夏、ホラーに耽る

7月8月の2カ月間、ホラーに耽っていた。小説と映画。

最近ちょっとしたホラーブームのようで関連書籍の出版や特集がよく組まれている印象。それらがよきガイドとなってくれた。

ホラー映画はわりと見る方だが小説はあまり読んでこなかったので新鮮だった。世界が広がった感あり。

以下、ムックや雑誌、小説、映画の順に挙げて簡単な感想を書いておく。一部ネタバレあり。

 

 

『このホラーがすごい! 2024年版』

このムックはいいガイドになった。2023年に出版された優れたホラー小説の紹介、往年の名作の紹介、モキュメンタリー・ホラーをめぐる雨穴、梨、背筋の対談、スティーブン・キングをめぐる対談など。本書で挙げられた国内ベストから面白そうなのを選んで何冊か読んだ。海外のも読んでみたのだが、海外編1位の『寝煙草の危険』を読んでもちっとも怖くなく、物語にもあまり惹かれず、なのでもっぱら国内のばかり読んだ。どうも自分は日本の閉鎖的な村で起きる人怖なフォーク・ホラー(民族ホラー)が好みらしい。いろいろ読んでみると自分が何が好きかわかってくるのでいろいろ読むのは大事なことだと思う。

 

 

『文藝 2024年秋季号』

特集:怖怖怖怖怖。内容充実でとてもよかった。春日武彦と梨の対談、綿矢りさのエッセイ、創作、モキュメンタリー・ホラー作品ガイドなど。綿矢りさが長年にわたって毎晩寝る前に哲学ニュースを読んでいる、という告白にビビる。マジか。でも2010年代の方が面白かったよね(俺は最近はもうまとめサイトを見ることはなくなってしまったが)。創作、澤村伊智「さぶら池」と小田雅久仁「囁きかわす者たちからの手紙」、どちらも素晴らしかった。前者はとにかく語り手が気持ち悪く(最後に明かされるのだがこの明かし方もまたなんとも気持ち悪い)、後者は不気味ながらも切なく、どちらも読み終えてため息が出た。すげえ、としか感想がなかった。とくに「囁きかわす者たちからの手紙」はもろに俺の好みだった。あまりに好みだったので3回読んだ。ホラー小説は長編より短編の方がキレがあっていいように思う。

 

 

BRUTUS No.1013 もっと怖いもの見たさ。』

去年に続いてのホラー特集。 

大勢が一人一作、被らないようにホラー作品を挙げる今年の特集より、数名が好みの作品を採点し、それを網羅的に列挙した去年の方が読みやすかった。有名なホラー作品は大抵去年で出尽くしているし、たった一年で優れたホラー作品の数が大幅に増えるわけでもないし、今年のはラインナップに代わり映えがなく二番煎じの感あり。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

今村昌弘『でぃすぺる』

『このホラー』に教えられた。ジュブナイルとオカルトとミステリが融合した小説。とても面白くて半日ほどで読了。ある自殺事件の真相と都市伝説の関係を追ううちに思わぬ展開に。ミステリ的な本筋の面白さとは別に、小学生の日常パートの描写に自分が小学生だったころを思い出して懐かしい気持ちになった。

 

 

鈴木捧『現代奇譚集 エニグマをひらいて』

実話怪談なので突拍子のないような話は出てこない。日常に生じるちょっと謎めいた亀裂、空白。山の怪談が多いのはわかる気がする。実話怪談は一編が短いので電子書籍でちょっとした休憩時間や移動時間に読むのに適している。SNSを閲覧するより実話怪談を読んで過ごした方が、心にゆとりと潤いをもたらしてくれる。たぶん。

本書、怪談に混じって科学的、あるいは常識的視点からの批評が挿入される。それがとてもいい。たとえば、幽霊は心霊スポットなど特定の場所に地縛霊として出現するとされるが、彼らは(ドアを通り抜ける、手で触れないなど)物理法則の干渉を受けずに存在している、しかし地球は常に自転と公転をしているのだから物理法則の干渉を受けずに特定の場所に居続けることはできないはず(自転の速度が日本くらいの場所で時速1500キロメートル、公転が時速約11万キロメートル)。では彼らはどうやってこの物理世界に存在しているのか? という問い。たしかに言われてみると謎だ。

 我々が立ち止まったり眠ったりしているとき、我々は超高速で移動している。ということは、幽霊が「物理法則の干渉を受けないが」、「その場に留まっている」のであれば、幽霊は常にそれだけの超高速で移動し続けているということである。もちろんそのようなことはあり得ない、と、我々は即座にそう結論する。ではなぜ幽霊は一定の場所に留まっている(いられる)のであろうか?

なぜでしょうか。このあと著者が導き出す結論(推論?)は説得力がある。

 

 

岩井志麻子ぼっけえ、きょうてえ

短編集。四編すべて岡山弁で語られ、四編すべて男女の交情が物語の軸としてある。文章がいいので地の文が方言でも読みやすい。表題作のおぞましさもいいが、より情念どろどろな「密告函」が(コロナ禍を思い出させたのもあって)印象深い。超常的ではなくあくまでリアリズムに則ったホラーであり、こういう言い方はあれだが普通に文学だな、と感じた。

 

 

貴志祐介『黒い家』

角川ホラー文庫で出たばかりの頃買って読んだ。以来の再読。懐かしい。今読んでもしっかり怖かった。なんとなくは覚えていたけど終盤の展開はほとんど忘れていたので楽しめた。中盤にめちゃ怖いシーンあったよな、なんだっけ…と思いながら読んでいたら合鍵のシーンだった。今もし一人暮らしだったらこのシーン読んだあと確実に玄関の戸締まりを確認しに行っただろう。

 

 

『ジャパン・ホラーの現在地』

アフィ画像は電子版だが紙で読んだ。

以下、ブクログに書いた自分の感想から引用。

TV番組、文芸、怪談、ゲーム、ネット動画、漫画といったさまざまなジャンルのホラーの現在の状況についての対談および批評。

 

近畿地方のある場所について』の著者が自作について語る2章、ジャンルとしての民族ホラーについての6章、心霊ドキュメンタリーについての7章、ファウンド・フッテージについての8章がとりわけ面白かった。

 

複数の章で2ちゃんねるオカルト板「洒落怖」がベースと語られている。現代日本のホラーの重要なルーツの一つなのだろう。自分も一時期、もう10年とかそれくらい前に洒落怖や未解決事件まとめに熱中して深夜まで読み耽ったものだった。

 

都会からやってきたよそ者が閉鎖的な村の因習に巻き込まれて恐怖を体験する、といった民族ホラー的な話が自分は好きなんだが、本書の話者たちの対談を読むとこれってオリエンタリズムだよな、とちょっと反省した。もっともフィクションとして楽しんでいるのであって実際にそんな場所があるとは思っちゃいないが。

 

答えを明示せず解釈を読者に考察させる作品は読者に負担を強いるから近々揺り戻しが起きるんじゃないか、という梨さんの発言に同意。後味の悪さ、据わりの悪さはホラーの醍醐味だと思うが、もう歳だから考察は面倒くさいし疲れるのでわかりやすく作ってくれ、という気持が自分にはある。イシナガキクエとか、不気味な雰囲気はあったけれど作品としては説明不足すぎて楽しめなかった。背筋さんは近畿地方について明確に解答を用意してあると本書で語っている。

現代日本のホラーでもっとも隆盛を誇っている手法はモキュメンタリーではないだろうか。『変な家』『近畿地方のある場所について』『イシナガキクエを探しています』『フェイクドキュメタリーQ』「行方不明展」など話題になったホラーの多くがモキュメンタリー・ホラーだ。洒落怖がルーツの一つとしてあるなら納得できる。匿名による真偽不明の情報とその拡散はインターネットならではの特徴で、それがネットがもはやインフラとなった現代にリアリティを持って受け入れられているのだろう。

フォーク・ホラーはそのルーツに70年代に角川が仕掛けた横溝正史の再ブームがあるという。洒落怖も田舎が舞台の話が頻繁に出てきた。映画の恐怖村シリーズもその線上にある。最近の洋画だと『ミッドサマー』がそう。

 

 

芦花公園『異端の祝祭』

『ほねがらみ』は怖くて面白かった記憶があったがこちらは超能力があまりに万能、後半はスケールが大きすぎで荒唐無稽感が強く怖くはなかった。物語としての面白さもさほど…とはいえ途中で読むのを放棄してしまう小説が多々ある中最後まで読めたのだからつまらなくはない。一番よかったのは冒頭、ヒロインが電車内で友だちからひたすら無視される女子高生に自分を重ねるシーン。

 

 

小田雅久仁『禍』

禍

Amazon

『このホラー』に教えられた。身体をテーマにした短編集。すごくよかった。とにかく文章がいい。いい文章の小説を読むのは快楽なんだな、と改めて教えられる。決して軽くないし柔かくもない、なのにするすると読め、イメージを喚起される文体。ホラー小説のほか、幻想小説のようなものも含まれている…というかそっちの方が多い。心を病んで休職したサラリーマンの話がマルセル・シュオッブ「大地炎上」のような(あれとは真逆の静謐な世界だが)カタストロフへと接続する「喪色記」に感銘を受けた。

 

 

芦沢央『火のないところに煙は』

読者巻き込み型のモキュメタリー・ホラー。これもとてもよかった。面白くて怖くて一晩で読んだ。実話怪談(風創作?)とミステリの融合。直接的には無関係と思われた怪談に共通点が見つかっていく終盤に興奮した。自分の言いたいことだけ一方的に捲し立ててまったくコミュニケーションが取れない人物が登場する二話、隣人の思い込み(仮)によるおしゃべりを真に受けて徐々に夫婦関係にヒビが入り生活が破綻していく三話がとくによかった。俺が怖いと感じるのって大概人怖系だな。黒幕と目される人物が最後まで登場しないのは正しい仕掛けだと思う。強キャラ感あるので出てきたらリアリティが崩壊して世界観が台無しになっただろうから。

 

 

澤村伊智『怪談小説という名の小説怪談』

『文藝』に教えられた。さまざまな手法を凝らした怪談めいた短編集。高速道路を走行中の車内という逃げ場のない状況で洒落にならない怪談が披露される「高速怪談」、引きこもりの息子の話「笛を吹く家」が面白かった。本書を読んで、情報の断片をつなぎ合わせて真相に迫る系の話に食傷気味になっている自分に気づいた。

 

 

小野不由美残穢

怖さで言ったらここ2ヶ月で読んだホラーの中で一番。

ブクログに書いた感想から引用する。

ある土地の因縁をめぐるミステリ的要素のあるホラー。

 

悪意はなくとも強い無念を残した怨みを伴う死は穢れとなってその土地に残る。穢れは時間とともに薄れていくがそれでも一部が長い時間残り続け、新たな居住者に感染し、拡大する。人の移動が頻繁になった現代、その穢れは感染者を媒介に広範囲に薄くしかし執拗に感染拡大し続ける。ある種のウイルスのようなもの。かかりやすい人とそうでない人に分類もできるのかもしれない。

 

怪異そのものが控えめでリアリティを損なっていないのがいい。穢れによって人が死ぬにしてもそれは穢れそのものの力ではなくそれに影響を受けて心身が不調に陥るから。

 

ここ何ヶ月か集中的に読んできたホラー小説の中でもとりわけ怖くて読みごたえがあった。文章もいい。作家が一人称で鉤括弧を用いず地の文で見解を示す形式は読みやすかった。怪異を徹底的に合理的に解釈しようとしつつ、しかし最後は現実にあるものと見做さざるをえなくなる過程が楽しい。

 

事故物件と言うが、東京都心であれば、関東大震災と空襲によって人が死んでいない土地の方が少ないくらいだろう。どこもかしこも事故物件になってしまう。

 

俺は体験したことがないが、心霊現象なんてものがもし実際にあったとしたら、それは異音や違和感などのささやかなものであって、何かを動かすだとか襲ってくるだとか、そんな派手なものではないだろう。死者が物理世界にできる干渉なんてその程度が限界だろう。そうしたささやかな怪異でも、人の神経に作用して狂わせたり自殺に追い込むことはできるかもしれない。…という俺の心霊観にこの小説はマッチした。

 

 

大島清昭『最恐の幽霊屋敷』

『このホラー』に教えられた。『残穢』の真逆をいく、幽霊がド派手に暴れまくって人間世界を大混乱に陥れるホラー。いくらなんでもスケールがデカすぎる。「ぼくの考えた最強の幽霊」たちの競演。

 

 

三津田信三『どこの家にも怖いものはいる』

一部、ブクログに書いた感想から引用。

五つの怪異が異なる形式で語られる。時代や場所も異なるそれらの共通点を作家と編集者が探っていく。

 

そもそも発端となる最初の二話に共通点があるように自分は感じられなかったので終始違和感を覚えつつ最後にカタルシスを期待したが釈然としないまま終わった感が強い。強引な推理というか。二話と五話以外は関連ないように思えてしまう。

 

話としては一話と三話が気味悪くてよかった。四話はもっとも凄惨な結末だが語りがだらだらしているので読んでいてもどかしかった。

土地に残る怨念、精神病と座敷牢、語り手の作家と編集者の協働による謎解き、など『残穢』によく似ていたので話の面白さはあまり感じなかった。テキストごとの文体の変化もほとんど感じられずせっかくの構成が活かしきれなかった感もあり。

 

 

『サユリ』

sayuri-movie.jp

昨日見てきた。日曜夜の回なのにかなりの客入り、しかも若いカップルが大半、それもマイルドヤンキー? みたいな風貌のが多くてびっくりした。タトゥー入ってたりでかいアクセじゃらじゃらしてたり。そういう層に訴求していたのか? 王様のブランチで取り上げたのか? 陰キャ中年男性の自分は肩身狭かった。案の定、上映中はスマホピカピカ。

前半の恐怖描写は普通に怖い。中盤以降は空気が少し変わる。サユリは哀れな被害者だったとか、にもかかわらず倒すとか、ちょっと迷走した感もあり。あと、なんか後半のノリが寒くて恥ずかしかった。

死んだ人間より生きてる人間の方が強い、飯食ってよく寝て日光浴びて体を動かせば霊に負けない、不安があるから付け込まれる等、気づきが多い。

「おまんこまんまん」じゃなくて「おちんこびんびん」の方が語呂がいいと思った。

 

 

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

アマプラで見ようとしたら8円で売っていたので購入して視聴。見るの5回目くらい? 中盤まではかなりだらだらでつまんないんだけどそれも含めてリアルだと感じる。1999年の公開当時は劇中の三人の学生は実在の人物で実際に失踪した、という体のホームページを作成してそれを宣伝に使っていたのでてっきり本当にあった出来事と受け取った人も多かったとか。俺は背景を知った上で視聴したけど、それでもPOV形式のモキュメンタリー・ホラーって初めて見たからかなり怖かった。カメラがブレブレで見たいところが映らなかったりよく見えなかったりでもどかしい。そこに想像の余地があった。ホラーはその対象がよくわからないせいであれこれ正体を想像しているときが一番怖い。正体が判明してしまえばあとは逃げるか隠れるか戦うかのアクションにしかならない。この映画はそういった心理をうまく突いていたと思う。

その後多くの作品によって似た手法のホラーが撮られたけれど原点として今でも古びていない名作だと思う(『REC』もかなりよかった)。ただ公開当時のコンテクストをある程度肌身で知っている人とそうでない人では感じ方に差がありそう。

 

 

パラノーマル・アクティビティ

これまで何回か見たんだけどいつも退屈で途中で見るのを放棄してしまっていた。今回やっと最後まで見た。怖かった。しかし怖さ以上に印象に残るのは撮影者である男に対するイライラ。ヒロインがやめてくれとお願いすることをことごとくやり、そのくせ「僕が守る」とか抜かす。いやいやお前が事態を悪化させてる元凶やん。映画見ながら久々に登場人物を罵倒してしまった。最後のがおー、賛否両論ありそうだが俺はありだと思う。あれでB級感が出た。

 

 

『オーディション』

レビューが怖そう…というか痛そうすぎてこれまで見る勇気が出なかったのだが(俺はゴア描写苦手)夏季休暇という心の余裕が見る勇気を与えてくれた。実際に見たらそこまでキツくはなかった。『マーターズ』や『屋敷女』の方がよっぽど。

再婚相手のオーディションをしているつもりが、実は自分がオーディションを受けている側だったというブラックユーモア。何のオーディションか? キリキリキリのオーディションでしょう。

これ、中年の危機を描いた映画として見ることもできる。中年男が満たされない思いを若い女で埋めようとする。男42歳、女24歳。のめり込むな、距離を置いて冷静になれ、と友人に忠告されても聞き入れず猛進するのは社会的成功を収めた男の自惚か、性欲で盲になったオスの本性か。日焼けした畳、破れた障子、黒電話が部屋の真ん中にぽつんと置かれ、奥には何か大きな物体が入っている頭陀袋。そんな荒んだ部屋で男からの誘いの電話を待ち続けている女のビジュアルの物凄さ。

マッチングアプリでの出会いが珍しくもないような現代でよりリアリティを持つ話でもあると思う。待ち合わせ場所に来た、若くて清楚で上品な美人、しかしその裏の顔は…。人間は外見からは窺うことのできない内面を密かに持っているものだ。家がそうであるように。外観は何の変哲もない住居、しかしドアを開けて中に踏み入れば、ベッドに拘束された介護老人が、死体が、誘拐してきた子供が、いるかもしれない。

春日武彦は『屋根裏に誰かいるんですよ。』でこう述べている。

 

わたしがいつも困惑するのは、家の中では相当に奇怪なことを考えたり実行していたりしても、あるいは狂気に駆られた人と同居していたとしても、一歩家の外に出れば、必ずしもその人物は異様さの片鱗を窺わせるとは限らないといった事実である。

 

ヒトは家の内と外とでは連続性がない。そして家の中は、空気を澱ませたまま、世間とはまったく別の思考や判断に司られていることが決して珍しくない。

 

世に棲む大部分の人たちは、狂気に曝されても存外にそれに染め上げられてしまうことはない。家に潜んだ秘密を棚上げしたまま、何くわぬ顔でヒトは外へ出かけ、社会生活を営んでいける。

まさに劇中の山崎麻美のことじゃないか。

いや現実のあの事件のあの犯人だって。

 

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『カルト』

これもモキュメンタリー・ホラー。激ヤバの怪異に立ち向かうのは最強の霊能者ネオ。『サユリ』もそうだがこの映画も前半と後半で雰囲気が変わる。この映画の発展系として『サユリ』があったのかな。