男性の孤独について考える②  『「居場所」のない男、「時間」がない女』を読んだ

 

 

 

承前。

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『「居場所」のない男、「時間」がない女』は男性と女性それぞれが抱える問題とその対策として社会への提言が書かれている。男性の「居場所」のなさについて書かれた第1部をメインに読んだ。

 

書かれていることは『男はなぜ孤独死するのか』と通じる。アメリカも日本も大して男性の置かれている状況は変わらない。

 

男性が孤独だという指摘は現実と齟齬があるのではないか。街に出れば男性同士、つるんで居酒屋で飲んでいたりスタジアムでスポーツ観戦しながら盛り上がっているではないか。

…という問いに対して著者はこう述べている。

それは社会に比較的上手く適応できている男性同士にのみ成立する関係のように見える。男性は、仕事が上手く行っているときに気軽に一緒に飲みに行ったり、ゴルフで競ったりできる相手に対し、失業や病気、家族の介護などに直面したときに、相談はできるだろうか。

 

 さまざまなデータから明らかになるのは、男性は、人生の中で何か脆弱な部分を抱えてしまったとき、同性の友人相手にはなかなか弱音を吐けない点である。異性相手にしかなかなか弱みを見せられない、という男性の特徴は、社会の中で顕在的・潜在的を問わず競争相手となり得る同性への緊張度の高さに起因すると考えられる。

 

前回の記事で自分の感覚として弱音や愚痴を同性である男性には吐けないが女性には言いやすい、と書いた。上の指摘を読むとこれは広範の男性に当てはまる特徴のようだ。

なぜそうなってしまうのか。男性は成長するにつれ社会的地位や金など成功することにこだわるようになる。そうなると同性は競争相手あるいは比較対象になってしまい人間関係が悪くなるから、というのが理由の一つとしてある。男性は面子を重んじるプライドの生き物だからというのもあるだろう。定年後の地域の集まりなどに参加すると、男性は自分はどこそこの部長だったとか、あのビルを建てたのは自分だとか、そういう過去の自慢話をしたがるのに対して、女性は現在の自分について語る傾向があると『男はなぜ孤独死するのか』にある。わかる気がする。

 

男はマウンティングしたがる。自分の職場でもよくある。先輩が、俺がお前くらいの年齢の頃は今よりずっと仕事がきつかった、残業やばかった的な話をしてきたりとか。本人は武勇伝語れて気持ちいいんだろうが聞いてる側としては全然面白くない。なので自分は若い人にそれやらないように気をつけている。

 

男性が「他人に弱みを見せてはならない」「問題を自力で解決せねばならない」といった社会的制約を内面化してしまうと「問題を抱えた時に誰かに相談するといった態度が取れず、すべてをひとりで抱え込んでしまおうとする」。これは男性が女性より自殺しやすい原因の一つとされている。前回の記事で自分は「マチズモ」「男らしさ」と書いたけれど本書では同じようなイメージを「覇権的男性性」と呼称している。

男性は他人に助けを求めることが女性に比べ苦手であるほか、対人関係の破綻やストレスに対して女性よりも脆弱な点も指摘できるという。

 

孤独に対してある程度耐性があるが大きな問題を抱えたとき脆いのが男性。

一方で孤独に対して男性ほど耐性はないが同性の友人や母親などに相談したり愚痴ることで大きな問題に直面しても粘り強く対処できるのが女性。

全員がそうではないだろうからかなり乱暴になってしまうが、本書を読むとそんなふうに見えてくる。性差については『男はなぜ孤独死するのか』に男の赤ちゃんが物体などの外界に反応を示すのに対して女の赤ちゃんは人の表情に反応を示す傾向があるという話が出てくる。

 

タイトルにある男性の居場所のなさとは、男性は人生の時間の大半を仕事に費やしているから職場で仕事しているうちは人間関係も遊びも不都合はないけれど、失業したり定年を迎えたりすると仕事だけでなく人間関係や居場所も同時に失ってしまう、という指摘からきている。

自分にあてはめるとまさにそう。もし今失業したら会う人はほとんどいなくなる。両親と交際している女性くらい。一気に世界が狭くなる。

 

友だちも趣味もない男性は、定年後も何らかの仕事を続けて社会との接点を保てば孤独を避けられる、とは荒川和久『「居場所がない」人たち』における提言だった。

 

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自分の場合、仕事がなくても友だちがいなくても若い頃なら苦もなく引きこもれた。

 

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でも中年の今は引きこもれない。いや、3ヶ月限定とかなら平日に旅行したり積んでる本を読んだりおおいに楽しんで引きこもれるけどいつまで続くかわからないとなると無為に耐えられずギブアップすると思う。

引きこもるのにも体力がいる。適性もある。今の俺はその両方をなくしてしまった。

他人は鬱陶しいもの、人間関係はめんどくさいもの、労働はだるいもの、常々そう思っているが、会社へ行って他人と一緒に仕事することは自室に引きこもってるよりマシ、というのが現在の心境。

俺も変わった。若い頃は生活の心配さえなければ永遠に引きこもってられると思ったものだが。

他人と会うのはストレスだが、他人と会わないのもストレスになる。それをコロナ禍初期の外出自粛期間に実感した。

 

一人はいい。

自分の好きに生活できるし時間も金も自由に使える。

それが心地よすぎるからずるずるとひとりものを続けているうちに気づけば46歳になっていた。

 

一人はいいなんて健康だから言えるのだ。

少しくらいトラブっても今はまだ自分で判断して自分の力で対処できる。

でも早晩立ち行かなくなる。誰もが歳をとる。今は「一時的に健康」だからうまくやれているだけ。そしてその最中にいるからそれが特別なことだと気づけない。

人生を仮に80年と見積もると(ずいぶん楽観的な見積もりだが)自分一人で物事に対処できる期間なんて例外で、誰かの力を借りなければ乗り切れない期間が大半なのではないか、そんな気もする。

 

この先高齢者になって身体のあちこちが不調になり、通院や入院や手術となった場合に、それらを全部一人だけでやらねばならないとしたら。

例えば手術入院となったとき、年老いた体で入院の手続きをすべて自分でやり、一旦家に帰って必要な荷物を用意してまた病院へ戻り、手術の不安と一人きりで向き合い、入院中は誰も見舞いにこないから退屈で、慰めや励ましの言葉をかけてくれる人はなく、手術がうまくいって退院できても「よかったね」とは誰からも言われない。誰も待っていない家に帰り、暗い部屋に明かりを灯し、手術で衰えた体で翌日からまた一人で生活していかねばならない。

想像しただけできつい。泣きそうになる。でもこれ、確実に俺に訪れる未来なのだ。乗り切れるだろうか。

 

前回も書いたが孤独死そのものはあまり気にしていない。ボディがジュース状態で発見されたとしても本人は死んでるので、対応してくださる方々に申し訳ないと思うくらいでわりとどうでもいい。火事場泥棒はムカつくが。そんなんされたら化けて出てやる。

 

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孤独死の前段階の老いた状態での孤独生、これが問題だ。

 

老後の生き方の身近なロールモデルとして自分の父親の場合、自営業なので後期高齢者の今も週5で働いている。さすがにペースはかなり落としているが。そして仕事で毎日人に会い、それがいい刺激になっているようだ。改まって聞いたことはないが(それを聞けないのが俺のだめなところなんだろうが)たぶん死ぬまで現役であり続けるんじゃないだろうか。自営業なので休暇の裁量は自分にある。用事があれば休める。自分のペースで働けるから自営業は老後の働き方として悪くないように思える。

配偶者が認知症なのと同居している中年の息子(俺)が独身なのはネックだろうが、孤独ではない。割といい老後の生き方をしているように思う。

 

たぶん俺は老後資金の心配はしなくていい。俺の生活コストは安いし大企業勤務なので退職金もそれなりに出る(はず)。築40年以上だが住む家もある。これは氷河期世代としては恵まれている方だと思う。金よりも社会とストレスなくつながりをもち続けることを課題として優先するべき。

歳をとっても社会に居場所を持ち、孤独にならず、健康に生きて死ぬ。

これって結婚すれば、あるいは子供がいれば解決するって問題ではないだろう。『「居場所」のない男、「時間」がない女』には定年退職した夫に早く死んでほしいと盛り上がる社会的地位の高そうな「奥様」方の会話が紹介されている。配偶者から死を望まれるって、ひとりものよりきつい孤独じゃなかろうか。

 

残り少ない40代のうちに将来の生き方についてある程度の方向性を見つけておきたい。

 

 貴兄が現役のサラリーマンであるならば、おそらく日々忙しく仕事をこなし、孤立など思いもよらないかもしれない。でも、その職業生活はかならず終わりが来る。そのとき、貴兄は居住地域に居場所はあるだろうか。仕事関係を抜きにした、純粋な趣味友だちはいるだろうか。

 貴兄が病気になった時、あるいは家族が要介護になったとき、「弱み」を見せられる相手はいるだろうか。仕事がうまくいっていないときにでも、気軽に会える相手はいるだろうか。この国の男性は「現役」で仕事をしていればすべて上手く回っていくとされる。裏返せば、仕事を失うとすべてを失うリスクが極めて高い。

 退職後の自分の人生など考えたこともない、という貴兄にこそ、立ち止まって考えていただきたい。自宅では妻に鬱陶しがられて居場所がなく、近隣の図書館などで日がな一日新聞紙面をめくり、子どもの声がうるさいと市役所にクレームを入れる時くらいしか他人とのコミュニケーション機会がない……。

 そんな老後は、果たして幸福だろうか。だが、放っておけばそのリスクが非常に高いのが、この国の男性である。そうならないためにも、引退する前から、少しずつ地域コミュニティへ参加し、あるいは仕事以外のつながりを積極的に作っていくことを、心からお勧めしたい。現在も、日本社会は男性の「就労」には積極的だが、男性の「幸福」には無頓着なように見える。その歪みが、さまざまな方面で噴出しているように思えてならない。