稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』を読んだ

 

 

年齢が若い人ほど倍速視聴をしている(経験している率が高い)、と去年はてブで初めて知った。本書の著者の記事だった。

 

gendai.media

 

記事は動画配信サービスに再生速度調整機能が実装され、それを利用して映画を早送りしながら見る、あるいは無許可で映画の内容を数分にまとめた「ファスト映画」を視聴して肝心の映画そのものは見ずに満足する、そういう人たちが増えている、その背景は何か、みたいな内容だった。本書は上の記事をさらに掘り下げたもの。

 

なぜ映画(ドラマでもアニメでも)を早送りする人が増えたのか。「それが可能になったから」という技術的な問題は措くとして、一つ目の理由として動画配信サービスの隆盛がある。かつては見たい映画を自宅で見るにはディスクを買うかレンタルするしかなかった。手間も金もかかった。しかし今は違う。動画配信サービスが、毎月定額料金を払えば一生かかっても見きれないほど大量の映画を自宅に提供してくれるようになった。

ひとつめの背景は、作品が多すぎること。現在の人類は、今までの歴史のなかで、もっとも多くの映像作品を、もっとも安価に視聴できる時代に生きている。

多すぎて見ても見てもきりがない。他に時間を割くべきことも多い。だから手っ取り早く見終わるために倍速で視聴する。ディスクを買うなり借りるなりするなら慎重に吟味する。でもサブスクなら出かける必要はないし何本見ようと定額だから適当に見てつまらなかったら気軽に見るのを止めれられる。かつては映画を見るのはその映画を見たいからだった。でも今は「とりあえず」の時間潰しに映画を見るという選択も可能になった。そのぶん思い入れは弱くなる。映画に向き合う気持ちも多分サブスク以前と以後では変わったのではないだろうか。

彼らは映像作品と呼ばない。「コンテンツ」と呼ぶ。映画やドラマといった映像作品を含むさまざまなメディアの娯楽を「コンテンツ」と総称するようになったのは、いつ頃からだったか。こうなると、「作品を鑑賞する」よりも「コンテンツを消費する」と言ったほうが、 据わりはよくなる。

 

二つ目の理由は何事にも効率を追求する人が増えたから。趣味であろうと時間を無駄にしたくない。時間のコスパという意味でタイパ(タイムパフォーマンス)という語があるらしい。とにかくお得に、手っ取り早く結果を得たい、という心理。

彼らは、「観ておくべき重要作品を、リストにして教えてくれ」と言う。彼らは近道を探す。なぜなら、駄作を観ている時間は彼らにとって無駄だから。無駄な時間をすごすこと、つまり時間コスパが悪いことを、とても恐れているから。 彼らはこれを「タイパが悪い」と形容する。

映画に限らずゲームの攻略とかにも通じる部分がありそう。別にそうまでして見なくてもいいんじゃないの、と自分なんかは思ってしまうのだが、著者によると、倍速視聴している大学生たちの中には「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」、さらに言えば「オタクに憧れている」(マジかよ)人たちが増えているんだとか。ただし彼らは回り道はしたがらない。何千本もの映画を見て、何百回とハズレをつかまされて、金と時間を無駄にしながら少しずつ得たものを蓄積していって自分なりの体系を築いていく、そういうプロセスは「タイパ」が悪すぎるのだ。押井守監督が聞いたらブチ切れそう。

データベースというのは、最近の流行りでいえばビッグデータだけど、ほとんどがクズなんだよ。情報としては使えない情報。でも、クズがあって初めて検索するという行為が成立する。いい物だけ残して、あと全部消してしまったらデータにはならない。データというものは母数が絶対だから。それは映画の体験も同じ。クズを山ほど見ること以外に、映画の本質に近づく方法なんかないんだよ。だから映画の教養主義ってのは、まあ、読書だろうが映画だろうがあらゆる分野でそうなんだけど、僕に言わせればたわごとだよ。数をこなし、パターンを尽くさないことには本質に近づけない。

 

押井守の映画50年50本』

 

そんな結構なリストがあるわけないじゃん。自分で努力して自分のリストを作るしかない。それが映画を見ることの、本を読むことの半ば以上の行為だと言っていい。いまは誰もがその努力を怠るようになってしまった。グルメサイトの高評価を鵜呑みにして料理店に行くようになってしまったのと同じだよ。

 

『映画の正体 続編の法則』

 

そういうオタク志向じゃない普通の若い人たちにしても、LINEやSNSで常時接続されている今、グループで「何々見た?」という話題になるとハブられないように、あるいは円滑にコミュニケーションするために見ないわけにはいかないんだそう。40代の自分が若い頃にもそういう同調圧力はあった(自分が若い頃は選択肢が少なかったから漫画かテレビの話題ばかりだった)。しかし1990年代と2020年代ではその圧力の強さは非にならない。昔なら学校で友だちといる間だけ話題を合わせればよかった。あとは自分の好きに過ごせばいい。でも今は365日24時間つながっている。密すぎる横のつながりが重圧になっている。倍速視聴は彼らなりの生存戦略なのだ。

 

ではなぜ映像作品が共通の話題になるのだろう? 本書でも少し触れられているが、大学生に限っていえば時間と金がないから、と考えられる。バブル期の大学生なら車を買ったり(親に買ってもらったり)、海外旅行に行ったり、スキーに行ったり、いろいろ遊べた。でも今は違う。直近30年間で親から大学新入生への仕送り額は4分の1以下にまで減っているという調査がある。生活のためにアルバイトする学生が増えた。奨学金の返済もある。親世代の頃より出席に厳しい。金も時間もないのだ。そういう人たち同士が共通の話題とするのに、自宅で毎月定額で視聴できる映像作品は都合がいいのだろう。

 

多すぎる作品、同調圧力、時間と金の圧倒的不足、そういう外的要因に加えて、倍速視聴の増加には視聴する側の心理に依存している部分もある。倍速視聴しているという若者へ取材するとこんな答えが。

 Eさんに「 10 秒の沈黙には5秒でも 15 秒でもない、 10 秒の意図が作り手にあるのでは?」と聞いてみたところ、にべもない答えが返ってきた。 「僕が長ったらしいなと感じたということは、作り手の意図が僕に伝わっていなかった、通じていなかった証ですよね? 意図が感じられなければ、飛ばすまでです」

 何が悪いんですか、という顔をされてしまった。

 自分の好きな作品ですら 10 秒飛ばしを多用するというある大学生は、自らの視聴スタイルを「そのコンテンツにおいて必要ない、おもしろくないと感じる部分を、動画編集における〝カット〟の感覚でやっている」と説明した。

 

鬼滅の刃 無限列車編』の感想に書いたけれど、そして自分は普段ほとんどアニメを見ないので他の例はわからないのだけれど、このアニメ、台詞で状況を説明する場面がとても多い。自分みたいなオールドタイプは、言葉での表現なら小説を読むから、映画は映画だけが可能な表現で楽しませてくれ、と思うところがあって、だから鬼滅は正直鬱陶しかった。ではなぜ見ればわかることや観客に好きに想像させればいいことをわざわざ台詞で説明するのかというと、製作委員会で脚本が回し読みされる際、「わかりにくい」という意見が出るからだ。彼らは「観客がわかってくれないんじゃないかって不安」なのだという。見る側が失敗したくないと思っているのと同じように、制作する側も、(興行的に)失敗したくないと思っている。町山智浩さんがたまむすびだかで、最近のハリウッドではオリジナルの企画はリスクが高いからプロデューサーがやりたがらない、だから続編やシリーズ映画ばかりが作られている、みたいな話をしていたが、誰も彼もが失敗を恐れているのだ。観客が幼稚化している、という言葉が本書に出てくるが、その幼稚化を促進したのは提供する側だったのでは、という気になる。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

自分はどうだろう。今はアマゾンプライムとネットフリックスに加入している(ネットフリックスはもう解約したが)。少し前まではネトフリの代わりにU-NEXTに入っていた。たしかに配信がなかった頃と比べると一本一本の映画に対しての思い入れみたいなのは弱くなった。見終わって数日経つと内容を忘れていることも多い(これは加齢によるものかも)。20分見てつまらないと見るのをやめてしまうが、これは最初がつまらなくて後から面白くなる映画なんてないと自分勝手に思っているから。面白い映画は最初から面白い、少なくともつまらなくはない、見ていられる。つまらないと思えば見るのをやめてしまうから早送りしてまで視聴することはない。…と思ったが、あった。『ゲーム・オブ・スローンズ』だ。あのシリーズはジョン・スノウ、デナーリス、ラニスター家の三つのエピソードを主筋として展開する。このうちデナーリスのエピソードがつまらなくて(デナーリスというキャラクターもあまり好きじゃない)その部分になると早送りすることが多かった。ドラゴンの母になって以降だったかな。そこまではちゃんと見ていたのだが、ドラゴンの母以降のデナーリスのパートは早送りしながら気になったシーンだけを等速で視聴した。

 

NetflixYouTubeがどういう意図で再生速度調整機能を付けようと思ったのか知る由もないが、世界的にニーズがあると見たからそうしたのだろうし、それに対して製作者側からクレームが出ているという話も聞かないし、となれば消極的にかもしれないが彼らも容認していると取れるわけで、だからそういう新しい視聴方法(倍速視聴自体はVHSが普及した頃からあったとされるが)の若者たちに対して若者ガーするのはなんか違う…というか、メールには手書きの温かさがない、みたいな難癖と同じく老害しぐさになってしまうだろう。別に理解しようとも思わないが。そういうのもあるんだな〜と思うだけで。でも、『ゲースロ』はそのボリュームから例外だったが、基本的に自分は倍速視聴はしないと思う。するくらいなら見るのをやめる。それは製作者へのリスペクトとか映画ファンの矜持とかではなく、単純に生理的に受け付けないから。でも将来もそうとは言い切れない。いつからか本を飛ばし読みするようになったし、映画に対してもいずれそうなるかもしれない。

 

本書は中立的に倍速視聴する若い人たちについて書いている。この記事には書ききれなかったが(面倒くさいので)面白い視座や意見が多数紹介されていて最初から最後まで楽しく読めた。

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

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