岩瀬達哉『キツネ目 グリコ森永事件全真相』を読んだ

 

 

1984年に起きた、日本の犯罪史上初の劇場型犯罪。自分は当時7歳だった。リアルタイムでの記憶はない。菓子が店の棚から撤去された覚えもない。メインの現場が関西圏だったからというのもあったかもしれない。が、キツネ目の男の人相だけは覚えている。三億円事件モンタージュ同様、一度見たら強烈に記憶に残って忘れられない。

 

すでに時効を迎えているこの事件に関心を持ったのは同事件をモデルにした『罪の声』を映画で見たから。とはいえ映画はあくまでフィクションであり実際の事件とは色々違いが見られる。映画では脅迫による金銭要求は表向きの犯行で犯人グループの真の狙いは株価操作による空売りにあるとしていた。しかし「それらしい動きはなかった」と本書で明確に否定されている。またテープの声のうち女の声は少女ではなく35歳前後との見立て。おそらくこの女はキツネ目の男の妻で、残るテープの声の主である男児2名はこの夫婦の子ではないかと推測されている。

 

犯行グループ「かい人21面相」は少なくとも6人。キツネ目の男、テープの声の主である35歳前後の女と2人の男児、ビデオカメラに映った男、運転手。事件から45年、生きていればキツネ目は70代、男児たちはまだ40代後半くらいか。6人のうち誰かしらはどこかでまだ生きていそうではある。本書ではキツネ目の男がリーダーだとしているがその根拠については書かれていない。

 

警察は2回、犯人を逮捕する絶好の機会があった。にも関わらず取り逃している。1回目は一般人が巻き込まれたために予期せぬ事態となり運も重なって犯人たちが乗った車とすれ違いながら気づけなかった。2回目は警察同士の連携ミス。現金を受け取ろうと待ち構えていた犯人が乗っていたバンをそうと気づかずに近づき、逃げたので慌てて追跡したものの見失ってしまった。この2回目のニアミスによって犯人グループはこれ以上犯行を重ねるのは危険と判断したか(裏取引によって十分な大金を得たとの見方もある)、以降は消化試合のように威勢がなくなり、1985年8月に「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と「集結宣言」をして姿を消す。そして2000年2月、完全時効が成立した。

 

幾度となく複数の企業を脅迫しておきながら犯行グループの誰一人逮捕されなかったのは運が味方したのもあったが二つの理由による。一つは彼らが金を欲していながら金に執着しない、「カネに困っていない」連中だったから。入念な現金受け渡しの手口、だが少しでも異変を感じたら即手を引いて逃走する。借金取りに追われているような人間ではこうも執着なくドライには振る舞えない。もう一つは警察が現行犯逮捕にこだわったため証拠品の収集や捜査が弱かったから。犯人が使った公衆電話の受話器の指紋の採取も通話記録の捜査もせず、35歳前後の女のモンタージュ写真もろくに使わず、犯人のプロファイリングも有効活用せず、振込先の仮名口座の捜査については思いつきもしなかった(1984年には仮名で銀行口座が開けたというのにも驚くが)。栗東での取り逃しも原因をたどれば大阪府警がすぐ情報を漏らすせいで上層部が過剰に秘密保持をしたのが府警と滋賀県警との連携ミスを招いたわけで、警察がもっとしっかりしていれば逮捕できたんじゃないかという気もする。

 

被害者である企業経営者にとってみればかい人21面相からの脅迫状は恐怖でしかなかっただろう。お前のところの製品に青酸ソーダを入れてばら撒く、それが嫌なら1億円を用意しろ。断って警察に被害届を出せば株価は急落、1億円では済まない損害が出る。かといって犯人の脅しに屈して裏取引に応じたことが世間に知られれば社会的信用を失ってしまう。実際、模倣犯との裏取引に応じた大手菓子メーカーがあった。そしてかい人21面相も裏取引によって大金を手にしていたらしいことが本書では匂わされている。情報を持っているような書きぶり。しかし情報があったとしても当の企業が公表していない以上、企業名を挙げれば名誉毀損で訴えられるから書けないのだろう。1985年8月までに大金を得ていたからこそ彼らはあっさり犯行をやめてしまったのかもしれない(ある会社から1億取ったと書いた手紙をマスコミ宛に送っている)。

 

実際に青酸ソーダの入った製品は毒入り危険との貼り紙をされていたが中には剥がれてしまっていたものもあった。だから犠牲者が出なかったのは偶然に過ぎない。この事件の関連で亡くなっているのは自殺した滋賀県警本部長のみ。犯人グループが直接的な暴力を用いないとわかってからは対する警察も必死さを失い、「不謹慎だけど時効になったら対談でもしてみたいと思った」と述懐する警察庁の元幹部までいる始末で、こいつら仕事する気あったのかと呆れてしまった。

 

 

この映画のキツネ目の男は存在感が薄い。

 

 

犯人グループが身代金受け渡しを参考にしたとされる。中盤のそのシーンまでは面白いが犯人の素性を描く後半は微妙だった。