松濤美術館へ路上を見に行き、路上を歩く 

今月19日から松濤美術館で開催中の「路上、お邪魔ですか?」を見に行ってきた。

shoto-museum.jp

 

シルバーウィーク5連休の最中、しかも台風の影響でずっと天気が悪く、ようやく晴れた4日目なので混みそうとの思いもあったが、開催から日が浅く、今のところそれほど注目されている感じでもなさそうだったので、大丈夫だろうと踏んで出かけた。

 

副都心線で渋谷駅下車。

渋谷に来るの、いつ以来だろう? ユーロスペースで『隣の影』を見た2019年以来かもしれない。俺、埼玉在住だし渋谷に用事ないし。

 

道玄坂下にある出口から外へ。

土地勘がないからどこをどう行けば目的地に着くのか見当もつかない。

Googleマップのナビに従って坂を上る。まだ午前10時過ぎだったからか、思ったほど人はいなかった。

歩道が汚い。コンビニ前にゴミが散乱してたりする。何をすればこんなにゴミが散らかるのか。

 

ナビに導かれるまま歩いていくと、途中からラブホテル街を歩かされ、人はいないもののなんだか居心地が悪かった。渋谷はその地名のとおりやたらと坂が多い。上ってから今度は結構急な坂を下りると、松濤文化村ストリートに出た。

 

坂を下りたらラブホテル街から急に小洒落た感じの落ち着いたエリアになったのでその落差にびっくりした。道玄坂から5分かそこら歩くだけで全然違う雰囲気になるのは東京の面白さか。

 

ゆるやかな坂を上っていくと到着。松濤美術館。来るのは初めてなのだが、あれは…

 

panpanya「いつもの所で待ち合わせ」(『グヤバノ・ホリデー』所収)が拡大印刷されて展示してある! 

 

公式サイトによると、本展開催のきっかけのひとつに、路上観察学会が今年で創設40周年を迎えたことが挙げられている。それを知り、だからpanpanyaなのだな、と納得。著者はユリイカの特集号でのインタビューで、路上観察学や考現学との関連について語っている。日常のちょっとした事物や風景から想像が膨らみ、異界が出現する、panpanya作品にはそういう面白さがある。

 

料金は一般1000円。現金かハチペイ(渋谷区キャッシュレス決済アプリ)のみ。

展示は2階と地下1階の2フロア。

2階は主に路上観察学会関連。

地下1階は過去の東京の写真、模型、銭湯山車など。

写真撮影は基本的に可(一部撮影禁止)、けれど商用利用は禁止とのこと。

このブログは商用利用に該当するのか? アフィリエイトリンクがあるから該当するかもしれない。なので掲載はやめておく。

今はなんでもちょっとSNSとかで検索するとすぐ様子がわかっちゃって、現地に行く面白みもありがたみも薄れがち。そういう風潮に抵抗する意味でも、また本展の、路上という現場性を尊重する意味でも、ここは「君の目で確かめてくれ!」ってしたほうがスマートかな、とも思う。

展示のボリュームはそれほどでもないので1時間か1時間半もあれば見終わると思う。

俺の印象に残ったのは、ちくま文庫『超芸術トマソン』の表紙にもなった麻布谷町無用煙突の拓本と、「山口百恵も入った銭湯のタイル」。

さすがに都内だけあって人はそこそこ入っていたけれど、混んでいて頭ごしじゃないと見られないってレベルでは全然なかったのでよかった。

 

美術館を出たあと、渋谷駅ではなく神泉駅方面へ歩き出した。1997年に起きた東電OL殺人事件の現場となったアパートが神泉駅前に現在も残っている。ダークツーリズムというほどじゃないが、それを見に行った。といっても、さすがに立ち止まってまじまじ見たり、スマホで写真を撮ったりするのは憚られるから、ここがそうだったのか、と見ながら通り過ぎただけ。路上といえば、被害者は東京電力の管理職で、『東電OL殺人事件』によると年収1000万円以上だったにもかかわらず、夜な夜なこの付近に立って客を取っていたという。立ちんぼだ。桐野夏生の小説『グロテスク』はこの事件に着想を得ている。

 

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一時期は未解決事件に関心があったけれど、最近はめっきりなくなった。

 

せっかく渋谷まで来たんだから、どこか寄り道していくか。

神泉駅前から渋谷駅方面へ歩きながら頭の中でシミュレートする。しかし土地勘がないのでどうしたらいいのかわからない。

何か飯でも…と思いつつ、気分に合った店が見つからないまま、いつしかスクランブル交差点前に。路上でありながら、観光スポットという珍妙な場所。

 

すごい人出。いや、ここに来る道中もかなりのものだったんだけど、観光気分でスクランブル交差点まで来て、人の多さに心底うんざりしてしまった。今日はお祭りか、それとも花火大会ですかってほどの人出。すぐに回れ右して近くの地下鉄入口へ下りた。

 

このあと、途中下車して1時間ほど、あまり人のいないエリアを散歩して帰宅した。その話は本題とずれるので、この記事はここまで。しかし、都心の人の多さはすごい。たまに丸の内周辺には行くけれど、新宿・渋谷・池袋あたりには近づかないようにしているので、久々に渋谷に来て、やっぱりすごい、やばいと認識を新たにした。地下鉄に乗るまでのルートも、なかなかの混雑だった。みんなどこから来て、どこへ行くのか。本日の歩数13800歩。

 

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クセニア、大事にしてこうぜ 映画『オデュッセイア』

9月6日、IMAX先行上映で鑑賞。この映画は全編をIMAXフィルムカメラで撮影した史上初の長編映画という。

 

ホメロスの原作は昔読んでいる。この映画は原作を忠実に映像化しているところと改変しているところがある。

 

以下、ネタバレあり感想。

 

ノーラン作品というと時系列を前後させた複雑な構成のイメージがあるが、この映画に関しては一本道で、物語自体はかなりわかりやすい。前半は『ロード・オブ・ザ・リング』のような冒険ファンタジー的に展開する。キュクロプス、セイレーン*1、ライストリュゴネ族、スキュラが映像化されたのを見られるのは嬉しい。怪物たちは災厄のような存在であり英雄であっても逃げるしかない。

 

映像が美しく、海上や浜辺のシーンはどれも見入った。嵐のシーンは耳をつんざくような轟音が腹にまで振動して物凄かった。わざわざ遠くの劇場までIMAX上映を見に行った甲斐があったというもの。

 

映画を見る前に、当時の掟「クセニア」についてだけは予備知識として入れておいたほうが理解が深まる、とSNSで見かけた。たしかに知っておいてよかった。この映画のキモはクセニアであるとの印象を自分は受けた。

 

クセニアとは当時のギリシアで共有された掟。素性のわからぬ旅人がやって来たら主人はもてなせ。一方で客は、この掟を悪用して主人にたかってはならない。素性のわからない者同士が安全に行き来するには、こうした相互的な信頼の仕組みが必要だったのだろう。

 

クセニア(xenia)と同根の語に、ギリシア語のクセノス(xenos)がある。クセノスは文脈によって、「客人」「よそ者」「外国人」といった意味をもつ。

クセノス(xenos)=客人・よそ者・外国人

クセニア(xenia)=客人をもてなすこと、客人と主人のあいだの友好・歓待関係

クセニアはギリシア神話の最高神ゼウスとも結びついていた。古代ギリシャでは旅人や客人を保護する神として、ゼウスに Zeus Xenios(ゼウス・クセニオス/客人を守護するゼウス) という称号があった。そのためクセニアを破ることは単なるマナー違反ではなく宗教的な罪でもあった。

日本でいう「おもてなし」とは少しニュアンスが違う。クセニアは主人による歓待とともに客の側にも倫理を求めている。

 

トロイの木馬作戦という相手の信頼を利用して戦争を勝利に導いたこの映画のオデュッセウスは、クセニアの精神とは対極にいる。だから彼の宮殿に、不在をいいことに求婚者たちが押しかけて財産を食い潰すのは因果応報なのだ。キュクロプス、ライストリュゴネ族、キルケ、カリュプソ、どれも他者の領域をオデュッセウス一行が訪れる挿話。一行は時に攻撃され、時にもてなされる。

 

俺がこの映画でとくに印象に残ったのはアテナの正体と、シノンに対するオデュッセウスの仕打ち。

 

アテナについては序盤の浜辺のシーンで、カリュプソには見えていないのが引っかかった。なぜ女神なのに彼女にはアテナが見えないのか。その謎は終盤で明かされる。アテナと思っていた女性はアテナではなく、戦場で「狩り」の犠牲になったトロイア市民だった。彼女が目の前で殺されるのと、アテナ像の首が落とされる瞬間が重なったためにオデュッセウスの記憶が混線し、彼女をずっとアテナと思い込んでいたのだ。

 

シノンはトロイの木馬作戦の犠牲者。オデュッセウスは露呈するのを恐れ、彼に作戦の真実を伝えていなかった。シノンはその結果死に、木馬はアテナへの捧げ物としてトロイア市内に運ばれる。これが戦争の勝利につながった。しかしシノンは冥府で今もオデュッセウスを恨んでいる。彼自身はオデュッセウスのために死ぬ覚悟で戦争に参加した。それなのにオデュッセウスは彼を信じなかったからだ。信頼に対して誠実に応えなかった。

 

アテナやシノンの存在は、クセニアも含めて、人は他者に対してどう振る舞うべきか、という問いを提出している。シノンを騙して利用する。木馬でトロイア人の信頼を悪用する。敵国の女を狩る。その罪悪感を抱えて漂流する。今度は自分自身が「異邦人=xenos」として他人の歓待に頼らなければ生きられなくなる。帰国すると、求婚者たちは逆に「客」の立場を悪用して自分の家を食い潰している。

 

オデュッセウスがすべてのケジメをつけたあと王位を捨てて死者を弔う旅に出る、というのは原作の大胆な改変。しかし、この映画を見たらホメロスもこの結末に納得するのではないかな。トロイア戦争後の10年はクセニアの精神に違反したことを後悔しながらの放浪だった。ようやく帰還した彼は、今度は贖罪のため再び旅に出る。

 

なぜ今ノーランが2700年前の叙事詩を映画化したのか、最初はよくわからなかった。しかし、クセニアという言葉について調べ、その同じxenosから、昨今耳にするようになった次の言葉も生まれたと知ると、この古い物語が現代的に見えてきた。

ゼノフォビア(xenophobia)=外国人・異質なものへの恐怖・嫌悪

ゼノフォビアを思わせる場面はこの映画の中にもある。ペネロペは「海の民」が侵略してきてイタカが滅ぼされるのを恐れている。そして物乞いに変装してやってきたオデュッセウスに対して「あなたが海の民か」と尋ねる。オデュッセウスは「そうだ」と答える。

 

外国人や異質なものをどう受け入れるかが各地で問題になっている今、見知らぬ者同士が互いに礼を尽くすというクセニアの精神は、2700年経った今でも古びるどころかむしろ身近になっているように思える。

 

でもまあ世の中には、こっちが親切にしてやると下手に出たと思い込んで、途端に尊大になる奴ってのがいるんだよね。敬語で話すと下に見てタメ口になったり、好意につけ込んで利用しようとしてきたり。庇を貸して母屋を取られるなんて諺もある。俺は礼儀に対しては礼儀で返すのが筋だと思うので、そういう目に遭うと、この手の輩とはわかり合えねえなって思ってしまう。現代であっても、クセニア、大事にしてこうぜ。

 

 

 

 

*1:ぼんやりとしか映らないが

独身中年、山寺に参る

去年利用したJR東日本のどこかにビューーン! を今年も利用した。JRE BANKの特典クーポンのおかげで通常なら6000ポイント消費するところ4000ポイントで済んだ。

 

候補地ガチャを何度かやり直して上越妙高、山形、二戸、新潟が出たところで申し込んだ。結果は山形だった。初めての土地。今回の旅程は一泊二日。

 

平日有給。11時過ぎの大宮発つばさに乗車。

車内ではずっとN'toを聴きながら伊藤計劃『虐殺器官』を読んでいた。奇しくもこの日は9月11日。新幹線は読書が捗る。


www.youtube.com

 

14時前、山形駅に到着。

 

東口へ。生憎の空模様。

 

山交センターへ行き、ご当地交通系ICカードのヤマコウチェリカを購入。

 

だいぶ昼を過ぎてしまったがまずは腹ごしらえ。バスには乗らず徒歩で目的地へ向かう。

 

道路も歩道も広い。土地あるなあ…という感じ。途中から小雨がぱらついてきたので傘を差した。すぐに止んだ。

 

20分ほどで到着。栄屋本店。冷やしラーメン発祥のお店だそう。

 

もちろん冷やしラーメンを注文。1050円。氷が入っている。歩いてきて火照った体によく効いた。スープは甘しょっぱく、麺のコシは柔らかく…もう食レポはやめたほうがいい…美味でした! もやしがたっぷり入っているのも嬉しかった。

 

ホテルのチェックインは16時からなのでまだ時間が早かった。とはいえすぐ近くなので一旦訪問して荷物だけ預ける。身軽になって再び街歩き。コーヒーが飲みたくて、何軒か通りかかった喫茶店を覗いたんだけど(カフェというより喫茶店という佇まい)、どこも地元の常連客の集会所みたいな感じで一見客には入りづらく、勇を鼓して入ったところで俺みたいな内向的な人間はリラックスできないだろう…コーヒーを飲む=リラックスしたいであり、ただ席に座ってコーヒーが飲めればいいってもんじゃないんだ*1…などと考えながらさまよううち、隈研吾的巨大空間に遭遇。

 

なんだこれは。どうも山形銀行のフリースペースらしい。ここにキッチンカーのようなお店があってコーヒーを売っていた。なので購入し、テーブルに座って一休み。俺は屋内より屋外の広々した空間を好むので*2、もろに俺好みなこの空間でコーヒーが飲めるのはツイていた。ちなみに隈研吾は無関係です。ウッド調のルーバーが連なっているから俺が勝手にそう思っただけ。

 

平日の午後とはいえ、俺以外にはたまに何人かが座るくらいで、その人たちも俺より先に移動してしまい、基本的にはガラガラ。座っていてもいいのか不安になるレベル。傍目には不審者かもしれない。ChatGPTによるとここ七日町周辺は山形駅前と並んで市の中心的な商業エリアだが、車の往来こそあれ歩いている人の数は決して多くはない。寂しいともいえるが人混みが嫌いな俺には天国のように快適である。

 

この大きなビルも現在は営業していないっぽい。往時を偲ばせる。

 

周辺をぶらぶらしていたらチェックイン時間になったので向かう。ステイイン七日町。駅周辺ではなくなぜ駅から離れた七日町に宿をとったのか…その理由はいずれまた別の記事に書くつもり。

 

だらだらしていたらいい時間になった。腹が減ったので食いに出る。

 

途中、いい感じの路地を発見。

 

空がこんなだった。

 

ひたすら続く板塀。お寺さんがやたらと多い。ChatGPTに聞くと「山形城下では、城下町の外縁部などに寺院が集められ、現在の七日町から東側・北東側にかけても寺院がかなり残っています」とのこと。

 

到着。郷土料理あげつま。山形の夜、何を食べたらいいのかわからず、かといって酒を飲む気もないので飲み屋にも入れず、じゃあ久々に鰻でも食うか、となって選んだ。こういうお店あるあるだが、金曜なので宴会っぽい集まりをやっているようだった。一方で個人客の方は少なく、静かだった。よさげな中庭があったが暗くてよく見えなかったのが残念。

 

鰻重どーん。いやあ、鰻も高くなりましたね。一切れでも5000円。一切れ半はないとご飯が見えちゃう。ご飯が見えてるとテンションちょっと下がりますね。とはいえ予算には限りがある。10年くらい前なら、もちろん店によるが、3000円で一切れ半の鰻重が食べられたんじゃないか。

 

ワシントン条約…持続可能性…今や鰻を食うことは一つの政治的態度(笑)だ。某衣料メーカーの服を着るかどうか、某外食チェーンの米を食うかどうか、某通販サイトを利用するかどうか…日常生活にも政治がつきまとう。鬱陶しい。俺は食いたいもんを食うぜ。

 

高校生のころ、鰻料理屋で2年間バイトしていた経験があるので鰻にはうるさい。埼玉は鰻の名店も多い。その俺からするとこの鰻重は、美味、しかし埼玉のあの店やこの店の方が俺の好み、というところ。タレにちょっと酸味が効いていたのが珍しくて面白かった…おっと、もう食レポはやめたほうがいい。

 

ほぼ野菜を食べていない一日だったので、コンビニに寄ってグリーンスムージーなどを買ってホテルに戻る。ベッドに横になってスマホをいじっていたら疲れていたらしく寝落ちしてしまった。この日の歩数10600歩。

 

 

2日目。5時起床。天気予報では一日曇り。雨の心配はなさそう。

シャワーを浴びてさっぱりする。ホテルの無料朝食を食べに食堂へ。

意識して野菜メニューを多めにとる。コーヒーを部屋に持ち帰れるサービスがありがたかった。

8時少し前チェックアウト。山形駅へ向かう。

 

途中で見かけたバス停。いい感じ。

 

山交ビルの威容に圧倒される。

 

駅前のコインロッカーに荷物を預け、身軽になって仙台行きの仙山線に乗車。

 

20分ほどで山寺駅に到着。乗客の半数くらいがここで降りた。

 

素敵な駅舎。

 

素敵なホテル。現在は営業していない。

 

目指す目的地の方向はわかっていないがみんなについていけば着くだろうという安易な気持ちで歩いていく。

 

目的地、立石寺に到着。松尾芭蕉が「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだお寺。

 

ずんずん歩く。

 

まずはお参り。

 

芭蕉像。「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」の句は日本文学の最高峰だと思う。

 

この先に登山口がある。入山料500円。

奥の院までは石段1015段の道のり。

靴は履き慣れたスニーカーで十分。暑い時期は念のため水分を持って行った方がいい。俺は水の入った小型のペットボトルを携帯していった。

 

せみ塚。

 

ここはベンチがあるので少し休める。ここまで来るだけでも結構心肺に負担がかかる道のり。無理せず自分のペースで、水分をとりながら進みましょう。

 

私は健脚なのでずんずん進みます。ブルーワークで毎日8000歩は歩いているので鍛えられている。もっとも、筋肉は裏切らないんですよ。裏切るのは関節です。

 

山門を潜る。

 

開山堂と納経堂。

 

写真の右側、先に続く石段が見える。そちらへ向かう。

 

こんな狭い通路を通った先に…

 

五大堂からの眺望。

 

だいぶ登った感があるが、標高415メートル。山寺駅周辺が標高約250メートルなので標高差は160メートル程度。断崖の上なので数字以上に高くまで来た気がする。ミンミンゼミの鳴き声が賑やか。5分かそこら誰も来ず、この場所を独占できたのはよかった。

 

さらに奥の院まで足を伸ばしたところ、団体のアジア系インバウンドに遭遇。昨日山形市内では見かけなかったので不意をつかれた。セミ以上に賑やかで、これじゃあ岩にしみ入るナントカ語だなあ…と内心で苦笑。

 

岩壁の中腹にあるのが釈迦堂。

 

さらっとすごいことが書いてある。

 

このお堂の中にいた…

 

この像の笑顔が怖かった。

 

というわけで下山。途中登り客とだいぶすれ違った。そろそろ人出が多くなる時間帯だったのだろう。早めに来て、人がいないうちに雰囲気を満喫できたので満足。やはり旅先では朝早い行動がよい。とくに休日。10時を過ぎるとどこも混む。

 

山寺駅到着が8:40で、戻ってきたのが9:50だから70分の滞在だった。所要2時間程度を見込んでいたがだいぶ短く済んだ。まあ繰り返すが俺は健脚なので。仙山線は1時間に1本程度の運行なので行く際は時刻表を確認したい。

 

10:13の電車に乗って山形駅へ戻る。車中で急に足がだるくなってくる。時間差で疲労がきたようだ。いくら健脚といってももうアラフィフ。関節と心肺が衰えている。いつまでも若いつもりでいちゃあだめよ。調子に乗ってるといきなりぶっ倒れて死ぬよ。駅のベンチに座って少し休憩。

 

エスパル内の三津屋で冷やし肉蕎麦を食べる。疲れた体に冷えた蕎麦がありがたい。セットで付いてきた揚げ餅が旨くて声が出そうになった。

 

帰りの新幹線は17時。まだだいぶ時間がある。旅先で、エアコンの効いた環境下で座って時間を潰すには映画館が一番。というわけでフォーラム山形へ。外壁塗装か何かやっている様子で入り口がわかりづらくて戸惑った。是枝監督の『ルックバック』を見る。藤本タツキは山形市にある東北芸術工科大学の出身で、映画の事件が起きるのもこの大学*3。ロケ地の映画館で地元の人たちに混ざって映画を見るってのも乙なもんでしょう。

www.city.yamagata-yamagata.lg.jp

 

映画の感想は、佳作、といったところでしょうか。是枝監督らしい、『海街diary』を思い出させる抒情的なショットの数々が素敵だった。一方で、アニメ版ですでに完成している感のあるこの作品を実写でわざわざやる理由は、俺にはちょっと見出せなかった。あと、出口夏希は顔がよすぎる。以上、そんなとこ。

 

映画館を出たあとはモスバーガーで一服。そのあと、駅へ戻り、くまざわ書店に寄り、お土産を買い、30分前には構内に入って新幹線の発車時刻まで待機した。この日の歩数15600歩。

 

当初の予定としては、山形県立博物館で縄文の女神と去年の国府多賀城以来の再会をしたり、どんどん焼きや芋煮を食べたいとも思っていたが、なかなか全部は難しい。あと一日あればレンタカーでかもすいに行くのもありだった。消化不良の感もあるが、ご当地交通系ICカードを買い、冷やしラーメンと冷やし蕎麦と鰻重を食い、立石寺に行き、ロケ地の映画館で映画も見られたので、初来訪の一泊二日旅行としては十分だろう。心残りはまた次来たときにすればいい。雨にほとんど降られなかったのは運がよかった。日頃の行いの賜物だ。

 

山形、いいところだったぜ。楽しかったぜ。また来るぜ。今度は米沢牛を食べてみたいな。

 

 

 

 

 

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*1:そう考えると全国規模で均一化されたチェーン店は偉大だ

*2:風呂は内湯よりも露天を好む

*3:大学名は架空

心の中という迷路をさまよう 映画『バックルームズ』

ひと気のないショッピングモール、映画館、駅、空港など、リミナルスペースと呼ばれる空間は、それを見る者に寂しさ、懐かしさ、不安、そして恐怖心を喚起する。自分が直接経験したことのない時代や場所に対して抱く郷愁を、作家ジョン・ケーニグは「アネモイア」と名づけた。芸術作品を例に挙げれば、デ・キリコの描いた「通りの神秘と憂愁」を見たときに覚える感情のようなもの。

 

バックルームズはリミナルスペースという概念をホラー化したもの、と自分は解釈している。ノークリップ(壁抜け)して迷い込むと、そこには「古い湿ったカーペットの悪臭、狂気じみた一面の黄色、蛍光灯が唸り続ける終わりのない背景音だけの、6億平方マイルに及ぶ無作為に区切られた無人空間*1」が広がっている。始まりは英語圏の匿名掲示板サイト4chanに投稿された一枚の画像だった。それは瞬く間に拡散し、都市伝説になった。

 

この都市伝説に魅せられた当時17歳のケイン・パーソンズが2022年にYouTubeに投稿した「The Backrooms (Found Footage)」は、約10分という尺の中にこの空間の魅力が凝縮されていて素晴らしい。現在9400万回以上再生されている。


www.youtube.com

 

そのパーソンズがバックルームズを長編映画化したのが今公開中の『バックルームズ』。俺は、ホラーって切れ味勝負なところがあるから短い尺の方が適しているんじゃないか、長編だとだらだらして恐怖が希釈されてしまうんじゃないか、と思ったんだけど、見てみたら杞憂だった。しっかり怖かったので満足した。

 

以下、ネタバレあり感想。

 

この映画には二人の主人公がいる。家具店経営者のクラークと、彼のカウンセリングをしているセラピストのメアリー。クラークは人生に挫折した孤独な中年男で、アルコールに依存しており、怒りを抱えて生きている。彼は偶然、自分の家具店からバックルームズへ通じる扉を発見して迷い込む。スタッフも巻き込んで探索する。その過程で、やがてその部屋が自分の内面を反映した空間であることが判明する。MRI製造会社がこの空間の調査をしているのは象徴的だ。

 

クラークのセラピーを担当しているメアリーも幼いころに母親から虐待されており、現在も傷が癒えていない。彼女もまたバックルームズへと迷い込み、つらい過去が取り込まれることで、バックルームズは変質・増殖していく。

 

未知の空間、追ってくる謎の生命体、そうしたものももちろん怖いんだけど、もっとも怖いのは、バックルームズが自身の内面だと知って安らぎを覚えたクラークが、現実に帰還するのを拒み、留まろうとするところ。彼もまた、目や顔がいくつもあるような化け物たちと同じくこの空間の住人になってしまう。恐ろしかった場所に居心地のよさを覚えている。

 

なぜこんな空間が生まれたのか? この映画最大の謎が言葉で説明されてしまったら興醒めだな〜、と思いながら見ていたが、最後までされなかったので安堵した。主観映像と客観映像の使い分けがうまく、昔のホームビデオ的な不鮮明な画質が恐怖を引き立てる。この画質を違和感なく用いるために1990年を舞台にしたのかな、と思ったのだけれど*2、町山智浩さんの解説動画によると別の見方ができるようだ。


www.youtube.com

90年代のサンタ・クララ・バレーが舞台であることに意味がある。この解説動画を見たらもう一度映画が見たくなった。

 

以下、印象的だったシーン。

クラークが海賊に扮してケーブルテレビで流すCMをスタッフと撮影するシーン。日本とは違う文化を見るようで楽しかった。ちょっと滑ってるところがまたいい味を出している。

 笑っちゃったのが、クラークがブレーカーボックスを開けたら下の方にピンク色(だった気がするが忘れた)のブレーカーが斜めに取り付けられているのを見つけたシーン。なんであんな適当なんだ。普通はバレないようにもっともらしく擬態するもんじゃないのか。バックルームズにも電気代がかかるんだな、とそこはリアルなのが面白かった。

 

 

映画がとてもよかったのでパンフレットを購入。ついでにユナイテッド・シネマの会員カードを期間限定の『バックルームズ』デザインに変更した(切り替え手数料300円)。この写真はHEISEI-VHSで加工している。

 

 

 

リミナルスペース

リミナルスペース

  • 作者:ALT236
  • フィルムアート社
Amazon

 

 

*1:Alt236『リミナルスペース』フィルムアート社、109頁

*2:心の問題が物語の重要な要素になっているのも90年代っぽい

その凝視、やめてもらっていいですか

昨日、仕事終わりに買い物しようとショッピングモールに寄った。

2階の駐車場に車を停めて、エスカレーターで1階へ移動した。

移動中って、なんとなく前方を見るでしょ? そうしたら1階を歩いている男がこっちを見上げて、じっと見てくるわけ。なんだ、こいつ? なんで見上げた? と思って俺も視線を合わせると、逸らすでもなくそのまま。変なやつ、と思ってそっぽ向いた。そいつはエスカレーターそばにあるトイレに入って行った。俺もトイレに行きたかったんだけど、あいつと鉢合わせるタイミングで入りたくないな、と思ってスルーした。

 

腹が減っていたので買い物の前にフードコートに寄ってハンバーガーを注文した。

平日夕方のショッピングモールのフードコート、雨の影響か空いていた。テーブルにトレイを置いて、席に座って、何気なく前を見たら…。少し離れた席に座った、もちろんさっきとは違う男が、まーたこっちを見てるわけ。しかも食事しながら。さすがに立て続けだから不快さが募って、こっちも見返したら、麺を啜りながらまだ視線を逸らさないから気持ち悪くなってこっちから逸らした。俺は気が弱いから、こういうときいつも自分から視線を逸らしてしまう。

 

気分悪くて、ハンバーガーやポテトが味気なくなった。仕事中ずっと、定時後に食べるのを楽しみにしてたのに。

 

赤の他人から視線を向けられるのってなぜ不愉快なんだろう?

ChatGPTに「他人から見られることの不快さ、居心地の悪さって何に由来してる?」と質問するとこんな返事。

大きいのは、視線が単なる視覚情報ではなく、社会的なシグナルだからです。人間にとって「こちらを見ている」は、「自分が相手の注意の対象になっている」という意味を持ちます。だから視線を感じると、「なぜ見ている?」「何か変なのか?」「敵意?」「興味?」と、相手の意図を無意識に推測します。

そして理由が分からない凝視ほど気持ち悪い。友人がこちらを見ているなら理由を推測できますが、赤の他人だと情報がない。「何を考えているのか分からないのに、自分だけは観察されている」という非対称性が生まれます。

もう一つ重要なのが、パーソナルスペースへの侵入に近い感覚です。身体的には離れていても、凝視は心理的な距離を一方的に詰めてくる。こちらは交流を許可していないのに、相手から注意を向け続けられている。だから「こっちに入ってくるな」という感覚が起こりやすい。

 

いや、「見られている」と感じるにはこちらが相手を見ている必要がある、相手からしたらお前が見たから見返したんだろ、なに自意識過剰になって被害妄想募らせて他責してんだよ、と言われそうだけれど、そうじゃないんだよ。俺は他人、ましてや男になんて何の興味もないんだから好き好んで見たりしないよ。エスカレーターもフードコートも、ほんとに何気なく前を向いたら目が合ったんだよ。

…何にせよ麺を啜りながら見てくるのはさすがにちょっとユニーク過ぎると思う。

 

相手に敵意はない。

見てるようでぼんやりしていて見ていない。

視線が合っているようで合っていない。

そうだったのかもしれない。ただ、俺にはそう体感できなかったのでお気持ちとしてここに残しておく。

 

昔、趣味でラーメン屋巡りをしていた頃、「地元で愛されている中華料理屋」的佇まいの店に入ったら、「いらっしゃい」とも言われず、カウンターに座っている複数の常連っぽい男性客たちから一斉に見られたのも居心地が悪かったなあ…。10年以上も前のことなのに、あの居心地の悪さは未だ鮮烈に記憶に残っている。入るのやめて帰ろうかと思った。ラーメンの味は覚えていない。

 

視線って暴力性を孕んでいないか。ChatGPTが言うところの「パーソナルスペースへの侵入」。

 

「見られること」の不快さというと即座に連想する映画がある。『羊たちの沈黙』だ。

 

あの映画ではクラリスはFBIという男社会で、ある種の「好奇の対象」としてことあるごとに男たちの視線に晒される。トレーニング中、エレベーター、保安官事務所。小柄なクラリスが屈強な男たちに囲まれるエレベーターのシーンは、俺には性暴力すら連想させ、見るたび不快感と恐怖を覚える。

ショットも人物を真正面から捉えたものが多い。上司も、刑務所長も、レクター博士も、まっすぐにクラリス=観客を見てくる。男たちの視線に晒されるとはどういう気分になるものか、観客にクラリスを疑似体験させる構造になっている。

 

あの映画を見たあとでは、視線の暴力性に無自覚ではいられない。悪気はなくても他人をジロジロ見る癖のある人は、できれば直した方がいいと思います。とくに男性の場合、威圧感があるので。もっとも、直らないから癖なんでしょうけど。

 

こういうのとかマジで怖いしキモいから。

 

以上、しょうもないぼやきでした。

 

…まったく、どうせ凝視されるなら男じゃなくて美女にされたいぜ。見つめ合いたいぜ。

 

 

 

 

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夏の終わり、午前零時のサービスエリア

ふと行きたくなり、遅番終わりに高坂SAへ向かった。

 

同じことをしたのが3年前。もう3年も経つのか。

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このときと今では車が違う。今の車は今年初車検だから、購入して3年。この3年間、一度も遅番終わりに深夜のSAへ行かなかったのをわれながら意外に思う。

 

23時近く、金曜だからか、まだ車は路上をそれなりに走っている。 ラブホテルの前を通り過ぎ、インターから関越に入る。淡いオレンジに灯った照明が等間隔に並ぶ三車線の一番左を行き、80キロまで加速させる。もう少しスピードを出したっていい。でも速度を上げれば上げただけ目的地に早く着いてしまう。そこへ到着するのが目的だけれど、そこへ行くまでの過程も目的といえばそうなんだから急がなくていい。

金曜の夜、サービスエリアで - 生存記録

3年前と違い、照明がオレンジではなく白色だった。

そして前回は車をもうすぐ手放すという感傷があった。今回はない。

 

アクセルを踏み込み加速したら、ボタンを押してオートクルーズに設定する。平日深夜、関越下り車線を走る車は少ない。頭をヘッドレストに預けて、足をペダルから離す。姿勢を楽にする。カーステレオからORIGINAL LOVEの「朝日のあたる道」が流れる。


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目的地にはすぐ到着してしまった。駐車場は空いていた。

肉体労働のあとで空腹だった。高坂SAは下りと上りを徒歩で移動できる。上りにある道なか食堂げんきへ向かった。

 

24時間営業がありがたい。少し迷った末、白湯つけめんを選択。1500円と安くはない。券売機で発券すると同時にオーダーが厨房に行き、表示板に番号が出る。閑散としたフードコートで水を飲みながら自分の番号が呼ばれるのを待つ。

 

これ、すごい旨かった。俺が鶏白湯が好きなのもあると思うけど、今ってSAでこんなに旨いものが食べられるのか、と感動。たまに行くあの個人店よりいいじゃんと思いながらつけ、啜り、飲んだ。薬味のゆずがありがたかった。ゆずが好きなので。

食レポ的なことは書かない。俺はもう、食レポはしない。そう自分と約束したんだ。

 

満足。麺は大盛りにもできたんだろうか? できたのならそうしてもよかった。今度確認しよう。

 

寒くなったころまた来て、温かいラーメンを注文するのもよさそう。深夜のSAのひと気のないフードコートで麺を啜ることの幸福。

 

お土産コーナーをぶらついたのち、自販機でコーヒーを購入する。

 

SAやPAの、ずらりと並んだ自販機が好きだ。ふだん滅多に自販機で飲料を買うことはない俺でも買いたくなる不思議な魅力がある。淹れ終わると扉が自動で開き、取り出すと自動で閉まる。健気さがグッとくる。

 

外のテーブル席に座る。俺のほかには若い男性3人組がいるだけだった。カフェオレを飲みながら雨上がりの風景をぼんやり眺める。まだ8月が終わったばかりだが夜はだいぶ涼しい。今年の夏は例年に比べて猛暑日が少なく、その一方で雨の日が多かった印象がある。線状降水帯の発生により千葉や石川、富山で大きな被害が生じた。熊本では地震もあった。

 

想像(妄想?)の世界ではロマンと感傷の季節かもしれないが、現実の夏は俺の中で災害の印象が年ごとに強まっている。

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ぐずついた天気の日がだらだら続くうちに秋へと変わるのだろう。空気にはすでにその気配が漂う。8月は去り、夏が終わる。

 

SAやPAは基本的に中継地点だ。そこを目的地にするのではなく移動の途中で立ち寄る場所。ここにいる人たちはこれからどこへ向かうのだろう。長い一日を終えて帰る人、仕事中の人、元気な若者グループ、眠そうな家族連れ。駅もそうだけど、大勢が集まり、束の間居合わせ、またすぐに散っていく、そういう場所が子供の頃から好きだった。

 

午前零時。SAを目的地にしてきた俺は、どこかから帰ってきたわけでもこのあとどこかへ行くわけでもなく、ただここにいる。夜風が気持ちいい。

 

スマホをいじっていると、現在臨時休業中の足摺海底館が営業終了するというニュースが目に入った。

ショック。panpanya作品の聖地としてそのうち巡礼に行こうと思っていたのに。

何事にも永遠は約束されていないから、行きたいところへは行けるうちに早く行っておいた方がいい、そう気持ちを新たにした。

 

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座っていると、館内から来たスタッフが乱れた椅子を整えて去っていった。目立たないけれど、深夜でもこんなふうに働いている人たちがいるから気持ちよく施設を使うことができる。

 

カフェオレを飲み干し、立ち上がる。座っていたテーブル席の椅子4客を引いて整えてから立ち去る。

 

来たときは気づかなかったがコールドストーンの自販機があった。今はなき池袋のサンシャインシティのお店で一度注文したことがある。若い女性スタッフが歌いながらアイスを盛ってくれるユニークなお店だった。興味をそそられたがすでにクリームパンを買ってしまっていたのでやめておいた。次来たときにしよう。…次来たときにまだあってくれるだろうか?

 

急がないので帰りは下道を利用した。SAまで出かけて一息つき、深夜の空いている道路を時間をかけて走っていると、脳がクールダウンして仕事モードから私生活モードへと切り替わっていくのを感じる。通勤時間は短い方がいいと思いがちだけれど、あまり職場と家が近いとクールダウンできず切り替えがうまくいかないんじゃないだろうか。俺は家と職場が車で15分程度の距離だが、まっすぐ帰宅するとまだ職場を引きずっているのを感じる。まあ今回に関しては、深夜の高速道路を走る、SAで旨いつけ麺を食う、空いている道路を好きな音楽を聴きながら運転する、という複数の非日常感が重なったせいかもしれないが、そんなことを思った。

 

帰宅してお土産に買った、高坂SA限定のダブルクリームパンを食べた。旨し。つけ麺とクリームパン…ギルティだ。

 

 

その転売、儲かってるの?

先日、まどマギの新作映画を見てきた。

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公開週の日曜なら余裕で特典もらえるっしょ、と思っていたら色紙もカードももらえませんでした。

THEATER|『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』公式サイト | 2026年8月28日(金)公開

べつになくてもいいんだけど、もらえたら記念にはなった。

 

『叛逆』のときは余裕で色紙がもらえた記憶がある。フィルムももらった。13年前なので記憶が曖昧だが、たしか映画館で2回見て、2回とも特典はもらっているはず。色紙もフィルムも見つからないがどこ行ったんだろう?

THEATER | 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語

 

特典、どうせ転売されてるんだろうなあ、とメルカリを開いたら案の定。2000円とかで出品されている。手数料や送料を引いたらギリギリ映画代が賄えるくらいか。無料で映画が見られたと思えば、まどマギに思い入れがないなら悪くないかもしれない。

 

こういうグッズも出ている。

このボックスも出品されている。ざっと見てみたところ7000円くらいが相場のよう。しかし原価が4500円もするんじゃ、7000円で売ったって儲けはほとんどないだろう。メルカリなら手数料で700円引かれ、立体だから送料もそれなりにするはず。そこまで引いたら儲けは1000円あるかないかくらいじゃないか。無料でもらえる特典じゃない。わざわざ購入して出品しているのだから、はじめから転売目的だろう。列に並んで買い、荷物を持って帰り、出品して売れたら発送する労力を、時給換算で考えたら割に合わない。しかも売れたらまだいい方、売れずに在庫を抱えるリスクもある。

 

7月には付録のカードめあてでジャンプの買い占めが話題になった。

先日、はてブを見ていたらサンライズのシャワーカード転売のエントリが上がっていた。

後者に関してはメルカリにはほとんど出品されていないので針小棒大に騒いでいる感もあるが……。

以下、両エントリにつけた俺のブコメ。

『ジャンプ』売切続出、読者は怒りと嘆き 『アオのハコ』最終回の記念号買えず…原因は付録が転売ヤーの標的

こんな流通するものに躍起になるなんて転売ヤー自体もインフルエンサーみたいのに唆されてる情弱なんじゃないか。自分じゃ目利きできずSNSや情報商材を鵜呑みにして結果騙されてる、みたいな。

2026/07/14 11:51

 

「モラルがない」寝台特急サンライズで“転売ヤー”に異例の警告 カードが7倍超、JR西日本「法的措置」も

当日しか使えなくするか、乗車券と引き換えで一枚売るようにすればいい。しかし転売する方も、利益なんてほとんどないだろうによくやるわ。転売行為にかける時間タイミーした方がマシじゃないか。

2026/08/29 20:21

 

感じ悪いか? まあ仕方ない。性格が歪んだ人間なので。

 

少し前まで、転売というとゲーム機や限定スニーカーや洋酒などのイメージがあった。最近はおまけや無料でもらえる特典がよく対象になっている気がする。

 

俺の勝手な想像なんだけど、早い時期から転売をやっていた人たちはとっくに現場仕事を卒業してしまって、情報を売る側に回ってるんじゃないだろうか。今ってYouTubeとかSNSを使って情報商材を売れるし、買う人もいるでしょう。LINEグループみたいなクローズドな場に誘導して、適当に次に来る儲かりそうなものの情報を売り、それを有料で買った人たちは真に受けて買い占めに走る。転売商品の単価が下がってきてるのってそういう背景があるんじゃないだろうか。

 

俺が上のブコメで言ってる情弱っていうのは、買った情報の妥当性を自分の頭で検証せず鵜呑みにしてるんじゃないか、という意味。楽して稼ぎたいという気持ちを利用されてないか? ちゃんと需給バランスや手数料や送料を考えて、その上で時給換算して割がいいと判断してやってるのか? まどマギのポップコーンボックスといい、ジャンプの付録カードといい。ジャンプの付録カードなんて大量に出回るに決まってるんだから儲かるはずないって気づきそうなもんだけど。

 

あるいは、今の時代スマホがあれば容易に物を売れるから、遊び半分の軽い気持ちで転売をやる人が増えた、「転売の大衆化」みたいな現象が起きているのかもしれない。

 

転売を助長しているからメルカリは悪だと一方的に決めつける言説に俺は与しない。メルカリに問題がないとは思わないけれど、本来はフリマって不用品を、捨てるくらいなら安値でも欲しい人に売るって場であり、プラットフォームを不用品販売ではなく転売に利用する人が目立っている現状は、ユーザー側の使い方の問題でもあると思うので。

 

日本が貧しくなってきてるのかな。それに伴いモラルも低下してるのかな。そう思う一方、いや、昭和にメルカリがあったら今と同じことが当時も起きてたんじゃないか、とも思う。この点についての判断は保留したい。

 

大勢が同じような情報を元にしていたら競合は増える一方で利益は上がらず、お店やファンに迷惑をかけたりトラブルになったりで、個人が本業として転売を続けていくのはなかなか茨の道、ジリ貧だなと思う。結局、上のブコメに書いたように、金を稼ぎたいんだったら同じ時間タイミーで働いた方が気楽だし効率いいんじゃないの。一人で転売やるのに比べて、人間関係とか時間とか規則とかいろいろ面倒くさいことはあったとしても。

 

100万円分のオルカンを保有していれば、0.1%のプラスでも1000円になる。ポップコーンボックス転売とほぼ同額の利益が何もしなくても生まれる(もちろんマイナスになる場合もある)。逆に言えば、オルカン100万円分で転売をしなくても済む。そう考えると、資産を持つことの強さが残酷なほど明らかになる。

 

 

この記事を書いていたら、ちょうど内容と合いそうな本を見つけたのでKindle版を購入した。これから読んでみる。

 

 

 

2009年の時点でブックオフせどりはオワコンと言われていた。

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