磯部涼『令和元年のテロリズム』を読んだ

 

 

令和元年に起きた三つの事件、川崎登戸通り魔事件、元農水事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火殺人事件をテロリズムと分類して現代日本社会を分析する。東池袋自動車暴走死傷事故、常磐道煽り運転事件も少しだけ出てくる。どれも発生時に世間を騒がせ、自分もテレビの報道やネットのニュースを熱心に見た事件事故ばかり。これらが揃って令和元年に起きていたなんて、もう忘れていた(東池袋の事故は改元前の平成31年4月19日発生だが)。なおwikipediaでは当該事件および事故の関係者名は伏せられているが本書ではすべて実名で書かれている。

 

三つの事件がなぜテロなのか。テロリズムの定義については様々な見解があるが、大筋の部分では、

①目的として何らかの「政治的な動機」を持つ

②目的達成の手段としてより多くの聴衆に対する「恐怖の拡散」を狙っている

③そのために「違法な暴力あるいは暴力による威嚇」利用する

川崎の事件は「引きこもり」「高齢化社会」「7040/8050問題」といった政治的問題を社会に突きつけた点で、元農水省事務次官の長男の事件は「自分を受け入れようとしない社会の破壊」という意味で広義のテロではないかと著者は述べている。ちょっと苦しくないか。京アニの事件については何としていたか、忘れた。

 

自分は二十代の半ばに二年ほど引きこもりの時期があった。だから三つの事件のうちとくに川崎の事件に発生時から関心を抱いて推移を見ていた。他人事ではないと思った。犯人は20年近く叔父夫婦の家に引きこもっていたという。事件後、警察が家宅捜索で入った部屋は物が少なく整然としており、見つかったノートはほとんど意味不明な内容で、飲食店等のポイントカードや会員証は一切なかった。パソコンも携帯電話も所持していなかった(住んでいた家はネット回線が開通していなかった)。外出は時々深夜に近所のコンビニへ出かけるだけ。同居していながらずっと叔父夫婦と顔を合わせていなかったから、彼らは事件後に警察が示した写真を見ても本人だと判断できなかったという。交友関係も不明で、写真は中学校の卒業アルバム掲載以降のものは見つからなかった。捜査関係者は「人柄が全くと言っていいほど見えてこない。本当に実在したのかと思うくらいだ」と洩らしたという。ネットのない環境で、テレビを見、テレビゲームをし、コンビニで食事を買うくらいしか社会と接点のない生活を20年間も。どんな気持ちで毎日を送っていたのだろう。そしてなぜ事件を思い立ったのだろう。

 

この事件を語るキーワードは二つ。「7040/8050問題」と「一人で死ね」だ。前者は平成期の政治の特徴であった「先延ばし」の結果と著者は見る。後者は平成期から定着した自己責任論の延長線上の思想だろう。苦しんでいる人間に「一人で死ね」とは、恵まれた境遇の人間による上から目線もいいところだ。発言者はこういうことを言えること自体が恵まれているという自覚もないのだろう。自己責任の裏返し、今日の自分があるのはすべて才能と努力の賜物とでも? そのスタートラインにすら立てない人間がいることなど思いもよらない想像力の欠如。運次第でいつ「一人で死ね」と言う側から言われる側になるか、あるいはなっていたか、わかったもんじゃないのに。彼らは、本書で引用されている社会活動家の、「自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない」に何と反論するのだろう。もちろん犯人は絶対に許されないことをしたが、それにしても「一人で死ね」とは、現代日本社会の冷たさや他罰性を明らかにしたと思う。そういう社会の風潮がこういう悲惨な事件を生んだ/今後も生む可能性は? いやそう思うのは個人の自由だが、それを影響力のある人間が公共の電波で発信する見識が、自分にはちょっと理解できない。

 

川崎の事件は犯人の自殺により真相は不明のままで、本書を読んでも自分がネット等で知った以上の知見は得られなかった。しかし続く元農水事務次官長男殺害事件は知らなかったことが色々書いてあった。この事件は、自己責任論や「一人で死ね」がまさしく現実化したような事件だろう。発生も川崎の事件から間もない。犯人は東大卒の官僚で妻は秩父の資産家の娘、だが練馬区の自宅は上級国民が住んでいそうなお屋敷ではなくごく一般的な外観。周囲も高級住宅街という感じではない。被害者は大学進学から事件の一週間前までずっと一人暮らしをしており実家に引きこもっていたわけではない。病を患っていた。Twitterのアカウントが特定されていて、たびたび他人とトラブルを起こしながら、事務次官の息子であることを自身のアイデンティティーにしていた。自分の人生で、生まれ以上に誇れる実績がなかったのだろうか。事件が起きる一週間前に実家に戻り、両親に暴力を振るい、川崎の事件を連想させるようなことを言ったため、恐怖を感じた父親により殺害された。本書を読む限りでは犯人の供述にはおかしな点がいくつかある。裁判では正当防衛だったとして無罪を主張したものの懲役六年の実刑判決を受けている。この事件の被害者は、川崎の事件と違い人柄を伝えるものを多く残している。オンラインゲームを通じての交友関係もあった。親から毎月小遣いをもらっていたとはいえずっと一人暮らしをしていたのだから、ちょっと引きこもりと違うような気もするのだがどうなのだろう。また、川崎の犯人の場合通院歴がないからなんとも言えないが、この事件の被害者の場合病気の影響で人生がうまくいかなかった面も多分にあるように、本書を読んだ限りでは見受けられた。

 

京都アニメーション放火殺人事件の犯人は複雑な家庭環境で育ち、成人してからも仕事や交友関係がうまくいかず、近所の住民とトラブルを起こしたり、犯罪を犯して実刑判決を受けている。川崎のケースとは逆にアパートの部屋は乱雑で、物が壊されたりしていたという。この犯人の場合はまだ供述がないから動機等を軽々に論じるのは避けるべきだろうが、もちろん彼のしたことは絶対許されないことであるのは言うまでもない前提として、搬送された病院で担当看護師に、人にこんなに優しくされたのは初めてだ、と言ったというのを聞くと、やりきれない気持ちになる。こうなる前に何とかならなかったのか、と。

 

川崎の事件の犯人も、元農水省事務次官による事件の被害者も、京アニ事件の犯人も、みな複雑な家庭環境で育っている点で共通している。むろん同じように辛い家庭環境で育ち立派に生きている人が大多数で、だから問題を家庭環境だけのせいにするわけにはいかないが、それにしても、過酷だな、と思う。川崎の事件の犯人は当時50代だったが、残り二つの事件の被害者、犯人はともに40代の氷河期世代で、自分と同世代である。狭いながら周囲を見て、同世代間での格差がかなり激しい世代じゃないかと思っているがどうだろうか。

 

 

最後に、本書のマイナス点について。元農水省事務次官による事件の章で被害者のTwitterでの発言を引用して羅列するのは安っぽく、また煩わしかった。このあたりはもっと読みやすくまとめる工夫が欲しかった。多数掲載されている写真は内容と無関係なものが多く、女性のヌードとか選んだ意図がわからない。写真自体いいと思えないものが大半で、不要だったと思う。載せるならもっと適切でいい写真を載せるべき。