男性の孤独について考える① 『男はなぜ孤独死するのか』を読んだ

 

 

前から思ってるんだが孤独死という言葉はネガティブイメージが強すぎる気がする。なんたって「孤独」と「死」の組み合わせだからな。もう少しマイルドに単独死じゃだめか。いや、死ぬときはみな一人なんだから単独死は当たり前でおかしいか。では単身死ではどうか。恐怖を煽るような強い言葉の方が反応が得られるからそうしてるのかな。

 

この本、タイトルは孤独死を謳っているけれど内容としてはその前提となる孤独について、なぜ女性より男性が陥ってしまうのかをデータや著者の医師としての知見から述べている。友だち0人の独身中年、まったく他人事じゃない。当事者として本書の指摘はまっとうであると感じた。ただし後半で示される孤独に陥らないための対策には疑問あり。

 

一般的に女性より男性の方が孤独であるという。

いや子供の頃は差がない。男の子はそばにいる子やクラスメイトと簡単に友だちになれる。しかし男性のその友情は大概長く続かない。なぜか。主な理由は三つある。

・成長するにつれ男性は友情の維持に必要な努力を怠るようになる。

・「男らしく」自立することを求められる。あるいはその価値観を内面化してしまう。

・社会的地位や金にこだわるようになる。

一つずつ見ていく。

 

・成長するにつれ男性は友情の維持に必要な努力を怠るようになる。

男性の人生のメインは就労、仕事である。一日の大半を職場で過ごす。職場では基本的に働いているだけで最低限の人間関係は築ける。同僚や部下や上司と会話したり飲み会へ行ったり一緒にゴルフやバーベキューしたり。だから人間関係を維持するのに努力が必要だということを忘れる。また仕事がメインだとどうしても昔の友人とは疎遠になるし、趣味の友だちを作ろうにも時間がないので難しい。交友の場は職場が主になる。これは構造的な問題と言える。

じゃあ人間関係維持のための努力って何なのって話だが、マメな連絡とか定期的に会うとかで、こういうのって面倒くさかったり「男らしくない」感じがして男性は避けがちな傾向にないだろうか。

本書のレビューとして以下の記事を読んだ。

 

am-our.com

 

同人誌即売会での女性たちのちまちました差し入れ文化、これぞまさに人間関係構築・維持のための努力と言えるものだろう。読んで感動した。そういえば以前の職場ではよく年長の女性からお菓子をもらったものだった。ああいうの、「どこそこへ行った」「どこそこで買った」「テレビでやってた」みたいな雑談のいいきっかけになるし、餌付けじゃないが人間関係が良好になるしで効率的な投資だな、と今になって思う。男性は自分を含め基本的にちまちましたやりとりを日常的にはしませんね。むしろそれやってると侮られるまであると思う。

 

・「男らしく」自立することを求められる。あるいはその価値観を内面化してしまう。

自立とは自分一人の力でやっていくこと。マチズモというか、令和の現在でも男は困難に直面しても安易に他人に頼るな、弱音を吐くな、弱みを見せるな、みたいな価値観ってあると思う。少なくとも昭和生まれの自分の中にはある。高倉健みたいなのがいい男なんだ、みたいな。で、その価値観を内面化してしまっている。上で、ちまちましたやりとりやマメな連絡を男性がやると同性から侮られるというのも同じ理由から。些細なことでLINEしてくる男性を陰で揶揄する傾向ないだろうか。女性同士だったとしても変わらない?

 

自分の場合、たとえば認知症の老母が排便を失敗しておむつの中に漏らして汚してしまうことが日常的に起きているが、そのことに対するぼやきや悩みや怒りを他人に(滅多に)話したりはしない。少なくとも同性には絶対にしない。これは男らしさとかプライドとか以前に言ってもしょうがねえ、という諦念がデカめにあるんだが。ただ女性には話しやすい気がしていて、交際している相手にはたまに愚痴る。で、俺の先入観かもしれないが日常的な出来事の嘆きって、男性より女性の方が親身に聞いてくれる印象がある。男はどちらかというと「ふーん」って流すけど(深入りしないという優しさなのかもしれないが)女の人は「うんうん」って頷いてくれるような…。ケア精神を女性の方が持っているように感じる。これは俺が男だからそう感じるのかもしれない。

困っているのに弱みを見せず助けを求めない。誰かが救いの手を差し伸べてくれても「大丈夫」と言ってその手を払いのけてしまう(本当は全然大丈夫じゃないのに)。自ら選んで孤独になりがちな男性の傾向。

 

・社会的地位や金にこだわるようになる。

「成功」することへの渇望。見栄やプライドの話でもある。望む望まないを問わずそうであることを強いられる。これは家計において男性がメインであるべきという価値観の影響もあると思う。稼ぐこと、出世することにこだわればどうしても人間関係は悪くなる。一所懸命仕事するから帰宅が遅くなる→家族と過ごす時間が短くなる、休みの日は疲れて寝ている→家族と疎遠になる、とか、休日は疲れていて他人と会う心の余裕が持てないとか。また、男はプライドの生き物だから友だちと比較して自分の方が「下」だと感じたら会わなくなるというのもあるだろう。仕事やプライベートが充実しているときは同窓会に参加するが躓くとそうじゃなくなる男性、身近にいないだろうか。俺は昔からずっと同窓会に参加せず遂に誘われなくなったクチだが…。独身だと行かなくなる。既婚者たちが子供や住宅ローンの話をしているのを黙って聞いているだけなのは辛いから。

 

以上、男性が孤独になりがちな理由については説得力があると思う。

 

孤独の何が問題なの? というと、

・怒りや攻撃性が増す(そのせいでさらに人から避けられ孤独に陥るという負のスパイラル)

・心臓病、がん、脳卒中のリスクが高まる(一日15本の喫煙、アルコール依存に匹敵する身体への害)

・睡眠で疲労回復しづらくなる

・自殺の危険因子になる

・脳を劣化させる可能性がある

 

脳の劣化は人と会話しないことでの刺激不足によるものだろう。筋肉もそうだが脳も使わないと衰える。他者との会話って普段何気無くしているけれど脳をフル稼働させているとか何かで読んだ記憶がある。自分の発話に対してどう相手が返答するかを予測し、さらに実際にされた返答に対して適切に返す…テニスや卓球のようなことをしているわけだ。精神科医中井久夫の何かの本にはストレスの解消にもっとも有効な行為はおしゃべりだとあった。

 

本書では思春期の男の子の発話を閉めた蛇口から漏れる水滴、女の子の発話を川に喩えるくだりがある(もちろん女の子みんながそうではないだろうが)。そのくらい日常でしゃべる量が違う。そして相手を傷つける内容でない限り、基本的に会話はすればするほど人間関係を円滑にする。女性のコミュニケーションは頻繁な会話にある。そういえば以前ある商店の長いレジ待ちをしていたら、前に並んでいた高齢女性が退屈したのか、さらに前に並んでいる知らない女性に天気の話をしだしたのを見てそのコミュ力の高さに驚いたことがある。

 

…と、ここで男性、とくに中年男性の存在感に思い至った。phaさんが『パーティーが終わって、中年が始まる』で中年男性の「不要な存在感」「威圧感」について述べていたように、中年以降の男性にはどうもその場にいるだけで他者にプレッシャーを与えてしまう、もっといえば不快にしてしまう部分が避けがたくあるのではないか。

おじさんって、基本的に嫌われる存在でしょう。おじさんといえば、臭い、汚い、醜い。そんな強いマイナスイメージを当のおじさんである俺自身ですら持っている(そのくせ自分はマシな方だと自惚れている)。女性、それも若い女性ならなおのことそうだろう。だから上で述べたような見知らぬ人へ天気の話をもし俺がしたら、場合によっては地域の不審者情報でたまに流れる「声かけ」案件になるかもしれない。おじさんは悲しきモンスターみたいなもん。

ああ、本書では述べられていないが男性が孤独になる理由としてその不快な存在感ってのはおおいに影響しているような気がしてきた。

 

 

本書の後半では孤独にならないための対策が示される。

・自然と親しむ

・毎日誰かに電話する

・規則正しい生活を送る

 

…うーん、ちょっと微妙な感じ。

二番目の電話はかける相手がいないんだが。いや、本書にあるように、本当に誰もいないのか、スマホの電話帳を見れば誰かしらいるはずだ、と強く言われたら、そりゃあ一応登録した/登録したままになっている誰かはいるにはいるが、何十年ぶりとかに電話をかけるのはかなりの勇気がいる。自然に親しんだり規則正しい生活を送ればストレスが減少して健康にはなるかもしれないが孤独の解決にはならないような。

 

本書の対策は微妙なので代わりに俺が孤独の対策を考えた(何様)。

一つは、宗教の集まりに参加する。こちらの記事も参照した。

 

finalvent.cocolog-nifty.com

 

宗教は共同体の結束を強めるために生まれたものである。新興宗教やカルトはアレだが伝統宗教の由緒ある集まりならある程度信頼できるのではないだろうか。少なくとも一人ぼっちで引きこもっているよりは外出になるし人と顔を合わせるしで刺激があっていいと思う。

うちは神式だが神道や仏教はどうも辛気くさくてたまの気分転換ならいいが神社や寺に通いたい気持ちにはあまりならない。厳かさは感じるが侘び寂びに気が滅入る。その点キリスト教カトリックはいい。建築がゴージャスだし音楽にも癒しを感じる。きらびやかな方が気が晴れる。でも俺が信心を持つことはたぶんないだろう。素養がない。鬱陶しいから勧誘はされたくない。宗教のグルーミング効果だけを得させてほしい。こういう自己本位な人間だから孤独になるのだろう。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

もう一つは(ちょっとハードルが高いが)犬を飼う。

世話しなくちゃならないという使命感が人生に意味と張り合いを与えるし、散歩があるから外出の習慣がつくし、散歩のたびに顔を合わせる人と挨拶するようになるし、犬がコミュニケーションのきっかけにもなる。うちにもかつていたので実体験として言える。

いろいろ条件があって難しいが飼うならボーダーコリーがいい、とかつての飼い主として思う。でも独身だと難しいよな。というかよした方がいいと思う。同棲のパートナーがいてその人が協力的ならアリだろう。そしてこれはかなり孤独の緩和に有効だと思うのだがどうだろうか。

 

phaさんは前掲書で麻雀や草野球の可能性に言及していた。囲碁や将棋でもいいかもしれない。同好の士で雀荘囲碁所に集まって打つ。男性の場合、直接他者と関係を結ぶのではなく間に趣味というクッションを挟むことでコミュニケーションがしやすくなるのはあると思う。酒なんてまさにクッションだろう。いい大人の女性同士がカフェで長話しているのは珍しくもないが男性同士がアルコールなしで同じことをやるのは難しいのではないか。そうでもない?

 きちんとお互いを掘り下げてわかりあえる一対一の関係を持つことはもちろん大切なことだけど、それと同時に、性格や思想が違ってもなんとなく曖昧に集まって場を共有できる場所もあるとよくて、その両方があることで、より豊かに過ごせるのではないだろうか。

 

『パーティーが終わって、中年が始まる』

 

以上、男性の孤独について『男はなぜ孤独死するのか』を読んでいろいろ考えてみた。

 

ベースとして、ひとりものだろうが家族がいようが人間みな死ぬときは一人なんだし死ねば無になるんだから孤独死なんてどうでもいい、という思いが俺にはある。

でも孤独死が老齢によるものだと仮定すると、その前段階の孤独であることの不利を、だんだん意識するようになってきている。

大抵の人はある日突然ばったり死なないでしょう。老い病み衰えて徐々に死んでいくでしょう。そうなった場合のプロセスが、ひとりものだといろいろめんどくせえな…と中年になって心身の不調を自覚するようになった今、思う。

分量が長くなってしまったのでそのことについては次の記事に譲る。

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

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