出たという人もいたのだろうが。

平日に医院に行くことはないのでわからないが平日も同じくらい混んでいるのだろうか。

 

平日は労働。土日はその疲れを癒すための時間に充てたいと思う勤め人にとって半日が潰れるのはなかなかの痛手だ。半日潰しても薬で症状を緩和する程度の成果しか得られず根本解決には至らないのなら病院へ行くインセンティブも弱くなる。実際、俺も症状が今朝ほどひどくなるまで市販薬を飲むだけで我慢して病院へ行かなかった。自分へのケアよりめんどくささの方が強かった。一緒に暮らしている人がいればその人からの働きかけで重い腰を上げることもあるだろうが、ひとりものはめんどくささを克服して行動するモチベーションを自分の中から捻り出さねばならない。これが難しい。以前、独身男性の平均寿命が67歳だとかという記事があったが、独身男性はケア意識の低さから手遅れになるケースが多いのだろうか。多少の不調であっても病院へ行くのはめんどくせえから我慢すればいい、となってしまいがちとか。AIをこの分野でうまく活用できないのかね。オンライン診療的な方法か何かで。

 

news.yahoo.co.jp

 

とりあえず2週間分の薬は貰えたので様子見。それで落ち着いてくれれば御の字。ダメならまた行くしかない。

鼻詰まりとか口内炎とかそんな些細な体の異常でもQOLはダダ下がりする。鼻が詰まって眠れなかったり、物の味がよくわからなかったり、何を食べても染みて痛かったり、たまになる程度なら我慢もしようが、それがずっと続くようなら生きてることに嫌気が差してくるかもしれない。人生をぶっ壊すのに大災厄はいらない。死ぬまで続く鼻詰まりがあれば事足りる。

 

 

午後、約1年ぶりにガジュマルを植え替えた。5号から7号へ。

作業時間は15分かそこら。ここのところの暑さがお好みなのか近頃元気よく成長している。去年の夏と比較するとだいぶ大きくなった。この先何十年とかけて育て174cmの俺の身長より大きくしようと思っている。

 

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夜、職場の歓迎会。

楽しく談笑しながら焼肉を食べ軽く飲む。

 

病院へ行き、ホムセンへ土と鉢を買いに行き、ガジュマルを植え替え、職場の飲み会に参加する。合間の時間に食事をし、部屋を掃除し、昼寝し、風呂に入る。時間潰しに本を読み、音楽を聴き、ネットで調べものをする。そんなふうに過ごすだけで休日はあっという間に過ぎてしまう。そしてそれで十分に、有意義に休日を過ごした、という気持ちになれる。ガッツリ趣味に取り組まなくても、生活があれば人は──いや(おそらくは)中年は、退屈せずに生きていける。

 

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6月、今もやがて昔になる

 

4時半には日が昇り、19時過ぎに日が沈む季節になった。いいものだ。日照時間が長いほど一日も長く感じられる。長く感じられれば何かをしようという前向きな気持ちになれる。蒸し暑さや雨は愉快なものではないが、7時まで日が昇らず、17時前には暗くなってしまう冬に比較すれば*1ずっと過ごしやすく、俺好みの季節になった。半袖で過ごせる6月から9月いっぱいあたりまでは積極的に行動していきたい。

 

中旬、白馬にあるペンション&コテージ クヌルプに宿泊した。SFCソフト『かまいたちの夜』の聖地である。

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自分で買ったのか友だちに借りたのか──今は0人なのに高校生当時の俺には驚くべきことに何人もの友だちがいたのだ──は忘れたが、ソフトが発売されてわりとすぐプレイした記憶がある。あれから30年。ゲームの舞台となるペンション、シュプールが実在するペンションをモデルにしていると知ったのはプレイ後しばらく経ってからだったと思う。いつか行ってみたいと思ったものの熱心なかまいたちファンではなかったし(ゲームは初代しかプレイしていない)、やがて時間の経過とともにその気持ちも薄れていった。偶然、はてブを見ていたら今年で30周年だという記事が目につき、ふと、若い頃の自分の憧れを叶えたい気持ちになった。中年の今、マイカーも金もある。なら行ってみるか。ネットである程度写真を見ていたのでわかってはいたが、30年が経っても現地はゲームとほぼ同じレイアウトのままで感動した。オーナーは気さくで食事も美味。行ってよかった。クヌルプ、いつまでもあってほしいけれどいつまであってくれるかわからない。行けなくなってしまってから行っておけばよかったと後悔しても詮無い。時は流れゆく。今もやがては昔になる。自分自身の状況も含め何事にも永遠はない。一度きりの人生、無理のない範囲で、やりたいことは早めにやった方がいい。クヌルプに泊まってみたいとお考えの方は、色々都合はあるでしょうが早めに行っておいた方がいいと思います。

 

泊まった翌週、ニンテンドーダイレクトで『かまいたちの夜×3』発売のアナウンスを見てそのタイミングのよさに驚き、笑ってしまった。これも縁かとサントラCDが付いてくるSwitchのパッケージ版を予約した。

しかしドラクエ3やらロマサガ2やら、リメイク多過ぎんか?

 

今年の抱負は行動することだった。

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元日、能登半島地震、翌日には羽田で航空機事故。連日の痛ましい出来事に、今こうして自分が無事に生きているのは偶然に過ぎない、との思いを強くした。また40代後半に入って体力や身体機能の衰えを自覚し、元気に動き回れたり、楽しいことを楽しめる残り時間には限りがあると考えるようになった。俺の40代もあと3年。今年からスパートをかけて「40代後半はイケイケ」をテーマに生きていきたい…が、どうなるか。

 

イケイケをやるには心身の健康が大事。5月は毎日やっていたフィットボクシングを6月は一日もやらなかった。これはいかんということで7月から再開した(お久しぶりです、とインストラクターに言われてしまった)。これから暑くなると散歩は熱中症の危険がある。屋内での運動をメインにしていきたい。会社でやった健康診断の結果は来月あたりに出ると思われる。とくに問題なさそうだったが年齢的に人間ドックも検討した方がいいような気がする。

 

6月、こんな記事を書いた。

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中年は趣味より生活を優先してやっていこうって話。読み返したが俺の言語能力が低いせいで言いたいことが言えてないもどかしさがある。この話は繰り返し今後も書いていこう。

なんか趣味っていうと向上しないといけないみたいな風潮、あったりしないだろうか。日本的な、なんとか道、って言い方に端的に表れているような。求道的というか。趣味は息抜きなんだからそういう強迫観念からもっとも遠い場所にあるべきなのに、ということも言いたかった。趣味なんてなくたっていいんだよ。毎日が楽しければ。

 

それにしてもインターネットはつまらなくなった。正確には俺が触れていたネットコンテンツが、と言うべきか。前々から感じてはいたけどここ最近とくにその思いが強くなってきた。とりわけXはひどい。不愉快になる投稿が多すぎる。ニュースも気が滅入るので見ていない。はてブも微妙になってきた。出先や会社の休憩時間などに手持ち無沙汰でついスマホをいじってしまうのだけれど、最近はネット閲覧の代わりにKindle unlimitedでラノベやホラー小説を読んでいる。実話怪談的なのは一話が短いのですぐ読み終えられ満足感がある。

 

かつてインターネットは不満な現実から逃げ込む場所だったけれど今は逆にそこから逃げ出す場所になってしまった感がある。もうこの話、何度目だよって感じだが。いやいやインターネットのコンテンツには今でも面白いものは無限にあるよ、お前の観測範囲が狭いだけ、要はお前自身がつまらない人間なだけ、そういう意見もあろう。そうだったらいいな、と思う。俺がつまらない人間なのは若い頃も今も変わらない。

 

 

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*1:日照時間の短さと寒さのせいか、冬はメンタル、体調とも不調になりやすい

映画『ルックバック』を見た

 

原作をアニメーションで忠実に再現しつつ原作では描かれていなかった細部が丁寧に補完されていた。作業中の貧乏揺すり、アシスタントの姿、当日の編集者との電話でのやりとりなど。アニメならではの動きがもっとも表現されていたのはスキップのシーン。この映画のベストシーンだと思う。

 

今まで漫画原作のアニメなんていくらでも見てきたのに、世界に色が付き、キャラが動いて声を出し、音楽が流れる。それがこんなにも作品世界を豊かにするのか、それによってこんなにも解像度が増すのか、と驚いた。映画館で見たから余計そう感じたのもかもしれない。

『ルックバック』の世界ってこういうふうだったんだ。

こう言ったらアレかもしれないが劇場版こそが完全版では? とすら思ってしまった。

 

 

原作を読んだときは、残酷な世界で創作者にできる抵抗は己の仕事を続けることである、そう解釈した。

でも今回劇場で見たらちょっと印象が変わって、ああこれは他者との交流や承認が人に生きる意味を与える話なんだな、という考えも上のに加わった。

 

自分より絵が上手い生徒はいないと思っていた藤野は京本の絵を見て力量の差を思い知る。4年生から6年生の途中まで絵の勉強をしてさらに上手くなるものの結局京本には敵わない。挫折感。嫌気が差して絵を放棄する。しかし、自分より上だと思っていた京本から「漫画の天才」と絶賛されると再び描き始める。京本からの承認が藤野にとっての生きる意味になったのだ。京本もまた、藤野から部屋の外に連れ出されたことが「もっと絵が上手くなりたい」という生きる意味を得るきっかけになる。

 

二人とも、部屋にこもって一人で描いていただけではそこで終わってしまっていたかもしれない。出会い、二人で描いたからこそ世界を広げることが可能になった*1。自分は漫画の天才だ、と自分に向かって言ってみても虚しいだけだろう。でも他者からそう言われたなら同じ言葉でも意味は全然変わってくる。他者からの承認が人に生きる意味を与える。世界の中での居場所を与える。

 

承認とは天才だと褒められることではない。天才でない大多数の凡人にはそんなことは人生で滅多に起きない(子供時代ならいざ知らず大人になればなおさら)。そんな大層なレベルではなく、たとえば「おはよう」「おつかれさま」「ありがとう」「おやすみ」、そんな挨拶をかけてもらうだけでも十分に承認たりうる。それは他者が自分を見てくれている、気にかけてくれている、というメッセージだ。

 

岩田靖夫『よく生きる』にこうある。

私は学生たちによく冗談で言うんですけれども、授業の間にですね、「人間はいったい何のために生きているんだ」。毎日学校へやってきて、友達に「こんにちは」って言うために生きているんだ、というのが私の答えです。そう、本当にそうなんです。「こんにちは」、「おはようございます」。で、うちに帰ってお父さんやお母さんに「おやすみなさい」って言うために生きている。それが人間が生きている意味です。挨拶することがうれしくて生きているのです。私たちは。

 

毎朝目が覚めたら親子で「おはよう」と挨拶する。それから学校に来て、友だちに「こんにちは」と挨拶する。この「こんにちは」という挨拶は、自分の善意を他者に送っていることです。これが人間の最高の喜びです。ほとんど唯一の喜びです。これが、人間が生きているということです。人が自分に心を開いてくれるのか。それとも、姿を見たら、見えなかったふりをして横道にそれて行ってしまうのか。これが心を開いてくれない姿です。人間が最高に傷つく姿です。しかし、思ってもみなかったところで、突然、背後から、「やあ」なんて声を掛けられたらすごく嬉しいわけです。で、どうしたら人は心を開いてくれるのでしょうか。人の心というのは、外から、力でこじ開けることは絶対に出来ません。

 

一方で襲撃者の方はどうだろう。彼に挨拶をしてくれる人はいたのだろうか。ネットにアップしていたらしい絵を褒めてくれる人はいたのだろうか。いたのだったら、他者と健全に交流できていたら、あんなことはしなかったのではないか。このシーンは2019年に起きた事件を元にしていると思われる。この事件の犯人もまた他者との交流に乏しい孤独な人生を送っていた。

 

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京本を失った藤野は自分を責める。だが京本に生きる意味を与えたのもまた藤野だったのだ。仮にそのせいで不幸が起きたとしてもそれは個人の責任が問われるほど単純な話ではないだろう。もっと複雑な、運命の糸が絡まり合った末の出来事だ。でも藤野は自分の中の罪悪感を消せない。じゃあそれを消すにはどうしたらいい? いや、消すことなんて生涯無理かもしれない。その罪悪感を抱えたまま、描き続けるしかない。なぜなら藤野は創作者だから(「このつづきは12巻で!」)。

 

漫画を描くのは楽しくないし、メンドくさいだけだし、超地味だし、描いても何も役に立たない。漫画なんて描くもんじゃない。

それなのに藤野は描いている。

「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」

フラッシュバックする京本の声。その笑顔。描いているのは、あの笑顔のためだったんじゃないのか。誰かを喜ばせたい、楽しんでほしい、幸せにしたい、そんな大それた、神様にしか叶えられないような願いを、罰当たりにも叶えたいと望んでしまった。

だから藤野は、創作者という神になったのではなかったか。

 

 

 

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*1:藤野と京本で藤本だったのか、と映画を見てようやく気づく迂闊さ

趣味がなくても生きてゆけます。

少し前に、中年になって以降、「生きてても何も楽しいことない」と書いた。

偽らざる今の心境。

 

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俺は独身中年なので世間が同世代の男性に求める、あるいはイメージする役割(夫だったり父親だったり)を担えていない。だから楽しいことに家族との団欒や子育て関連は含まれない。

有能な働きマンではない。労働は金のためにやっている。だから仕事も含まれない。

付き合いが悪いので友達もいない。ゼロ。だから交友も含まれない。職場の人と飯食いに行ったりすることはたまにある。

というわけで、独身で、仕事ができなくて、友だちもいない俺にとって楽しいことになりうるのは趣味しかない。

 

俺の趣味。

本を読んだり、映画を見たり、旨いと評判の店へ食いに行ったり、近郊へ一泊旅行したり、写真を撮ったり(たまに)、そんなところ。

でも最近、上記のそれらをやる気があまりしないんですね。なんだかもうかったるくって。目を使う趣味は疲れるし。

なのでやらなくなってきた。

 

映画や外食がとくに顕著。2019年から映画館で映画を見るのを趣味にしはじめて一時は年間100本近く見に行ったものだけれど、去年あたりから映画見るためにわざわざ出かけるのが億劫になって今年から見に行く回数がかなり減った。今のところ10本。俺の場合新しい映画を見たいんじゃなくて面白い映画を見て楽しい時間を過ごすことを求めているのでそれが映画館でやる新作である必要はないんだよな、ということに気づいたのもある。今は、家にいてもつまらないときの外出先としての映画館って考えになりつつある。『ルックバック』と『悪は存在しない』は見たいから見に行くけど。

 

外食も、少し前まではラーメンやうどんを食べに行ってたけど、行くまでの時間や交通費や行列に並ぶことの馬鹿馬鹿しさにだんだん嫌気が差してきてあまりしなくなった。もともと味に疎いので料理を食うより情報を食っているようなもんだったし。最近は価格の値上がりで外食自体回数が減った。代わりに家で適当なもの作って食べてる。

 

何をしても楽しくない。

何をするのも面倒くさい。

これって更年期の症状なのか?

俺は中年クライシスの真っ只中に今いるのか?

 

小説や映画に飽きるのは、かれこれもう30年以上も読んだり見たり続けたせいで自然と目が肥えて求めるハードルが知らず知らずのうちに上がっているからだろう。俺にとってドストエフスキー作品──『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を超える小説との出会いは今後おそらくない。

 

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そういう今の俺がしている自問。

かったるいなら無理して趣味やらなくていいんじゃねえの? 

 

一日は24時間。平日ならそのうちの大半は労働と睡眠に充てられる。食事や風呂や買い出しなどもする必要がある。

余った時間を余暇時間として趣味に費やすのは尊い生き方だ。だが、どうにも気乗りがしないなら無理にやらなくてもいい。楽しくないことを無理に続けるのは精神衛生上よろしくない。

 

では仕事にのめり込めず交友もない独身中年、趣味をしないで代わりに何をするのか?

生活をするのである。

 

部屋やトイレや風呂をはじめ家の掃除は始めればキリがない。床や水回りや窓の桟や棚の後ろや棚の天板を綺麗にする。玄関を掃く。整理整頓して不要な物を処分する。洗車する。車内に掃除機をかける。ペダル周りやホイールを拭きタイヤの溝に嵌っている小石を取り除く。敷地の草むしり。ムダ毛の処理。眉毛を整える。爪を切る。毎月の散髪。歯の定期検診。靴の手入れ。不要なサブスクの解約。IDやパスワードの整理。不要なクレジットカードの解約。お得なクレカサービスを調べる。昔撮ってそのままになっている写真データの整理。寝具や寝巻きのマメな洗濯。仕事でちょっとわからない(けど今更人に聞けない)知識の解説動画を視聴する。適当な食材を買ってきて適当に調理する。今週仕事ハードだったなあって週末は思いっきり寝る。…等々。

 

生活に関わることをやりはじめたらキリがない。たぶんそれだけをやってても余暇時間は十分潰れる。そしてこれらはやるほどにQOLを向上させ日々を過ごしやすくしてくれる。

 

なんだ丁寧な暮らしか、と言われてしまうと近いんだけど、俺の言ってるのはもうちょっと意識が低い。生活を整える、というか。丁寧な暮らしって意識高いイメージがある。カット野菜とイワシの缶詰と納豆とレトルトご飯とレトルト味噌汁の食事を丁寧な暮らしとは言わないだろう。俺が言ってるのはそのくらいのレベルの話。

 

それって趣味が掃除、洗車、自炊なだけでは? と言われるかもしれないが、生活に必要な営みを行なっているだけなので趣味というカテゴリーには入らないと思う。毎日飯食ったり風呂入ったり寝たりすることを、なかんずく労働を趣味とは言わないように。

 

中年は生活が第一。

趣味はその次。

生活を整えてから余った時間で細々と趣味と付き合っていこう。

 

…と言いつつ、俺自身、まだ趣味から生活へ人生の比重を移せてはいないので上記内容は言いっぱなしになってしまうのだけど。

10年後、60近くなってもまだ小説読んだり映画見たりしてるのかなあ、俺。

 

仮に今後すべての趣味に飽きたとしても、生活があるかぎり余暇時間に手持ち無沙汰で困ることはない、と今の俺は思っている。それは加齢が進行していく過程で実地に検証することになるだろう。趣味がなくても生活があれば生きていけると。

 

 

 

 

昭和記念公園へ紫陽花を見に行く

 

日曜日、ここ何年か紫陽花鑑賞してねえな、とふと思いどこかへ行ってみることにした。

最後の鑑賞はサマーランドのこのときか。コロナ禍の真っ最中。

 

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埼玉県在住なので県内のどこかでもよかったのだが名所的な場所を検索して出てくる場所がいまいちピンとこなかったのでちょっと時間はかかるが何年かぶりでもあるし昭和記念公園に行ってみっか、となった。調べたらちょうど紫陽花が見頃を迎えている様子。

 

予報では午前中雨、午後も時々雨。

あいにくの天気だが紫陽花はピーカンより雨や曇りの方が映えるのでむしろ好都合。土砂降りってほどにはならなそうだし俺のOM-1は防水仕様だし、問題ない。

 

午前11時過ぎ到着。何年ぶりだろうか。前来たのはコロナ禍前だったと思うので少なくとも4年ぶり。

立川口駐車場に駐車。ガラガラで拍子抜け。昭和記念公園はチューリップやポピーの春、イチョウやモミジの秋に混雑するのかもしれない。俺としては空いている方が好都合。

 

入ってすぐの噴水に紫陽花が浮かせてあった。パッと見綺麗だがよく見るとちょっと元気ない。ここが映えスポットらしく人がひっきりなしに来る。暗黙の了解的な感じで他の人が撮っている間は邪魔しない。撮り終わったら譲る。

紫陽花柄のレンタル傘をこんなふうに並べてフォトジェニックにしてあった。上の紫陽花を浮かせるのもそうだがこういうのってコンサルが入ってるのだろうか。普段は(加工は面倒だしやり方もよくわからんので)撮って出しだが映えを意識してちょっとだけ加工してみた。うーん、わざとらしい色調。

オーソドックスなブルーの紫陽花が好きだけどピンクはピンクでかわいいね。

 

噴水の先の広場を過ぎたあたりから花木園にかけて紫陽花が植わっている。この人はまだ若い。限界まで寄ってみた。

 

花は寄ればいいと思っている男。開放し過ぎ。老眼のせいか最近カメラの設定は前以上に適当。しかしこうやって細部まで見てみると改めて神様ってすげえなと感嘆する。細かいところまで手を抜かずデザインしている。しかもデザインのパターンを無限に持っている。天才か。

 

露出下げて撮るとぽくなる。

 

ちょうどいい時期に見にこられた。

 

綺麗なブルー。はてなブログから縦写真をアップロードしようとすると横向きになってしまうの、なぜ?

人が少ないのでストレスなく鑑賞、撮影できてよかった。入園して一時間ほど経ったころ雨が降ってきたので東家へ避難。30分ほど雨宿り。

 

濡れてイキイキしているように見える。マクロレンズが欲しくなってくる。

 

途中にあった彫像。傘差しながらの撮影なのでいろいろ甘い。フリードリヒみたいな構図で撮れそう、と思ったのだが。

 

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紫陽花は天気が悪い方がしっとり感が出ていい。

蓮。

 

花木園の売店で一休み。紫陽花ドリンクなるものを購入。左が攪拌後。浮いているのはイチゴ。違うお店ではブルーのも売っているよう。香りがフルーティ。入浴剤みたいと俺が言ったら同行者が苦笑いした。ここで休憩していたらだんだん雨が強くなってきた。

本当はこの先の日本庭園まで行きたかったのだが断念して帰ることに。へぼい写真ばっかりなのでアレだが2時間ちょっと滞在したのだった。

 

秋、このイチョウが真っ黄色になるのは壮観だろう。

 

噴水近くの石のモザイク、カラフルで好き。

 

帰り道、入間の三井アウトレットおよびコストコ周辺の道路が激混みでびっくりした。毎週末インター出口から混雑しているがこの日はとくにひどかった。何かセールでもやっていたのだろうか。

近くのはやし田で遅い昼食。特製醤油ラーメンと餃子。初めて来たが旨くてびびった。また来よう。

 

ローソン寄ったら盛り過ぎチャレンジのロールケーキがあったので購入。あるの初めて見た。買えてラッキー。

 

車の運転で疲れたので帰宅してから少し寝た。たっぷり紫陽花が見られたので満足。

 

圏央道がつながって埼玉から江ノ島まで行くのが楽になったので明月院長谷寺へ行きたい気持ちがあるんだが観光客が増え過ぎてとても江ノ電に乗れたもんじゃなさそうだし混雑が大嫌いなので諦めている。写真フォルダを見ると2015年と2017年の写真が残っている。うろ覚えだがたしか2018年に行ったら長谷寺が予約制になっていて入り口前にものすごい人がいて諦めたのだった。それから鎌倉へ行かなくなった。2015年は平日なら明月院の開門10分前くらいに着けば10番目くらいには入れた記憶がある。今では行列がひどくてきっと無理だろう。

そのころ撮った写真。

鎌倉、江ノ島、いいところなのでまた行きたいんだが。