私が引きこもりだった頃

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令和元年に起きた川崎の事件について書いていたら、20代の頃2年間引きこもっていたことを思い出したのでその件について記録として残しておく。もう20年近く前のことだから当時の記憶も薄れつつある。

 

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引きこもった原因はよくわからない、というか忘れてしまった。他人と関わるのが嫌になったのかな。就職した会社は世田谷にあった。年休90日もないのに手取り14万、厚生年金に加入しておらず、サービス残業ありのやりがい搾取的ブラック企業だった。一年ほど勤めて退職した。親に黙って辞めたので実家に戻りづらく、そのまま世田谷区内のアパートに残って交通警備のバイトで食い繋いだ。社員だったときよりバイトの方が食えた。

 

一年後、アパートの更新時期になったのを機に実家へ戻った。今は売却してしまってないが、当時我が家には別荘というか別宅があり、普段は無人だったからそこに引きこもった。車がないと不便な場所だったので父の2台あった車のうち1台を使わせてもらい、食費や娯楽費は働いていたときの貯金を切り崩して捻出した。水道光熱費は親が払った。その家で昼夜逆転のサイクルで、テレビを見たり、ゲームしたり、読書して過ごした。新潮文庫の太宰、芥川、漱石ドストエフスキーはこの時期にほとんど読んだ。『罪と罰』のラスコーリニコフに憧れた。自分も彼のように、法を犯しても通したい信念があればと思った。他には庭の水まき、洗車、使うスペースのみ掃除。引きこもりニートらしく(?)深夜の散歩もたまにした。日付が変わる頃、20分くらいかけて最寄りのセブンイレブンまで歩いて行き、店先で缶コーヒーを飲み、タバコを吸い、帰りは途中にある川の真っ暗な面を橋の上から眺めた。髪は後ろで結べるくらいまで伸びたタイミングで自分で切った。早朝、新聞配達のバイク音がする頃眠りにつき、昼前に起きる、そんな毎日を二年間繰り返した。

 

あれからもう20年近く経つ。今こうして思い出してみるとその穀潰しっぷりに我ながらおぞましさを覚える。両親が週に一度来て庭の手入れや部屋の掃除をした。会えば普通に話したし、弟には威張っていたが、ほかの交友関係は一切なかった。孤独だったのだろうが、若かったせいかそれを苦しいとも寂しいとも感じなかった。むしろ気楽で気ままで心地よかった。中年の今のように人としばらく接しないと言葉に詰まるとか適切な言葉が出ないとかいうこともなかった。まだ若かったから健康で、頭もしっかりしていた。今もう一度あの暮らしを二年送れと言われたら…どうだろう、途中で退屈になり苦痛を覚えて嫌になるかもしれない。金が山ほどある高等遊民ならば夢のようだけれど、金のない引きこもり生活では…縛りゲーだ。体は疲れるがメンタルはやられることなく、給料が世間並にもらえて人間関係も悪くない(特別良好でもない)、一応大企業と言っていい会社で、平日は労働に勤しみ、土日は休む、今のサイクルに体が慣れているからというのもあるだろうが、歳をとるごとに自分が一人遊びを楽しむスキル(教養)の欠如した空虚な人間であることを自覚して、一人家の中で過ごすのをきつく感じる。コロナ禍でステイホームが推奨されたここ一年でそのことがよくわかった。出かけたり人と接しないと気が滅入ってくるのだ。今の自分はもしかしたら引きこもっていた20代の頃の自分とはまったく違う人間になってしまっているのかもしれない。

 

何がきっかけで引きこもりを脱したのだったか。当時ニュースで引きこもり特集みたいなのをよくやっていて、自分よりも先輩の方々の姿を見るにつれ、自分はマシな方だと安堵する一方で、俺もこのままだといずれ取り返しがつかなくなるかもしれないという恐怖を覚えた。父はうるさいことを何も言わなかったが、母とは何度か揉めた記憶がある。情けないとかなんとか、まあ母親が言いそうなことを大概言われた。あの頃まだ母は元気で、元気な頃の母と自分は仲が悪かった。結局反論しようが何言おうが、親の厄介になっている以上こちらの意見など戯言として一蹴されてしまう。当然である。引きこもりニートをやるなら親との関係は良好を維持しないといけない。自分にはそれが難しかった。

 

で、社会復帰して転職を繰り返しながら(最短3ヶ月で正社員を辞めたことあり)運よく今の会社に拾われ、大企業の正社員という待遇を得ることができた。本当に運だけである。そういう今があるからこうして振り返る余裕があるのであって、もし社会復帰せずあのままずっとあの家で暮らしていたらまた別の人生を送っただろう。いや、いずれ金が尽きて生活できなくなったはずで、そうしたら自宅に戻って、でも両親に小遣いをせびるという発想はなかったから、どのみちいつかは抜け出したのかな。

 

当時は両親と顔を合わすたびに申し訳なさや気まずさを感じた。でもぐずぐずしていた。現実も将来も直視せず、嫌なことから目を逸らし、気まずさをやり過ごすことだけを考えていた。自分は大人しい引きこもりだった。人からいじめられた経験もなく、世の中を恨む気持ちもなく、ただ何もしたくない、他人と関わりたくないからそうしている怠惰で無気力な人間だった。日本には15歳から39歳までの引きこもりが51万人、41歳から64歳までの引きこもりが61万人いるという。この数字は氷山の一角で実際はもっと多いのだろう。その中の一人が、例えば川崎のような凶悪な事件を起こすと、まるで引きこもり全員が犯罪者予備軍であるかのように報道される。実際、川崎の事件のあと引きこもりの子を持つ親から相談機関への問い合わせが急増したという。だが、自分がそうだったから思うのだが、引きこもっている人の大半は、ちょっと気が弱かったり、周囲の顔色を窺い過ぎてしまったり、疲れやすかったり、したいことが見つからなかったり、出ていくきっかけが掴めかったりでなんとなくそうしている、おとなしい人たちなんじゃないかな。

 

今自分は、多少は余裕のある暮らしを送れている。だから過去を振り返って引きこもりを脱してよかったと思う。でも脱してから10年は道草のような時間を送ったのも確かで、その10年の間にもし躓いていたら、やっぱり部屋から出ずに引きこもっていた方がよかったと思ったかもしれない。結果論でしか人は過去を語れない。

 

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