映画『ベネデッタ』と『別れる決心』を見た

久々の映画ハシゴ。金曜日、ユナイテッド・シネマは1100円で鑑賞できるからいい。そのぶん客も多くなってしまうが。

 

『ベネデッタ』

昼前の回。マイナー映画なのにシネコンでかかったのはありがたい。都心のミニシアターだと満席かそれに近いくらい席が埋まっただろうと思われるが埼玉のシネコンだと40人から50人くらいで密にならずに済んだ。マイナーな洋画でこれだけ客が入るのもたいしたもんだと思ったが。

原作は硬派な学術書。去年(所々飛ばしつつ)読んでいる。

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町山さんがたまむすびでの紹介で、当時の修道女は何の権力も持ちえなかったと言っていて腑に落ちた。神父はファーザーなのにシスターはマザーとはなりえない。キリスト教におけるマザーはマリアただ一人だから。原作では権力を欲したがためにベネデッタは見神体験を偽装し、権力を得たのちは喜捨を集めるために、いわば経営的な観点から偽幻視者となったとしていた。映画ではベネデッタの権力欲はあまり描かれず、恋人と存分に愛に耽られる個室欲しさに修道院長の座を欲したように見え、俗っぽい、でもそれはそれで合点がいく描かれ方をしていた。聖母像を性具に改造してしまう涜神っぷりには笑った。『失われた時を求めて』では背徳感を増すために女性二人が父親の遺影の前で同性愛に耽るシーンがあったが。

 

全裸のシーンが多く、エロい場面はAVかと思うほど過激で、カップルで見ると気まずそう。ペストのシーンは新型コロナを意識していただろう。シャーロット・ランプリング演じる元・院長の病状の進行が早すぎて笑ってしまった。火刑、民衆の暴動、殺人、自死と目まぐるしい展開を見せる終盤は勢いで押し切った感あり。しかしなぜ元・院長は最後になって急にベネデッタに従う気になったのだろう。

 

主演女優はかなりの熱演だったと思う。神がかりになるシーンは迫力があった。でも映画としては原作をすでに読んでいる人間がストーリーを知っていてなお感心するほどではなかった。クライマックスの展開はヴァーホーベンのオリジナルだが予想がついた。つまらなくはなかったけれど期待していた分がっかり感強め。

 

 

『別れる決心』

日曜日のレイトショーで20人くらい。見る前は、ファム・ファタルの容疑者に刑事が惹かれていく…もはや手垢のついたような話の繰り返しかと思っていたが見たら違った。そう、最初はその予断を抱いて見ていた。途中からはヒロインは天然でそれを刑事が自分に都合よく解釈して(彼女をファム・ファタルだと思い込んで)のめり込んでいくのかと思ったがそれも違った。ヒロインは刑事を翻弄するつもりはなく、純粋で明確な意志を持って行動していた。ただしそれが刑事には理解しきれていない。だから思いは共通なのにすれ違う。「言葉がうまく通じない二人」という設定はそのままこの二人の恋愛関係のメタファーでもある。ヒロインがどういう人物かわかってからは、増田みず子の『シングル・セル』の稜子や『失われた時を求めて』のアルベルチーヌと彼女が重なった。謎としての他者。何を考えているかわからない、それゆえに惹かれてしまう。謎めいた他者と未解決の事件、そのどちらもがいつまでも強く記憶に残り続けるのは、「なぜ?」という問いに対する答えが得られないもどかしさのせいかもしれない。パク・チャヌク監督は『オールド・ボーイ』と『お嬢さん』しか見たことはないが、この二作品のようなどぎつさは今回一切なく、ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』のような、上品でミステリアスな極上のロマンスだった。かなり自分の好み。ラストの海岸のシーンは美しく、切なく、そして怖かった。

 

 

増田みず子のこの小説は自分にとって一生忘れられないだろう特別な作品。ヒロインが最後に置いていく手紙がいい。半分は本当、半分は嘘。信じたいところだけ信じてください。