5月は小説ばかり読んで飽きた。なので6月は小説以外のジャンルを読んだ。本はいい。読むジャンルがいくらでもある。嫌になれば途中で放り出せばいい。それを書いたのが歴史上の偉人だったとしても関係ない。会社ではこうはいかない。しょうもない話でも上司がするなら拝聴拝聴。それと比較すると読書がいかに民主的な営みであるかを実感する。
結果的には今自分が関心ある、薬物と東日本大震災についての本ばかりを読んだ。
キメねこ『キメねこの薬図鑑』
LSD、大麻、脱法ハーブ、マジックマッシュルーム、アヤワスカ、市販薬などさまざまなドラッグの体験記。ドラッグでどう身体や精神が変容するかをかなり具体的に言語化、ビジュアル化して伝えている。自分は煙草もアルコールもやらない人間だが、本書を読み、まったりした多幸感に浸れて感受性が増大するという大麻を体験してみたくなった。いやできないんだが。大麻のためにオランダへ行くほどの行動力もないし。
LSDをやると「指先がうっすら痺れ皮膚全体が突っ張る」「意識そのものに集中線をかけたようなスピード感」「瞳孔が全開になるせいで世界が異常に明るい」「空間把握能力が狂い物体の遠近がハチャメチャになった」「瞼の裏で広がる壮大な万華鏡」「しだいに手足の感覚も曖昧になっていき」「やがて宇宙とひとつになった」。変性意識状態は8時間続き、やがて疲れて眠ると、翌日は5時間程度の眠りでも信じられないほど寝起きがよかったという。著者はこのLSD体験を「インスタント禅」と呼んでいる。ヨガの行者は修行によって血中の二酸化炭素濃度の上昇やアドレナリンの分泌等人体の化学反応を人為的に起こして脳のリミッターを解除する=無の境地に達する。薬物の力を借りて手っ取り早く同じ境地に達しようとしたのがハクスリー『知覚の扉』である。キメねこさんの姿勢もハクスリーと同じ薬物による精神変容の実験と見える(愛読書が『正法眼蔵』)。もちろんこのような実験を日本で一般人が行えば罪に問われるので本書の終盤は留置場体験記となる。
「図鑑」のタイトルどおり薬物に関する情報量がすごい一冊。かつて横田基地そばの雑貨屋で合法ハーブがお香として売られていたとか、映画『ミッドサマー』の幻覚描写はかなり実際に近いなど豆知識も得られて楽しい。
キメねこ『キメねこの断薬記』

『薬図鑑』の続編。大麻取締法違反で執行猶予となった著者による断薬の記録。メロンブックスで購入。
当初は違法薬物がだめでも合法薬物ならいいんだろと起きてる間は1時間おきにブロン10錠をアルコールで流し込む生活を送っていたが、購入に困難が生じる&金がかかりすぎるため断薬を決意。当初は離脱症状に苦しむが4日目から落ち着く。「薬物依存は薬物そのものに対してではなく他に何か問題を抱えていてその苦しみから逃れようとするために生じる」とは依存症専門の精神科医松本俊彦先生の見解。キメねこさんの場合薬物摂取は実験的な面が大きいからか、すんなりやめられている。描かれていない葛藤があったのかもしれないが。
キメねこさんは2024年時点で33歳。「年々、麻薬に対する情熱が冷えていく」という。理由は、体力の低下、耐性がついて楽しくない、睡眠薬に凝りだした、神秘はシラフでも探求可能なことに今さら気づいた、の4点。この最後のが気になる。
青山正明は『危ない薬』に、さんざんドラッグを紹介したあとで、知識を学ぶことの快楽はほかのあらゆる快楽装置を凌駕するとか、良心の刺激こそ超ド級の快楽である、と書いていた。曰く、朝、顔を合わせた隣人に「おはようございます」と声をかけるだけでハッシシ一服分くらいの快楽は容易に得られる、この快楽の素晴らしい点は自分だけでなく周囲をも幸せな気分にすることであると。大麻、憧れてもいざやってみたら意外と「あ、こんなもん?」となるかもしれないし、とりあえず代用(?)的に毎朝職場に着いたらでかい声で「おはようございます!!」とかますことで満足するとしよう。
本書の最後にキメねこさんの父親の話が出てくる。重度のアル中でヘビースモーカーで病院には一切行かない不摂生の極みのような生活を送っていた彼は50代で小脳出血が原因で亡くなる。「人間は不摂生を重ねると血圧が高まり、やがて血管が破れ死ぬ」、「不摂生を究めし人間は50代で命を落とす」、「私はこの年齢(50代)を「不摂生限界」と呼ぶことにする」。逆に言えば50代まではメチャクチャな生活をしてても体はもつということでもあるか。
finalventさんは以下の記事で無謀な人生でも50歳までは生きられると書いているし、どうやらそのあたりの年齢が分水嶺のようだ。俺は独身のくせに長生きしたいと思っている珍しい人間(?)である。理由は世の中で起きることを観察したいから(自分が生きている時代にカルト団体によるテロや大震災や感染症パンデミックや手製の銃による元首相暗殺事件が起きるなんて想像もしなかった、世の中は次から次へと不可思議なことが起きる、いずれは第三次世界大戦か?)。望みを叶えるため今以上に節制した生活を送ろうと気持ちを新たにした。
finalvent.hatenadiary.org
松本俊彦『身近な薬物のはなし』
以下、ブクログに書いた感想をコピペ。
依存症の専門医による薬物の依存性と歴史の話。初めて知る話が多く面白かった。
ユーラシア大陸にはアルコールと茶、アフリカ大陸にはコーヒー、アメリカ大陸にはタバコ、人類は薬物とともに生きてきた。
本書の主張は以下の3点に集約される。
・薬物の違法/合法は医学的にではなく、政治的に決定される
アルコールが合法で大麻が違法なのは薬学的ではなく政治的な理由による。
・「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは「よい使い方」と「悪い使い方」だけ
所謂「よい薬」であるはずの処方薬や市販薬も使い方次第でさまざまな健康被害を引き起こす危険性がある。
・「悪い使い方」をする人は何か別に困りごとを抱えている
労働環境や家庭環境や戦争など過酷な状況に置かれている人がそれを耐えるために薬物に頼っているケースが少なくない。
「人類に最も大きな健康被害をもたらしている薬物のビッグスリー」はアルコール、タバコ、カフェイン。ビッグスリーほどの深刻な問題をもたらしていないにも関わらず厳しい規制の対象とされてきたリトルスリーがアヘン(オピオイド類)、大麻、コカ。本書を読むと大麻の規制はめちゃくちゃ政治的な理由で呆れる。大麻よりアルコールの方が有害な薬物なのに(「あらゆる違法な薬物をしのいで、「最悪の薬物」」)合法なのは政治的、社会的理由による。
アルコールにせよ、カフェインにせよ、タバコにせよ、歴史上幾度も施政者が規制しようとして失敗してきたのには理由がある。大勢で集まって酒やコーヒーを飲み、タバコを吸うことは「同士や部族の結束を固く」する。人は社会的動物、互いにつながろうとする。そのよい触媒となる薬物を規制しようとするならば猛烈な反発を招くのは必然で、施政者の失脚にもつながりかねない。また規制したところで人々は別の、場合によってはより危険な薬物で代用しようとするため効果が薄い。
最終章で紹介される幻覚成分シロシビンによるうつ病治療の研究が進んでいるという報告は「よい薬物/悪い薬物」の区別がいかに的外れかを示す。シロシビンには人為的にマインドフルネス状態を作り出し、人間の意識を改変する効能がある。すでにオーストラリアでは治療薬として承認されているという。
自分は酒は月に二三杯、タバコはやめて8年。摂取するとだるくなる、吸える環境が減る一方、金がもったいないなどの理由から、今後の人生でこの二つの薬物と深く付き合うことはもうないと思っている。カフェインだけは別で、寝起きに飲まないと頭が回らない。ルイボスティーに変えて断とうとしてみたがぼーっとしてしまいつらかった。本書を読むと長生き効果や心臓疾患への罹患リスクを減少させるなど養生効果があるみたいなのでやめなくていいのかなと。うまく付き合っていきたい。
「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは「よい使い方」と「悪い使い方」だけ。このことは忘れずにいたい。
タバコも酒もコーヒーも、みんなで集まって雑談するのをスムーズに助けてくれる面がある。そしてコロナ禍で判明したように、人間は社会的動物であり基本的には大勢で集まりたい生き物である。人間嫌いな俺ですら一人夜勤を三日も続けていると無性に人の顔が恋しくなったりする(親しい人の顔ね、嫌な野郎の顔なんて見たくもない)。だからタバコ、酒、コーヒーを禁止するってのは人間の本性を否定するのに等しい。不可能に決まってる。
シロシビンについては少し前にはてブにも上がっていた。幻覚剤はうつ病やPTSDの治療に効果があるとして現在研究が進んでいる。オーストラリアでは治療薬として承認されている。
gigazine.net
松本俊彦 横道誠『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』
以下、ブクログに書いた感想をコピペ。
タイトルの二人による往復書簡。
松本俊彦さんの依存症に関する専門家としての知見は自分には新鮮で、依存症に対する「本人の意思の弱さ」的なステレオタイプを覆されて目から鱗の連続だった。
・人は皆何かしらに依存している弱い生き物
・依存性薬物使用経験者のうち依存症の診断基準に該当するのは1割程度。人間は飽きっぽい動物。どんな気持ちがいいものでもすぐに飽きてしまう。「一度やったら人生終わり」は大げさ。
・薬物、ゲーム、ギャンブルに執着する人たちは快感からではなく苦痛の緩和からそうしている。快感は飽きるが苦痛の緩和は飽きない。
・「最大の悲劇はひどい目に遭うことではなく、ひとりで苦しむこと」。自助グループの効果は仲間たちとつながれることにある。
・レバーを押すと麻薬が投与される檻にネズミを入れるとネズミはレバーを押し続けるが、これは薬物に依存してそうしているのではない。檻の中で孤独だからそうしている。仲間たちと同じ檻に入れると麻薬には見向きもせずに仲間とじゃれ合ったり交尾したりする。麻薬の摂取経験があってもそう。この実験は、依存症の本質は孤独にあることを示している。
・発達障害やPTSDの人たちは依存症に対して親和性が高いが、そういう人たちはえてしてコミュニケーションに困難を抱えているため人とつながるのが苦手で孤立しやすい。
・「自立とは依存先の分散」
・依存症は人を死に追いやる危険性があるものの、それがあるからこそ「しんどい今」を生きられている面もある。「アディクションは長期的には自殺の危険因子だが、短期的には保護因子として影響する」
・今や薬物依存症外来を訪れる患者の半数は、医薬品という「逮捕されない薬物」「取り締まれない薬物」で困っている人たち
・一般に薬物規制をむやみに強化すると、闇市場が繁盛するとともに、以前よりも危険な薬物が流通するようになる。
・依存症問題を家族だけで解決しようとするのは危険。
・「家族は病気の温床」
・「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるのに依存症になるのは最悪ではない。少なくともただちに死ぬよりはマシ。しかし依存症に頼って延命するだけでは長期的には死が近づいてしまう。
ネズミがドラッグにハマるのは孤独だから。仲間とわちゃわちゃすることはドラッグよりも覿面に「効く」。
依存症は何か別に問題を抱えていてそれから目を逸らすため、つらい現実を生きていくために生じる。たとえば毎夜部屋に父親が入ってくることに苦しんでいる少女はリストカットや薬物摂取することで今日を生き延びられる。しかしそれを長く続ければやがて事故かODで死ぬ。依存症が「長期的には自殺の危険因子だが、短期的には保護因子」と言われる所以である。対症療法であって根本的解決ではない。そういう人に対して第三者が「リストカットやドラッグなんてやめなよ」と「アドバイス」するのがいかに無意味で残酷であるか。中島らもは『アマニタ・パンセリナ』で鎮咳薬だかをやめられずに自殺してしまった高校生にふれ、「死ぬくらいなら続けりゃいい」と書いたがその通りだと思う。依存症の治療をしようにもまず生きてないと始まらない。生きてこそだ。
「家族は病気の温床」という話もよかった。家族、本当にそんなにいいものでしょうか? 結婚すれば、出産すれば「おめでとう」、大半のケースではそうなのかもしれないですが、日本の殺人事件の半数以上は親族間で起きている現実から考えるに、距離が近すぎるがゆえに生じる問題というのもまた多々あるように思います。
オルダス・ハクスリー『知覚の扉』
ペヨーテからとれる幻覚剤メスカリンの摂取記録。サイケデリクスムーブメントの火付け役になった一冊。
ハクスリーが依拠する説によると、人間は本来偏在精神を受信できる存在である。偏在精神とは宇宙で起きている事象を知覚することを指す。しかし偏在精神は膨大な情報量のため人間にとって多大な負荷となる。そのため生存に必要な情報だけを選り分ける減量バルブが要る。脳や神経系がそれである。メスカリンはその減量バルブを解除する。すると途端に偏在精神が意識に流れ込んできて、通常の知覚では捉えきれない神秘体験が可能になる。偉大な芸術家は生まれつきこの減量バルブを解除できており、その状態で創作活動を行なっていた。宗教家が神秘体験に至るのも過酷な肉体的・精神的修行により人為的に減量バルブ解除を行うからである。この境地へ薬物の力で手っ取り早く至ろうというのがハクスリーの姿勢。メスカリン摂取後、テーブル上の花に永遠を、椅子に無限を、履いているズボンに絶対を見る視覚と意識の変容。キメねこ『薬図鑑』のLSD体験、ベッドのシーツの皺がグランドキャニオンに見えたという報告とよく似ている。幻覚剤も一度試したくなる。いや、だから無理なんだが。
リチャード・ロイド・パリー『津波の霊たち』
東日本大震災の津波で多数の児童及び教職員の犠牲者を出した石巻市立大川小学校で起きたこと、震災後に東北地方で頻繁に目撃されるようになった幽霊についての考察、二つの話題が中心。両方の話が飛び飛びで記述されているのでちょっと読みづらさがある。
被災者たちの忍耐や自制心を称える一方で、そんなに我慢しなくていいのではないかと訴えるなどの視点は外国人記者だからこそと思える。被災者に対してそんなふうに述べている意見を目にした記憶がなかったので新鮮だった。
大川小の出来事は、津波はここまでこないという油断、津波からの避難場所を事前に考えていなかった怠慢、教員たちの防災意識が低く避難してきた地区住民の声に引っ張られてしまった、判断に時間がかかりすぎた等が原因と思しい。最終的に教職員と児童たちは自ら津波に向かうかのように三角地帯へ進んでしまう。多大な犠牲が出、今も見つかっていない児童がいる。
幽霊については大事な人を失った悲しみから心を癒すための物語として機能しているのかなという印象を持った。喪失感、自責の念、怒り、悲しみ…残された人がそうしたものを受け入れ、立ち直り、生きていくために。あとで読んだ『呼び覚まされる霊性の震災学』によると、幽霊を自然と受け入れるような懐深い土地のメンタリティもあるようだ。
河北新報社報道部『止まった刻 検証・大川小事故』
以下、ブクログに書いた感想をコピペ。
『津波の霊たち』でも震災発生時の大川小学校での出来事が資料をもとに再現されていたが本書はより詳細にそれがされている。のちに一部の遺族が起こすことになる訴訟は、当日何が起きていたのか真実を明らかにすることにあった。しかし当事者の大半が津波で亡くなってしまったのと、唯一大人の生存者である教務主任が病気で姿を見せないため、真相解明には限界があった。
大川小学校は海から4km近く内陸にあり、ハザードマップの津波浸水予想区域外だった。当日非常時の指揮をとるはずの校長が不在だった。学校は津波発生時の避難経路についてマニュアル化していなかった。学校は地震発生時の避難先だったため近所の住民が避難してきていた。以上が、地震発生から50分間校庭に留まり続け避難しなかった原因だろう。裏手に1分もあれば子供の足でも登れる山があったのに、広報車が決して近づくなといった堤防へ避難を始め途中で津波に襲われる。時系列で当日を再現していく過程は結果を知っているから読んでいて恐ろしくなる。学校側が避難場所について把握しておらず地域住民の言葉に従って、山ではなく堤防へと向かって被災したようにも見える。子供たちの命を守る意識が低いと言われても仕方ない。
のちの学校側や市の無神経な対応を見ると遺族側が不信感を募らせるのは当然。校長が学校に来るのが遅すぎる。しかも捜索に参加せず職員室の金庫を探すなんて。この校長が就任して以降、学校と地区とのつながりが弱くなったみたいな指摘がある。防災意識も低い。市教委が遺族への説明会で口に指を当てて迂闊に喋らないようジェスチャーするとか、病気を理由に最初の説明会以降教務主任が姿を見せないとか、第三者委員会も市寄りだし、メモやメールは廃棄され、学校や市教委は遺族感情への配慮より組織の保身を優先している感が強い。遺族が真相を知りたければ訴訟しかなかった。
マニュアルの不備による学校側の過失を認めた高裁の判決は妥当と思える。真実を知っている教務主任は裁判にも姿を見せなかった。2018年時点で休職中、休職期間は通常3年が最長というから異例の長さ。その間給料は出ていたのだろうか。2018年以降は退職したのか、それとも休職のまま定年を迎えたのか(2025年で63歳)。いつか姿を現し真実を語ってほしい。
6月初旬、大川小をはじめとする東日本大震災の震災遺構を見学してきた。被災から14年が経つ今も大川小の献花台には花が供えられていた。夏のような強い日差しの中、遺構となった校舎はスズメたちの栖になっているのか囀りが賑やかだった。グラウンドの向こうには鬱蒼とした山。ここに全員で避難できていれば…。一方で三角地帯は北上川のすぐそば、津波が来た事実を知った今では、どうして、としか思えない。後からならなんとでも言える。



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東北学院大学震災の記録プロジェクト『呼び覚まされる霊性の震災学』
以下、ブクログに書いた感想をコピペ。
震災後の幽霊現象、慰霊碑、震災遺構、二つの墓、被災のコールドスポット、遺体の改葬、消防団の活動、原発避難地区での狩猟。どれも大きく報道されることはない、しかし被災地の住民の生活に関わる話題についての論考集。貴重なフィールドワーク。
すべて興味深かったが、とりわけコールドスポットの話が印象的だった。当時の自分も連日報道を見るにつれ情緒不安定になった過去があった。直接的には被災していなくても自分もある意味では被災したのだ、と当時の心理に説明がつくように思えた。
「あの時のつらい体験は、死んだ人の内訳や数ではない。被災した・しないも関係ない、みんなその人の中でのMAX(最大のもの)だったの」
被災地で幽霊現象が増えるのは生存者が亡くした人たちを想うから、そして気持ちを整理する必要があるからだろう。コリン・ディッキーの『ゴーストランド』にも、ハリケーン・カトリーナの被災地で幽霊がたびたび目撃されたという話が出てくる。
震災遺構の保存に関して原爆ドームを例に挙げる箇所がある。原爆ドームとなった元広島県産業奨励館は、戦後間もない時期、アメリカから撤去の圧力があり、また3割以上の市民が解体を望んでいた。しかし復興を優先していたため保存か撤去かの合意形成は先延ばしになり、結果的に長い間放置された。遺構として永久保存が決定するのは1966年、終戦から19年後のこと。この決定が出るには、19年の間に起きた少なくない数の住民の心情の変化──「悲惨な過去を思い出すから見たくない」から「二度とあのような戦争を起こさせない」ための象徴への変化──があったのではないか。もちろん、この19年間にも多くの方が被爆後遺症で亡くなっている。
阪神・淡路大震災のあと、食事も睡眠もとらずに連日テレビ報道を見続けた妻が、理由を一切告げずにある日突然失踪するという村上春樹の短編がある。それを読んだとき、彼女がなぜその行動をとったのかわかる気がした。俺がやったのもそれに近い。
独身中年、北へ - 生存記録
どう「わかる」のかについて書いていないので今ここに書くと、あれほどの大災害を見てしまった以上、もう昨日までと同じ自分ではいられない、と感じたのである。たぶん失踪する妻も同じ気持ちだっただろう。彼女が日々感じていながら自分の中に封じ込めていた違和感や疑問が災害をきっかけに雪崩れた。もう夫とは暮らしていけない。そう思ったから去った。俺も似た行動をとった。突発的に会社を辞めた。だが同僚たちからすれば俺は、誰もがつらかったあの時期にさっさと逃げ出した卑怯者としか見えなかっただろうことも、あれから14年が経つ今は理解できる。
直接自分は被災していなくても震災によって両親を失った塩竈市の女性は自らも被災したのだと自覚する。そして災害で家族10人を失った人と2人を失った人のどちらがより「哀れ」であるのかを比較することの無意味さを述べる。なぜなら被災とは「その人が生きてきた中でMAX(最大限)の不幸を経験したこと」としか表現しようがないものだからだ。あの当時、連日、テレビに映し出される津波の映像に恐れ慄きながら見入っていた、東北から遠く離れた場所にいた自分もまた被災していたのだと思う。いや、あのとき日本中の人が被災し、傷ついていたのだ。福永武彦は被爆をテーマにした長編小説『死の島』で登場人物の一人にこう言わせている。
戦争が終わってからだって、日本人はみんなクライシスの中にいる筈よ、世界中の人間はみんなその筈よ、
あの震災もまたクライシスだった。あれからずっと「震災後」を生きている。
今振り返ると東日本大震災は俺にとって人生の転機だった*1。だから何だって話だが、そして14年も経った今更かよって話でもあるが、かつての被災地へ行きたい気持ちは何年も前からあったように思う。行けば何か気持ちに整理がつくとでも思ったのか。わからない。気持ちをうまく言語化できない。
独身中年、北へ - 生存記録
上の記事を書いてからずっと「気持ちをうまく言語化」しようとしてきた。多少は練れた。まだ、こうだからと言い切れはしないけれど、これまで怖くて直視できなかった傷跡を時間の経過によってようやく見られるようになったのだと思う。だから行った。今月も行く。