映画『オッペンハイマー』を見た

見に行くスケジュールの都合がなかなかつかず先週末にようやく見た。

 

通常なら去年のうちに公開されたのだろうが原爆開発者の伝記的映画という内容への「配慮」からか、今年にずれ込んだ。配給会社も変わった。一時は日本公開はないのではと思ったりもしたがアカデミー作品賞受賞の影響が大きかったか、無事公開された。よかったと思う。原爆開発がテーマなだけに色々な意見があるだろうがノーラン監督の新作なら映画としてまず見たい気持ちがあるし、内容については見てみないことには何も言えないわけで。

 

この映画ではオッペンハイマーは化学反応をヴィジョンとして見ることのできる超感覚の持ち主として描かれる。天才的な理論物理学者。一方で個人としては女にだらしなく人格的に未成熟で物事の見通しが甘い人物。第二次大戦当時、ドイツより先に原爆を開発して戦争を終結させるのがロスアラモスに集った研究者たちの使命だった。ユダヤ系の科学者はナチの横暴を体験として知っていたから危機感は強かっただろう。しかし開発途中でソ連によりベルリンが陥落、ヒトラーは自殺する。もはや原爆を作る必要はなくなった。ロスアラモスの研究施設は役目を終えて閉鎖か。ドイツ敗北に歓喜する職員たちに対してオッペンハイマーが言う。「まだ日本がいる」と。

 

どうもアメリカは過去の自国の原爆使用について、戦争を早く終結させて自軍の被害をこれ以上出さないため、「日本のファシズム独裁軍事政権」を打倒して日本国民を解放するため、用いた、という理屈で肯定的に捉えているようだ。この理屈だと、では今プーチンが同じ理由でウクライナに核を撃ち込んだとしてもアメリカは認めるのか、と問いたくなる。原爆投下の候補地を選ぶ会議で、京都は歴史的建造物が多く「素晴らしい街」だからとの理由で除外されるシーンがあるが、これはウォーナー伝説に基づくデマとされている。ここでのやりとりを見ながら歴史的建造物が少ない街なら原爆を落としてもいいのかよ、とムカついた。京都と同じように広島や長崎だって素晴らしい街だろう。何十万人もの命を奪う候補地の選定が軽いノリで決められる。 

 

でもこの映画はオッペンハイマーを批判的に描いている、とは思った。軍縮の署名にサインしない、広島や長崎の映像を映されると下を向いて目を逸らす。後者は、目の前の研究に没頭してその結果まで頭が回らなかった「愚者」としての彼をよく表していた。職業人としてだけでなく家庭人としても、前妻と浮気したり、自分の子供が泣いているのにそっちのけで仕事の話をしたり、落第だろう。トルーマンが、自分の手は血まみれだと嘆いたオッペンハイマーを「泣き虫」と相手にしなかったのは実際の出来事らしい。ハンカチを差し出すのではなく「洗えば落ちる」と言ったそうだが。オッペンハイマーは原爆は抑止力になる、と本気で考えていた。今後の世界は原爆があることによって世界の平和は保たれるはずだと。実際に得られたのは「恐怖の中の平和」だった。

 

オッペンハイマー、ストローズ、二人の視点に加えてそれぞれの視点の時間軸を前後させる複雑な構成は、これぞノーラン映画って感じ。親切なことにオッペンハイマーのパートはカラー、ストローズのパートはモノクロと分けてくれているので混乱することはないのだが、本作の結構な部分を占める聴聞会の内容がよくわからず少し退屈だった。見終わってから調べたらオッペンハイマーに敵対するストローズが相手を陥れようとソ連のスパイ容疑をかけたことをめぐるものらしい。左翼運動に関わっていた過去をもつ彼をグローブス准将はよく最重要国家プロジェクトのリーダーに選んだ。結果的にその判断は正しかった。聴聞会パートは退屈だが原爆開発パートは天才たちによるプロジェクトX的な展開で面白い。ノーベル賞受賞者が多数登場。アインシュタインは枯れた天才扱い。

 

映画としてはトリニティ実験の場面がピークか。悪天候のなか、期限ギリギリでの実験。爆発のあと遅れて爆風がやってくる。基本的に地味なドラマばかりの映画でほぼ唯一の派手な場面。

 

そしてあのラスト。大戦後、ナチの科学者をアメリカとソ連はそれぞれ引き抜いて自国へ連れ帰り兵器開発に従事させた。アメリカが「喉から手が出るほど欲しかった」ナチのV2ロケット技術。あれに核弾頭を搭載して核ミサイルを作りたかったのだ。まったく、狂っている。オッペンハイマーの期待とは裏腹に、戦後は東西冷戦、軍縮どころか軍拡に。でもオッペンハイマーがいなくても原爆の開発は時間の問題であり、彼を「現代のプロメテウス」呼ばわりして貶めるのは違くねえか? と書いているのは物理学者の藤永茂だった。

 

 この、大天才でも大サタンでもないただの一人の孤独な男を、現代のプロメテウス、ファウストメフィストフランケンシュタイン博士、はたまた狡猾な傭兵隊長ハッカー・ネドリーのアイドルに仕立て上げ、貶める必要はどこから生じるのか。そうすることで、誰が満足を覚え、利益を得るのか?

 私が見定めた答は簡単である。私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯しつづけている犯罪をそっくり押しつけることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。(略)原爆を生んだ母体は私たちである。人間である。

 

藤永茂ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』

 

 

見終わって、この映画が日本でなかなか公開されなかった理由が判然としなかった。原爆開発がテーマといってもアメリカの映画監督が撮ったにしては否定的な内容なので反発を懸念する必要はなかったような。原爆使用に関して肯定的なアメリカでこの映画が支持されてアカデミー作品賞受賞した事実がむしろ不思議なくらい。被曝直後の広島や長崎の映像がないことを批判する向きもあるようだが記録映画ではないのでそれはこの映画の領分ではないだろう。去年8月の公開は感情的に難しいかもしれなかったが秋にはできたはずで、過度な「配慮」だったのでは、と思ってしまう。

 

(俺にしかわからない基準だが)『インターステラー』と比較したら全然及んでいないが『テネット』や『インセプション』よりは面白かった。『ダンケルク』と同じくらい。意外だったのがかなり露骨なセックスシーンがあったこと。ノーラン作品に性的なイメージが全然なかったので驚いた。妻がオッペンハイマーと前妻のセックスを幻視するシーンはこの映画の最恐シーン。モンテーニュだったか、どれほどの偉人であっても裸で腰振ってるところを見たら権威なんて消え失せるだろう、と書いたのは。それと同じでオッペンハイマーの偶像性を暴く意図での性描写だったのだろうか。

 

 

映画を見てオッペンハイマーに興味を持ったので今この本を読んでいる。

 

 

参考 第5集「世界は地獄を見た」 第8集「恐怖の中の平和」

 

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

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