佐野眞一『東電OL殺人事件』を読んだ

 

1997年に渋谷区円山町のアパートの一室で起きた殺人事件。被害者は東京電力の管理職だった三十代の女性。年収が1000万円以上あり金銭的に何不自由ないはずなのに昼の勤務のあと夜な夜な円山町で立ちんぼして客を引いていたという彼女の異常な生活が世間の注目を集めた(「発情させた」)事件として記憶している。容疑者として逮捕されたネパール人男性は起訴されたものののちに無罪判決が出る。事件は2022年12月現在でも未解決のまま。

 

ノンフィクションあるいはルポというとある程度対象から距離をとって客観的に書かれる印象があったが本書は違う。著者は『冷血』のカポーティなんて比較にならないほど被害者に過剰に感情移入して彼女を特別視しているし、逮捕されたネパール人男性へは最初から同情的、一方で警察・検察へは常に批判的と見方が偏っている。また偶然に暗合を見たり、やたらと幻視幻聴の類が多くてかなりクセが強い。しかしわざわざカトマンズまで取材に行ったり、事件当日のネパール人男性の行動をたどって時間的に犯行が可能か否か検証したり、明らかにされていない被害者の家の墓を探し出したり、円山町ラブホテル街の成立をたどって岐阜まで赴いたりともはや捜査といっても過言ではないような取材・調査への執念には感心した。

 

この事件が注目を浴びたのは被害者の特異な境遇のため。被害者は都内の出身。父親は東京電力勤務で将来の役員を噂されるほどの人物だったが五十代で亡くなる。当時十代で敬愛する父親を亡くした彼女は大きな衝撃を受ける。その後名門大学を卒業し父と同じく東京電力に女性初の総合職として入社。その際には「父の名に恥じぬよう」と発言した。学生時代は性的に消極的だった。すでに年収は1000万あり、本当だか知らないが数千万の金融資産を持っていたとも言われているにも関わらず彼女が売春を始めたのは32歳から。母親と妹と三人で住んでいた西永福の家の地代は年間で50万円程度。被害者の妹も大企業勤務、金に困っていたはずはないのになぜ彼女は売春をするようになったのか。最初は店舗に所属していたがのちには円山町に立って直に客引きをするようになる。一回につき数千円という価格で。

 

遊び半分でやっていたわけでは全然ない。熱心に道行く男性に声をかけ商店の中だろうが構わず追いかけていく。アパートのドアをいきなり開けて中の住人に「セックスしませんか」と誘う。ノルマを自身に課し、相手の素性と売上金を手帳に几帳面に記入し、毎日必ず終電で自宅に帰ることを繰り返した。母親は娘の売春に気づいていながら何も言わなかった。毎日0時過ぎの終電で帰宅し、翌朝はきちんと出勤する。その二重生活を7年かそれ以上も続けた。なぜそうまでして? 途轍もない謎だ。奇矯な振る舞いも数多く目撃されている。道に落ちている物はなんでも拾う、瓶を酒屋に持って行って小銭に換金する、小銭を集めて貯まったら紙幣に逆両替する、コンビニのおでんを具一つにつき一つのカップに大量のつゆと一緒に入れてもらいそれをビニール袋に入れて持ち歩く…。奇矯なふるまいの異常さをさらに際立たせるのはもう一方にある正気の部分、経済合理性と几帳面さだ。ラブホテルのクーポンは必ず貰い、買った缶ビールの代金は必ず客に請求し、客の情報はマメに手帳に記入していた。しかもその手帳は使わずに捨てるのがもったいなかったのか、過去の年のを使用していた。

 

被害者の勤務先のデスクからはワープロで作成された顧客への売春申込書が見つかったという。企業は被雇用者のプライバシーに関わる問題だから勤務態度等について公表しなかったのだろうが、それにしてもこれだけ過酷に夜働いて昼も高いパフォーマンスを発揮するなんてことが、いくら優秀な人であっても可能だとは思えない。昼の勤務実態はどうだったのだろう。そもそも管理職が毎日定時で上がれるものだろうか。遅くまで残業せざるを得ない日だって少なくないのではないか。常軌を逸した夜の行動の数々からは素人ながら被害者がかなり深刻な心の病いを抱えていたとしか思えなくて、摂食障害だったともいわれているし、彼女がするべきは売春ではなくメンタルのケアだったのではとの思いが事情を知るほどに強くなる。「乞食のマリア」「本当に堕落するとはこういうことなんだよ」「現実世界の底にひそむ魔物のようなものを容赦なく暴き映す照魔鏡」「聖性さえ帯びた怪物的純粋さ」…著者は被害者を大仰に形容する。坂口安吾の「堕落論」を援用して被害女性の副業としての売春行為を「大堕落」と喝破する。違和感しかない。彼女の心にあったのは闇ではなく病みだろう。多感な時期に尊敬する父親を亡くしたこと、就職や昇進に挫折したこと、それらが彼女の精神に悪い作用を及ぼして常軌を逸した行動をとらせた。事実は多分そんなところだったのではないだろうか。動機は本人しかわからないが。いや、本人にだってわかるとは限らない。

 

今思うに、自分がこの事件から強い印象を受け興味を覚えたのは、この事件が、バブル崩壊直後の1990年代末の社会の雰囲気を象徴しているように思えたからだ。こんな感じの雰囲気を。

 犯行現場となった喜寿荘を中心にして半径五百メートルほどの円を描くと、その円のなかで、いま、ありとあらゆる価値観の等高線が土石流となって崩落しているという思いにとらわれる。喜寿荘から東北に五百メートルほど行った渋谷センター街では、昼といわず夜といわず、茶髪に、目のまわりにまるで水中眼鏡のようなまっ白な化粧をほどこしたヤマンバガングロ娘が携帯電話を片時も離さず、花魁サンダルで闊歩している。不倫騒動で揺れるNHKの前には、消費者トラブルを各地で引き起こしている外資系訪問販売会社の本社ビルが宮殿のような偉容をみせつけ、喜寿荘から北に約二百メートル行った松濤の閑静な高級住宅地の一画には、文鮮明世界基督教統一神霊協会本部や、あの「最高ですかー?」の福永法源が牛耳るアースエイドの本部が黒々と息をひそめている。

90年代末は自分が十代後半を過ごした時代だが、滅びるとわかっているからはしゃぐような、うわべは陽気に見えるのに実際は陰鬱というか、俺の貧しい言語能力ではうまく表現できないが、不快で不穏で病的で閉塞した雰囲気だった覚えがある。震災、カルト、少年犯罪、援助交際。当時も今もさして変わりないのかもしれないが、俺にとってはやはり90年代末は特別な時代。でもそれは人が自分の若い頃を特別視してしまうありがちなパターンでしかないのかもしれない。凡庸なノスタルジーでしか。

 

本書で一番怖かったのは「トップリース」というサラ金会社にまつわる挿話。警察は容疑者について自分たちに有利な証言をした男性に、見返りとしてこのサラ金会社の仕事を斡旋してやるのだが、著者がこの胡散臭い会社を調査しているうちに会社はもぬけの殻になってしまう。まるで映画じゃないか。しかし警察が紹介し、都が正式に認可している業者が夜逃げなんて有り得るか? しかもこのサラ金は借金を申し込むとあれこれ理由をつけて貸してくれない。金を貸さないサラ金、めちゃくちゃ怪しい。結局この会社は何だったんだろう? 警察との関係は? 著者のいう「この事件の背後にある権力の闇の深さ」が拙速な逮捕・冤罪とつながりがあったのだろうか。人が殺されているのにまともな捜査が行われなかった桶川ストーカー殺人事件も自殺した犯人が権力者と結びつきがあったと言われているが…。本書は今放送中の冤罪報道をテーマにしたドラマ『エルピス』の参考文献の一冊である。

 

もうひとつ、事件そのものとは無関係ながら本書でとても印象的だったのが市井の人の挿話。不動産会社の社長夫婦と、事件のあったアパートで暮らす一家。どちらもわずかな文章ながら当時を偲ばせる。

 富士エステートアンドプロパティの社長は女性で、一橋大から住友商事のエリートサラリーマンになった彼女の夫も、同社の役員だった。バブルの絶頂期には都内有数の高級住宅街の目黒区青葉台に豪邸を構え、都心の一等地に何軒もの貸しビルをもっていた夫婦も、そのすべてを失い、いまは新宿のうらぶれた貸しビルの一室でひっそりと暮らす身である。

 

 その窓の下に赤く錆びついた鉄の階段があり、二階に通じている。二階の一番どんづまりの二〇三号室に両親と兄の三人と一緒に住むハガチエは、事件当時、十七歳の女子高生だった。(略)彼女は事件当夜の十一時四十五分頃、神泉駅の公衆電話で友達に電話するため、階段をおりていき、階段をおりきったとき、すぐ右手にある一〇一号室から洩れてくる女のあえぎ声を聞いたという。また事件の翌日、一〇一号室の窓の下には、使用済みと思われる複数のコンドームが落ちていたことも明らかとなった。

この女性は俺より2歳年下の同世代といっていい人物。渋谷の6畳1Kのアパートに家族4人暮らし、固定電話はなく電話するのに駅まで行かねばならない、ラブホテル街が近く、窓を開けて性交したり使用済みコンドームが落ちているような環境で生きていた。俺とはまったく違う、そして決して恵まれているとは言えない環境で同じ時代を生きていたこの女性も今は40代半ば。この人はその後どんな人生を歩んだのだろう。この事件がドラマなら端役に過ぎないこの女性が妙に引っかかってならなかった。

 

東電OL殺人事件から四半世紀が経過した。パパ活の時代に「立ちんぼ」と書くのがこんなにも時代錯誤に感じられるとは。

 

 

 

殺害現場となった円山町のアパートは健在で現在は民泊になっているとか。この本にも出てくる。

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